2.貴族になりたいのですわ!
屋敷に戻り玄関ホールに入ると、そこには出る時にはなかった荷が山積みになっていた。
その中心で商人たちにあれこれ指示をしているのは、アヴァロ商団の跡取りである長兄のフェルナン・アヴァロだ。
「お兄様!」
レベッカの声にふり返ったフェルナンが破顔した。その様子に、レベッカの心が踊る。
十五も歳の離れた兄は、今や父の右腕としてアヴァロ商団を率いる存在だ。商人として成功したいという夢を持つレベッカにとっては、憧れの人物でもある。
「おかえりなさいませ」
「やあレベッカ。元気にしてたかい?」
人の良さそうな笑みを浮かべ、フェルナンは腕を広げた。しっかりと再会の抱擁を交わす。
「二ヶ月ぶりに帰ってきてすぐに君に会えるなんて嬉しいね」
「わたくしもですお兄様」
「はは、でも私の可愛い妹は婚約者のところに行っていたらしい」
レベッカと同じ緑の瞳が優しく細められた。その嬉しそうな表情が、レオンから放たれた婚約破棄の四文字を否応なくレベッカに思い出させた。
兄に会えて弾んだ心が急速にしぼみ、無意識に兄から瞳を逸らす。
「君は普段から愛らしいけど、こうやって着飾るのは特別な時だもの。そうでしょ?」
「そうなんですけれど……あの、お兄様。聞いて下さいまし」
意を決して兄に詰め寄る。あまり見ない妹の真剣な眼差しに少し気圧されたようにフェルナンが頷いた。
「レオン様が、わたくしとの婚約を破棄する、と」
「えっ⁉︎」
周りにいる従業員たちの耳がこちらに向いているのが感じられたが、別に聞かれても問題などない。彼らは家族同然の者たちであるし、いずれは知られることだ。
そんなことよりも、これから先のことを考えなければ。
「ですので、わたくし急いで貴族相手の商人として成功しなければなりませんの!」
そうだ、自分は貴族に嫁いでも恥ずかしくないように頑張って来たのだ。もちろん、嫁いだからには役に立てる妻でいたいと思って来た。
商家に生まれたからには商売で成功したいという夢は、スタンフィールド家を盛り立てることにも繋がるはずだったのに。
「ちょ……え、レオン君が本当にそんなことを?」
「ええ。普通にお話していただけですのに急に怒り出してしまって」
「君、なにか言った……?」
「いいえ。レオン様が自分のことをどう思うか聞かれたので、特になんとも思いませんわと答えただけですわ」
「あー……なるほどね」
うーん、と腕組みしたフェルナンが眉間に皺を寄せた。
「どうしてでしょう、事実を述べただけですのに」
「そうだなぁ、事実だからかなぁ」
「? わたくしレオン様には特に誠実を貫いていますのよ。だって、夫になる方ですもの」
「あぁうん、そうだよね」
困ったように頭をかいて、フェルナンがため息をつく。
「でもそういう時は、好いておりますとか言っておいた方が良いよね」
「嘘を付け、ということですの?」
腑に落ちない。嘘を付けばレオンは喜ぶだろうか?
レベッカから見ても、レオンは生真面目で正義感の塊のような青年だ。嘘など付いてそれがバレてしまえば信用問題だ。商人としても、信用を落とすことだけはしてはならないと思っている。
正直に生きるのが一番だ。
「そうじゃ……いや嘘は良くないな、うん」
「そうですわよね。そもそも、結婚するのに感情は必要ありませんし」
「あ〜、そうかな?」
「え、だってお兄様もご自分で相手を選んだわけではなかったのでは?」
「あー、うん、そうだねぇ……」
なぜかフェルナンは歯切れが悪い。
「もちろん、お兄様もお義姉様も今は愛し合っているのは承知しております。レオン様とも夫婦になればそうなれると思いますのに」
「前向きだね、そこは我が妹ながらあっぱれだよ」
君は前向きだね。それは兄たちのみならず、両親からも度々言われた言葉だ。そう、レオンからだって。
それが自分の一番の強みだという自覚はある。だからこのピンチも、乗り越えてみせる。
ずっとスタンフィールド家ありきで考えていた計画だった。それが自分の夢だった。平民ながら貴族階級を相手に商売を成功させるという夢。
レオンと結婚出来れば貴族の仲間入りが出来るから、それが一番手っ取り早い。でも、もしそれが叶わなくても、一人で立派に身を立てられるなら構わない。
「ありがとうございます。お兄様はわかって下さると思いましたわ!」
「うん……私たちは君を甘やかし過ぎたのかもしれないなぁ」
「どういう意味ですの?」
「あぁいや、なんでもないよ! そうだ君が嫁げなかったら私が面倒を見るからね。なにも心配しなくていいんだよ」
歳の離れた妹をことさらこの長兄は可愛がってくれている。その自覚はある。
将来はアヴァロ商団を継ぎ、巨大なお金を動かすだろう。フェルナンなら本当にレベッカを一生養ってくれそうだ。
それがわかるからこそ、自分は一人で生きて行けるよう商売で身を立てなければ。優しい兄に比護されるだけの人生は、ありがたくもつまらないだろう。
なるほど、甘やかし過ぎというのはあながち間違いではないのかもしれない。
「ありがとうございます。でもわたくし、自分の力で良いお品を売りたいんですの。お父様やお兄様のような商人になりたいのですわ」
「商売のことは熱心に学んでいたものね」
「はい。特に貴族階級の方に売りたいのです。ずっとそればかり考えていましたので」
レオンに会う度にその事を話していた。好きにするといい、出来る事はなんでも協力するよと言ってくれていた。
なにより、レベッカの結婚後の夢を聞いてくれるレオンは楽しそうにしていた。そう見えていた。だからますます、レオンとの結婚ありきで考えていたのだ。
「でも、レオン様との婚約がなくなれば難しいですわね。どうしましょう」
アヴァロ商団自体は貴族との取り引きはある。そもそも、父は王自らが男爵位を授けた救国の徒だ。商団も長く国御用達を務めている。
だがその主な取引は、食料や花、布、紙、インクなどの大量の消耗品が主だ。あとは国家計画として軍需品の運搬や納品、他国との貿易を担っているのが大きな仕事となっている。
商団の規模がなまじ大きいために、買い手の顔が見えるような売り方ではないのだ。
だから、レオンとの婚約が決まった時に、自分はもっと小さな市場でスタンフィールド家に有利になる商売をしようと考えた。その狙いは間違いではないと思う。婚約破棄にさえならなければだが。
「常識的に考えて、平民のわたくしが貴族階級の方に物を売るなんて出来るのでしょうか」
なんとかしてみせる。その気持ちはある。その一方で、常識も持ち合わせてはいる。
貴族階級を相手にする計画を見直さなければならないかもしれない。ただ、何年もそればかり考えて来たから手放し難いのは事実。
諦めがつくまでもがいてみるか、早々と方向転換するか。商売人としては方向転換するのがきっと正しい。
(でも、そうしたらこれまでレオン様とお話しして来た夢はなかったことになるのね……)
レオンは夫として申し分ないと思っていた。特別な感情はないが、負の感情だってない。それはとても良い事だと思うのに。
レオンは、なぜそれをわかってくれないのだろう。
「諦めきれない顔をしているね」
「……はい。正直、なんだか、まだ受け入れられませんわ」
「そうか。ならやってみたらどうだい? 失敗したって、君が路頭に迷うことにはならないだろう? だって君は大商団の娘なんだから」
そう言って、フェルナンの大きな手がレベッカの髪をなでた。
そのあたたかさに、胸がいっぱいになる。
そうだ、自分は恵まれている。失敗したところで、家族は見捨てないだろう。歳を重ねてから産まれた娘を両親は溺愛してくれているし、それは兄達も同じだ。それだけは信じられる。
「元気を出してレベッカ。君の信念があれば、常識なんて打ち破れるんじゃない?」
「そう、ですわね……」
幸い、レオンは婚約破棄すると言ったものの、出来る事は協力すると言ってくれている。多少、頼るくらいは許されるだろう。
そうだ、それがいい。もしかしたら、レベッカはスタンフィールド家のために役立つ人物だと見直してくれるかもしれない。
「そうですわ! レオン様に社交界に出入りする機会を作っていただけないかしら」
「え……?」
ちょっとそれはどうなのというフェルナンの声に首を傾げる。
こんなに良い方法はないではないか。
「えっとレベッカ、レオン君の気持ちももうちょっと考えた方がいいと思うんだけど……」
「レオン様は出来ることは協力して下さると約束して下さいました。わたくしのことは応援してくださるのです」
「あ、そう……」
「はい。ですので、レオン様に考え直していただけるよう頑張りますわ!」
心なしかフェルナンの顔色が悪いが、それだけ心配をかけているのだろう。
家族のためにも、商売を成功させて婚約破棄も考え直してもらわなくては。
「貴族の方々にまず売るのは、身につけて他人の目に触れる物が良いと思いますの。そこで靴に目を付けましたのよ。足元にまで行き渡るお洒落って素敵ですもの。それに、わたくし他国のお品もたくさん目に出来る環境にいますでしょ? 異国情緒のある靴なんて素敵ですわよ! レオン様と結婚したらすぐに商売を始めたくて、実はもう試作品を作ってもらっているんです」
兄は尊敬する商売人だ。その兄に自分のアイディアを話すのは楽しい。
もちろん、レオンに話すことだって。
「すごいね……がんばるんだよ……」
「はい! そうと決まれば頼んでいた試作品を取りに行かなくちゃ! エンリケに頼んだんですわ」
「あぁ、あの革物屋の倅だね。靴職人の」
「ええ。ではお兄様、早速行って参りますわね!」
まずは自室で軽装に着替えて、すぐにエンリケのところに行かなくては。
現物を見せればレオンを説得する材料になるだろう。結婚を待たず先走って試作品を頼んだが、我ながら先走っていて良かった。
「また夜にゆっくりお話ししましょう!」
なにやら複雑そうな表情を浮かべたフェルナンが、手をふった。それに見送られながら、急いで自室へと向かう。
「そうですわ、眼鏡を忘れないようにしなくちゃ」
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