3.どうして俺がこんなことを……
「はあ……どうして俺がこんなことを……」
華やかな夜会。それをワイン片手に壁際でうつろに眺めながら、レオンは大きなため息を吐き出した。
その視線の先には、いつもよりも着飾ったレベッカの姿。自分のデザインした靴の試作品を手に、ご婦人相手にあれやこれやと嬉々として早口で話している。
貴族相手に靴を売りたいから社交の場に連れて行って欲しい。そんな非常識な頼みごとをレベッカがしてきたのは、婚約破棄を突きつけてから三日も経たないうちだった。
正直腹が立ったし、レベッカには冷たい態度を取ってしまった自覚がある。しかし、当のレベッカ本人は、そんなレオンの様子に気づいた様子すらない。
渋々了承した時の、嬉しそうな笑顔は心からのものだった。それがわかるから悔しい。
いつも楽しそうに将来の夢を語ってくれた。その明るい笑顔に癒されていたのは事実だ。
二年前にレベッカと婚約はしたものの、レオン自身はまだ士官学校で士官候補として厳しい訓練を受けている最中だった。だからこそ、たまに会うレベッカは救いだった。自分との将来を考え、語ってくれる彼女に惹かれた。同じ気持ちなのだと思っていた。
「俺がはやとちりしていただけ、か。滑稽なものだ」
レベッカの言うことは間違っていない。この婚約は二人の意思で決まったものではない。自分たちの意思で相手を選ぶ者など、貴族では特に少数派とも言える。
婚姻に感情は必要ない、そういうものだと言われればそうなのだ。
だからこそ、同じ未来を向いて話せる彼女に期待を抱いていたのかもしれない。
今夜レベッカを同伴して来たのは、レオンの婚約者としてだ。だが、婚約破棄の意向はもう両家に伝えてある。そのために手も打って来た。すぐに婚約破棄となるだろう。社交界での噂も広まっている。
だからこそみんな、レベッカを伴って夜会に現れたレオンに驚いていた。無理もない。
まだ正式な手続きを踏んだわけではないから、レベッカは婚約者に違いはない。それでも、嘘を付いているような居心地の悪さがずっとまとわりついている。
当のレベッカは嬉々として実物を見せながら靴のことをまくし立てている。それにのせられて、みんな婚約破棄のことを聞けないでいる様子だ。
かと言って、婚約破棄を言い出した方であるレオンに聞くのも憚られるのか、皆遠巻きにレオンを伺っている。まるで針の筵だ。
居心地が悪い。
(レベッカ嬢が今後困らないようにしてやるのも、破棄する側の責任だ、仕方がない)
婚約を違えるつもりなど微塵もなかった。だが、彼女の調査から外れないためにはこれしかなかった。
その結果、レベッカに嫌われようとも仕方がない。そもそも婚約破棄するのだから、嫌われようが嫌われなかろうが結ばれることはもうないのだ。
今後は、自分の職務を全うすることだけを考えなくては。
はあ、と何度目かわからないため息をもらし、手に持ったワインを飲み干した。
「ずいぶんと暗い顔をしているが、うちのもてなしになにか至らないことがあるかい?」
ふいにかかった声に、はっとして顔を上げる。
そこにいたのは、銀かと見紛うほどの美しく柔らかな金髪と青い瞳の青年だった。レオンより拳ひとつ分ほども大きい身長なのに、線は細い。整った顔に浮かんだ微笑は、見るからに貴公子然としている。
それもそのはず、彼はこの夜会の主催者アルマール伯爵の子息だ。
「いえ、そのようなこと。クラウス卿、今宵はお招きいただきありがとうございます」
硬い声でとりあえず礼を述べる。
ヴィクター・クラウス。同い年の十九歳で、士官学校でも成績を競った相手だ。そして、レオンが苦手とする相手でもある。
「君が来てくれるなんて思わなかったけどね。しかもベッキーと一緒に」
知らず眉間に皺が寄る。
ベッキー。そうヴィクターがレベッカのことを呼ぶのが、どうしようもなく不快だった。
「本当に婚約破棄したのかい?」
「そう思っていただいて構いません。すでに両家への通達は済ませてありますので」
「へえ……」
ヴィクターの顔に、新しいおもちゃを見つけたかのような笑みが広がった。
「なぜ婚約破棄を?」
守秘義務違反だ、本当の理由なんて言えるわけがない。そうでなくとも、ずけずけと土足で入ってくるところは本当に鬱陶しい。話したくもない。伯爵令息でなければ胸ぐらをつかんでいたところだ。
士官学校時代から、ヴィクターはやたらとレオンに絡んでくる。しかも、全部レベッカ絡みだ。
「……私の気持ちの問題です。レベッカ嬢は、貴族と結婚したいだけで私と結婚したいわけではなかったので」
「ということは、君はベッキーが好きだったのに、向こうはそうじゃないから婚約破棄をしたんだね?」
「ええ、まあ」
「君はロマンチストだな」
馬鹿にされている。そう思ったもののなにも言い返せない。
レベッカとの結婚に夢を見ていたのは事実だ。それをロマンチストと言われるならばそうなのだろう。
「まあ、子爵家はもっと相応しい貴族の令嬢を迎える方がいいと思うよ」
「そうですか」
「ああ。我が伯爵家ともなると、相手の身分はおおむね下ばかりだからね。少しくらいどうにでもなるものだけど」
「——は?」
嫌な予感がする。
「士官学校へ入ってからはベッキーに会えてなかったからね。たまに交わしていた手紙も、君との婚約でなくなってしまったし」
「なにを……」
「でも婚約破棄になるなら話をしても良いだろ? 君には言ったと思うけど、私とベッキーは友達なんだ。君達が出会う前からのね」
機嫌良さそうに口角を上げたヴィクターに、奥歯を噛み締める。
(なにが言ったと思うけど、だ)
その話は、士官学校時代から耳にたこが出来るほど聞いた。
子爵家が平民を娶るのはどうなんだ、考えなおした方が良いという有り難いアドバイス付きでだ。
(婚約破棄は早まったか……)
いや、レベッカの件に関わるならこれしかなかった。身内の監査や関連する調査に加われないのは、軍監査局の規則だ。
レベッカが密売などするはずがない。もし彼女の将来に自分がいないとしても、その身に危険が迫っているならば助けたい。
「それに、我がアルマール伯爵家も商団を経営しているだろ? 話が合うんだ」
ヴィクターは伯爵家の跡取りだ。しかも、アルマール伯爵家は、国御用達商団の一つであるクラウス商団を経営している。
心底嫌だが、レベッカがそう望むなら、相手としては申し分ないと言わざるを得ない。
結婚に感情はいらないと言うくらいだ、相手が誰であれレベッカはきっと幸せになれるだろう。そういう生きる活力を持つ人物だ。
心底、本当に嫌だが、ヴィクターと結ばれても幸せにはなれる。だが、密売の疑いをかけられている以上、無実の罪をなすりつけられる可能性があるのだ。そうなっては幸せどころではない。
疑いが晴れて幸せになってくれるなら、こんな自分の感情などどうとでも出来る。心底嫌だが。
「お好きに。私はもう婚約者ではなくなりますので」
ふいと顔を背けて吐き出すと、ヴィクターの上機嫌な笑い声が頭上から響いた。
耳障りだ。
「お望みなら、君に相応しい令嬢を紹介するよ」
そう言い置いて、ヴィクターが踵を返した。周囲の令嬢たちがざわめき、その背を遠巻きに追っていく。
やはり伯爵令息ともなると、黙っていても引く手数多だ。
ため息をつきワインに口を付けようとして、もう飲み干してしまった事に気がつき小さく舌打ちをする。
気持ちが落ち着かない。
(婚約者として夜会に来るのは最後だというのに……)
レベッカは靴の話に夢中でほとんど側にはいない。自分はヴィクターに絡まれて気分は最悪だ。
しかし、レベッカは本当に楽しそうにお喋りをしている。それだけは良かった。
監査局の面々は皆精鋭揃いだ。レオンが調査に加わろうが加わるまいが、きっとレベッカの無実は証明されると信じてはいる。
それなのに、万に一つの可能性を捨てられなかった。密売を疑いそういう目でレベッカを見ている監査局がどう判断を下すのか不安だった。
婚約者として最後に過ごす夜が一人きりなのも、結局は自分の決断のせいだ。
「はあ……」
何度目かのため息を付いたレオンを、元気いっぱいの声が呼んだ。
はっとして顔を上げると、レベッカが満面の笑みでレオンの元に駆け寄ってくる。
「レオン様! 靴、買っていただけるかもしれませんの! 今度うちでお茶会を開催することになったんですのよ!」
「そうか! 良かったな」
思わずいつも通りに返事をする。先ほどのヴィクターとの会話で神経をすり減らした分、気がゆるんでしまった。
そんなレオンの両手を取り、レベッカはぶんぶんふってレオン様のおかげですわと喜んでいる。その笑顔に、胸にたまった鬱々としたものがかき消されていくようだった。
喜んでいるなら、渋々付き合ったのも悪くなかっただろう。最後に喜ばせる事が出来て良かった。
婚約破棄するならなおさら、自分にはレベッカが今後生きていけるよう支える義務がある。
「試作品をたくさん作っていただかなくてはいけませんわね! でも先日、ご婦人が靴を作ってもらおうと靴職人のところへ行ったら、軍靴の納品が頻繁で大変だって言ってたそうなんです」
そう喋る間も、レベッカの手はしっかりとレオンの手を握ったままだ。
そのぬくもりに胸が痛んだ。
「軍靴ってそんなにたくさん必要なんですの? ご婦人方がまたシヴァ公国と戦でもするつもりなのかって怯えていらしたわ」
「そう、なのか」
軍靴の納品も監査に入っているが、これまでなんの報告も上がっていない。それが正常な納品なのだろう。
「兵士たちは毎日厳しい訓練をこなしているからな。靴は真っ先に消耗するからそれでだろう」
「そうですわよね。良かったわ。軍靴製作の邪魔は出来ませんけれど、なんとか靴職人に協力をお願いしてみるつもりです」
にっこり笑ったレベッカの瞳が輝く。その明るく疑いを知らない緑の輝きが、レオンの良心を射る。
そうだ、こんな善良な人物が密売などあり得ない。
「レオン様、もう少しお話して来てもよろしいですか?」
「ああ。今のうちにチャンスはつかんでおいた方がいい」
「そうですわね、ありがとうございます。では、行ってまいりますわ」
元気に宣言し、レベッカの手が離れた。ドレスの裾が翻り、その背が遠ざかっていく。
(はぁ……やはり、早まったかもしれないな)
ぬくもりの去った手のひらを見つめ、レオンはただため息をつくしか出来なかった。
* * *




