10. 一生分レオン様のお顔を見たいのです!
「夜のうちに店を畳んだのかしらねって私達も話していたのよ」
「そうですの……」
レオンとともにマディソンの店に来てみたが、やはり空だった。
周囲の店を中心に聞き込みをしたが、誰もマディソンからは店を畳むとか、なにか困っていたとかそういう話は聞いていないという。
皆、口を揃えて朝来たらいなくなっていたと証言した。アヴァロ商団の従業員の話と同じだ。
そして、それは三軒隣の菓子店でも同じだった。店主の女性がなにかを思い出そうとするように上を向く。
「でも、そう言えば奥さんが、とてもいい仕事が入ったって喜んでいたのよ」
「なに? 詳しく頼む」
急に割って入ったレオンに驚いた顔をしたものの、彼女はそれ以上は聞いていないと首をふった。
とはいえ新しい情報ではある。
礼を言って外へ出る。昼に向かい強くなってきた日差しが少しまぶしい。
「うーん、どうしたのかしら。心配ですわね」
「その、マディソンはどういう人物なんだ?」
「マディソンさんは、とっても良い方ですのよ。まだ小さいお子さんをすごく可愛がっていらして」
「妻の方はどうだ?」
「奥様も明るくて良い方なの。すごくセンスが良いんですのよ。わたくしが靴に使う絹を買った時も、あれこれ相談に乗ってくださったんですわ」
急に、前触れもなくいなくなるような人柄ではなかった。アヴァロ商団と正式に契約すれば、彼にとってもいい収入になったはずだ。
考えられることとしては、実は家計は火の車で、契約したところで売るものすらすでになかったというところだが……。
(そんな感じじゃありませんでしたわ。奥様の機嫌はずっと良くて幸せそうだった……)
お金がないなら、多少なりとも雰囲気に尖ったものが出る。アヴァロ商団に関わる商人たちの中には、そういう人たちも大勢いた。
原料価格が上がって、値上げを申し出てくる者たちも多い。そんな人たちの表情は、皆強張っていた。価格と質が釣り合わないと取り引きを断ることもままある。そんな時に罵詈雑言を浴びせたり、泣き落としにかかる者もいる。それらをレベッカは見てきた。
そんな雰囲気は、マディソン一家にはなかったはずだ。
「不可解だな……」
あごに指を当てながら考え込んでいるレオンを見上げる。
(まあ、なんだか絵になりますわね)
逆光気味になっているせいなのか、まるで絵画のようだ。いつもはぼやけている輪郭も今日はよく見える。
せっかくはっきりと見えているのに、これからは近くで顔を見る機会もなくなるのだろう。そう思うと、目が離せない。
「? な、なんだ……?」
そんなレベッカの視線に気がついたのか、レオンの瞳が揺れる。
「レオン様のお顔がよく見えます」
「そ、そういえば視力が弱いんだったな。だが、眼鏡をかけているのは珍しい」
そうだ、レオンの前ではあまり眼鏡をかけていなかった。その方が、少しでも良く見えるかなと思っていたからだ。
お化粧だってちゃんとしたし、服だって上等なものを着た。レベッカは平民だが、スタンフィールド家に嫁ぐに相応しいと思われたかったのだ。
「いつもはずっと眼鏡をかけていますの。でもわたくし、そばかすはたくさんありますし、特別美人でもないですし……レオン様と会う時は、少しでも良く見えるかと外していたのですわ。でも婚約破棄になった以上、こうしてレオン様とお会いする事も出来なくなりますもの。今のうちに一生分レオン様のお顔をよく見ておかなくてはと思いましたの」
「……ッ」
レオンが深い息を吐きながら右手で顔を覆った。そのまま上を向いて静止する。
「レオン様? どうかしましたの?」
「いや、なんでもない。ちょっとその、眠気が……もうおさまった」
そう言いつつも、まだレオンは静止している。
「大丈夫ですの? そう言えばこの時間に手紙を読んで下さったという事は、もしかしてレオン様、夜勤でしたの? まあ、本当にごめんなさい! わたくしったらレオン様に会いたいばかりにご迷惑を……!」
「いや、良いんだレベッカ嬢。もう眠くない」
「良くありませんわ。レオン様は夜通し励んでいらっしゃるのに、その上わたくしまでレオン様を寝かせないなんて!」
「——言い方‼︎」
急に我に返ったのか、レオンが険しい顔でレベッカを睨み付けてくる。
「とにかく大丈夫だ」
「で、でも……マディソンさんについては皆さん知らないみたいですので……」
このままカレン通り全ての店に、マディソンを知らないか聞いて回るわけにもいかない。それこそレオンが倒れてしまう。
レオンと話したかったが、無理をさせてまでとは思えない。逆に、自分のことばかり考えていたことに反省しきりだ。
(やっぱり、レオン様はわたくしのこういうところが嫌になったのかもしれませんわ)
そうだとしたら、潔く引き下がるしかない。自分のせいなら、救いようがないではないか。
レオンが規律違反をしたのは事実として、その不名誉を公表して婚約破棄をしたのは最後の優しさだったのかもしれない。
はあ、とため息をついてうなだれる。
「どうした?」
「わたくし、ちょっとだけ自分が嫌になりましたわ」
「どうしてそうなるんだ」
腑に落ちない顔で首を傾げているレオンに、とにかく今日は終わりにしましょうと告げる。
不承不承ながらも同意してくれたレオンとともに、帰路へつく。
「ここからならスタンフィールド邸が近い。馬車を出させよう」
「良いんですの、歩いて帰りますわ」
「良いわけないだろう」
「でもこれ以上迷惑は……」
「君が歩いて帰る方が心配で眠れなくなるだろう。とにかく、馬車は使ってくれ」
そっぽを向いてそう告げるレオンに、少しだけ胸が苦しくなる。
レオンは口調こそ怒っているが、本当に優しい。まだ心配してくれるのだ。
「まあその、一方的に婚約破棄したのはこちらだからな。不必要な接触は好まないが、力になれる事はするつもりだ」
「レオン様は本当に優しいんですのね」
「人として当然のことだ!」
「ふふ……」
真面目なレオンらしい。
いつも大雑把なレベッカは、たまにレオンと言い合いになる事がこれまでにもあった。それは目分量で作ったらお菓子作りに失敗したとか、そういう些細な事だ。分量は守らなければと言うレオンと、全部計るのは手間だと言うレベッカ。結局平行線のまま終わるそういう話も、お互いの性格を良く写している。
レオンのそういう所が、レベッカにはないものを持っている気がして安心出来た。同意はしないけれど。
「では、いつまでもレオン様を心配させてはいけませんわね!」
レオンには無理をさせてしまったが、やはり会えて良かった。納得出来なかったことの答えが得られた気がする。
レオンが心配しなくて済むよう、商人として頑張ってみよう。貴族相手に商売をしたいという夢は少しだけ傍に置いて、兄に付いて学ぶのも良いかもしれない。
それか——結婚するか、だ。
ヴィクターは伯爵令息だ。レオンが安心する相手としてはこれ以上ないとも言える。レベッカだって、ヴィクターは良い友達だと思っている。
上手くいくはずだ。そう思うのに、なぜか胸がもやもやする。
「あ、あぁ……そう、だな……」
歯切れ悪くレオンが返事をし、その視線が遠くのなにかをとらえた。
眉間に皺が寄る。
「レベッカ嬢、ちょっと待っていてくれないか」
そう言ってずんずんと大股で歩いていくレオンの背を、レベッカも追いかける。
果たして、レオンが歩みを止めた場所にはベンチがあった。そこに二人の人物が腰掛けている。
服装から見て、一般の警備兵だ。一人がブーツ状の軍靴を脱いで顔をしかめていた。




