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32.「らしい」ってなんでしょう

 カレン通りを歩くレベッカの足は重かった。

 あれから程なくして、軍監査局から封書が届いた。中は、レベッカの出入り許可を取り消す旨の通告書だった。

 同時にレオンからも事情を説明する手紙が届いた。当然ながら軍は、倉庫火災を重く見ている。レベッカだけではなく、一定期間軍部への民間人の立ち入りを制限することにしたらしい。

 レベッカはそもそも軍が正規に契約した業者ではない。取り消されて当然だった。


「でもまだ、軍靴の納品許可は取り消されていませんわ……」


 実際に軍靴試作品を試した兵からの聞き取りはもうかなり進めていた。まだまだ聞き取りをしたかったが、現状でも採用申請を書く事は可能だ。

 もうあらかた軍靴は配り終わっている。あと五足、納品させて貰えるだけでいい。

 その望みにかけて、レベッカは靴職人エンリケの工房の扉を開いた。


「いらっしゃ……あ、レベッカ」

「こんにちは。お忙しいかしら?」


 迎えてくれたエンリケは、作業台の上で靴用の針を片手に持っていた。そこから出る糸は、台の上の革へと繋がっている。ちょうど靴を作っていたのだろう。


「そうだね、忙しいかな。でも入って」


 手を止めて、レベッカを迎え入れてくれたエンリケは、椅子をすすめてくれた。

 その言葉に甘えて腰を下ろす。


「わたくし、軍部への出入り許可を取り消されてしまいましたの」

「倉庫火災のせい?」

「そうですの。ご存知でしたのね」

「軍靴が全部燃えたって言うんで、靴職人ギルドに大量発注があってさ」


 エンリケが肩をすくめて、再び針を握った。ひと針ひと針、革を縫い合わせていく。


「エンリケに作っていただいた軍靴試作品も、最後の五足が燃えてしまいましたの」

「そうかぁ……残念だったね」

「せっかく作っていただきましたのに」

「良いんだよ。俺はちゃんと報酬もらってるし。そりゃ、履いてもらえる方が良いけどさ」


 にこりと笑ったエンリケに、ほっと胸をなで下ろす。


「今思えば、一足でも持って逃げれば良かったですわ」

「え⁉︎ 火事の時いたの⁉︎」


 驚いてレベッカを凝視しているエンリケに頷く。


「いましたわ。あ、でも……右手はレオン様が引いて下さってましたし、もう左手はハンカチで鼻と口を押さえていましたわね……」

「レベッカ、そういう時に荷物なんて持って逃げちゃだめだ。はぁ、レオン様がいてくれて良かったよ」


 本当にそうだ。

 レオンは緊急事態にも関わらず冷静だった。慌てず騒がず、荷の間を走る事もなかった。

 そんなところは微塵も見せないが、やはり厳しい訓練を受けた軍人なのだと改めて思う。


「ま、君が無事だったのなら良かった。俺たちは軍靴の作成で忙しいけど、これも儲けになるからね」

「エンリケ、その軍靴の事なんですけれど」


 忙しいと言っているのに、ちょっと気が引けるが、今頼れるのはエンリケだけだ。


「燃えてしまった五足、もう一度作って下さいませんか? もちろん、お代は割増で払いますわ」

「うーん……」


 いつもは、儲かるからと二つ返事で引き受けてくれるエンリケが言い淀む。


「さっきも言ったけど、忙しいんだよ。前もそうだったけど、正規の取り引きが優先になるのは了承してもらいたいな」

「そうですわよね……でも、あと五足なんですの。どうにか納品だけでも」

「そうは言ってもなあ」


 エンリケは珍しく渋い顔をしている。


「その五足を置くスペースがあるなら、他の物を置くと思わない? ただでさえ倉庫は焼けて使えるスペースが限られている」

「あ、そう……ですわね」


 まただ。また自分は、自分のことしか考えていなかった。そんなことくらい、少し考えればわかることなのに。

 レベッカの思うあとたった五足と、軍の考える五足分のスペースは全く違うだろう。


「そう言えばさ」


 エンリケが手を止め、レベッカの方に身を乗り出した。


「前にレオン様がここに来た話、したっけ?」

「え? ここにですの?」

「そう。十月の……いつだったかな。十日前後だったと思うけど」

「まあ。この間軍靴試作品を受け取った時は言っていませんでしたわよ。初耳です」


 もう二週間近く経つだろうか。

 レオンからはなにも聞いていない。


「靴の注文に来られましたの? わたくしがエンリケの話をしたからかしら」

「いや、そういうんじゃなかったんだよ」


 顎に手を当てて、当時を思い出す仕草をしながらエンリケが口を開く。


「九月に軍靴の追加発注があったかどうかを聞きたいって」

「? どうしてそんな事を?」

「さあ。なんでそんなことを聞いたのかはわからないけど、彼は監査補佐官と名乗ったよ。監査局の調査かもしれない」

「お仕事でいらっしゃったのね……」


 レオンは軍の監査局所属だ。軍で何か不審があれば、出入り業者を当たるというのはある話だ。


「軍靴が関係する事でなにかあったんじゃないかな。下手に関わらない方が身のためだと思う」

「そうなんですの……なにがあったのかしら」


 だが、いくらレベッカが聞いたところで教えてはくれないだろう。監査局の調査は、重大な機密事項であろうことは容易に想像がつく。


「そんなこと、わたくしに話して宜しかったの?」

「靴職人ギルドには言うなって言われたけどね。君への口止めはされてないよ」

「まあ! 拡大解釈ですわね」

「漏らさないでくれよ? レオン様は良い方だとは思うけど、あの人も国家権力なんだから。バレたら多分あの人捕まえに来ると思う」


 確かにそれはありえる。苦渋の決断だろうが、レオンは規則や法は守らねばならないというのが信条だ。

 レオンはとにかく真面目だ。職務なら自分の感情を殺してでも遂行するだろう。だからこそ、監査官に引き抜かれたのかもしれない。

 レベッカには話さないだけで、色々な事を背負っているのかもしれなかった。


「とにかく、四五足納品できただけで良しとしといたらってこと。本当に何かあるなら、そんな時に正規の取り引き業者じゃない者の商品を入れるなんて向こうも嫌だろ?」

「……そうですわね」


 ただでさえ火事の後だ。ここで無理を通せば、またさらにレベッカの印象が悪くなる。印象が悪ければ、もちろん信用もしてもらえない。


「わたくし、商売のことはたくさん学んだつもりでしたの。でも、なんにもわかっていませんでしたのね」


 良い物を作れば売れると思った。そのためには信用が大事だともちろんわかっていた。信頼される商人と認めてもらえるように、兵士たちの悩みを聞き取り改善した。

 なのに、本当のところはわかっていなかった。信用を失うような行動を自ら取ろうとしていた。

 火事がレベッカのせいかどうかは関係ない。その時点でのレベッカの行動が問われているのだ。

 はあ、と思わず重いため息が出てしまう。


「まあそんなに落ち込まなくて良いって。君はまだ若いんだしさ」

「そうですけれど」


 一度の失敗でなにもかもを放り出すには、これから先の人生はあまりにも長い。歴戦の商人だって失敗する事はある。父も兄も、多額の損失を出したことは一度や二度ではない。むしろ、失敗してこそ成長するとも言える。

 だからと言って、反省しないのは違う。レベッカは反省しなければならないのだ。次に活かすために。


「レベッカの良いところは、前向きでいつも笑顔のとこでしょ? らしくないよ」

「わたくしらしいってなんでしょう」


 倉庫火災の日も、レオンにらしくないと言われた。こうやって意気消沈しているのも、レベッカ本人なのに。


(ああ、こういうことなのかしら……)


 思い浮かんだのはヴィクターの顔だった。

 レベッカが、ヴィクター自身を見てくれるのが嬉しかったと言っていた。ヴィクターはいつでもヴィクターなのに、皆伯爵令息として見るのだろう。それらしく行動するよう求められているのだ。

 レベッカの知るヴィクターは、一緒になって走り回って遊べる、少し歳上の、ただの男の子だった。だから夜会で再会した時も、あまりにも雰囲気が違っていて驚いたのだ。

 まるで王子様だった。とても素敵で、ヴィクター様としか呼べない雰囲気があった。

 彼はきっと、伯爵令息らしさを求められ、そう行動するようになったのだろう。


「ま、とにかく。もっと気楽に行こうよ」

「ええ、そうですわね」


 頷き、席を立つ。

 忙しいのに相手をしてくれたことに礼を言い、エンリケの工房を後にした。

 通りを歩きながら、よく一緒に遊んでもらったヴィックのことを思い出す。

 よく笑う男の子だった。レベッカが興味を持った事を一緒に楽しんでくれた。いつも手を引いてくれていた。木に登ろうとして失敗し、服を破いたこともある。

 きっとどれも、伯爵令息らしくない行動だ。だけど、それだってヴィクター本人なのだ。外野がなんと言おうとも。


(レオン様も……)


 真面目一辺倒のレオンが、規律違反なんてらしくないと思った。きっとなにかあったのだと、自分に都合のいい解釈をしていた。

 でもそれは、レベッカがそう思っていただけの話だ。規律違反をした。婚約破棄をした。そこにどんな事情や感情があったのかはわからない。それが彼らしい選択なのかもしれない。

 みんな、なにをしようがその人の選択だ。

 だから今、自分がちょっと落ち込んでいてもそのままでいいはず。


「もうレオン様と一緒に目標へ向かう事はできませんのね」


 いつかそうなるとわかってはいたけれど、こんな幕切れになるとは思わなかった。


「でも、ここまでやったんですもの。採用申請をしませんと」


 レオンをはじめとして、協力してくれた人達全ての思いを無駄には出来ない。

 そう思いをあらたに、馬車を待たせている場所まで早足で歩く。

 そうして帰宅したレベッカを待っていたのは、厳しい現実だった。

 軍調達庁と補給局の連名で二箱の木箱が届いていたのだ。その中に入っていたのは、レベッカが納品した軍靴だった。数えると四五足ある。

 軍靴試作品とともに渡した脂缶も、少数ながら配った中敷きも、しっかり回収されて隅に入っていた。

 そして、封書がひとつ。中から取り出した書面には、レベッカの軍靴試作品の納品許可取り消し及び試作品使用禁止の処分が記載されていた。


「そんな……」


 これまでの時間が、協力してくれた全ての人の思いが無駄になってしまった。

 軍靴を一つ手に取る。皮が少し傷付いていた。だが、脂はしっかりと塗られているようで光沢がある。丁寧に履いてくれていたのだろう。

 さらにもう一つ。ずいぶんくたびれている。履いていた主の歩き方の癖なのか、靴の内側が擦れていた。

 脂缶の一つを開けると、しっかりと使った跡がある。

 通知書を握りしめる。ここまでやって来たことの全てが、この瞬間に迷惑行為に変わったのだ。


「レオン様、わたくしどうしたら……」


 思わずつぶやいたものの、もうレオンはいない。軍靴を納品出来れば細くとも繋がりようもあっただろうに。

 これでレベッカの生活から、レオンはいなくなってしまったのだ。

 胸が急激に熱くなり、その熱が喉元を駆け上がった。


「いけませんわ、いつまでもレオン様に頼っては……レオン様に……ご迷惑をかけちゃ……自分のことばっかりじゃ……」


 目頭が熱くなる。

 なにも成し遂げられなかった。あんなに助けてもらって、協力してもらって、守ってもらっていたのに。

 次々とこぼれ出した涙も拭えず、しゃくりを上げる。

 悲しい。何もかもが上手くいかなかった。たくさんの人をふり回しただけだった。職務とはいえずっと付き添ってくれたレオンや、試作品を一人で作成してくれたエンリケ、尽力してくれた皆になんと言えばいいのか。

 こんな時に肩を叩いて慰めて欲しい手はない。


「レオン様、ごめんなさい……レオンさま……」


   * * *


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