15.前向きに検討いたしますわ……
「それで、どうして最初に靴を売ろうと思ったの?」
「それはあの、ヴィクター様が士官学校に入られてすぐくらいかしら……父を訪ねて貴族の方がうちにいらっしゃったのです。その方が白くて高いヒールの靴を履かれていて……真っ白なレースのリボンが付いていて、靴の履き口は花の模様にカッティングが施されていましたの。その方も靴もあまりにも美しくて見惚れてしまったのですわ」
「へえ。どこのご婦人が?」
「いえ、ご婦人じゃありませんの。ブルーム公爵です。あ、あの時はまだ侯爵でしたけれど」
「閣下か。それは美しかっただろうね。憧れるのも無理はない」
今でもありありと思い出せる。どう見ても男性で、それなのに神の造った完璧な彫刻のように美しい人だった。
お忍びだったのか、頭から白い布を被り顔も下半分を隠していた。それを外した時の驚きは言葉では言い表せない。
ブルーム公爵マルセイユ・ヴァレンチア。この国の宰相にして、軍部最高指揮官。そして、王妃の義弟でもある。さらには、世に轟く美貌の持ち主だ。簒奪された王座を取り戻すために、レベッカの父らと結託して王を助けた救国の徒でもある。
「貴族の方って、こんなに美しいのかと驚きましたわ」
「あはは、そんなに美しいのは閣下だけだよ」
「そんなことありませんわ、ヴィクター様もまるで王子様のようですもの!」
思わず勢いを付けて身を乗り出すと、ヴィクターが驚いたように固まった。そして、破顔する。
「そんな風に思ってくれていたんだ?」
「事実ですもの。こんなキラキラした方々に、素敵なお品をお勧めして、身につけていただけたら素敵だわと思いましたの。それで、まずはなにをお勧めしようかしらって思った時に、閣下の靴がふと浮かんで」
男性でも、あんなに華やかな靴を履けるのだというのは驚きだった。
自分にも、そういう提案が出来ればいい。きっと楽しいに違いないと思ったのだ。
「じゃあ私も靴を勧めてもらわなくてはね」
「はい、ぜひ!」
レベッカが大きく頷いたと同時に、店員がやって来た。
「サフランと蜂蜜のハーブティーです」
目の前に置かれたそのグラスには、甘やかな蜜色のお茶。そこに少量のサフランの赤がアクセントを加えている。そして上には輪切りのレモンが浮かんでいた。
続いて、レベッカの前だけにアーモンドとローズのタルトが置かれる。
「まあ、美味しそう」
サフランはアヴァロ商団でも扱いのあるスパイスで、そこそこ高級品だ。
売り物としてはよく目にするが、レベッカはあまり口にする機会はなかった。
多少割高だが、払える金額だ。せっかく伯爵令息とお茶をしているのだから、少しくらい背伸びがしたい。
グラスにそっと口を付ける。レモンの清涼感あふれる匂いがまず鼻腔を刺激し、次に蜂蜜の甘さが舌に溶けた。
そして喉を通った瞬間に、なんとも言えないスパイシーな香りが胸に広がる。
「美味しいですわね! ハーブティーを売るのも素敵かもしれませんわ」
こういう高級嗜好のハーブティーを貴族に提供するのはきっと楽しいだろう。
もちろん、貴族でなくても良い。今まで華やかな貴族の世界に入るのだと信じていたから、真っ先に貴族相手の商売を考えてしまうだけだ。
隣にいるはずだったレオンは、もういないけれど。
「あはは、じゃあ私がサポートしよう。君がやりたい事をやると良いよ」
「え……?」
「言ったでしょ、いい夫婦になれると思うって」
小さくウィンクを寄越したヴィクターに、慌ててタルトを口に運ぶ事で視線をそらす。美味しいはずなのに、なぜかあまり味を感じられなかった。
ヴィクターはまるで物語の王子様のように輝いている。そのヴィクターが、平民の自分にこうして夫婦になることを提案してくるなど、普通はあり得ない。まだ、信じられない思いがあるのが正直なところだ。
たしかにヴィクターとは、昔馴染みだ。一緒に遊んだ良き友達だ。だからと言って、身分の差がなくなるわけもない。
「私は伯爵家の長男だ。いずれ伯爵家を継ぐ。だからこそ、君の力が必要なんだ」
「どういう意味ですの?」
伯爵家だからこそ、平民など必要ないの間違いではないだろうか。
「私たちはね、生まれた時から高い地位にいる。皆にかしずかれて、特別扱いされている」
「そう、ですわね……? でもそれは本当に尊い方々ですから当然かと……」
「そうかな? 私はレオンと士官学校で成績を争った。でも、レオンの方が少し上だったよ。だがどうだい? レオンは大尉に叙された。これだってかなり優秀だ。だが少し劣っていた私は少佐だ」
ヴィクターの方が成績が少し下だったというのは初耳だ。レオンは成績の上下についてはなにも言っていなかった。
だとしたら、ヴィクターが少し思うところがあるのも気持ちはわからないでもない。
「我がアルマール伯爵家のクラウス商団は、軍の重要物資を取り扱っている。そして私には、新米士官にも関わらずクラウス商団の物流が一任されている。つまり特別枠なんだよ。特別だから、よほどの事がなければ無能でもあっという間に昇進する。これからもレオンと私の階級の差は広がるだろうね。彼の方が優秀だったとしてもだ。どう思う?」
そう語るヴィクターの青い瞳が翳る。
「でも、伯爵家はそれなりに領地も広いですし、責任あるお立場ですわ。特別枠は当然のことではありませんの?」
「そう、みんなそう思っている。私の身内だって皆そうだ。だから、民の事がわからないんだよ。民がなにを苦しんでいるのか、なにを喜ぶのか、なにを望んでいるのか。だれも私たちに意見しないし、教えてくれない。そもそも、知ろうとしない者達ばかりだ。それが当然の世界なんだよ」
そうやって、自分は生まれながらに特別だと信じて生きる。自分の言う事は絶対だ、誰も逆らえないのだと知る。
人を見下し従わせることしか出来なくなり、どんどん無能になっていく。自分が無能だと自覚する事も出来ず、権力をふりかざすようになり、民の心が離れる。
ぽつぽつとそう語るヴィクターは、その瞳に確かな意志を宿していた。
「シヴァ公国が、なぜ蜂起からあっという間に独立宣言するほど結束出来たのかわかるかい?」
「いいえ。でも無理矢理従わされているのでなければ、あの一帯に住む民が皆国を捨てたって事ですものね」
「そう。彼らは国を捨てて、シヴァ公爵を王にいただくことを望んだ。彼が、民の声を聞く良き領主だったからだ」
シヴァ公爵。現国王の従兄弟に当たる人物で、王座の簒奪をした偽王の息子だ。
王座を簒奪していた父親は、現国王自らの手で討ち取られた。だが、現国王に服従を誓った哀れな息子は、身内でもある事から恩赦を受けた。
そうして、公爵として東の辺境を大人しく治めていた。四年前までは。
四年前に突如蜂起したシヴァ公爵は、周囲の地域をあっという間に併合して行った。そのまま、広く世界に向けて独立宣言まで行ったのだ。
シヴァ公爵は爵位を剥奪された。剥奪されたところで、シヴァ公爵にはなんの影響もなかっただろう。国を捨てたのだから。
そして王は、王妃の義弟のマルセイユを公爵として引き上げたのだ。
「でも、いい領主様なら国のことをお考えになるのではありませんの?」
「彼が一番に考えていたのは民だ。民が潤わねば国も潤わないと思っていらっしゃった」
「……それは、そうです、けれど」
だからと言って、国を裏切り大切な民を扇動して戦を起こすなど許されないのではないだろうか。
戦は民が死傷する。大切だという民が。
「独立を望んだのは民の方だ。彼らが王を選んだ」
そう言われると二の句が継げない。
「民は馬鹿ではない。無能なのに威張り散らす貴族が支配する国と、真摯に民の声に耳を傾け望みを叶えてくれる領主ならどちらを選ぶか明白だよ」
だから、この国のためにも民の声を真摯に聞く事が大切なんだよとヴィクターが淡くほほ笑む。
「だけど私も所詮伯爵家生まれだ。例に漏れず、私もなんの足しにもならない選民思想を持っていた。君と出会う前までは」
「ヴィクター様……」
「君はどこの誰かもわからない私を助け、受け入れてくれた。私に民の世界を教えてくれた」
ヴィクターの瞳が優しげに細められた。そのほおが、少しだけ上気している。
「貴族が選民思想を持っていては国がだめになる。民があってこその我々だという事を忘れたなら、民に捨てられるんだよ。この国の貴族は、もう変わらなければならない所に来ているよ」
そうなのだろうか。
いや、そうなのかもしれなかった。レベッカは、貴族のご婦人方に靴を見てもらうことすら出来なかった。
それでもレベッカはまだましな方なのだろう。父親は王から直々に男爵位を賜り、そしてアヴァロ商団は規模が大きく裕福だ。
これが例えば通りを歩いている街人なら、話すら聞いてもらえないだろう。
「私を助けて欲しい。もっと民の目線で、民を豊かにする事が出来るように」
「ヴィクター様……」
そんな世を、ヴィクターは変えようとしているのだろうか。伯爵家という尊い生まれなのに、民を優先して。
なんて立派なのだろう。やはり伯爵を継ぐに相応しい。
「それに、私たちの実家はどちらも商団を経営している。クラウス商団は規模は小さいけど伯爵家直営だ。対してアヴァロ商団は規模が大きいが、政治的な力は少ない。お互いの良いところをかけ合わせれば、互いにさらに大きくなれると思う」
だから、どうか自分と婚姻を結んでともに生きて欲しい。そう言ったヴィクターの瞳から、今度は逃げる事が出来なかった。
こんなに真摯にお願いされて、否定する理由など持っているわけもない。
「あの、そうですわね。前向きに検討いたしますわ。でも、もう少し……」
結婚は感情でするものではない。それに、ヴィクターはレベッカと友達だからという理由だけで言っているのではないこともわかった。よき領主となるためにレベッカが助けになれるのなら断る理由もない。
そう思うのに、何かがレベッカに即答することを押し留めていた。
「もちろんゆっくり考えて。アヴァロ男爵とも話して欲しいからね。考えてくれるだけで嬉しいよ」
にっこり笑ったヴィクターに、タルトをつつきながら、レベッカは小さく頷くことしか出来なかった。
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