11. わたくし、軍靴を売ろうかしら⁉︎
「監査局監査補佐官のレオン・スタンフィールドだ。どうした?」
名乗ってたずねたレオンに、二人が慌てて立ち上がり敬礼をする。しかし、一人は再び顔を歪めた。
追いついたレベッカが見たのは、靴擦れして皮のめくれた足だった。軍靴も靴下も脱いだ足は小指側が赤く腫れ、滲出液が染み出している。見るからに痛そうだ。
「靴擦れか。いい、座れ」
レオンが頷くと、靴擦れを起こした方の男が素直にベンチに座った。
まだ若いが、レオンよりは幾分歳上に見える。
「こんにちは! あの……痛そうですわね。靴のサイズが合っていないのではありませんか?」
「ええ、靴が少し大きくて中で足が動いてしまって。かと言ってこれより小さいサイズのものは本当に小さいので……」
はあとため息を付く男に、レオンが思案顔をする。
「声をかけておいて済まないが、私は監査局所属だから軍靴についてはどうもしてやれないのだが……」
レオンは軍の監査局所属だ。元々は騎士団に志願していたが、スティーブに監査官の方が向いていると引き抜かれたと聞いている。
確かに、独立した組織として軍内部の監査をしている立場では、現場はどうにもしてやれないだろう。
「機会があれば関係各所に話はしよう。毎日の事だ、そんなに擦れては任務をこなすのも辛いだろうからな」
そのレオンの言葉に、警備兵たちが礼を言っている。
レオンは、士官であると同時に監査局の人間だ。この警備兵たちのように走り回ったりはしないだろう。
だからと言って、関係ないからと彼らの声を無視するようなことはない。耳を傾け、出来ることをやろうとしている。
(レオン様にはレオン様の立派なお仕事がありますものね。軍靴の作成や納品は……あら?)
ふいに夜会で聞いた話を思い出す。
貴族の婦人が靴を作ってもらおうと靴職人を訪ねたところ、軍靴の納品が頻繁で大変だと言っていた、と。
当然の事だが軍靴を軍内部で作っているはずもない。業務委託して、出来上がったものを納品してもらっているのだ。
「あの、ちょっとよろしいですか⁉︎」
もう少しちゃんと靴を見たい。そう思った時には身体が動いていた。
怪我をした男の前にしゃがみ込み、脱いでいた靴に顔を近づける。
「なにをしているんだレベッカ嬢!」
「靴を見ていますわ」
「そういう事じゃない!」
レオンの焦ったような声はとりあえず一旦無視する。
靴を手に取り、その革や靴紐、そして革の縫い目などをじっくりと見ていく。
「あ、あのお嬢さん? 臭いと思うからあんまり……」
「わたくし、目が悪いんですの。眼鏡をかけていればそこそこ見えはしますけれど、細かいところはどうしても」
「は、はぁ……」
革の状態はあまり良くないようだ。乾燥してがさがさしている。
「あの、この靴はサイズが合わないとおっしゃいましたわね? 水に濡れてから余計に合わなくなったのではありませんか?」
「あ、そうです。よくお分かりで……」
「水に濡れると革がひび割れたり、型崩れしたりしますの。水を吸って伸びた革が、乾燥する時に縮むのですわ。だから防水しておかなくてはいけません。少し蝋を塗ったような形跡はありますが、もう効果はほぼないと思いますわ」
水濡れ対策をしなくてはいけないことは、もちろんこれを作っている靴職人や軍もわかっているだろう。コスト面でカットしている可能性は大きい。
だが、本当にそれはコストカットになっているのだろうか。一足の値段は下げられても、それが大量に必要になるならば、全体の価格としてはさほど変わらないのではないだろうか。
(靴のサイズが合わないのはサイズ展開が少ないのかもしれないわ。でもコスト面を考えると仕方がないですわね。それに木型が良い形ではないように見える……元となる木型を少し改良出来ないかしら)
靴の形を記憶に刻むように両手でなでる。そうしてやっと、礼を言って靴を裸足の前に返した。
その素足は当然傷ついている。
「その傷で履くのは辛いですわよね。これ、半分に裂けます?」
スカートのポケットからハンカチを取り出す。
「えっ?」
「サイズが大きいんですわよね? ひとまずこれを小指側に詰めて履いてみてくださいまし。ほんの少しだけましになる程度でしょうけど、ないよりは良いかと思いますわ。歩きにくくなるので、走ったりはもちろん出来ないと思いますけれど」
「い、いやそんな……」
ちらりと警備兵がレオンを見上げたのがわかった。
レオンが女性を連れているのだから、まあ、そう思われても致し方がない。
事実は、婚約破棄されたのだが。
「使わせてもらえ」
「は、はい。ありがとうございます」
ハンカチを受け取ると、もう一人がポケットから小型のナイフを取り出した。それでハンカチを割く。
折り畳んだハンカチを軍靴へ入れ、靴下を履いてそろそろと足を入れて行く。
「はあ……直接当たらないだけで大違いだ。感謝します」
彼はようやっと立ち上がると、レベッカに頭を下げた。
二人揃ってレオンにも挨拶をし、痛そうにしながらではあるが歩き去って行く。
「ありがとうレベッカ嬢」
「あの、レオン様……」
彼らは国を守る立派な仕事をしている。彼らがいるからこそ、この国は国として維持されている。
その足元が傷だらけで良いのだろうか?
ただでさえ、シヴァ公国とは緊張状態が続いている。いつなにがあってもおかしくはない。
四年前に大きな戦いがあったことは知っている。レオンは士官学校に入りたてで、戦力ではなかった。今も監査局所属で非戦闘員ではある。
だが、レオンは元々は騎士団入りを目指していた。腕も立つと噂では聞いている。もしもの事があったらレオンはどうするだろう。国はどう指示するだろう。
足元が固められるのは、レオンのためにも必要なのではないだろうか。
痛みは士気を下げるとヴィクターが言っていた。それが目の前で起きたのだ。あれではいざという時も動けない。
レオンのためだけではない。皆の死傷するリスクを最大限減らせるのが靴なのではないだろうか。
「わたくし、軍靴を売ろうかしら⁉︎」
「——は⁉︎」
鳩が豆鉄砲を喰らった顔というのは、まさに今のレオンの顔だろう。
瞳を見開き、なにかを言おうとした口からはなにも言葉を発せられないでいる。
「もし軍靴を作ったら、軍に納品出来ます⁉︎」
「なッ……」
レオンの顔が見るからに引きつった。言葉の意味はわかるのに、なにを言っているのか理解できないと言いたげに口をぱくぱくさせている。
「君は突然なにを……」
「足元は大切です、命がかかっています。それに、貴族に物を売る前に、実用性の求められる軍需市場から攻めて名を売れば良いのではないかと」
「なんだその斜め上の思考は! そんな唐突には無理だ。まず調達庁から納品の承認を取るのが面ど……調達庁?」
レオンの顔色がはっきりと変わった。
調達庁と言えばヴィクターが所属している。士官学校時代からのライバルとして、なにか思うところがあるのかもしれない。
「そう言えば、ヴィクター様も軍靴の不満が多いって愚痴をこぼされてましたわ!」
「いつ⁉︎」
「三日ほど前でしょうか。通りを歩いていたら馬車で通りがかられて、乗せて下さったんです」
「あいつ……!」
レオンが眉間に皺を寄せ、額に手を押し付けた。不機嫌そうに口が引き結ばれる。
(どうしたのかしら……やっぱりレオン様、眠いんですのね。当然ですわ)
レベッカだって眠い時に眠らせてもらえないと、さすがに機嫌が悪くなる。
今のレオンもそうなのだろう。
(でも、スタンフィールド邸に帰るまでは眠れないのですもの。倒れないように話しかけても良いですわよね⁉︎)
うん、と納得してからレオンの背を押した。歩きながらお話ししましょうと促す。
しぶしぶ歩き出したレオンの隣に並ぶ。
「足元って大切です。士気に関わりますわ」
「ああ、それは同意するが……」
「今の軍靴が幾らで納品されているか存じ上げませんけれど、同価格帯で良いものを作れれば軍としてもメリットではありませんか? もちろんそれにはコストカットが必要ですわね。革も麻も防水に使う樹脂や獣脂もアヴァロ商団で大量に扱っていますから、その販路に乗せてもらえばそこまでコストはかかりませんわ。革も一括購入になりますからその分お安く仕入れられます。その分、サイズ展開をそうですわね五種類ほどあれば今より合うはずですわ。ここはコストをかける部分ですわね。木型も作り直しましょう。一度たくさん木型を作って靴職人に渡すのです。すぐには無理ですが後々は、大勢の職人が分業して流れ作業で仕立てて行ければ作成スピードも上がりますわ。余った革の端切れで中敷きも作れればより良いですわね。あと防水が大事ですから、縫い合わせの麻糸は蜜蝋を塗ったものを使います。一部ウェルト縫いを採用すればコストは上がりますが防水性は高まりますわ。それからここが大切なのですが、靴を長持ちさせるために皆さんに脂をお渡ししてご自分でお手入れをしていただき」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
レオンの手がレベッカを制する。
「情報量が多い……っ」
「細かく言えばまだありますけれど」
「いや、いい。お洒落目的とは言え靴を売ろうとしてただけあるなと今感心している」
「ありがとうございます!」
婚約は破棄されてしまったが、レオンはレベッカが役に立つ人物だと思ってくれただろうか。
もしそうなら嬉しい。もう叶わないこととはいえ、レオンにそう思ってもらえるようにこれまで努力して来たのだ。その思いが少しでも報われた気持ちになる。
「足元に不備があればいざという時に動きが遅れたり、隙が出来たりするだろう。万人には合わずとも、より軽減出来るものがあるなら検討すべきだからな」
「はい! わたくし試作品を作ってみますわ。それを提出して調達庁の承認を得られないかヴィクター様に掛け合ってみます。協力してくださると良いのですけれど……」
「クラウス卿か……補佐官ではあるが、伯爵令息だからな」
「ええ。商売は根回しも大切ですもの」
もちろん、その根回しが上手く行くためには信頼されていなければならない。相手を利用してやろうなどという気持ちで根回しをしても、そういう気持ちはなぜか察せられてしまうものだ。
なんだか嫌な気持ちがすると少しでも思われたら、それ以降は嫌煙されてしまうだろう。
「あとは……調達庁の承認って納品の可否だけですわよね? わたくしも軍部への立ち入りをさせていただけるとありがたいのですけれど。実際に履く方のデータを取りたいですわ。どのサイズを作るかの判断基準も知りたいですし」
「そうだな……」
しばし思案したレオンが頷く。
「調達庁の承認が降りたらの話だが、俺の上司のスティーブ殿の権限で出入り許可を出してもらえないか頼んでみるのはどうだ? 俺にはまだそういう権限はないが、スティーブ殿は大佐だから可能だ。面会申請を出せば応じてくれると思うが」
「まあ、ありがとうございます! やっぱりレオン様は頼りになりますわ!」
うきうきとレオンの手を握り、慌てて放す。不必要に触れてはならないのを忘れていた。
小さく謝ると、それくらいは良いが……とレオンも小さな声で返した。そっぽを向いていたが。
「その閃きと貪欲さ、出来ると信じる真っ直ぐさには感心する」
「前向きなのが取り柄ですもの」
腐っていても始まらない。そう、レオンとの婚約破棄だって、引きずっていてはいけないだろう。わざわざ自分が不名誉を被ってくれた優しさに応えなければ。
「レオン様に、早く安心していただかなくてはいけませんものね!」
「あ、ああ……」
なぜか歯切れ悪く返事をするレオンに、にっこりと笑いかける。
レオンの口の端に小さな笑みが灯った。それだけで、レベッカの中にも光が灯ったような心地になる。
本当に、今日はレオンに会えて良かった。前に進めそうな気がする。
「わたくしがんばりますわ!」
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