12. 私は当たり前を疑うのが仕事ですので
第三軍需補給局は軍需物資や装備品を統括している組織だ。
食料や医薬を扱う第一、輸送などを担う第二と比べると、兵自身に一番関わりが深くなるのはこの第三軍需補給局となる。軍靴の取り扱いもここだ。その第三軍需補給局中央管理部にレオンは足を運んでいた。
窓の外には、補給倉庫が立ち並んでいる様がよく見える。
「これで宜しいですか? スタンフィールド監査補佐官」
二十代前半ほどの女性事務官ローズマリーが、レオンに帳簿を差し出す。
礼を言って受け取ったそれは、ずっしりと重い。
瞼を押さえた。もう昼を大きく回わる時間だが、なかなか作業は終わらない。朝からずっとこうして帳簿とにらめっこしていたためか、さすがに疲労を感じた。
レオンは、木製の長机に書類の山を築き、帳簿と伝票を一枚ずつ照合していた。
新たに提出された帳簿を開く。納品記録、検収報告、在庫記録を指差し確認しながら無駄なく視線を移していく。
「検収数と納品数が合わない……? いや、これは仮伝票だからこの分の納品はまだということで差し引きすれば合うな。これは軍靴か。価格はこんなものなのか?」
レオンの想像よりは少し金額が高い気がしたが、今回は金額の監査ではない。それに、レオンは自分の靴は自費で仕立てたから、靴が高い事も知っている。オーダーメイド分の金額を差し引いたとしても、おそらくこれで適正なのだろう。
この納品金額はレベッカが最も知りたい事ではないか。そう思い記憶に留め、さらにページを繰っていく。
第三軍需補給局は、シヴァ公国との境に位置する東部軍営の補給物資を一手に担っている。レオンが監査局の補佐官としてこの部署を訪れるのは、今月で二度目だった。
今日の業務は、帳簿照合および在庫記録との整合性確認――物資の調達と実際の出入りに不審な点がないかを、淡々と確認するだけの仕事だ。
「今のところ、不自然な増減はないな」
レオンが監査局に補佐官として着任してから、不正や規律違反を摘発したことはない。これからも、なにもないのが望ましい。
監査局が目を光らせて、こうして定期的にチェックに来るからという理由ででも、適切に運営されているなら御の字だ。
とはいえ、作業が単調なのは否めない。ふわ……とあくびが出そうになったその時、重い扉が乱暴に開いた。
「――またお前か。いいご身分だな、監査局の坊やが」
明らかに敵意に満ちた声とともに現れたのは、日に焼けた筋骨たくましい中年の男だった。
第三軍需補給局中央管理部長官、ロバート・フェルドだ。こちらに歩み寄ってくるその肩には、中佐の階級章が光っている。
はっとして立ち上がり、礼を取る。
「お疲れ様です、フェルド中佐。監査局からの定期監査で、本日は記録の整合性を――——」
「はッ、そんな事は分かっている。整合性、ねぇ……。そうやって毎度毎度味方の粗探しってわけだ」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあなんだってんだ? 現場も知らないお坊ちゃんが、書類だけで判断しようとするとはなぁ」
ロバートは平民出身の叩き上げの軍人だ。平民から中佐の地位まで登り詰められるのはごく稀だが、それを実力で成し遂げた。普通は、士官学校にすら通う資格のない平民は、平民であるというだけで階級が低くなるのにだ。
そんな生まれ持った壁を乗り越えて来た気概があるのだろう、どうにもレオンに対するあたりが強い。レオンのことをお坊ちゃんと呼ぶのも、士官学校卒業後すぐに大尉に任じられたことに思うところがあるのだろう。
「で? 何か問題でもあったか?」
ロバートが机の上を覗きこむ。
「いえ。今のところ、記録上の不備は見受けられません。むしろ、極めて丁寧な記録です」
言うか一瞬だけ逡巡したが、自らが約束した事だ。ここでロバートに会えたのだから伝えなければ。
「監査とは関係ありませんが、軍靴のサイズが合わず靴擦れしたり、水濡れに弱いという報告を先日現地の兵から受けました。調達庁でもそういう不満があるという声を認識しているとか。軍靴調達先の見直しも含めて調査を行ってはいかがでしょうか」
その瞬間、ロバートの表情がはっきりと固まった。その表情には、ありありと怒りが滲んでいる。
「……貴族様のお坊ちゃんは、現場の泥の重みを知らねぇらしいな」
「私は、品質に問題があるかを確認したいだけです。兵の足元を守る装備ですから」
「――貴様っ」
ロバートが勢い良く机を叩いた。積まれた帳簿が一冊、ばさりと床に落ちる。
その落ちた帳簿から視線を上げると、ロバートの背後の扉からちょうど一人の人物が入ってくるところだった。
銀に見えるほどの美しい金髪と青い瞳。上品で華やかな雰囲気のすらりとした美青年。
(こんな時に————)
入って来たのはヴィクターだった。手に書類と思しき紙束を持っている。
そのヴィクターはすぐにレオンに気がついたらしく、書類をローズマリーに渡しつつもこちらへと視線を送ってくる。
それが鬱陶しくて、ロバート以上に辟易してしまう。
「予算がどれだけ絞られてるか知ってて言ってんのか? そのうえ見直しだと? 素人の貴族が口を挟むな。素人が考え付くことくらいこっちだって検討済みだ!」
それはそうだろう。予算が決まっている中、あらゆる手を尽くしているはずだ。
「私は現場のことを理解しようとしているだけです。もし、兵の健康に支障をきたすのなら——――」
「はッ、そもそも万人に合う靴をオーダーメイド出来るわけじゃねぇんだよ。これだから貴族のお坊ちゃんは役立たずなんだ」
たしかに自分は軍靴のことはなにもわからない。貴族だからと最初から高い地位に着いた者が皆優秀なわけでもないことは知っている。レオンにはわからない苦労がロバートにはあるだろう。
しかし、わからないからこそ、忌憚のない意見が出来ることもあるはずだ。
「私は当たり前を疑うのが仕事ですので」
静かにそう告げると、ロバートがこれ見よがしに舌打ちをした。レオンを睨みつけると背を向ける。
「……いいさ。お坊ちゃんは下手な口出しなぞせず、勝手に疑って帳簿でも眺めてろ。どうせ何も出て来ねぇよ」
来た時と同じように荒々しく出ていくロバートとすれ違いながら、ヴィクターが近づいて来る。
落ちた帳簿を拾い上げるのと、ヴィクターが机の前に立つのはほぼ同時だった。
「災難だったな補佐官殿。フェルド中佐は貴族嫌いで有名なんだよ」
そうにこやかに話しかけてくるヴィクターは、どこか機嫌が良さそうに見える。
「……そうだとは思っていました」
「私は調達庁からの通達書をよく持ってくるんだけど、あからさまに邪険にされているよ。あんな歳になって大人気ないと思わないかい?」
「《《少佐殿》》がこんな場所でそんな事を言うからではありませんか?」
わざとヴィクターの階級にアクセントを付ける。ここは中佐であるロバートが長官を務める第三軍需補給局だ。そんなところで上官の悪口を言って伝わらないわけがない。それに、ロバートはヴィクターよりも階級が上だ。
「なぁに、伯爵家の私にとってはそれもあと数年のことだろ? 態度を改めるなら今のうちだと思うけどね」
「ですが、上官には敬意を持って接するのが普通かと」
なるほど、ロバートがヴィクターを邪険にする気持ちがよく分かる。
特に、努力と根性と才能で必死に現場を支えてきた叩き上げの軍人であるロバートには耐え難いだろう。
「へえ。じゃあ君も私に敬意を持ってくれてるのかい?」
そう、こういうところが本当に鬱陶しい。ロバートはおそらく、こういういけすかない貴族を大勢見て来たのだろう。
平民として中佐はおそらく頭打ちに近い。ロバートが人生をかけて得た地位も、ヴィクターは数年で追い抜く。レオンも努力次第ではロバートよりずっと若くして上がれるだろう。
そう思うと、少しだけロバートに同情してしまう。その同情すら、彼には屈辱なのだろうが。
「もちろんです」
「そう。ま、言うのは簡単だからね」
「特に用事がないようでしたら、私は仕事に戻りますので」
一応礼を取り、椅子に座り帳簿に視線を落とす。
これ以上、話す理由もない。
「……ふむ、職務熱心で良い事だ。私も戻ろう」
踵を返しかけたヴィクターは、そうだともう一度レオンへ視線を投げた。
「昨日ベッキーから手紙が届いてね。近々会う予定なんだ」
「————……」
目が帳簿の上を滑った。
レベッカの要件は、軍靴の納品についてだろう。それはわかっているのに、胸の奥底から黒いものが這い上がってくる。
「ああ、そうか。君は婚約破棄したんだっけ?」
「ええ」
「そうか、じゃあ遠慮なく会えるわけだね。ま、私は君より地位も名誉もある。安心して見ているといいよ」
ほおが引きつりそうになりながらも、なんとか視線を帳簿に固定する事で耐える。
やがて足音が遠ざかり、扉の閉まる音が響いた。
視線を上げると、そこにはもうヴィクターの姿はない。
「くそっ」
小さくうめき、帳簿に向かう。書いてあることはわかるのに、全然頭に入って来ない。
ロバートには当たられ、ヴィクターには揶揄われた上レベッカと会うと知らされるなど厄日だ。
思わずため息がもれた。帳簿に集中しようとするが、なかなか上手くいかない。
今日の仕事は長引きそうだ。そう思い、レオンはさらにため息を深くするのだった。
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