35.ちゃんと終わらせたいんです
「うーん、気が重いなあ」
昼下がり。
ソファに座って紅茶を飲みながら資料に目を通していたフェルナンが、はあ、とため息を付く。
フェルナンは、柔和な性格と見た目をしているが、商売人としてはやり手だ。その柔和さでするっと相手の懐に入り込んで契約をまとめてしまう。
そのフェルナンがため息など珍しい。
「お兄様、どうかされたんですの?」
「いや、今度の東部軍営への物資補給には私も行くのだけどね」
フェルナンは、向いのソファに腰かけているレベッカへ小さく笑いかけて、肩をすくめた。
「到着予定の日程と、ブルーム公爵の前線視察の日程が被っているんだよね〜」
「まあ!」
「いるとわかっているんだから挨拶に出向かないわけには行かないでしょう?」
そう言って、フェルナンはまたしても大きなため息を付いた。
ブルーム公爵マルセイユ・ヴァレンチア。あの美し過ぎる宰相にして軍部最高指揮官。レベッカの貴族に対する憧れの始まり。
「商売は良いんだよ。でもさ、閣下はあんまり綺麗だから緊張するし……それに美しいからこそ凄みがあるっていうか……」
「つまり、お兄様は閣下が苦手なんですのね」
「まあ、そうとも言うかな〜。アヴァロ商団を率いる上では絶対に避けては通れない人だとわかってはいるけどね」
それにね、と急に真剣な瞳になって、フェルナンがレベッカの方へ身を乗り出す。
「最近、軍部からの受注が減っているでしょう? 最初は一時的なものかと思ったけど、ここ三ヶ月くらいは減ったままだ」
「意図的に減らされている、ということですの?」
「そう。もっと安く仕入れられる業者が見つかったのかもしれないけど、それならそれで価格交渉くらいあってしかるべきなのに……」
確かにそうだ。今までも軍部から価格交渉があったことはたくさんある。
その度に、アヴァロ商団の品の方がいいと説得したり、渋々値下げしたり、交渉決裂で別業者に枠を取られたり取り返したりと色々あった。
しかし今回は、なんの通告も価格交渉もなく減らされている。
「こっちも見込みで事前購入しているんだから、ここいらでこの先増えるのかこのままなのか、はっきりさせておかないと」
「あ……」
軍部。レベッカはその軍部に多大な迷惑をかけた。
ヴィクターは迷惑はかけていい、誰もレベッカを恨んでなんかいないと慰めてくれた。だが本当にそうだろうか?
「お兄様、あの……わたくしのせいだったりしませんか……?」
たしか受注が減らされ始めたのは、レベッカが軍部に出入りするようになってからだった気がする。
レベッカの事が気に入らなくて、アヴァロ商団の受注を減らしてしまった可能性は、否定できない。
「それはないんじゃない? 君の軍靴は正式に許可を得たものだし、実際出来も良かった」
「でも、そもそも部外者が頻繁に出入りして足のサイズを測らせろって迫ったら、嫌じゃありませんこと?」
「もし嫌だと思った者がいたとしても、さすがに嫌がらせとしては度が過ぎてるよ」
「……そう、ですわね」
そう言われればそうだ。受注を減らすとなれば、それなりに上の立場の人間からの指示が必要になる。さすがに、レベッカが原因でそれをするのは職権濫用というものだろう。
「まあだから、閣下に少しくらい探りを入れておこうと……思うんだけどさぁ、はあ……」
なるほどフェルナンの気が重い理由がわかった。
ただでさえ苦手な権力者に探りを入れるとなると、下手をしないか気が気ではないのだろう。
「でも、閣下はわたくしにも親切でしたわ。足のサイズも測らせてくださいま……そうですわ!」
マルセイユは、レベッカの軍靴に協力的だった。そして、幸いにもレベッカの父はその軍部最高指揮官とかつて一緒に戦った同志だ。
もちろん、軍部最高指揮官が私情を持ち込むとは思えない。だが、話を聞いてもらえる可能性はある。
レベッカが軍に迷惑をかけたというならそうなのだろう。それでも、皆の足元を守ることで大切な人を、国を守るという信念は間違いだとは思っていない。みんなで作り上げた軍靴だって、いいものだと自信がある。
だめだった、失敗したと落ち込んだが、本当にそうだろうか。このまま何もしなければ失敗には違いない。だけどもしここからでもまだチャンスがあるとしたら。
「お兄様、わたくしも連れて行ってくださいまし!」
「えっ⁉︎」
「わたくしが一人で失敗だなんて決めつけていいはずありませんわ」
軍靴の試作品は、レベッカが作ったものではない。ヴィクターやレオン、エンリケをはじめとして、たくさんの人が協力してくれて出来上がったものだ。
それを勝手に失敗した、迷惑をかけたと判断していいわけがない。
レベッカの軍靴を喜んで履いてくれた人たちがいた。レベッカに押し付けられ、嫌々ながら履いた者もいた。それでも皆、評価してくれた。この靴はいい軍靴だと。なくなったら困ると言ってくれた兵もいる。
その気持ちをなかったことにするなんて出来ない。
(ヴィクター様、わたくしやっぱり、皆さんを助けたいですわ)
少なくとも、ヴィクターはレベッカのしたことを褒めてくれた。そう言ってくれる人がいるのなら、頑張る理由にはなる。
「ちょっと、何する気⁉︎」
「閣下にお会いします。それで、わたくしの軍靴を見ていただきたいの」
「待って待って待って、本気?」
「はい、本気ですわ」
レベッカの元に返された軍靴の中には、レオンが履いてくれていたものもあるだろう。職務とはいえ、レオンはずっと協力的だった。
それに、レベッカを気遣ってくれていた。
職務だったが、それ以上に応援してくれていたと思うのは自惚れだろうか。
レオンがこの先、レベッカとは違う誰かと人生を歩くのだとしたら、余計にこんな終わり方で遺恨を残したくない。
それにもう少しだけ、その姿が見たい。お互いに違う道を歩き出す前に。
「あそこはシヴァ公国との最前線だよ。ここ最近はずっと緊張状態だし、いつ何があっても不思議じゃない。危険だよ」
「でも、お兄様はそこへ行かれます。国を守る大切なお仕事として」
きっと有事になれば、レオンもヴィクターも、それぞれに国のために、民を守るために従軍するだろう。それが職務であり、彼らの存在意義であり、誇りだから。
アヴァロ商団も、その一端を担っているのだ。
「もちろん、何かあったらと思うと怖いですわ。でも、あそこには国を守って下さっている方々がたくさんいらっしゃるのです。彼らの足元を守りたいですわ。そのためには、閣下のご協力が必要なんです」
上手くいく保証はない。というより、上手く行かない可能性の方が高い。それでも、何もせずに諦めるよりはずっといい。
レオンが、ヴィクターがこの国を守るなら、自分もその一助になりたい。
「荷に、軍靴を載せて下さいまし。お願いしますお兄様」
「……載せるから、君は行かないで待っていなさい」
フェルナンの表情が険しくなった。それは、前線への軍需品の運搬を多数こなしている大人の顔だ。
「いいえ、わたくしも伺いますわ。お兄様、東部軍営行きの運搬者名簿に、アヴァロ商団の従業員としてわたくしの名を加えておいて下さいまし。もちろん、働きますわ!」
「でも……」
「お願いします。お兄様、わたくしに最後までやらせて下さいまし」
ソファから立ち上がり、フェルナンに頭を下げる。
「レベッカ……」
「レオン様と一緒に何かをする最後の機会なんですわ。いえ、もう一緒にとは行きませんけれど……一緒にしていたことをちゃんと、終わらせたいんです」
「うう……」
レベッカと同じ緑の瞳が揺れている。
「そうしたら、わたくしもその、ちゃんとヴィクター様と向き合える気がしますわ」
「そう……」
少しだけ寂しそうに、フェルナンが頷いた。
「私としては、うん……行って欲しくないけど。君にとっては必要なことかもしれないね」
「はい!」
「働いてもらうよ。それから、行くならその前にレオン君に手紙を書いておきなさい。お互いにちゃんと結末を整理できるようにね」
「はい。ありがとうございますお兄様」
そうとなれば準備をしなければならない。
軍靴は使用済みのものとはいえ、まだまだ使えるものばかりだ。エンリケの仕立てがいいことに加え、兵士側での手入れもしっかりしてくれているのを感じる。
その思いを無駄には出来ない。
「わたくし、精一杯頑張りますわ!」
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