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30. 本当に火気なんて持っていませんでした

 管理部の中で椅子に座り短い休憩を取っていると、扉が開いた。

 入ってきたのは、すらっとした長身の青年だ。ロバートの嫌いな貴族、ヴィクター・クラウスだった。その手には、書類の束を握っている。

 それを事務官のローズマリーに渡し、ヴィクターはロバートへと歩み寄って来た。


「フェルド中佐、この度は大変でしたね。厳しいと有名な中佐のもとでこんな事故を起こす者がいるとは」

「ちっ……」


 伯爵令息だかなんだか知らないが、いつもこの鼻持ちならない男は一言多い。次期伯爵だと思って、周囲を見下しているのが丸わかりだ。

 これならまだ、定期監査に来るレオンの方がましだ。


「補給物資納品申請の調達庁許可を持って来ておきましたよ」

「ああ」


 低くうなるように返事をする。

 補給物資は戦の際の要だ。それは、四年前の東方辺境戦役での苦い敗走とともに記憶に深く刻まれている。

 前線には食料も医薬品も、火薬も、靴もなにも届かなかった。いや、届けられなかった。軍本部の状況把握不足に加え、補給物資も予算を削られて不足していた。

 さらには、なけなしの補給物資を届けようとしている部隊ばかりを敵に狙い撃ちされていたのだ。

 目の前で部下が命を落としていく。だが補給がなければ、前線の者も皆命が危ない。狙い撃ちされているとわかっていながら、命と引き換えに補給物資を届けに出るしかなかった。


「他の倉庫を多少圧迫してでも、補給しておかなければならないでしょう? だから、多めに許可を出してあります」


 王都を護るはずの王宮騎士団の精鋭が一部駆けつけて、敵をなんとか蹴散らしてくれたおかげでロバートの命は助かった。

 だが前線で味方の撤退を支えるために退かなかったスティーブは大怪我を負った。そのまま指揮を続け治療も出来ずに、今では味方の粗探しに身を落としている。

 王宮騎士団にとって、スティーブの退任は大きな士気の喪失だったと聞く。


「フェルド中佐」


 ヴィクターがロバートの横に立つ。その青い双眸がロバートを冷たく見下ろして来た。

 小さく咳払いをして、ロバートの横の椅子に座ると、身を寄せるようにして小声で囁く。


「もう監査局からの聞き取りは終わりましたか?」

「————は?」

「私は先日聞き取りを受けました」


 聞き取りとはなんの事だろうか。監査局が?


「監査局が、第三軍需補給局で架空請求の痕跡ありとして調査を始めているそうですね」

「な……ッ」


 初耳だった。なぜ架空請求のことをこの男が知っているのだ。

 もしや、最近広がった横領疑惑の噂を間に受けてしまったのだろうか。


「私にはクラウス商団がありますので」

「そうか」


 確かに、クラウス商団との取り引きはかなり多い。さらには運搬業も請け負ってもらっている。特に火薬はクラウス商団に一任されている重要物資だ。民間とはいえ、第三軍需補給局とはそれなりに結びつきの強い商団なのは周知の事実。

 第三軍需補給局での不正が見つかれば、聞き取りを受けるのは自然だ。


(無能かと思っていたが、気づいていたのか……)


 日付の誤認などするはずがない。日付はわざと入れていなかったはずだ。入れていたとしてもあんなヘマはしない。それなのに、検収記録より前の日付の伝票が複数出てくるなどあり得ない。そこから、横領の噂があっという間に広まった。

 そして今回の火事だ。 

 忌々しいが、何者かがロバートを陥れようとしている気がしてならない。誰が?

 監査局はいつから気づいていた?


「でも、火事で証拠は燃えてしまいましたね。残っているものと照合したところで、ないものは燃えたのだと言えば仕方がなくなる」

「何が言いたい?」

「いや、フェルド中佐は不正を許さないでしょうから、さぞ無念だろうと。しかし証拠がなくなってはもう監査局とて追求出来ないでしょう。残念です」


 ヴィクターは肩をすくめ、さっと椅子から立った。踵を返すと、ローズマリーに軽く挨拶をし管理部から出て行く。


(そうか、天は俺に味方をしたか)


 監査局がどこまで勘付いていたかはわからないが、まだ長官のロバートに聞き取りに来ないということは、泳がされているのだ。

 それさえわかっていれば、対処のしようはある。なにせ証拠は燃えたのだ。横領の噂などただの噂でしかない。


(いや……)


 この火災の原因がなにかはまだわかっていないが、これが横領の隠蔽工作だと取られることはあり得る。

 誰が不正をし火を付けたかは定かでなくとも、監視が付くのは容易に想像出来た。

 監査局が勘づいているという事は、もう監視は始まっていると見ていい。靴職人ギルドに火消しに走れば奴らの思う壺だ。


(くそっ、なんだって火事なんか……)


 火気などあるはずもない。第三軍需補給局には火薬倉庫がある。皆、その危険は熟知している者たちばかりだ。

 本当に危険な状況だった。故意にしろそうでないにしろ、許されることではない。


「貴族の士官どもが無能なばかりに……くそっ」


 吐き捨て、ロバートは立ち上がった。休憩などもういい。自分が先頭に立って指揮し、急いで倉庫を使える状態にしなければならない。

 各所点検もいるし、やることは山積みだ。今この瞬間に攻め込まれでもしたら、四年前の二の舞だ。

 身体を動かしながらでも考えられる。現場を見た方が対策も思いつくかもしれない。

 ロバートは自分を鼓舞するように頷き、大股で外へと歩き出した。


   * * *


「あの日うちにいた部外者はあんただけなんだよ!」


 ばん、と大きな音を立ててレベッカの座る机が力任せに叩かれた。それにびくりと首をすくめる。

 レベッカは、第四倉庫が火事になった第三軍需補給局の中央管理部に呼び出されていた。

 目の前には、怒りで顔を真っ赤にしたロバートが座っている。


「フェルド中佐。相手は民間人です、もう少し穏やかに話されてください」


 レベッカの横には、レオンが起立したまま控えている。

 二日前の倉庫火災は、レオンをはじめとした兵士たちの必死の消化活動により消し止められた。倉庫の外壁までは被害が及ばず、火の粉も外へは出なかった。火薬も無事だ。

 しかし、レベッカの軍靴試作品五足を含めた装備品が燃え、燃えずとも熱や煙で使用不可能になってしまったものが多く出てしまった。

 特に、あの一画は軍靴を置いていたようだ。軍靴は全て燃えてしまったのだという。


「いいか。多くの物資が失われ、まだ体調が戻らない者もいる。こういう時に、真っ先に疑われるのを覚悟して入り込んでたんだろう? まさかなんにも考えてませんでしたとは言わねぇだろうな」

「あの、すみません……」


 消化活動の後、レオンはひどい頭痛を訴え、軍部の医務室に運ばれたらしい。レベッカが無事を知らせる手紙を出したのに丸一日返事が来ず、気を揉んだがそういう理由だったようだ。

 やっとレオンから無事の知らせを受け取り、どんなにほっとしたかわからない。

 ただ、火傷を負ったり、いまだに頭痛を訴える者もいるらしい。


「原因究明に雑音が入るんだよ。部外者など疑わないわけにはいかねぇんだ。そんな事もわからないのか。これだから裕福な女は……」


 語気荒く吐き捨てたロバートに、再びレオンが冷静にと嗜める。

 ロバートの瞳に剣呑な光が宿った。


「そもそも、倉庫に火気などあるわけがない。ここにいる兵は皆、火薬の恐ろしさを知っている。だから火なんざ持ち込む奴はいねぇ。それをするのは素人だけなんだよ」

「あの、でも本当に火気なんてなにも持っていませんでしたわ!」


 ロバートが自分を疑うのはわかる。それは仕方がない部分がある。そういう可能性を微塵も考えられていなかったのは自分の落ち度だ。

 だが、火事の原因など断じて作っていない。


「フェルド中佐。私も常にレベッカ嬢に付いて監視しておりました。たしかに彼女は、火気など持っていませんでした」

「そう言い切れるか? 眼鏡をかけているな。そのレンズは火事を起こさないとでも?」


 ロバートの言葉に息を飲む。

 やはり経験豊富な軍人だ、当のレベッカですらその可能性には気づいていなかった。


「眼鏡は外していませんわ。それに、もし収れん火災を想定しているなら、倉庫内の太陽光が足りません。薄暗いですもの」

「は、どうだか。無意識に眼鏡を外してその辺に置いていた可能性もある。目が悪いなら、小さなルーペを持っていたかもしれないな」

「ですから」

「疑われて当然なんだよいくらしてないと言ってもな!」

「フェルド中佐!」


 レオンの声も次第に大きくなる。


「そもそも、お前が監視していたんだろう。もちろん、身体検査もしていたんだよなぁ?」

「……レベッカ嬢は、出入り業者扱いです。他の出入り業者も身体検査まではしません」

「それは正規契約を交わした業者だからだ。お嬢ちゃんはそうじゃないだろう?」


 脳裏にスティーブの姿が浮かぶ。

 確かにレベッカの出入り許可は、スティーブの裁量で許可されたものだ。だからこそ監視が付いている。軍部との契約を結んだわけではない。


(スティーブさんにも迷惑をかけてしまいますわ……)


 眼鏡はもう身体の一部のようなものだ。迂闊だったとしか言いようがない。


「いいか。俺だって本気であんたがやったとは思っちゃいないさ。収れん火災だってほぼ不可能だ。だがな、そう言われて無実を証明することは難しい」

「はい、おっしゃる通りですわ……」

「俺たちははここに火気があることの恐ろしさを知っている。なら素人が意図せず火災を起こしてしまったか、あるいは放火かと思われるのは当たり前なんだよ! その可能性を潰す時間すら惜しいのにだ」


 レベッカは、ここに存在しているだけで迷惑になっているのだ。それが今ありありとわかる。

 仕事の手を止めて、足のサイズを測る……それも迷惑のひとつではあるだろう。だが、本当の迷惑というのはこういう事態が起きた時なのだ。


「おい、監査局の坊ちゃん。ブライアン大佐に伝えろ。彼女の出入り許可を取り消せと」

「中佐!」

「嫌なら俺が出向いてやろうか?」


 立ち上がり、レオンの前に立ったロバートが、その視線でレオンを威圧している。


「いいか、こんなことになった以上、正規の契約をしていない女などここには入れん。ここでは俺が長官だ」

「ですが彼女はなにも……!」

「あの、レオン様いいんです! 靴も燃えてしまいましたし……」


 燃えてしまった軍靴試作品は勿体なかったが、また作り直す事は出来る。

 だが、失った信頼を取り戻すのは難しい。商売は信頼関係が第一だ。

 レオンもスティーブも、レベッカを信頼したからこそ協力してくれていた。ロバートも邪険にしつつも追い出しはしなかった。

 でももう状況が違う。食い下がってさらに信頼を損ねるよりも、ここで退いた方がいい。


「あの、ロバートさん。最後にひとつだけ聞いてくださいまし。関係あるかわかりませんけれど、あの日変わったものを見ましたの」


 最後に、これだけは伝えておこう。いつもと違うと感じたことは、無関係だとしても言っておいた方がいい。

 後から、知っていたのかと言われるのも防げる。


「倉庫にこれくらいの缶が何個か置いてあるのを見ましたわ」


 倉庫火災の日、レベッカが見た缶の大きさを手で示す。


「倉庫には何度か納品に伺いましたが、あの缶は初めて見ました」

「そんなものが? 気が付かなかったな」

「わたくし、もの珍しくてなにかしらと思いましたの。蓋だけが木製で、あまりお見かけしないものでしたので。それと大蒜にんにくに似た刺激臭がしていて……この件とは全然関係ないかもしれませんけれど……」


 レオンがロバートを見上げた。当のロバートも、心当たりがないのか考え込んでいる様子だ。


「わたくしがその日気になったのはそれだけです。とにかく、わたくしではありませんの」

「なら今すぐ出て行け。下手に軍などに関わらず、孤児院で子供の相手でもしていろ」

「……はい」


 頷いて立ち上がる。

 心なしか、最後のロバートの言葉は優しく聞こえた。こちらが彼の素なのかもしれない。

 ロバートに一度お辞儀をすると、レオンの腕が肩に回り、ロバートから引き離すように背を押した。その手が慰めるようにとんとんと肩を叩き、離れる。

 なにも言わなくても、こんなにもレオンは優しい。そしてもう、ここで彼と会う事はなくなるのだ。

 はあ、と小さくため息を付き、レベッカは先を歩くレオンの背を追った。


   * * *


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