25. その期待には添えないな
「そう言えば、クラウス商団の運搬ルート、どうして南の方を使っていらっしゃるのかしら」
「さあ、その辺はクラウス卿に一任されているからな。とはいえ、南のレーシタント帝国との国境付近まで降りる必要はないはずだが……」
「そうですわよね、ずいぶん遠回りですし、あまり効率が良くないですわ。なにか理由があるのかしら……」
効率が良くない。その言葉にひっかかりを覚える。
ヴィクターはクラウス商団については軍から一任されている。それは、隠居気味な父親に代わり、クラウス商団を実質的に動かしているからという理由もある。
もちろん商売なのだから、非効率な方法は避けるべきだ。効率が悪い方法をわざわざ取るのはなにか理由があるからだと思える。
「効率が悪いとはどんな風にだ?」
「あちらは単純に遠回りですから、補給もたくさん必要ですわ。多くの街や村を経由しなければなりません。馬の餌、食事、宿泊……費用はかさみます。雨が多いので、火薬の運搬にも向きませんわね」
「なるほど……」
天候のことは考えた事がなかった。王都からは少し離れた地で土地勘もないから、自然とここと同じようなものだと思っていた。
ヴィクターは、南の国境付近の天候を知っていてルートを変更したのだろうか? いや、知らなかったとしても、実際に使ってみて途中で認識したはずだ。火薬の品質疑義報告が出たのも耳に入っただろう。
それなのに、なぜかそのルートをまだ使っている。
「でも、あちらがいい理由があるなら別ですわ。何が良いのかしら……」
うーんと首を傾げるレベッカと、第二軍需補給局の外へ出る。
その時、レベッカを呼ぶ声がした。レオンの最も聞きたくない声と呼び方で。
少し離れた場所から、ゆったりとした足取りで長身の男が歩いて来るのが見える。
「まあヴィクター様! ちょうど今、ヴィクター様のお話をしていたんですのよ!」
間違いようもなく、それはヴィクターだった。やわらかな笑みを張り付けて、レベッカの前へとやって来る。
「やあ、ベッキー。それから、レオン大尉」
「お疲れ様です、クラウス《《少佐》》」
階級にわざとアクセントを付けて、小さく頭を下げる。
気に入らないが、階級はヴィクターの方が上。きちんと礼を取るべきだ。本当に気に入らないが。
「ベッキーが来てるって聞いたから探していたんだ。聞きたいことがあって」
「あら、なんですの?」
「お待ちください」
何を聞くつもりかは知らないが、どうせろくでもないことだ。というか、話して欲しくもない。
「私は、監査局から正式にレベッカ嬢の監視を命じられております。現在職務中のため、ここでクラウス卿と話されたことも記録する事になりますが」
「いいよ。むしろ監査補佐官殿には記録を取っていて欲しいね」
「くっ……」
レオンに向けられた瞳が、一瞬冷たく光った。
それを次の瞬間には優しげに細める。まるで愛しいものでも見るような色だ。
「ベッキー、考えてくれた? あれからずいぶん時間も経ったし、そろそろ返事が欲しいなと思ってさ」
ヴィクターがレベッカを見つめ、柔らかな笑みを浮かべた。そのほおは微かに上気している。
そんなヴィクターの様子に、嫌な予感がレオンの胸を過ぎる。
「あ、えっと……あの……」
一度だけちらりとレオンを向いたレベッカの眉根が下がる。
「その、父は貿易でレーシタント帝国へ行っていますの。一度行くと数ヶ月は戻っていらっしゃらないのですわ。だからまだ、お話出来てないんですの」
「————⁉︎」
父親に話を通さなければならない事なのか。だとしたら、心底嫌だが内容は限られている。
本当に心底それだけは嫌だが!
「そうか、なら仕方がないね。急がないと言ったのは私だしね。あぁ、そうだ」
ヴィクターがレオンの方へと視線を向ける。
自分には見せたことのないようなにこやかな笑みを浮かべ、その口を開いた。
「君はベッキーの元婚約者だからね、教えておくよ。私は、ベッキーに求婚している」
「————ッ」
そうじゃないかとは思った。だが、伯爵令息という立場上、もしかしたらそれはないのではという期待も抱いていた。
「伯爵令息ともあろうお方が、平民のレベッカに……?」
動揺を見せまいと思うのに、声が震えた。おかしそうに笑ったヴィクターに、拳を握りしめて耐える。
「私は身分ではなく、ベッキーを妻に迎えたいんだ」
レベッカがレオンとヴィクターの顔を交互に見て困惑した表情を浮かべている。
彼女はヴィクターのことをどう思っているのだろう。
「アヴァロ男爵が許してくれれば正式に婚約を申し込みたい。けど、私はベッキーとは良い友達だからね。友達に無理強いするつもりはないよ。だから、彼女には先に話したんだ。君との時は決まってから伝えられたと思うけど」
ぐうの音も出ない。
結果的に、レオンとレベッカの仲は良好だった。だが、本人抜きで家同士が決めた相手だったことは否めない。
奥歯が嫌な音をたてる。
「あ、あの、ヴィクター様!」
急にレベッカがヴィクターに一歩歩み寄る。
「そう言えば先ほど、東部軍営行きのクラウス商団の運搬ルートが変わったと聞きましたの。南の国境近くを通って行くそうですわね」
「ああ、そうだよ。それがどうかした?」
「東部軍営へ行くなら、東のブルジアへ向かうルートが一番早く着くと思いましたの。アヴァロ商団はそちらを使っているんですわ。クラウス商団も前はそうでしたわよね?」
一瞬ヴィクターが返答に詰まった。
レベッカに向けていた笑顔が剥がれる。そのことに、レオンの中の何かが引っかかった。
「どうかしました?」
「……いや。確かに合理的にはそちらの方が良い。でも軍需品の輸送には護衛もいるし、単純に近いからと決めれるものでもない。特にうちは火薬も運搬しているからね」
「そう火薬ですわ! 南の国境付近は、普段から雨がとても多いですわよね。秋は特に雨ばかりとか。火薬が湿気を帯びないかと思ったんですわ。それに、うちも軍需品を運んでいますがそのルートは取った事がないんです。そちらがいいなら採用したいわ! 参考にどの辺がメリットなのか聞かせていただけませんこと? あの、もしわたくしがヴィクター様とご縁を結ぶなら、そういう合理性だけではない部分の考え方も共有しておいた方がよろしいですわよね⁉︎」
レベッカが勢い良く早口で喋った内容に、頭を鈍器で殴られたような気分になる。
ヴィクターと縁を結ぶなら、そう思うほどにはレベッカも前向きなのだろう。
ヴィクターは気に入らないが、伯爵家なのはレベッカにとっては嬉しいだろう。貴族中の貴族だ、レベッカの夢も叶う。
「……うちは、最近南のレーシタント帝国との取り引きに重点を置いているんだ。だけど、アヴァロ商団みたいな大商団ではないからね。南のルートに人員を割けば、他のルートが手薄になる。メリットというより、そういう理由だ」
「そうなんですのね。クラウス商団はアルマール伯爵領を拠点にしていますでしょ? ブルジアから北に行けばすぐアルマール伯爵領ですから、そこまで手薄になるなんて思わなかったんですわ。わたくしの思い違いでしたのね」
レベッカは納得したように頷いたが、反対にレオンの中ではクラウス商団、ひいてはヴィクターへの不信感がより大きくなる。
火薬の品質不良といい、輸送ルートといい、最もらしい理由で追求をかわしている。まるで最初から用意されていた回答のようだ。
レベッカの指摘は、正しいのではないだろうか?
「……あぁそうだ、ベッキー。君に会えて忘れていたけど、私は上官殿から用を言い付かっていてね。悪いけど行かなくては。また今度ゆっくり会おう」
「あら、そうですの。わかりましたわ。じゃあ、また今度」
レベッカが笑顔で頷き、ヴィクターもそれに笑みを返した。
ひらひらと手をふり、踵を返す。そのまま足早に歩き去って行った。
その後ろ姿を見送りつつ、レオンの眉間に自然と力が入った。何かが引っかかる。
これは自分の勝手な勘だ。個人的な感情でそう見えるだけなのかもしれない。
しっかり考えたいのに、また今度と言ったレベッカの声が耳の奥でくり返されて集中出来ない。
「クラウス卿は君に求婚していたんだな」
「あ、ええ……そう、ですわね」
「いつだ?」
自分の声が冷え冷えと響く。そんなことを言う資格などとうにないというのに、言わずにいられない。
「えーと、七月の頭くらい、でしたかしら……」
「俺との婚約破棄からすぐか」
あれからもう三ヶ月経つ。その間、レベッカはヴィクターのことをどう思っていたのか。
そして、求婚された身として、レオンのことをどう思って接触していたのだろう。
「そうですわね」
「……夢が叶うな」
言っておいて、自分の言葉に嫌気が差す。そんな事を言いたかったわけではない。
ヴィクターは伯爵令息だ。彼と婚姻を結べば、レベッカは貴族の仲間入りが出来る。そして貴族相手に商品を売る夢が、なんの障害もなく叶えられる。相手の顔を見て、その人に合うものを提案する、その夢が。
だが今自分はヴィクターを信用出来ていない。レベッカに近づけたくない。それなのに、口から出る言葉は心とは真逆のもの。
「それはそう、なんですけれど」
「クラウス卿なら、文句の付けようがない」
なにを言っているんだ。そう思うのに自制が効かない。
「なんというか、その、あまりヴィクター様と結婚するというのがまだ想像出来ないのですわ」
「そういうものだろう。結婚は感情でするものじゃない、だろう?」
「あ……」
一瞬、レベッカの瞳が傷ついた迷子のような表情を浮かべた。それに虚をつかれ、急激に息苦しくなる。
結婚は感情でするものじゃない。そう言ったのはレベッカだ。なのにどうしてそんな顔を?
どろりとしたものが胸を満たした気がした。吐き気に似た気持ち悪さがレオンを襲う。
(最低だ、これでは……八つ当たりだ)
自分の事を棚に上げて、レベッカに八つ当たりしているのだ。
彼女のためを思って手放し、誰か他の男と結ばれても仕方がないと覚悟していたはずだったのに。
それが、自分の意に沿わない相手だからとその苛立ちをレベッカにぶつけてしまった。自分が彼女に言われた言葉を、意趣返しのように叩きつけて。
「そう、ですわね。ありがとうございます、レオン様」
レベッカが笑顔を作った。
太陽のようだと思っている笑顔はかすかに翳りがある気がする。それでも、先ほどの表情をずっと見ていられる気はしなかった。
「わたくしはレオン様と夫婦になるんだと、ずっとそう思ってまいりましたの。だから、本当にそれしか考えていなかったのですわ」
それはレオンも同じだった。その未来を疑った事などなかった。
「だから、レオン様がもしかしたら考え直して下さらないかと少し期待していましたの」
「そうか。残念だが、その期待には添えないな」
大した事ではないという風を装い返事をするが、微かに声が震えた。もしかしてという、もう期待しても詮無いことが頭を過ぎる。
もしそうできるなら、ヴィクターなんかには指一本触れさせないのに。
「そうですわよね。レオン様が親切にしてくださるのはそれが職務だからですのに。わたくしも、ちゃんとしなければいけませんわね。ヴィクター様とのこと、しっかり考えますわ」
「そうするといい」
つとめて穏やかにそう返したが、笑みを浮かべることは出来なかった。
胸が苦しい。息が吸えない。
彼女は手の届かないところへ行くのだ。
「さ、今度こそ行こう。君は意見をまとめて、俺は中敷きの許可申請書を書く」
「はい! よろしくお願いします」
にっこりと頷いたレベッカに、レオンも頷き二人で歩き出した。つとめて、いつも通りに。
* * *




