33.誰かにそう言って欲しかったんです
「お久しぶりですね、クラウス卿。まさか伯爵令息だとはつゆ知らず、過去は失礼を致しました」
「お久しぶりですねフェルナン殿。あの頃は私が身分を明かしていなかったのです。全く問題などありませんよ」
にっこり笑ったヴィクターが、右手を差し出した。それをフェルナンも笑顔で握る。
二人は再会の握手を交わした。
「あなたのような高貴な方が来て下さるとは恐れ多い。私の妹が失礼をしていませんでしょうか?」
アヴァロ邸を訪れたヴィクターを迎えたのは、レベッカの兄フェルナンだった。
やっと父が長旅から帰って来た。そのタイミングで、ヴィクターと会う約束をレベッカはしていたのだ。
迎えに来てくれた伯爵家の馬車に、フェルナンが無言で表に出て行ったのをレベッカが慌てて追った形だ。
いい天気だった。しかしなんだか、兄は緊張している気がする。相手が伯爵家の子息だからだろうか。
「いえ、ご心配には及びませんよ。ベッキーは今も昔も、愛らしいお嬢さんだ」
「あなたもそう思われますか! ええ、この子は大変可愛い私の妹なんです」
にこにこと会話を交わす二人の男。それなのに、なんだか不穏な空気が漂っている。
「ところで、アヴァロ男爵がお戻りと伺いましたが」
「ええ、戻っております。ただ、父は王宮に召されていましてね。本日は不在なのです」
嘘だ、父は屋敷の中にいる。そう思いはしたが、口に出す事は出来なかった。
ヴィクターは父に会えば、婚約の話をするだろう。
悪いどころか願ってもない話だ。レベッカにとっても、アヴァロ家にしても。それはわかっているのに、踏ん切りがつかない。
そんなレベッカの気持ちを、フェルナンが推し量ってくれている事は確かだ。
「そうですか。残念です」
「わざわざお越しくださったのにすみません」
「いえ、また出直しますよ。ベッキーと会えるだけで嬉しいですから。ベッキー、行こうか?」
「は、はい!」
頷いてフェルナンの横を通り抜ける。
一礼して踵を返したヴィクターの背を追いながら一度だけふり返ると、フェルナンが優しい顔で手をふった。
(お兄様、ありがとう)
次は同じ手は使えないだろう。だからこそ、今日ちゃんとヴィクターと向き合わなくては。
ヴィクターに導かれ、まるで場違いのような豪華な馬車に乗り込む。
隣にヴィクターが座った。ふわりと甘い香りが漂い、胸が早鐘を打つ。ヴィクターとの距離はあまりにも近い。
(レオン様はいつも向かい側に座って下さっていた)
動き出した馬車の振動に、身体が揺れる。その肩をヴィクターの手が優しく支えた。
触れられた場所だけが熱い気がする。
「ベッキー、今回のことは申し訳なかった」
「え? なんのことですの?」
「軍靴の納品許可取り消しのことだよ。私一人の意見では太刀打ち出来なかったんだ」
「そんな、わたくしこそご迷惑を……」
調達庁にレベッカの軍靴試作品を推してくれたのはヴィクターだ。彼の助力がなければ、レベッカはスタートラインにすら立てなかった。
その協力を無にしてしまったのは自分だ。
「君が火災の時にあの場所にいたと知ってどんなに驚いたか。本当に無事で良かった」
「はい。レオン様が……逃してくださいましたの」
「そう。彼に感謝しなくてはならないな」
ヴィクターはそう言ってほほ笑む。しかし、すぐにその表情が曇った。
「ロバート・フェルド中佐は、放火じゃないかと言っていた。断じて火気は置いていないと。だから、軍部でもちょっと敏感になっちゃってるんだよ」
「そうですわよね、当然ですわ」
「フェルド中佐は否定していたが、兵の中には君の名を上げる者もいてね」
部外者だからだ。火薬の危険を知っている兵が放火などするはずがない。
疑われても仕方がないとはいえ、胸が痛む。
「燃えたのが全て軍靴だったのも運が悪かったんだ。君は、軍靴を売りたがっていたから、余計そう思われてしまった」
「わたくしではありませんわ」
「もちろんわかっているよ。君がそんな卑怯な手を使って商売をするはずかない。本当に腹が立つよ」
語気が強くなったヴィクターが、レベッカの両手を取った。見上げると、吸い込まれそうになるほど澄んだ青い瞳がレベッカを見つめていた。
「ねえベッキー。私の力を使うんだ。結婚しよう。そうすれば、誰もつまらない噂話なんて言えなくなる。そう遠くない未来の伯爵夫人なのだから」
「ヴィクター様……」
ヴィクターの瞳は、心配そうな色をたたえてレベッカを見つめている。
その気持ちがありがたい。なのに、手放しで受けられない自分に戸惑う。
ヴィクターから求婚されてもう三ヶ月が経とうとしている。それなのに、まだヴィクターの気持ちに応えられないでいる。
この手を取れば、貴族の仲間入りが出来るのに。
馬車が停まった。握ったままだった手を引かれ、外へと導かれる。
そこは、よく二人で遊んでいた川辺だった。
光を受けて輝く水面を眺められるところまで、ヴィクターに助けられ土手を降りる。
「伯爵家に生まれた私にとって、君と過ごした時間が人生で一番幸せだった」
手を離し、ヴィクターが下に腰を下ろす。
「まあ、ハンカチを敷かれます⁉︎」
ポケットからハンカチを取り出そうとするレベッカの手を、ヴィクターの手が押し留める。
「別にいいよ。たいして汚れるわけでもないし。それは君が使って」
「あ、はい……」
にっこりほほ笑んだヴィクターに、ぎこちなく頷く。
隣にハンカチを敷いて座った。
「伯爵家の子息としては、地面に座るなんてあり得ないだろ? でも、私自身としては別に気にならない」
「あ……ちょっとわかる気がしますわ」
伯爵令息らしく。その枷の中で、どんなに窮屈な思いをしているのだろう。
レベッカが懐いていたヴィックは、本当に普通の男の子だった。
「ヴィクター様は、士官学校時代にその、貴族らしい立ち振る舞いを学ばれましたの?」
「いや。元々身についてはいたよ。君に見せてなかっただけで」
「まあ……!」
ヴィクターと出会った時、彼はボロボロの綿の服を着ていた。
一緒に遊ぶようになってからも、その身なりは質素なものだった。ただ、言葉遣いや仕草はどことなくいい教育を受けているのだろうと思わせるものはあったが。
とはいえ、伯爵令息が泥だらけになって遊んだりするなどと思うわけもない。
「はじめは、ちょっと平民の真似をしてみたかっただけだった。興味本位だ。だけど、まるで重たい枷が外れたような心地になったんだ」
そう言って細められた瞳は、楽しそうに輝いている。
「だから、気づいてしまった。私が生まれながらに自分は特別だと信じ、なんの疑問もなく平民を見下していたことに。伯爵家が富んでいるのは、領民のおかげなのに」
「富があるのは、領民にとって良い領主だからだと思いますわ」
「あはは、そんな風に言ってくれると救われるよ。でも、見下していたのは本当だ」
風が吹いた。ヴィクターの美しい金髪がそのほおに影を落とす。
その様さえ絵になるようだった。
「君が私に、友情を教えてくれた。対等に接することを。それがどんな喜びを私に与えたか……私は人生で初めて友達を得たんだ」
「ヴィクター様でしたら、貴族の方にもお友達はたくさんいらっしゃったのでは? だって社交界などでも交流なさるでしょ?」
「ああいうのは、蛇の巣窟みたいなものさ。私に媚を売る者はいても、友達はいない。そもそも、身分がある以上、対等に接する事が出来ないんだ」
レベッカには想像の出来ない世界だ。
だが言われてみればそうだ。レベッカだって、ヴィックならいざ知らず、伯爵令息のヴィクターには対等になど接していない。そうすることに抵抗がある。伯爵家を、貴族をなんの疑問もなく上に見ているのだ。
「ベッキー。君と結婚すれば対等な立場になるだろう? そうなりたい」
「ヴィクター様……」
ヴィックはとても良い友達だった。だからこそ、彼の言っていることも理解できる。
「私の夢を聞いてくれるかい?」
「もちろんですわ!」
夢の話をするのは楽しいものだ。レベッカも、ずっと夢の話をレオンにしていた。
レオンと一緒に、どうスタンフィールド家を盛り立てて行くかという夢を。
「私はね、この国の貴族制度を無くしたい」
「え⁉︎」
それは、伯爵令息としてはあまりにも突飛な考えだ。
貴族がなくなれば、ヴィクターはどうするのだろう。自らその立場を、富を捨てるのだろうか。
「皆平等で、努力した者が努力しただけ成果を上げられる世にしたいんだ」
「でも……」
「第三軍需補給局のフェルド中佐は、叩き上げの優秀な軍人だ。だけど、彼は平民だ。中佐以上の出世は望めない。そもそも中佐になれたのだって異例なんだ。だけど私は数年で中佐に上がるだろう。その後も順調に昇進するよ。こんなのおかしいじゃないか」
あまりにも立派だ。
そんなことをしたら、ヴィクターが不利になる場面だって出て来るに違いない。それなのにおかしいと言えるのだ。
ますますヴィクターこそが伯爵の器だと思えてしまう。
「だからそのために、この伯爵家の力を使いたいんだ。まずは、平民の昇進頭打ちを無くす。そうして少しずつ役職で貴族と差がなくなってくれば、自然と貴族の権力も落ちて来る」
「はい」
「そうなったら、領地を細かく分けて、その一地方を治める長を領民に決めさせるんだ。これでさらに権力が弱くなる。ここまで行くには相当時間がかかるけどね」
でもそれが私の夢なんだ、そう言ってヴィクターがほほ笑む。
自分の代で成し遂げられなくても、きっと次や次の代で成し遂げられるような布石を置きたい、そのためにこの伯爵家の力を使いたいと力強く宣言する。
「ベッキーは、貴族相手に商売をしたいんだよね? なのにこんな夢を持ってすまないね」
「そんなことありませんわ、立派な夢だと思います!」
もし貴族の権力を削ごうとするなら、相当反発があるだろう。ちょっとやそっとの年月では成し遂げられないものになるかもしれない。
ならば、その間は貴族相手の商売は出来るという事だ。
「私には、平民の感覚を教えてくれる伴侶が必要だと思っている」
それが自分なのか。
たしかに、ヴィクターの夢を手伝う事がレベッカには可能だ。
(必要として下さっているのね……)
説明のつかない複雑な気持ちはあるが、勇気を出して応えるべき時が来ているのかもしれない。
「でもわたくし、支えられるでしょうか。軍靴のことでも、ヴィクター様をはじめたくさんの方に協力していただいたのに、結局なにも出来なくて。わたくし、皆さんの善意を全て無駄にしてしまったんですわ。あんなに時間をかけたのに、結果はただ迷惑になっただけでしたもの」
「? 別に良いでしょ、迷惑をかけても」
「え……?」
ヴィクターは、なにを言っているんだとでも言いたげに首を傾げている。
「でも……」
「ベッキー。人は一人では生きて行けないんだよ。誰かに迷惑をかけて、誰かに迷惑をかけられる。そうやって支え合っているんじゃないか」
優しげに細められた青い瞳が、レベッカの中の霧を晴らすように輝く。
「迷惑をかけたと思うなら、次は君が助けてあげればいい。それにお互いを思って行動したことは、たとえ失敗して迷惑をかけても恨まれたりしないよ。君に協力した皆も同じ気持ちのはずだ。君は、純粋に兵の足元を助けようとしてくれていたんだから」
「ありがとうございます……!」
まるで胸につかえていたなにかが外に転がり出したように、前触れもなく喉が熱くなった。
その熱が喉を駆け上がり、瞳からあふれ出す。
ずっと自分の事ばかり考えて、迷惑をかけてしまったと思っていた。いや、事実そうだった。
だけど、レベッカが兵の足元を良くしようとした思いは本当だった。そのために頑張った。
それをヴィクターはちゃんと見ていてくれたのだ。それが嬉しかった。きっと誰かにそう言って欲しかった。
手で涙を拭うが追いつかない。ハンカチは下に敷いてしまった。
「君は皆のためによく頑張ったよ。ありがとう」
ヴィクターの指がほおに触れ、涙を拭う。その手が、頭を撫でた。
まるであのころに戻ったように————。
* * *




