9.助けてくださいましレオン様!
「これは……レベッカ嬢か……?」
夜勤明けでレオンがスタンフィールド邸に帰ると、手紙が届いていた。差出人名は記載されていない。
ただ、表書きにレオンの名を書いたその文字はよく知ったものだった。監査官の制服から着替えるのは後回しにして、封を切る。
取り出した便箋には、意味不明のアルファベットが並んでいた。
【TQWYXFZYPWICYOOCIBDXFPIHSIZAQSC IPPGQL】
もちろんそこにも差出人の名はない。しかし、レオンにこんな一見意味不明なアルファベットの羅列を送ってくるのはただ一人、レベッカしかいない。
士官学校時代は今よりも自由な時間もなく、レベッカとはよく手紙のやり取りでお互いの近況を報告し合っていた。
その時に、ちょっとした遊び心で時々暗号文を使っていたのだ。
この国は周辺諸国に比べればここ最近は安定していない国の一つだ。
二五年前には王座の簒奪があり、十五年前にその王座を奪還した。ようやく安定するかと思われたが、そうはいかなかった。
四年前に、公爵として大人しく東の辺境を治めていた簒奪者の息子が突如蜂起したのだ。シヴァ公国を名乗り周辺地域を併合、独立宣言までやってのけた。
もちろん、フランセス王国としてはそれを認めるわけにはいかない。
それから時々小競り合いを繰り返している。そのため、軍の物資をはじめ商団の取り引きでも、シヴァ公国に情報を漏らさないよう暗号を使うことがある。レベッカも、そんな暗号を兄から教えられていた。
もう一度、暗号文にさっと目を通す。
暗号文でよく使われるのは、アルファベットを数文字横にずらして変換する方法だ。例えば三文字ずらしならAはDになるという具合だ。
「いや、違うな……」
何通りかずらして読んでみるが、意味のある言葉にはならない。
とすれば、これは解読鍵を用いた暗号だろう。
(鍵は、LEOだな)
LEOとは、神話の中に登場する伝説の動物の名だ。強く、誇り高く、美しいとされる獣。レオンの名前の由来でもある。
解読鍵を用いる時は、いつもこのLEOを使っていた。レベッカがそうしようと提案してくれたのだ。
「本当は読まない方が良いんだろうが……」
どうして婚約破棄になってからもこうして手紙を寄越してくれるのかはわからない。だが、読むことで自分に都合のいい解釈をしてしまいそうになる。
前の二通の手紙に返事は出さなかった。内容は、いつも通りの何気ない世間話だ。だからこそ、レオンとの関係を変えたくないのではないかという期待を抱いてしまい苦しかったのだ。
もしそうだとしても、レオンは戻る事が出来ない。これ以上の規律違反は信条に反するし、レベッカの調査からも外されたくない。
読めばまた苦しくなる。そうは思うものの、気がつけば机に着きペンを取っていた。
暗号文を再度眺める。
【TQWYXFZYPWICYOOCIBDXFPIHSIZAQSC IPPGQL】
こうした暗号のやり取りは、ちょっとした非日常感をレオンに与えてくれていた。閉塞した士官学校での時間にも、色を与えてくれた。
それを懐かしく思い出す。
「最初の文字はT……Aを0として数えるとアルファベットの十九番目」
鍵さえわかっていれば、あとは変換して行くだけの単純作業だ。
徐々に単語、そして文章が現れてくるのが楽しくて、お互いよく暗号文を使ったものだ。
「鍵の最初の文字Lは……十一番目。十九から十一を引くと八……アルファベットの八番目はIだ」
小さく、Iと書き加える。
「次はQ――十六番目。鍵はE、つまり四番目。十六引く四で十二。M」
レオン様は、お名前の通り誇り高いですわね。ねえ、暗号文の鍵はLEOにしましょう。伝説の獣が鍵なんて素敵じゃありませんこと?
そんな懐かしい声が蘇る。
「次、Wは二二番目、鍵はOで十四。引くと八だからI」
次のYは二四番目、鍵は最初に戻ってLの十一番目だ。引くと十三でNだ。
一文字ずつ、着実に文字が現れていく。引いた数がマイナスになる時はアルファベットの総数二六を足す。こうする事で、確実に全て別のアルファベットに置き換えることが出来る。
【IMINTROUBLEONKARENSTREETHELPMEREBECCA】
全ての文字を変換し、眺める。
「I'm in trouble on Karen Street. Help me! Rebecca(カレン通りで困ってるの。助けて! レベッカ)」
声に出し読み上げ、背筋に緊張を走らせる。
いや大事ならわざわざ暗号文など送る余裕はないはずだ。だからこれはタチの悪い戯れである可能性の方が高い。
それでも胸がざわついた。
もし本当に助けを求めているのだとしたら……。
机の引き出しを開け、紙を取り出した。そこにレベッカに接触する旨を殴り書く。宛先はスティーブだ。
それを執事に渡す足で屋敷を飛び出す。
すでに婚約者ではない。しっかり報告さえしていれば、接触しても規律違反にはならないはずだ。
何事もなければそれでいい。自分の決意を揺らがせないために、少し叱るくらいでちょうど良いかもしれない。
カレン通りはここからはほど近い。馬車を用意するより走って行く方が早いだろう。そう頭で判断する前に、レオンの足はすでに駆け出していた。
* * *
「レベッカ嬢!」
よく通る聞き間違うはずもない声がレベッカの耳を打った。
その声の方へ視線を向けると、軍の制服姿のレオンが大股で歩み寄って来るところだった。その顔つきは険しい。
(来てくださったのね……! 怒らせてしまったかしら)
そう思いつつも、なぜかほおがゆるむ。今日は眼鏡をかけているから、レオンの顔がよく見えた。
いつものぼやけた輪郭はシャープになり、その意志の強そうな眉根にうっすら浮かんだ皺までわかる。
もちろんいつもだって思ってはいたが、やはり眼鏡ごしに見るとなかなかの好青年だ。
「レオン様!」
「あんな手紙を寄越しておいて、ここでなにをしているんだ?」
厳しく問いただすような口調だ。
「あの、もしかして心配してくださいましたの?」
「君は、俺が心配もしない冷血人間だとでも思っているのか⁉︎」
「いいえ、思いませんわ! 心配させてしまってごめんなさい」
素直に謝る。謝りつつも、ほおがゆるむのを止められない。
レオンがレベッカに失望し婚約破棄したならまだ納得がいく。しかし、自分の不名誉を理由にしたのには、納得がいかなかった。
きっと嫌われたわけではない。失望されたのではなく、なにか他に理由があったのではないだろうか。
そう思うといてもたってもいられず、手紙を書いてしまったのだ。
こうしてレオンが心配して駆けつけてくれた事で、少しはそう思ってもいい気がしてくる。
「レオン様にお会いしたかったんです。いつレオン様が手紙を見てくださるかわかりませんでしたし、そもそも来てくださらないかもしれませんから、会えなかったら仕方がないと思って……。でも、婚約破棄はあまりに一方的ではありませんこと? だから、もしお会い出来たらちゃんとお顔を見てお話したかったんですわ」
「それについては、なにも話すこともないし撤回もしない」
「良いんです。その、あんな別れ方は寂しいと思ったんですわ」
レオンと結婚することを疑ったことなどなかった。それなのに、こんな終わり方はあんまりだった。
レオンにもなにか事情があったのだろう。そう思えただけ良かった。新しい婚約者候補がもういるということは、スタンフィールド子爵がそちらとの婚姻を強く望んだのかもしれない。レベッカは平民だ、あり得なくはない。
「ただ、お顔を見てお話したかったの」
「……そういう理由なら帰る」
「ま、待ってくださいまし!」
さっと踵を返しかけたレオンの手を慌ててつかむ。
「なっ————」
ふり払おうとするその手を離すものかと、レベッカも力を込めた。
「困っているのは本当なんです!」
「は……? な、なにがあったんだ?」
険しかったレオンが虚をつかれたような顔になり、眉間の皺が消えた。
声に心配と優しさがにじむ。
「わたくし、マディソンさんを捜しているのですわ!」
「マディソン⁉︎」
レオンの声が上ずった。まるでその名を知っているかのような反応に首を傾げる。
「ご存知ですの?」
「あ、いや……すまない違うんだ。そのマディソンを捜している理由は?」
「マディソンさんはとってもいい絹を扱ってらしたの。だから、わたくしがお兄様に紹介して、近々アヴァロ商団と契約するはずでした。でも、ある日お店に来たらもぬけの殻で……」
質のいい絹は貴重だから仕入れさせてもらいたかったのに。そうレオンに告げると、意外にもレオンは同意した。
「それは大変だったな。行方がわからないとなれば気になるだろう。今回は捜すのを手伝おう」
「本当ですの⁉︎ ありがとうございます、レオン様」
まだ握ったままだったレオンの手をぶんぶんとふると、すぐに非難の声が上がった。
「離してくれレベッカ嬢。必要以上に近づかないで欲しい」
「あ、ごめんなさい!」
ぱっと手を離すと、レオンがそっぽを向く。
(こんなところ見られたら、新しい婚約者のいるレオン様が恥をかくわね)
レベッカに、もう近づくなと言っていたのも新しい婚約者の目を気にしているなら辻褄が合う。
指先から、レオンの体温が消える。
その手は他の誰かと繋がれる運命にある。それが、たまらなく寂しく思えた。
嫌われたわけではないかもしれないと思えたからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。
「いや、良いんだ。俺には、君がこの先困らないようにしてやる義務がある」
「ふふ、レオン様は律儀ですわね」
義務感からだとしても、こうしてレベッカを心配し助けてくれている。
本当に、夫としては申し分なかった。もう、過去の話だが。
脳裏にヴィクターの姿が浮かぶ。隣に並ぶことなど考えたこともなかった人。
彼の提案を受けるにしても断るにしても、レオンとはあのまま終わりたくなかった。
「よろしくお願いしますわ」
* * *




