1.婚約破棄は待ってくださいまし!
「……ッ婚約破棄だ」
「え?」
唐突に告げられた言葉に、レベッカは言葉を失った。
そばかすの奥の緑の瞳をきょときょと彷徨わせ、その言葉を発した相手をそっと伺う。
この国では珍しくもない金髪のレベッカとは対照的な、赤茶の髪。その髪と同色の瞳は、視力の弱いレベッカにも険しく見えた。
婚約者の顔は、そばかすだらけのレベッカには似つかわしくないと思うほど端正なものだ。しかし、今は静かな怒りがみなぎっている。
レベッカにはその理由が全くと言って良いほどわからなかった。
「急にどうしたんですの?」
父の商団が南から持ち帰った焼き菓子を、彼の屋敷に持って来たのは数刻前。そこから、紅茶を飲みつつ先ほどまで楽しくティータイムを楽しんでいたのだ。それなのに、この婚約者は急に怒り出したのである。わけがわからない。
しかも、婚約破棄などと。
せっかく普段は身につけないよそ行きのドレスを着て、愛用の眼鏡も外し、お化粧までして最大限のおしゃれをして来たというのに。
お化粧でも隠せないそばかすがいけなかったのだろうか?
「どうしただと? 今自分がなにを言ったか忘れたのか?」
「……急にどうしたんですの? と言いましたわ」
「違う、その前だ!」
婚約者——レオン・スタンフィールドのほおが引き攣る。
「俺の事をなんとも思っていないと言っただろう」
「あぁ! 言いましたわ! え、それで怒っていらっしゃるんですの? どうして」
「どうしてもこうしても、婚約者になんとも思われていないと断言されたんだぞ」
「断言と言いますか、ただ事実を述べただけで……」
「……ぐっ」
レオンの喉からなにかが潰れたような声がもれる。喉の調子が悪いのだろうか。
「でも、わたくしレオン様と良い夫婦になる自信がありますわよ! だってスタンフィールド家は子爵とはいえ国王陛下の覚えもめでたいのですもの。うちの商品を貴族の皆様にお勧めしやすいですし、たくさん売れれば家も潤いますし、貴族の皆様も良い品を手に入れられて皆幸せですわ。お父様は目利きですし、わたくしもそれなりに見る目を養っておりますので————」
「そういうところなんだよッ」
「……? なんのことですの?」
「もういいッ」
苛々と髪を掻きむしるレオンについ腰が引けてしまう。なにが気に入らないのかわからないが、婚約破棄されてはこの先の人生設計が狂ってしまう。
なんとか考え直してもらわなければ。
「レオン様ももう十九ですし、ご婚姻された方が」
「心配無用だ。レベッカ嬢も早く次を探すんだな」
「ええ……わたくしもう十七ですわよ⁉︎」
「十分若い‼︎ どうせ君は貴族と結婚したいだけなんだろう⁉︎」
「そうなんですの! だから婚約破棄は困るんですわ」
レオンとの婚約が決まってからこの二年間、貴族であるスタンフィールド家に嫁ぐ事しか考えていなかった。貴族に嫁ぐ事は、自分の夢を追うために最も効率の良い事でもある。
自分の夢と嫁ぎ先の利益。これを両立させるために、どうすればスタンフィールド家を盛り立てられるか、自分なりに考え抜いて来たのだ。
それを今更、一方的になかったことにされても困る。
「他の貴族に当たれ!」
「ご存知の通りうちは父が一代爵位を授けられただけで、わたくしはこのままでは未来永劫平民ですの! 平民を娶ってくださる貴族はレオン様だけですわ」
「俺は降りる」
「わたくし貴族の皆様相手に商売したいんですのよ」
「知らん! 知らん知らん!」
「どうしてですか! レオン様となら良い商売が出来ると思っていますのに!」
「それは俺だからではなく俺が貴族だからだろう、レベッカ嬢」
レオンの端正な顔がどんどん引き攣っていく。
レベッカが商売をしたいと言っても、良いんじゃないかとこれまでは応援してくれていた。将来の計画も楽しそうに聞いてくれていた。
それなのに急にどうしたと言うのか。
「そんな事ありませんわ。わたくしの夢はレオン様あっての事ですし、レオン様は応援してくださってましたわ」
「あぁそうだろうとも俺は貴族だからな。それに、夢を語ってくれるのは、少しは情があるのかと思っていたがこれだ」
「そんな……結婚は感情でするものではありませんわ。わたくしはスタンフィールド家を盛り立てようと」
「スタンフィールド家の力を使って、だろ?」
「その通りですわ!」
わかってくれたのかと力を込めて返事したものの、それは不発だったらしい。レオンは額を押さえて苦しそうに息を吐き捨てる。
顔色が悪い。大丈夫だろうか。体調が悪いせいで苛々しているのかもしれない。
「レオン様、お願いです。婚約破棄はちょっと待っていただけませんこと? 婚約破棄になるとエリカ様も悲しみます」
「……ッ」
痛いところを突かれレオンが顔をしかめる。
エリカはレオンの母親だ。エリカとレベッカの父は十数年来親交がある。その縁で決まった婚約だった。
「エリカ様は、お兄様を大変敬愛されていたそうですわね」
「ああ」
ここ、フランセス王国は決して順風満帆な国ではない。かつては王座の簒奪もあった。その簒奪を正した十五年前の騒乱で、エリカの兄でレオンの伯父は身を挺して王を庇い亡くなった。
その功績により、スタンフィールド家は男爵から子爵へと引き上げられた。しかし、家督を継ぐはずだった子息は亡くなっている。そのため、エリカの次男をスタンフィールド家の養子にし、家督を継がせる事となったのだ。
そして、その騒乱で共に王に与し助けたのが、商人であるレベッカの父だ。平民だった彼には、一代爵位として男爵位が王から授けられた。もちろん、父はレオンの伯父のことも良く知っている。
二人はレオンの伯父を懐かしみ語らうことで親交を深めて来た。
レベッカは平民とはいえ、エリカはこの婚約を大層喜んでいたのだ。
「父もエリカ様とはこれからも末永く語らいたいと思っておりますの。エリカ様もそうではなくって?」
「それはそう、だが……」
エリカは亡き兄を敬愛している。その母親を、レオンも敬愛している。エリカの事を出せば逡巡すると思ったが、効果があったようだ。
「ね、お願いします。貴族と婚約していたのに婚約破棄になったら、もうどなたも迎えては下さいませんわ」
「それはそう、か……」
婚約破棄自体はない事ではない。とはいえ、滅多にない。そして婚約破棄になった場合、次が決まりにくいのは事実だ。
貴族との婚約まで行っておきながら破棄されたレベッカの評判はかなり落ちるだろう。そもそもが特別美しいわけでもなく、男爵とはいえ商人の娘だ。
平民からも嫌煙されるのは十分ありえる話だ。
「せめて婚約破棄になるなら、わたくしが商人として成果を上げてからにして下さいません? この先一人で生きるにも足がかりが必要なんです」
「……ッ、いやだめだ。婚約破棄はアヴァロ男爵へ即時通達する」
「そんな……」
苦虫を噛み潰したような顔でレオンはそっぽを向いた。
「だが別に俺も、あなたに苦しい人生を歩んで欲しいわけではない。なにか協力出来ることがあるなら力になろう」
「感謝いたしますレオン様」
このまま婚約破棄を考え直してくれれば良いが、今はこれ以上押すべきではないだろう。
婚約者としてレオンとはそれなりに接して来たが、レベッカから見たレオンは真面目で融通が効かな過ぎるところがある。そこが良いところだと思っているが、ここで下手に押すと逆効果になりそうだ。
「では待っていてくれ、馬車を用意させる」
話は終わったとばかりに嘆息すると、レオンは足早に部屋から出ていく。
その荒々しい足音が、まだ怒っているのだという事を表していた。
「レオン様は比較的穏やかな方だと思っていましたのに、急にどうしたのかしら……」
しかも婚約破棄だ。急に。唐突に。突然に。レオンらしくもない。
一度婚約したのだから、彼の真面目な性格を考えれば婚約破棄するなどあり得ない。しかしそれが今、あり得ている。どうして。
「とにかく、早急に貴族の方々をお客様にしなければなりませんわ」
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