34. 守りたい人が出来たからです
日が傾きかけた午後、レオンは一人で監査局へ向けて歩いていた。
いらいらして集中力のなくなったレオンを、少し頭を冷やして来い、なんなら今日は帰って寝ろと同僚に叩き出された形だ。
連日、第三軍需補給局に詰める日々が続いていた。
大量の伝票と帳簿を保管庫から引き出し、二人がかりで納品数と搬出数を出して行く。
それを、もう一人が洗っていた配備数の記録と照合していくのだ。
結果、やはり記録されている在庫数に対して配備された数は明らかに少ない。
もちろんこれはなんの証拠にもならない。配備数が少なかったのは必要ではなかったから、大量の在庫は有事のための備蓄。そう言われれば疑わしくても納得するしかない。これだけならば。
同時に靴職人ギルドを押さえに行った者達は、架空請求の証拠を見つけ出した。これでロバートを引っ張ることは出来るだろう。
レオンは昨夜も夜通し記録を精査していた。確かに、寝ていないせいで集中力が落ちている。
だが、それだけではなかった。
「くそ、あいつ……」
それは、度々第三軍需補給局の管理部を訪れるヴィクターの存在だった。
倉庫のものが燃えてしまったのだから、新しく発注をかけなければならない。その許可を出すのは、ヴィクターの所属する調達庁だ。伯爵家の子息で特別補佐官といえども所詮は新米。こうして書類を届ける雑務を請け負うことも多い。
ヴィクターは頻繁にやって来ては、書類を渡す傍らローズマリーと二言三言、会話を交わしている。
別に、なんてことのない会話だ。なになにの許可を出したとか、ありがとうとか、そういう類の。
それなのに、二人が話しているというだけで心がざわつき苛立ちがおさまらなかった。
ヴィクターがローズマリーと通じているだけでも我慢がならない。それに加えて、ローズマリーの行動も疑われるようなものだった。個人的な感情からかもしれないが、なおさらこれを疑うなと言う方が難しい。
「こんな時に寝ていられるか……」
本当なら、横領の証拠集めなどではなく、軍政管理局とともに調査をしたいくらいだ。
「レベッカ嬢を騙しているなら、許さない……」
噛み締めた奥歯が嫌な音を立てた。その瞬間、すっと意識が飛んだ。一瞬身体から力が抜け、足がもつれる。
はっとしてなんとか踏みとどまったが、背中には嫌な汗をかいていた。
(こんな事でどうするんだ)
立ち止まり、ふうと息を吐く。
民の税で賄われている補給物資を横領に使うなど許されない。民の財産を守るためにも、自分はやり遂げなければならない。調査のために軍政管理局が差し止めた補給局の業務は、じきに解除される。時間がない。
そして、ヴィクターの動きも見張っていなくては。
「俺が、やらなくては……」
気力を奮い立たせるように一歩、また一歩踏み出し……背後から呼び止められた。
ふり返ると、そこには大柄な男が立っていた。スティーブだ。
「レオン、ちょっといいか」
「……はい」
レオンを名で呼んだことから、私的な用事なのだと悟る。
歩き出したスティーブの背に続く。
やがてやって来たのは、剣技の訓練場だ。時間的なものだろうか、少数の自主練らしき人はいるものの、空いている。
「スティーブ殿?」
「お前は、元々は騎士団入りを目指していたそうだな」
訓練場に据え置かれている模擬刀をスティーブが手に取った。自分の分とは別に、一本をレオンに手渡す。
受け取ると、身体に馴染む重さがレオンの姿勢を正させた。
「そうです」
士官学校では、基本的には軍の士官を目指す。それと同時に、わずかながら騎士団への登用枠もあった。実力が認められればそちらの道へ進むことも出来る。
レオンはその騎士団登用枠を狙っていたのだ。
「なぜだ?」
「国を、王を守ろうと……当時は幼くほとんど覚えていませんが、私の伯父が命をかけて守った王と国です。それに、守りたい人が出来ましたので」
「ふむ……」
スティーブが頷き、肩の関節が不自由な右手で剣を掲げた。その切先をレオンへと向ける。
「付き合え」
「は、はぁ……」
訓練の相手をしろと言うことなのだろうか。そう理解して、スティーブへと向き直る。
握った剣をスティーブへと向けた。
「私の右肩はあまり動かないが、これでも元騎士団総団長だ。本気でかからないと勝てないぞ」
「……はい」
レオンも剣技には自信がある。士官学校でもヴィクター以外には負けたことがない。負けたと言っても、ほとんどはレオンの勝利だった。
だが、実戦を経験したわけではない。スティーブは実践経験もあり、騎士団で長く活躍した手練だ。ハンデがあるとはいえ、油断は出来ない。
剣先を合わせ、次の瞬間に右へ飛んだ。
姿勢を低くし、下から切り上げる。対してスティーブは最低限だけ身体をひねり、素早く後退した。
空を切って上を向いたレオンの剣を、今度はスティーブが狙う。胸の前に引いた剣を、腕の動きだけで素早く叩きつけた。
「……ぐっ」
一撃で腕がしびれるほどの衝撃が加わり、危うく剣を取り落としそうになる。
よろけそうになり、慌てて後退する。
「ふむ。大したことがないな」
「————ッ」
歯を食いしばり剣を振るが、何度やってもスティーブにいなされてしまう。
スティーブは、その大柄な身体に似合わず素早い。しかも、動きが最低限だ。それなのに、一撃一撃があまりにも重い。
恵まれた体格であることに加えて、技が洗練されている。
すぐに息が上がった。
「どうした? お前はもっと出来ると思っていたが……無駄な動きが多いな」
力を込めて切り結ぶ。しかし、圧倒的な力で押し返され、剣が滑った。
後ろに飛び退き、距離を取る。
「その程度で守りたい人が守れるのか?」
その言葉に、胸に鋭い痛みが走った。
剣を握り直す。声を上げスティーブに向かうが、あっさりと受け止められた。そのまま力で押されて上体がぶれる。
その瞬間、スティーブがすっと力を抜き引いた。あらん限りの力を込めていたレオンの身体が、あっと思う間もなく前につんのめる。
一瞬スティーブの姿を見失い、その姿を視界に捉えた時にはすでに、レオンの首元に剣があてがわれていた。これが真剣だったら血を吹いていたところだ。
「勝負あったな」
「くっ……」
悔しいが歯が立たない。
うめき声を上げて剣を下ろすと、スティーブも首元から剣を引いた。
「寝ていないだろう」
「————……」
レオンの手から剣を取ると、スティーブは元の場所に戻した。
「それに、いらついている。作業に集中も出来ていないし、剣を握っても判断力がにぶり無駄な動きしか出来ない」
「それは……」
返す言葉もない。全くその通りだ。
「今日は帰って寝ろ。これは命令だ」
「ですが……!」
「そんな状態でここにいられても迷惑だ」
悔しい。一番最初に渦巻いた思いはそれだった。
そして、迷惑と断言された事に、レオンを情けなさが襲った。
「明日も休めと言いたいところだが、体調が戻れば出勤を許そう」
「……はい」
「無理をすれば守りたい人を守れるわけじゃない。冷静になれ、レオン」
そう言いおき、スティーブは踵を返した。レオンを置いて去って行く。
その姿が見えなくなってから、レオンはのろのろと歩き出した。
身体が重い。
(命令、か……)
命令には従わねばならない。規律違反は信条に反する。
おそらく、スティーブはレオンを心配してくれている。厳しいことを言われたが、その通りだから言い返せない。
気が焦る。冷静になれるか自信がなかった。眠れるのかも。ただ命令に従う。
(俺は……どうしたら……)
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