22.俺には真似が出来ないな
第三軍需補給局の第四倉庫の一角に、二五足の軍靴試作品と、その手入れ用の小さな脂缶が並んだ。その床には、レベッカの名前と、軍靴試作品、そして九月二〇日納品のラベルが貼ってある。それを、レベッカはにこにこと満足そうに見つめている。
レベッカからは、試作品の作成が遅れていると聞いてはいた。ここ一月半ほどは足の採寸を終えたレベッカが軍部に来る事はなく、顔を合わせる機会もなかった。もう季節もすっかり秋だ。
そしてやっと、二五足だけでも納品をしたいと連絡を受けたのだ。
軍部の外までは、アヴァロ家の馬車で運んで来た。そこからはレオンとレベッカの二人で、四往復して軍靴試作品を検品庫へと運び込む。そこで検品を受け、納品伝票を発行してもらい倉庫へと移した。
倉庫番に納品の報告をし、確認と納品の記録を付けてもらう。そうして、最初の納品は完了した。
ここからは、この軍靴を実際に試し、フィードバックをもらう段階へと移る。
「やっと納品できましたわ!」
「ああ、良かったな」
「はい! 最近、お兄様が軍からの受注が減ったと愚痴をこぼされていたんですの。この試作品が上手く行けば、アヴァロ商団のお仕事もまた増やしていただけるかもしれません。お兄様の役に立てたら嬉しいわ」
無邪気にそう語るレベッカに見えないように、そっと息を吐く。
アヴァロ商団の受注が減らされているのは、レベッカの密売容疑のせいだ。一部の高官を除き、そのことはまだ監査局しか知らない。だが高官が減らすと言えば、下はその理由が定かではなくとも従うだろう。なんなら疑問にすら思っていないかもしれない。
特に今回の受注減少は、軍部最高指揮官であるマルセイユの指示だとスティーブが教えてくれている。前に抜き打ちの視察に来たマルセイユと出会ったのは、偶然ではなかったということも。
そう思うと、やはりマルセイユという国王に次ぐこの国の権力者は、つくづく恐ろしい男だと思わずにはいられない。
「それに、レオン様は毎日ここで働いていらっしゃるのに、採寸が終わったらわたくしは来る理由も無くなって……なんだかんだわたくし、レオン様と軍部の皆さんのところを回るのが楽しかったんだわと思いましたわ」
……勘弁して欲しい。そんなことを言われたら、また未練が頭をもたげてしまう。
いや、レベッカがレオンに特別な感情を抱いてそんな事を言っているのではないことは理解している。しているが、こちらは特別な感情を抱いているわけで。
つまり、あまりに愛らしく映ってしまうのだ。もう他人でしかないのに。
「ですので、五〇足出来るのが待てませんでしたの」
「……そうか」
「はい!」
笑顔でレオンを見上げてくる緑の瞳が、嬉しそうに輝く。
その瞳を直視出来ずに、レオンは軍靴へと視線を移した。レベッカの瞳は、あまりに真っ直ぐでまぶしい。
「そう言えば、どうして作成が遅れていたんだ?」
「あっ、そうですわ! そのことでレオン様にもお聞きしたい事があったんですの」
そう言って、靴職人のエンリケに聞いたんですけれど……と喋り出す。
「靴職人ギルドに現行軍靴の追加納品の依頼が入っていたんですわ。それでわたくしの方が後回しに。七月にも納品したばかりだってエンリケは言っていましたわ」
シヴァ公国を攻め落とすつもりなのか、それでなければ軍靴を粗末に扱っているのではないか。そう言ってエンリケが腹を立てていたと続ける。
「それに、軍靴一つ作るのにも時間がかかりますわよね? だからすぐに納品できませんわ。そうしたら、先に仮納品伝票を提出しろって言って来たみたいで」
「そうなのか?」
仮納品にしておくというのはさほど珍しいことではない。しかし、七月にも納品をしているのなら、仮納品にしてまで八月の納品分に入れ込まなくても良いのではないだろうか。どのみち、軍靴はまだ出来上がっていないのだから。
これが靴職人ギルドの都合で、売上目標達成のためにどうしても八月納品にしてほしいというのならわかるのだが。
もしくは、軍靴が足りなくて一部でも良いから仮伝票で納品しろということなのだろうか。七月に納品があったばかりなのに?
「はい。それで、わたくしも仮納品伝票で納品すれば良いのだわと思って、今日二五足持って来たのですけれど」
「なるほど」
「靴職人ギルドの方は仮納品として処理するなら、近々、例えば九月中にでも軍部の棚卸しがあるのかしらと思ったのですわ。それなら、前の月に納品処理しておいて、九月の購入物資を絞るのもわかります」
首をひねる。九月に棚卸しはあるにはあるが、なにか引っかかる。
レオンは第三軍需補給局での監査業務に携わっている。基本は伝票と帳簿の照合作業のみだ。確かに仮伝票もあったが、不審点などは見つかっていない。
(在庫と照合する必要があるかもしれないな……)
それはそっと胸に仕舞う。後でスティーブに報告しよう。
「確かに棚卸しは九月だから、それでかもしれないな。それより、せっかく来たのだから、この試作品を早速誰かに履いてもらうか?」
「そうですわね! ぜひそうしたいわ!」
レベッカの瞳が輝く。眼鏡を軽く押し上げてから、拳を握って気合いを入れるように息を吐いた。
「中サイズが合いそうな体格の方を捜さなければいけませんわね! レオン様みたいな」
「————! そうか、俺も中サイズで合いそうだったな。一足履こう」
盲点だったと、その場で自分のブーツを脱ぎにかかる。
「まあ、ありがとうございます!」
レベッカの軍靴に足を入れる。サイズは合うようだ。
靴紐を順番にしっかりと締めていく。
両足履き終わり立ち上がる。オーダーメイドで仕立てた自分のブーツとの履き心地を比べれば、違いはあるにはある。試作品の方が、足のサイズに対してわずかに大きい気がする。
それでも、今のところは大きな違和感は感じない。
「レオン様、これを」
そう言ってレベッカが手渡して来たのは、軍靴試作品と一緒に納品していた手のひらサイズの脂缶だった。
「これは、樹脂と獣脂を混ぜて作った脂です。雨の日は都度塗り直して、そうでなければ月に一回か二回塗ってくださいまし。それで防水性を維持出来ますわ」
「なるほど。耐久性は上がりそうだ」
「はい。あんまり頻繁に塗ると革が柔らかくなり過ぎますので、適度にお願いいたしますわ」
「心得ておこう」
頷いて、脂缶はポケットへと仕舞う。
「では、行こうか」
軍靴試作品と脂缶をレベッカに手渡し、自分も一揃い持つ。
自分のブーツは後で取りに来よう。
「まずは三足だな。持ち出し記録を付けてもらおう」
レベッカを手招きし、前に立って歩く。倉庫番はすぐに見つかった。彼に自分の履いているものも合わせて三足の軍靴を提示し、搬出記録を付けてもらう。
外へ出ると、まだまだ力強い初秋の光が目を刺した。
すぐに、レベッカの目は中サイズの合いそうな兵の姿を捉えたようだ。大きな声で呼びかけて駆けて行く。
その背を追いながら、つい口の端が上がった。やはり、まだ、レベッカが笑顔でいる姿を見られるのは嬉しい。あの笑顔を消さないためにも、しっかりと調査をして行かなければならない。
「あの、靴擦れはされますか?」
「あん? そんなものはしないね」
「そうですか、ありがとうございます!」
邪険に扱われてもレベッカは笑顔だ。レオンには真似が出来そうもない。
さっと離れて、また違う兵に躊躇なく声をかける。
「こんにちはー! 見てください試作品が出来たんですの。靴擦れされます?」
「靴擦れはするが……中佐殿が認めていないものはちょっとなぁ」
「そうですか。また必要なら声をかけてくださいまし。ありがとう!」
笑顔で手をふり、その兵士とも別れる。
レオンは後をついて行くだけだが、まだ高い昼間の日差しに早くも汗が滲んだ。
「あの、こんにちは! 軍靴の試作品を履いて下さる方を探しているんですの。靴擦れします?」
「ああ、中佐殿があれこれ言っていたやつか」
次に声をかけたのは、二十代後半頃に見える兵だった。その額に汗を光らせている。身長はちょうどレオンと同じくらいだ。
「あれこれ?」
「信用ならない者の靴など履くなとかなんとか」
「なんだと」
第三軍需補給局の長官ともあろう人物が、いくらなんでも横暴ではないだろうか。
「けどなぁ、正直俺は靴擦れの方が悩みなんだよ。それ、俺にサイズ合うかな?」
「ぜひ、履いてみてくださいまし!」
レベッカが手渡した軍靴を、その男はいそいそと履いた。本当に悩んでいるなら、上官にどう言われようとも履いてみたかったのかもしれない。
そもそも、試作とはいえ正式に納品許可の出ている装備品だ。
「今も靴擦れがあるから少し痛いが……でも当たりはそんなにないな。サイズもまあ、少し余裕はあるが悪くない」
男はその場で確かめるように足踏みをし、頷く。
「良かった、でしたらこのまま使っていただけませんこと? しばらくしたら、どうだったか聞きに参りますので感想を教えてください」
「わかった、使わせてもらうよ」
「はい! もし合わないようでしたら履くのをやめていただいても構いません。それも重要な情報ですわ」
そのままレベッカは脂缶を兵に渡し、手入れの方法をレクチャーしていく。彼は自分で手入れをする必要があると聞き、最初だけ眉根を寄せた。しかし、手入れが思いのほか簡単だったことで笑顔になる。
雨に濡れてから靴擦れが酷くなったから、防水出来るならそれくらいやると意外と乗り気の様子だ。
「ありがとうよお嬢ちゃん」
軽く手を上げて去っていく兵に、レベッカも笑顔で手をふって見送る。
「あの方は本当に悩んでいらしたのね。改善すれば良いのですけれど」
「そうだな。よし、次だ」
自分の持っていた軍靴と脂缶をレベッカに手渡す。
「はい! 次は悩んでいない方にも履いて欲しいですわ。悩みが特にないなら、純粋に履き心地や手入れの手間などの評価が出来ますもの」
「それは、こちらに不利にならないか?」
「なっても改善できるので結果的に良くなりますもの。悩みがないのに履き替えて下さるかはわかりませんが、どんどん押しますわ!」
元気に頷いて周囲を見渡したレベッカは、また一人兵を見つけて走り寄って行く。ぎょっとした表情でその男が逃げていくと、また違う男に笑顔で声をかける。
その姿が、笑顔がまぶしい。まるで太陽のように。
側でずっと守っていられたなら良かった。それはもう叶わないが、それが他の誰かであっても彼女が幸せでいてくれるのならいい。
いや、そう思わなければやっていけない。誰に向けたらいいのかもわからないその胸の奥のどす黒い嫉妬に蓋をし、レオンはレベッカの背を追った。




