3月 授霊の儀
義務教育も残り僅かになってしまった。
たぶん築二〇〇年近い校舎の窓の外は雪が舞っている。今日は朝から曇り空で、あたりは雪化粧になっている。
教室の真ん中では魔核を燃料にしたダルマストーブがあるけど、窓際の席なので恩恵は微妙だ。
教室の教壇では、先生が明日の儀式の説明を唾を飛ばしながらが続けている。
明日の儀式に興味がないわけではない。むしろ気になってしょうがないんだけど、歴史的背景なんて余計な前振りはいらないから早く本題に入ってほしい。
なんでも、一五〇年ほど前までは『電気』なんてものがあって、それが世の中のいろんな道具を動かしていたらしい。電気で明かりがともり、夏には部屋を涼しくしたり、暖かくする機械もあった。他にも今では考えられないような便利な道具もたくさんあったなんて冗談みたいな話だ。
けど、家の納屋には『トラクター』とか『コンバイン』とかいう油で動いたらしい大きな機械がある。油で動くなら今でも動きそうなもんだが、『電気』もないと動かないらしい。昔は田植えや稲刈りも油と電気で動く機械を使ってやっていたそうだ。
他にも電気仕掛けのモノが納屋にはたくさん押し込まれていたが、何に使うのかまったく理解できないものも少なくない。
昔はもっとたくさんあって、また使えるようになるかもしれないからって取っていたようだが、さすがに五〇年を過ぎたころには諦めて燃やしたり、溶かして鉄にして再利用したそうだ。
大切に保管されていた綺麗に印刷された古い本や、ご先祖様の写真を見るとまるで今にも動き出しそうなほどだ。実際に薄い板に人や風景が映し出されて動いていたという。今でも写真はあるけどこんなに綺麗じゃないし、カメラもフィルムもぜいたく品だから、これほどたくさん撮ろうと思ったらいくらかかるか想像もつかない。
願わくば、そんな時代に生まれたかった。
「お前ら、歴史背景の説明なんて役に立たんと思っているのかもしれが、一般常識のないやつは軍に入ってもろくなことにならんぞ!仮に甲種に落ちても、成績が良ければ一般士官への道だってあるんだからな」
先生の一喝に教室全体に漂うややたるんだ雰囲気がやや引き締まるが、明日の守護精霊授霊の儀を前にして浮ついている俺たち生徒に効果はたいしてない。
明日の儀式を経て、あと一月足らずでこの中学校も卒業。
そのあとに待っているのは二年間の兵役義務。貧富の差も、男女差別もない。県民全員一律の義務だ。
明日の儀式で運よく適性試験をクリアしたら甲種合格扱いで兵役の前に士官学校に入って一年の訓練期間が追加される。そうなればエリートコースが約束されているが、個人の努力ではどうにもならない。運任せ、精霊任せだ。
ともかく、明日の守護精霊授霊の儀は生涯一度の大イベント。これで人生が半分決まってしまうと言っても過言じゃない。不安九割、希望が一割。だらだら続く先生の話に身が入るわけもない。
「・・・まったく」
先生もすでにあきらめているのか、大きくため息をつくと生徒の反応を気にするのを止めたらしい。
「ともかくだ。明日の授霊の儀はお前たちの人生において大きな分岐点になるんだ。少しでもいい精霊に守護してもらえるよう先生も祈っているし、これからポイントを説明する。ちゃんとよく聞けよ」
ようやく本題か。さすがに教室の雰囲気が変わってみんなも先生に注目する。
俺だって多少なりともいい精霊に守護してもらいたい。そしてこんな時代だからこそ願わくば、平凡でいいから波乱のない人生を送りたいと思うのは当たり前だろう。
授霊の儀、当日。
緊張でいつもよりも早く目が覚めた。顔を洗い着替えて台所に行くと、珍しく食卓には赤飯が並んでいた。
年々、食料事情はよくなっているらしいが、このあたりでは小豆などはまだ気軽に手に入るものではない。まだまだお米や麦、野菜などの日々の食料の栽培が優先だ。だから、成人の儀とも言われる授霊の儀を前に両親の心遣いがちょっとうれしい。
「ミズホもいよいよ大人の仲間入りだねぇ」
おばあちゃんが目を細めて喜んでいる。
兄たちは「今日は帰ってこなくていいからな」と笑っている。適性検査をクリアして甲種合格ともなれば、そのまま二日間説明で缶詰になる。それを期待しているのだ。俺もそうなればいいなと思うが、どうだろう。
「がんばってきなさいよ。はいお弁当と縁起物のおやつ」というお母さんの声で送り出された。
何を渡されたのかと思って手提げ袋を開けてみたら、弁当と一緒に入っていたのは木の皮で包まれたキビダンゴだった。昔の伝説で旅立ちの際にキビダンゴを持たされた英雄が、仲間に恵まれ魔獣を倒したという話にちなんでいるらしい。そういえば、男子の授霊の儀の際に縁起物として持たせるのが流行ってるって言ってたっけ。女子はどうなんだろう?
今日もまだ北風が寒いけど昨日みたいに雪が舞うよりまましだな。朝起きて雪が積もっていたらどうしようかと心配で仕方なかった。
昨日の雪はすっかり溶けて、道はちょっとぬかるみ気味だ
家を出てすぐのところにある古い大木と横にある小さな古い祠に手を合わせる。子供の頃からの習慣だ。物心ついたころから信心深いおばあちゃんに連れられてずっと世話を手伝っている。世話といっても主に草取り程度だが。
小さいころから「この木は私がお嫁に来る前からずっとここにあって我が家を護ってくれてるんだから粗末にしてはいけないよ」なんて言われるとそういうものかと思ってしまう。実際に具体的にご利益がどうのというよりも、そうかもしれないと思うだけの時を経た風格がある。
田んぼに囲まれた道を歩いて学校に行くと、集合時間の三〇分前だと言うのに校庭ではすでに学年の半数程度の近い生徒がグループを作って集まっていた。
いつもなら遅刻寸前が常のやつまで来ている。
「よう。神林。早いな。今度は雪が積もるんじゃないか?」
神林が俺より早いなんてどういうことだ?
「失礼なやつだな。今日くらい俺だって、さすがに緊張するよ」
「どうせ緊張したって俺たちのレベルじゃしれてるよ」
「それもそうか。でも希望はあるからな。ああ、守護精霊様。どうかこの哀れな男をお救いください」
神林が大げさに両手を広げて空を仰ぐ。
一五〇年ほど前に科学文明を支えていた『電気』というものがなくなり、世界は大混乱に陥ったらしい。さらにはそれをきっかけに『精霊』が出現した。世にいう『大異変』。
俺にとってはひい爺さんも生まれる前の話。家の物置には埃をかぶった『電気製品』がいくつか残っているが使い方など皆目見当もつかないものばかりだ。
大異変をきっかけに人類は電気を失ったが、引き換えに精霊の力を借りることで生活を営むことができるようになった。
今では大人たちは当たり前のように精霊術を使っているが、大異変以前にはそんなものは影も形もなかったそうだ。ちょっと信じられない話だ。
大異変が引き起こした食糧危機や、パニックで世の中の人口は四分の一以下になったらしい。らしいというのは、誰も今の人口なんて知らないからだ。
俺は伝え聞くだけだが、大異変と同時に精霊の悪影響をうけた一部の動物が魔獣化したせいで、以前に比べたら人間の活動エリアもずいぶん狭くなった。
昔は日本や世界を人が行きかっていたそうだが、魔獣が駆除され穢れた精霊だまりが浄化された地域以外は、通称『魔獣生息域』と呼ばれ、危険度が非常に高いため人が住むことができなくなった。俺たちが住んでいる『岡山県』と呼ばれる浄化された地域も昔の地図でいう岡山県の県南部の平野部だけだ。蔵の中にあった昔の地図と比べるとびっくりするほど小さい。
今は浄化された地域が各地に点在していて、軍や傭兵の警護付きで行き交う交易キャラバンか、交易船くらいしか交流手段がないため、日本全体、世界全体がどうなっているかなんて誰もわからないそうだ。
魔獣が世の中にあふれ、守護精霊の加護で精霊術が使える世界になってから、様々な紆余曲折を経て中学校卒業を前に守護精霊を授かる儀式をすることが決まったのがここ数十年のことらしい。
「だが、ようやくこれで一人前だな」
そう口にする神林の表情は明るい。
そりゃそうだ。精霊の力を借りないと、火の一つ付けられず、トイレも流すことができないから、毎回井戸からバケツで水を汲みに行かなきゃいけないのだ。
世間から半人前扱いされるゆえんだ。
もっとも授霊する守護精霊によって能力に大きな差が付き、それで人生が大きく変わる。そこが問題なのだが。
「見ろよ、委員長たち。自信満々だぜ」
神林の視線の先にいる委員長こと三澤さんはストレートのセミロングヘアの端正な顔立ちの美少女だ。背筋もピンと伸ばし隙も無く立っている。容姿端麗、学業も護身術もダントツの成績と非の打ち所がない。
真面目過ぎて面白みに欠けると言うのが中学一年の時の第一印象だったが、その印象は中学三年間を経て未だに変わっていない。
もっとも俺が三澤さんのことをどう思おうが、俺ごときは歯牙にもかけてもらえない、というのは俺のひがみだろうか。
クラスの男子の中には告白したやつもいるらしいが、誰も相手にされなかったらしい。
隣に立っているのが副委員長の原田。こっちも長身のスポーツマンで成績は三澤さんに劣るものの常に上位をキープしていた。
「あの二人の家は血筋もいいからな。文部両道、授霊でハズレを引くなんてかけらも思ってないよ」
理不尽なことに授霊は血筋によってある程度差がついてしまう。
大人たちもよく話題にしているが、精霊との相性が遺伝によってある程度引き継がれるのは間違いないそうだ。
ある一定レベル以上の守護精霊がついてくれれば、騎士や精霊術士が名乗れて兵役やその後の生活も安泰なのだ。
ちなみに神林も我が家も血筋的には平凡な家系なので、強力な守護精霊はあまり期待できない。
「努力でどうにも埋められない差か・・・」
知っている範囲では俺たちの学年ではあの二人ほどの「良血」は他にいないはずだけど、話題にならないだけでもしかしたら他にもいるのかもしれない。
周りを見渡すと、委員長たちのように堂々としているのは他にはいない。
緊張するなという方が無理だ。ソワソワしているか、挙動不審になっているのが大半だ。緊張しているのか、顔色が悪かったり、お腹のあたりをずっとさすっている女子もいる。
俺だって口では諦めてるって言ったって、内心ワンチャン期待しているのは仕方ない。けど不安のほうが大きいんだよな。とにかく落ち着かない。
初詣で引いた御神籤は大吉だった。クジ運は悪くないと思うのでそこにかけよう。
「点呼とるぞー」
引率の先生が生徒の名前を呼んで確認して、教頭先生を先頭に授霊の儀を行う精霊だまりへ歩いていく。
今日向かう精霊だまりはこの近辺でも割と有名な場所らしく、わざわざ泊りがけで歩いて授霊の儀をしにくる学校もあるらしい。
「お、見えてきたな。あれじゃないか?」
国道を二時間ほど歩いたところで小高い山の中腹に神社が見えてくる。
前史時代から存在する神社だが、境内にあった大樹を中心に精霊だまりになっているそうだ。
築何百年になるのか知らないが、立派な山門や本殿が見える。このあたりでは由緒正しき神社ということもあるのか、神社に近くなるにつれ参拝者らしき人の姿が増えてきた。
最近は精霊信仰の人も増えているらしいけど、神社へお参りする人もまだまだいるみたいだ。
少し離れた場所には参拝者向けの宿やお店などが立ち並んで門前町のようになっていて、思っていた以上に賑わっている。
強力な精霊だまりは、農作物の出来具合などへの影響があるらしいのはよく聞く話だ。父さんからもこの神社の近くはお米の出来が良くて羨ましいという話を聞いたことがある。
やはり食の安定は優先順位が高いのか、軍の駐屯地がすぐ脇にあって普段から警備隊が配置され厳重に守られているそうだ。駐屯地が近いせいか、さっきからちらほらと軍服姿の人を見かける。
「精霊だまりっていうくらいだから、もっと厳かで静かな場所かと思ったよ」
神林は周りをキョロキョロ見ている。田舎者丸出しだよと思うけど、俺も含めて来たことのないものがほとんどなのだろう、クラスメイトの反応はそれほど変わらない。家の近所には最低限の商店しかないので、土産物屋とか喫茶店、甘味処など珍しい店だらけだ。
ぜんざいだろうかお汁粉だろうか、店の前を通ると甘い香りが漂ってきて小腹が空いたこともあって食欲をそそられる。
「ほら、さっさと行くぞ」
神林にせっつかれて、甘い匂いに後ろ髪をひかれながらもついていく。
持たされたキビダンゴはここまでの道中で全部食べてしまった。ちなみにキビダンゴはほかの男子も全員持っていた。
そういえば、神林と馬鹿話をしながら歩いているうちに儀式の緊張とかすっかり忘れていた。
先生に促されて正面の入り口のところにある鳥居まで進む。
「ここで手を洗って、二礼二拍手一礼だ」
先生が手本を見せてくれてみんな神妙に真似をしていく。
今まで近所の神社に行ってもそんなことしたことなかったな。
神様、精霊様、どうか甲種合格しますように。
ん、だけど、授霊で加護をもらうのは精霊だよな。精霊って神様と関係あるんだろうか。とか、埒もないことを考えてしまう。
石段を上がって、山門をくぐると、本殿のすぐ近くにある巨木の周りには警備担当らしい兵が数人立っていて他には誰もいない。あれが精霊だまりの大樹なのだろう。
普段は参拝客も普通に入ることができるが、授霊の儀があるときだけは貸し切りになるようだ。今日はうちの学校だけの貸し切りみたいだ。入口には本日貸し切りとうちの学校名の書いた札が出ていた。
「時間がないから始めるぞ」
先生の細かい説明が始まり、あとは事前に聞いていた通り成績順に儀式が始まった。
目の前にあるのは幹の直径が、大人が三人くらい手をつないでようやく届くかどうかというほどの巨木だ。風格があるというか、存在感がすごい。
その前で、先生に言われた通り委員長が膝まづいて祈りをささげている。
「霊木に宿り、この地を加護する偉大なる精霊たちよ・・・我を守護したまえ・・・」
「なぁ、これって先にやったほうがいい精霊がつくとかあるのかな?」
神林が俺にささやく。儀式は成績順だったのでトップバッターは委員長だ。早いほうがいいなんてことあるんだろうか?
「知るかよ。そんなこと考えるくらいなら、真面目に祈ったほうがいいんじゃないか?」
目の前では委員長の祈りにこたえるように巨木の枝がざわめいて揺れ、不思議な色ーー虹色とでも表現すべきか?の風が委員長を包み、次の瞬間には消えた。
「「「・・・・」」」
すげ。
始めて見るその光景に俺たちは心を奪われ、無駄口の一つもでなかった。
「そら、順番にどんどんいけ。落ち着いてな」
普段はすぐ大声を出す先生がさすがに小声で、ぼーっと見とれていた俺たちをせかした。
周りの大人たちも普段の生活の中で精霊術を使っているが、精霊たちがあれほどまでに幻想的なものだとは思わなかった。初めて見て驚くなというほうが無理というものだ。
みんなが順番に祈りをささげて、それぞれに巨木が光る。見ているうちにだんだん緊張してきた。
ゴクリ。
順番が回ってきた。
俺の前のクラスメイトと入れ替わりに霊木の前に進む。一歩ごとに押しつぶされそうなプレッシャーを感じる。いつの間にか口の中がカラカラだ。
みんなと同じように跪いて祈りをささげる。
「れ、霊木にやどり・・・こ、この地を加護する偉大なる精霊たちよ・・・・我を守護したみゃえ・・・」
お決まりのセリフ。だけど緊張で頭の中が真っ白だ。
〇凸 ◎x♂■△凹Δ・・・
霊木から何か聞こえてくるが、意味が分からない。とにかく何かの意思のようなもの霊木から流れ込んでくるが、何を言いたいのかはわからない。ただ、なんだか楽しそうなイメージだけはわかる。その意志の奔流のようなものが頭の中をぐるぐる回り、体中を駆け回る。
「・・・おい、内藤。なんかあったのか?」
「え、あ?」
気づくと祈りの姿勢を取ったままの俺の肩を、神林がゆすっていた。
「ん、いや、なんだろ。よくわかんね」
なんだったのだろうか?
みんなあんな感じなのかな。言葉にしづらい不思議な体験。
まだ後が使えているので、慌てて終わって連中の列に並んだ。




