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26.レオン様はとっても素敵な方です

「やあ、レベッカちゃん!」

「こんにちは! 軍靴の具合はいかがですか?」

「いやとっても良いよありがとうな! 俺本当に靴擦れが辛かったんだ」

「良かったですわ!」


 第三軍需補給局。軍靴を納品した第四倉庫があるため、一番多くの兵に軍靴を配った場所だ。

 中にはレベッカがしつこく頼み込んで、不承不承履いてくれた者もいる。そんな者達まで、今ではレベッカの顔を見かけると自分から声をかけてくれるようになっていた。

 そうは言っても、試作品の数は少ない。大部分の兵士には配る事が出来ていない。やはり直接履いていない者の中には、裕福な女の道楽と見て邪険にする者も多い。


(良いんですの、正式採用になれば評価は変わりますわ)


 この軍靴はレベッカ一人で作ったものではない。ヴィクター、レオン、スティーブ、エンリケ、足の採寸に協力してくれた兵達……みんなで作り上げたものだ。良くないわけがない。

 ちらりとレオンを見上げると、どうした? という表情でレオンは首を傾げた。その顔を、しげしげと眺める。


「? レベッカ嬢?」

「いえ、今のうちにレオン様のお顔を見ておきたくて」


 婚約破棄から約三ヶ月半。軍靴はすでに四五足を納品、配布済だ。

 評判を聞き、軍靴の試作品を履きたいと希望したものの配れなかった者も多かった。そんな者の中で、靴のサイズが大きいことが靴擦れの原因と思われる者には、納品許可の降りた中敷きを渡した。こちらもおおむね好評だ。

 あとは残り五足。それが終われば詳細な聞き取りを定期的に行い、きりのいい時期で報告書をまとめて正式採用申請を出すだけ。

 レオンとこうして過ごせる時間は確実に短くなっていく。


「はぁ……」


 レオンが額に手を当てて天を仰ぐ。


「あ、不躾でごめんなさい!」

「いや、良いんだ……」


 レオンはそんなにまじまじと見られたくなかったのだろう。またしてもやらかしてしまった。

 しかし、嫌われたところで結局行く先は同じだ。顔も合わせる事がなくなるなら、レオンには申し訳ないが今のうちに目に焼き付けておきたかった。


「こうしてレオン様とお会い出来る機会ももう多くはありませんでしょ? そう思ったら、とっても寂しくて。あ、もちろんレオン様にとっては職務ですので早く解放されたいかもしれませんけれど」

「……いや、まあ、そんな事は気にしなくても」

「レオン様は職務熱心ですものね。そう言っていただけるだけでありがたいですわ。そういうところも素敵だと思います」


 レオンの動きが止まる。突然そんなことを言われても迷惑だろう。わかっているが伝えたかった。

 レオンとの婚姻は、お互いの感情で決まった縁などではない。父にレオンとの婚約を告げられるまで、会った事もなかった人だ。

 貴族だった。自分が憧れたブルーム公爵のような貴族。それだけで嬉しかった。ただそれだけだった。

 そして、レベッカにとって幸運なことにレオンは人格者だった。けれど、そのことをレオンに直接告げた事があっただろうかと思ったのだ。


「急にどうした……」

「レオン様にはとっても感謝しているのですわ。だから、会えなくなる前にちゃんとお伝えしたかったんですの」


 この間、結婚は感情でするものではないとレオンに言われた。それは、そもそも自分がレオンに投げつけた言葉だ。

 言われて初めて気がついたのだ。レオンと良好な関係を築けていたのは、感情があるからなのだということに。

 結婚するのに感情はいらないと言ったレベッカに、兄が歯切れ悪く返事をしていたのもそういうことだったのだと今ならわかる。

 むしろ、今までそれに気づかなかった、気づかないほど良好な関係だったのだ。

 レオンに特別な感情があるかと言われればないだろう。小説で読むようなときめきを感じた事はない。好きか嫌いかと言われれば好き、というようなものだ。

 それでも寂しいと思うのは許して欲しい。


「もしこの先、ヴィクター様と婚姻を結ぶ事があったとしても、わたくしまた同じ間違いをするところでした。気づけたのはレオン様のおかげです」

「————……」


 ヴィクターとのことは、真剣に考えなければならない。父が近々帰ってくると報せがあった。話さないわけにはいかない。

 伯爵家との縁を断るとは考えづらい。そうなれば、職務とはいえ父もヴィクターもレオンとの接触にいい顔はしないだろう。


「レオン様は、いつもわたくしの話をにこにこしながら聞いて下さいました。お手紙も、暗号遊びにも付き合ってくださいましたし」


 思い出すと、ふふっと笑みがこぼれる。


「レオン様は軍靴の事も背を押してくださいましたね。それに職務とはいえ、職務以上に寄り添って下さっていますし、本当に心強かったですわ」

「俺が勝手に婚約破棄したんだ。君がこの先困らないよう支える義務が————」

「そういうところです、素敵なところ」


 確かに一方的な婚約破棄に思えた。しかし思い返せば、レベッカはレオンの優しさに甘えていたのだ。夫婦になることを疑いもせず、レオンの気持ちなど何一つ考えた事がなかった。

 そんな相手を支える義務があると思えるのが人格者なのだ。

 はあ……とまたレオンがため息をついた。今度は胸を押さえている。


「どうしましたの?」

「いや、なんでもない」


 すぐにレオンは背筋を伸ばす。


「とにかく、わたくし頑張ります! レオン様がこんなに良くして下さったのですもの。皆さんの足元を守る軍靴を届けてみせますわ!」


 それで間接的にレオンを守れるなら、それで十分だ。


「レベッカ嬢、君なら出来る」

「はい!」


 頷き、周囲を見渡す。

 あまり話していて時間がかかっても、監視以外に請け負っているレオンの仕事が溜まっていくだけだ。

 寂しい気持ちはあるが、迷惑をかけるのは本意ではない。

 その時、遠くに逞しい体躯の男が見えた。


「ロバートさーん!」


 大きく手をふり、男——ロバートを呼び止める。

 ちらりとこちらを向き、そのまま歩き去ろうとしたロバートの背を走って追いかける。

 レオンが慌てて駆けて来る足音が背後からする。それか心強い。


「ロバートさんこんにちは!」

「……ッチ、あんたか」


 さすがに走って追いかけて来る人間からは逃げられないと思ったのか、ロバートが足を止める。


「あの、わたくし、また孤児院のバザーへ行きましたのよ。今度は最初から値札と商品名を書いてて、飛ぶように売れてましたわ! ロバートさんはいらっしゃっていました? わたくし、お会い出来るかと思ったのですけど見つけられなくて」


 ロバートの片眉が上がり、はっ、と乾いた笑いがロバートのほおを歪める。


「ほいほい孤児院のバザーに行くほど暇じゃないんでな」

「そっか、そうですわよね。子供達、みんな生き生きしていましたわ! ロバートさんに遊んでもらいたいって言ってました」


 ロバートは答えない。しかし、その口元がわずかに緩んだのをレベッカは見逃さなかった。

 やはり、ロバートは子供が好きなのだろう。


「寄付は、ちゃんと自分で稼ぐようになってからにいたします。でも、軍靴の試作品を作ってくれた靴職人の友達が、革製品の簡単な加工方法を子供達に教えても良いって」


 そこまで言った時、背後から名を呼ばれた。レオンだ。


「はい?」

「レベッカ嬢、フェルド中佐は職務中だ。関係ない話は慎め」

「あ、ごめんなさい! あの、また孤児院に行きますわ。そのうちお会い出来たら嬉しいです」


 ぺこりとお辞儀をすると、レベッカが頭を上げるのを待たずにロバートは歩き去って行く。

 そこに、すかさず一人の兵士が近寄って来た。彼は、しっかりとレベッカの軍靴試作品を履いている。


「お嬢さん、ロバート中佐って人格者だと思う?」

「ええ。わたくしにはなんだかとっても厳しいですけれど、ここは軍部ですもの、仕方ありませんわ。逆に誰でも信用せず、軍部ひいては国の安全を守ってらっしゃるんだなと思いますわ」

「へえ……」


 彼は感心したように言ったが、その顔は納得いかないというふうだ。


「孤児院にも多額の寄付をされているそうですのよ」

「……その寄付が、横領で得たものでも?」

「なんだと?」


 レオンがぐいと前へ出た。その表情は険しい。


「どういう事だ?」

「ただの噂なんですけどね」


 兵士は悪びれもせずに、レオンに向かって肩をすくめた。

 一歩近づき、小声で話しかける。


「大尉は、よく定期監査に来てるでしょ? 伝票の中に仮納品の伝票ありませんでした? しかも月をまたぐやつ」

「……あったが」


 つい十日ほど前に、五〇足もの軍靴が架空請求されていることに気がついた。あれの仮伝票と本伝票が月をまたいでいた。

 あのことを彼は知っている?


「でしょ? ほら、管理部に女の子いるの知ってます?」

「ローズマリー事務官か」


 軍部における女性はそこそこ目立つ。ローズマリーも定期監査に来れば必ず目に入るし、監査の資料などを用意してくれるのも彼女だ。


「そう。彼女、仮伝票で処理される品物が多いなって思ってたらしくて」

「それで?」

「で、検品庫に書類を届けたついでに、仮伝票で処理されてた過去の軍靴検収記録を興味本位で見たんだそうです。そしたら、検品前の日付でフェルド中佐が本伝票の支払い許可のサインをしてたらしくて。それで調べたら、そういうのが複数見つかったって」

「聞いていないが」


 そういう不審な動きがあったのなら、監査局に報告するべきだ。だが、少なくともレオンはそんな話を聞いていない。


「ローズマリー事務官は日付を間違っただけかもと思って、みんなの前でフェルド中佐に直接聞いたみたいですね。もちろん、中佐は日付を誤認していたと言ってその場で訂正したそうです。だけど、正直あの厳しいフェルド中佐ですよ? そんな間違いしますかね?」

「ロバートさんだって、たまにはそんな事があるかもしれませんわよ。お忙しいから疲れていたのかも」

「そうかなぁ。ま、そういうわけで、日付誤認だったから報告はなかったのでしょう。けど俺はフェルド中佐は怪しいと思います。だって、多額の寄付を孤児院にしてるって言うし……」

「そんな。寄付は善意で行うものですわ。そんな不正をして得たお金を善行に使うかしら? ロバートさんは不正なんてしないと思いますわ」


 人の上に立つと、少しのミスでこうして人格を疑われてしまうものなのかと驚く。


「現物があるかは確認したのか?」

「したみたいですよ。で、その現物、全部搬出されててなかったんです。もちろん、搬出記録はありましたよ? フェルド中佐の搬出許可のサイン付きで」


 声を限りなく潜めて、兵士がそう囁く。


「つまり、そもそも現物は納品されなかったが書類を偽装してあったことにした、と?」

「そういう事です監査補佐官殿」


 どうやら彼は、レオンにこの話を聞かせたくてやって来たのだろう。


「検収、納品、搬出記録を全て偽装しているという事か。真実なら悪質な架空請求の手口だな。だが、決めつけは良くないだろう」


 そう言ったレオンに、レベッカも大きく頷く。やはりレオンは人格者だ。根も葉もない噂で人を判断しない。

 ロバートは子供が好きで、彼らのために孤児院に寄付をしている。その気持ちがある人が、不正に手を染めるはずもない。


「とは言っても怪しいでしょう? みんなこの噂でもちきりで」

「情報提供には感謝する、監査局には共有しよう」

「頼みましたよ。俺、フェルド中佐苦手なんですよ。移動とかしてくれたら良いのに……」

「まあ……!」


 彼がこの噂話を監査局所属のレオンに聞かせたのは、ロバートへの個人的な感情によるもののようだ。

 ロバートには入隊直後にきつく叱責され、それから苦手で……などと言いつつ、彼は仕事へと戻って行った。


「ロバートさんがそんなことするはずありませんわ」

「ああ、そうだと良いと思う」


 頷いたレオンに、絶対にそうですと断言する。

 子供達に向き合うロバートは、本当に優しそうだった。彼らを守るためにも、職務には厳しくなるのも納得がいく。


(本当に厳しい世界ですのね……こんな場所でレオン様は……)


 レオンを見上げる。なにやら考え込んでいる様子で、今度はレベッカの視線に気づいていない。

 その真剣な眼差しが、ことさら精悍に見えた。


(わたくしも頑張りますわ……!)


   * * *


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