36. きっとずっと後悔しますわ
「君は、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「はい、わかっておりますわ」
軍部の出入り口に設置されている営門。そこから少しだけ外に出た場所で、レベッカはレオンと向き合っていた。
レオンにはフェルナンに言われた通り、すぐに手紙を書いた。確実に読んでもらえるように、軍監査局に宛てて。
返事はすぐに来た。忙しくて軍部を離れられないが、営門の外まで来て欲しいと言うレオンに会いに来た形だ。
「軍靴のことは本当に残念だった。もっとしてやれる事があったんじゃないかと思うと悔しい。だが、君の命の方が大事だ」
そう言うレオンの瞳は真剣だ。レベッカを心から心配してくれているその様子に、じんわりと胸の奥が熱くなる。
なにより、レオンに会えた事が嬉しかった。細くともまだ繋がっていられる。ちゃんと終わらせる事が出来る。
「わたくしも、同じですのよ」
「……?」
「軍靴は足元を守ります。足元が固まれば防衛力も上がりますわ。いざという時に生存率も上がります」
ほんの些細な力かもしれない。でも、その些細な力が生死を分ける事があるなら、やらないわけには行かない。
それがひいては、レオンを守る事になる。
「わたくしは、レオン様に無事でいて欲しいのですわ。そのためにも、みんなの力を底上げする事は必要なのではと思いますの」
「だが……」
「もちろん、上手くいく可能性の方が低いですわ。でも、あの軍靴はわたくしではなく、みんなで作り上げた軍靴なんですの! わたくし一人で失敗だったなんて判断するのは間違っていますわ! 現場が駄目ならトップから攻めて見せます!」
前向きなのが取り柄だ。絶対に上手くいくなんて思えなくても、やらなければ。
自分は東部軍営で、軍部最高指揮官ブルーム公爵マルセイユ・ヴァレンチアになんとしても会うのだ。
「それに、レオン様とご一緒に目指せる目標は、もうこれだけですのよ。どうか最後までやらせて下さいまし」
「レベッカ嬢……」
レオンが苦しそうに顔を歪めた。握られた拳が震える。
「俺は今、軍部を離れる事が出来ない。付いて行けない」
「良いんです、そんなご迷惑かけられませんわ!」
「迷惑とかじゃない! 俺は——君の事が心から心配だ。出来る事なら付いて行きたい」
胸が熱い。レオンの一言一言に、嬉しい気持ちがわき上がる。
レオンは自分をまだ心配してくれるのだ。こんなにも真剣に。
嫌われたわけじゃない。そう思える事が嬉しい。
「迷惑だったことなんて一度もない。職務だったが、君の側にいられるこの職務に感謝していた。君はいつも前向きに頑張っていて、俺には真似が出来ないといつも思っていたんだ。レベッカ嬢、君は立派だ」
「ありがとうございます、レオン様」
ヴィクターだけでなく、レオンもちゃんと自分のことを見ていてくれたのだ。
「そう言っていただけて嬉しいですわ」
レオンの茶色い瞳が、レベッカを真っ直ぐに射る。
「本当に行くのか?」
「はい。チャンスがあるなら、つかめるように頑張りたいのです。だって、みんなで作った素晴らしい軍靴ですもの」
品質の価値はある。それは自信を持って言える事だ。
軍部最高指揮官がそれをどう判断するかは、やってみなければわからない。話すら聞いてもらえず摘み出されたとしても、少しでも可能性があるならやってみたい。
「ここで諦めたら、きっとずっと後悔しますわ」
「そうか」
レオンは頷き、一歩歩み寄る。力強くレベッカの両手を握った。
骨ばった大きな手の熱に、まるで身体がふわふわと浮くかのような感覚に襲われる。レオンの顔をなぜか直視出来ず、視線をそらした。
「レベッカ嬢、少しここで待っていてくれるか? 半刻以内には戻る」
「あ、はい……」
頷くと、レオンの手が離れた。踵を返し、軍部内に駆け戻って行く背を見送る。その背を追うように、目の前に両手のひらをかかげた。
レベッカの両手の間を、レオンの背が小さくなりながら去って行く。
(レオン様……)
寂しい。こうしてレオンのぬくもりはレベッカの人生から消えるのだ。そしてお互いに、もう交わらない違う人生を生きる。
レオンと夫婦になることを疑いもしていなかった頃が、本当に懐かしい。
けれど仕方がないことなのだ。レオン側の事情はわからないが、彼は貴族。家のしがらみなどもあるのだろう。
少なくとも、嫌われてはいないと思えるのは良かった。
(いえ、嫌われていた方が良かったのかもしれませんわ……)
両手を下げ、営門に身体を預ける。
まだ、あの雨の日のレオンの手の冷たさを、それなのにあたたかい熱を覚えている。
レベッカの背を押してくれるその優しさを。
だからこそ、どうしようもなく寂しい気持ちになる気がした。
嫌われたのだとはっきり思えていたら、もっとヴィクターとの話にも前向きに臨めたかもしれないのに。
乗り気でないなら考え直しても良いとレオンは言ってくれていた。乗り気でないなら、つまりレベッカの感情が前向きでないのなら。
(わたくしったら本当に……)
結婚は感情でするものじゃない。あんなことを平気で言っていたなんて。
「それは、婚約破棄もされますわね……」
フェルナンが、レオンの気持ちも考えた方が良いと言っていたことも納得だ。
そんな酷い婚約者なのに、レオンはずっと優しく、心配してくれていた。
(レオン様は、わたくしではなく、レオン様に相応しい方と幸せになっていただきたいわ……)
レベッカにとってはあまりにも寂しいが、それが唯一レオンに出来るレベッカなりの誠意だ。
だから、早くこの手を離さなければならない。
やがて、戻ってきたレオンの手には、一通の封書が握られていた。軍監査局の印章で丁寧に封蝋を施されたそれを、レオンはレベッカへと差し出す。
「頼みがある。これを、閣下に渡してくれないだろうか」
「まあ……!」
レオンが頼み事をして来るなんて。そのことに驚きつつ、手紙を受け取る。
「もし止められたら、軍監査局からの密書を持っていると言え。どうしても東部軍営で閣下にお伝えしなければならないことがある、と」
「レオン様……ありがとうございます!」
これが本当に密書なのかはわからない。だが、レオンのレベッカへの信頼の証だということはわかる。レベッカをマルセイユに会わせるために、わざわざ書いてくれたのだろうことも。
そして本当に密書なのだとしたら、それなりに重要な事項が記されているはず。
それを託してくれた想いに胸が熱くなった。
「本当は俺が自分で行くべきだ。だが今は忙しくてここを離れられない。危険な場所へ君を送り出すことになるのが心苦しいが……」
「いいえ、これはわたくしが決めたことですわ」
それがひいてはレオンの役に立てるのなら、こんなに嬉しくやりがいのある事もない。
「何か事が起きそうならすぐに逃げるんだ。兄上も一緒に行かれるんだろう? 絶対に兄上の言うことを聞いて、身の安全を一番に考えてくれ」
再び、レオンがレベッカの手を取る。手紙を握ったその上から、強く熱を送り込む。
その熱に、言葉にならない言葉が含まれているような気がして、レベッカは大きく頷いた。
「帰ってきたら、レオン様にどうだったかご報告してもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだ」
レオンの表情が和らぎ、笑みが浮かぶ。それにつられて、自分のほおもゆるんだ。
やっぱり、レオンは笑っている表情が一番似合う。いつもそうやって自分の夢を聞いてくれていた。
「行って参りますわ、レオン様」
「ああ。帰りを待っている。長旅になるから気をつけて」
「はい!」
頷くと同時に、レオンの手が離れた。そのぬくもりが。
名残惜しいからこそ、さっと踵を返す。ふり返らずに歩を進める。なぜだか胸が締め付けられるように苦しい。
それでも、行かなくては。
* * *
夕陽が街を染めていた。
レオンはそんな街をゆっくりと歩いていた。
レベッカがアヴァロ商団と共に、東部軍営への補給物資運搬に発ってからもう一週間ほど経つだろうか。順調に行けば今日の昼には、東部軍営入りしているはずだ。
第三軍需補給局への調査は三日前に終了した。これ以上、軍の補給機能を止めておくことは出来ない。
やはり、軍靴の納品数の割に現場へ支給された数は極端に少なかった。燐の購入履歴を追うのは苦労しているようだが、軍政管理局が方々に手を伸ばして追っているらしい。数日中には調査結果が出るだろう。
レオンはやっと定時で軍部を出ることが出来るようになった。すでに、昼間でも冷たい風が吹くようになっている。
(そう言えば、この辺に孤児院があったんだったな)
ふとそちらへと足を向ける。
やがて見えてきた孤児院の庭には、複数の子供たちの元気な声が響いていた。
そして、大人の男の笑い声。
はっとして庭の死角に身を隠す。
「ねえロバートのおじちゃん。次はわたしー!」
「いいとも。よっ……お、ずいぶん重たくなったな」
普段の厳しい口調からは想像もつかないほど明るく、優しい声。しかし、それはレオンの知っている人物の声だった。
「そろそろ抱っこは卒業か?」
「えー。じゃあおじちゃん毎日来てよ〜」
「ははは、悪かったな。今仕事がすごく忙しいんだ。それが片付いたらまた来る」
「ちょっと、僕も抱っこしてよ!」
孤児院に多額の寄付をしているというロバートの声。レベッカが、ロバートは横領なんてしないと信じる理由。
(確かにな……)
ロバートの声は優しく、慈愛に満ちている。子供たちもかなり懐いている様子だ。
孤児が増えたのは四年前だ。東部の辺境を治めていたシヴァ公爵が、シヴァ公国を名乗り国に反旗を翻した。
あの時に我が子を守ろうと戦いに参加したり、両親ともに軍関係者として従軍しそのまま帰って来なかった者も多かった。もちろん、住民への被害も多く出た。
孤児たちは各地の施設で引き取られたが、王都で引き受けた人数が最も多い。
そっとその場から離れる。
ロバートは、少なくとも子供達のことを思って寄付しているのだろう。それがクリーンなお金ならば、それが一番だ。そう信じたい。
信じたいが、靴職人ギルドでの調査の結果は芳しくない。
ここの孤児たちはどうなるのか。そう思うと気が重い。
しかし、それが自分の職務だ。
(俺は俺の職務を果たすまで……)
* * *




