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9月 御津演習場



 晴れた空。

 入道雲の季節も終わり、和らいだ陽射しの空にひつじ雲がうっすらと広がっている。

 俺たち候補生は三〇キロ近い背嚢を背負って一路旧国道を北上し、昔の地名でいう御津地区にある演習場を目指して歩いていた。

 正規軍とともに行う初めての実戦形式の演習だ。これから月に一度は岡山中央師団所属の中隊規模の騎士団と順番に演習が行われる予定になっている。騎士団からすると年明けのドラフト会議を前に候補生の品定めの場ともなる。俺たちにとってはいいところを見せなければいけないわけだ。

 今回は一週間の泊まり込みの予定なのでテントや食料などは後続の輜重部隊の荷馬車が運んでくれている。

 騎士団と言いながら輜重部隊以外は全員徒歩だ。騎士なのになんで馬に乗らないのか疑問に思って大村さんに聞いたら「魔獣と戦うのに馬に乗っていたらかえって危ない」と言われた。馬が高価というのもあって、長距離の移動や急ぐ時などに使うくらいで、野営の時も魔獣のターゲットになりやすいため個人で使う機会はあまりないそうだ。なので、騎士団に入ってからでも馬の騎乗訓練は間に合うようだ。

 騎士と呼ぶようになった由来については、人間を脅かす魔獣に精霊術士と共に立ち向かっていく姿が騎士のようであったとか所説いろいろと本に書いてあった。ひどい本だと、騎士という呼び名がかっこよかったからなんて身もふたもない書き方をされていた。

 今回は県北へ向かう昔の国道に沿って北上したところで、おおむね魔獣が撃退できている場所だ。それより北に行くと魔獣の出没頻度が跳ね上がっていくいわゆる魔獣生息域。岡山県の支配エリアの北限だ。県北で栄えていた津山地区にも自治体が出来ているが、往来があるのは傭兵か騎士団の一個中隊規模の護衛がついた交易の商隊くらいだ。

 前史時代にはたくさんの車が行き交っていたらしい国道だが、今は軍の巡回の小隊と交易商隊が通るくらいだ。


「よーし、このあたりで野営だ。明日からはここを拠点に魔獣狩りの演習を行う!」


 総指揮をとる中隊長、近藤少佐の野太い声が山沿いの草原に響き渡る。

 いかにも歴戦のベテランと言った面持ちの騎士だ。


「それにしても明日から大丈夫なのかな」


 浅野教官にしごかれた俺とマリノは当然として、他の図書室組三人も大村さんに忠告されて基礎トレーニングは課外の時間まで使ってやっていたからまだましなのだが、ほかの候補生、とくに秋山班の連中は今日一日の行軍で見るからにへばっている。途中から明らかに行進のペースが落ちていた。

 我ながら体力がついたもんだと思う。


「さぁ?ほっといてさっさとテントたてよ」


 マリノに促されて輜重隊の馬車から自分たち分のテントを取り出し、精霊術を使って設営場所に生えているススキと石ころを片付けてしまう。


「さっすが、騎士団はきちんとしてるね」


 中隊長のテントを中心に測ったように碁盤の目のようにテントが並んで張られている。

 俺たちは当然、指導教官である浅野教官のテントの場所を基準に場所を決めている。このあたりも事前に叩き込まれた。

 俺たち以外の候補生は各教官の班ごとに固まってはいるが、張ってある場所はばらばらだった。

 テントは小ぶりのものが一人一張り。複数人用の大型テントでないのは騎士団は活動単位の基本がユニットで、そのユニットは男女のペアでの編成が多いのが理由だそうだ。そりゃ男女が一つのテントってわけにはいかないよな。

 テントを組み立てている浅野教官の表情はいつもより固い。事情も聞いてることもあって、一目で緊張しているのがわかる。大村さんからは教官の件は他言無用と釘を刺されたのでマリノにも話していない。


「内藤、宮本、ついてこい」


 テントを張り終わり、荷物を片付けたところで浅野教官から呼び出された。

 中隊長のいる本部の天幕に寄るとと何か二、三言やり取りして野営地の外まで連れていかれる。


「よし、草刈りだ」


「「は?」」


「今の時期、特にここはススキが深い。万が一にも夜襲を受けた時にどうなると思う?宮本」


「えーっと、視界が悪いので不意打ちされる可能性もありますし、戦うにあたって不利になります」


「他には?内藤」


 この手の問答を浅野教官はよく吹っ掛けてくる。とにかく自分で考えろと言うことだろう。

 マリノが答えたことくらいなら俺でもすぐわかる。

 訓練を始めた最初のころ、深く考えもせずにわかりませんと答えたらグーパンチで殴られたんだよな。

 適当に答えてもグーパンチだった。なんでいきなり殴るんだと思ったが、今から考えたらずいぶん手加減されてたと思う。トリプルの浅野教官が本気で殴れば文字通り殺人パンチだ。そういえばいつからかわからないが、殴られなくなったな。

 思考が脱線しかけたが、教官の質問の答えはいくら考えてもわかんない。


「・・・わかりません」


「火攻めだ。このあたりの魔獣が火を使ってくることはほとんどないが、賊の類だとその可能性がある。中隊規模で活動してる軍に仕掛けてくる夜盗もいないだろうが、万が一に備えて野営地からせめて半径一〇〇メートル程度は草を刈って水をかけておいた方が安全だ」


 なるほど。賊に襲われるという発想はなかった。


「内藤の精霊術だとこの面積に水をかけるのは大変だろうから、内藤が草を刈って、宮本が水をかけろ。こういうのも精霊術士の仕事だ」


「「はい!」」


 説明を受けているうちに騎士団の精霊術士たちもこっちへやってきて、同じようにススキ刈りの作業を始めた。

 草刈り鎌よりはましだが、俺のしょぼいカマイタチだとなかなかはかどらない。

 それに引き換え正規軍の仕事の早い事。

 士官学校の連中少しは手伝えよ!と思ったら木下班のグループだけが参加していた。秋山班と佐々木班の姿は見あたらない。三澤さんも豚教官の指示は無視できないから仕方がない。

 作業は俺一人だと二時間かかるような面積だったが、精霊術士たちの仕事が早くてものの一〇分ほどで終わった。

 軍隊の物量勝負ってのはやっぱすごいな。


「よし、終わったら食事にしよう」




 テントのそばでグループを作って、みな思い思いに食事をとる。合同演習とはいっても、食事とかは別々だ。ユニットや小隊ごとに支度をして食べる。交流が進めば変わってくるんだろうが、まだお互いをまったく知らない状態なのだ。

 出発前に大村さんは、近藤少佐はゴリゴリの現場たたき上げの騎士だから、日和見の秋山教官とはソリが合わないと断定していた。トップ同士の相性が悪いのにその下のコミュニケーションがはかどるわけがないのは俺にでもわかる。


「浅野教官、できましたよ」


「ああ、ありがとう」


 鍋に三人分のアルファ米と干し肉を使った雑炊ができあがった。食事の煮炊きくらいは騎士の精霊術でも出来るが、精霊術士がやったほうが早いのでユニットを組む精霊術士がやることが多い。それが俺程度であっても。

 鍋からは独特の豊潤な香りが漂い空腹を誘う。他の連中にバレるとまずいメニューなのでマリノに頼んで匂いがよそに流れないように風の精霊術でごまかしてもらっている。

 それぞれのコッヘルによそって渡す。


「「「いただきます」」」


「お、これは旨いな」


 それは当然だ。マリノが家業のラーメン店から持ち出したスープを使っているのだ。初日だけとはいえ、人気店のラーメンスープで雑炊なんて贅沢をしているのは俺たちだけだろう。味付けは各調理担当者の好みになるが大半は塩と簡単な出汁か味噌くらいのはず。


「なるほどな。演習でこんなに旨いものを食べたのは初めてだ」


 士官学校を出発して以来ずっとこわばっていた浅野教官の表情も多少和らいだ気がする。

 やはり、食が人間の心を豊かにするというのは真理だ。


「今回は雑炊ですけど、まだおかわりもできますよ」


「ありがとう。行ったことはないが、人気店なのだろう?」


「旨いですよ。俺は月に一度は非番の日に食べに行ってます。今度教官も行ってみませんか?案内しますよ」


「そうだな。この演習が終わったらぜひ行ってみるとしよう。すまんがもう少しもらえるだろうか」


 リップサービスでも教官の返事はうれしい。三人ともおかわりをし、雑炊はきれいに片付いた。

 汚れた食器類はマリノが精霊術で水を出して洗ってくれた。


「二人とも、演習中は夜も気を抜くなよ。今回は夜間警備は正規軍がしてくれるが、魔獣の襲撃の可能性もある。それに、必ずどこかで抜き打ちの夜襲対応訓練があるからな」


 夜間警備に立たなくていいってことは慣れない俺たち候補生はまだお客様扱いなんだろうな。本当なら三時間くらいのローテーションで見張りに立たなくてはいけないはずだ。


「今日は移動で疲れててぐっすり寝てる人多そうですよ」


 マリノが他の候補生たちのテントのほうを見ている。見た感じ疲れて食事も取らずにテントに入っている連中も多そうだ。


「魔獣はそんな都合はお構いなしだ。夜襲を受けて対応できなければ餌になるだけだ。明日も日の出には起床だ。体は休めておけよ」


 教官はそういって自分のテントに入って行った。


「「おやすみなさい」」


「さて、明日に備えてさっさと寝よう。お休み」


「うん、おやすみ」


 俺とマリノもそれぞれのテントに引っ込んだ。




「敵襲ーー!」


 呼子笛と叫び声で目が覚めた。どれくらい寝ていたんだろう。

 初日から抜き打ち訓練かよ。

 急いで緩めていただけの皮鎧の留め具を締め直し、腰の小剣を確認して、テントを飛び出す。たるんだ動きをしていたら教官の鉄拳制裁がくるので、自慢じゃないが俺とマリノの動きは早い。顔色の良くない教官も装備に身を固めてテントの前で周りの様子を伺っている


「・・!?」


 あれ?この気配は。


「教官、これ訓練じゃないですよね」


 索敵術を使うと、野営陣をぐるっと囲むように数えきれないほどたくさんの気配がある。


「実戦ですか?」


「そうだな。第二中隊の連中の動きが訓練のものじゃない」


 答える浅野教官の表情は強張っている。


「って、敵襲です!狂狼の集団!現在までに確認五!見張りの小林がやられました!」


 かがり火の焚かれている中隊の天幕のほうから見張りの報告が聞こえてくる。

 おいおい、あの数が全部狂狼だなんて冗談だろ。二〇や三〇どころの数じゃない。


「っ教官?」


 ふらつく教官を慌てて肩で支える。

 教官は一気に顔の血の気が引いて支えていないと今にも倒れそうだ。教官のトラウマが大村さんの話の通りなら、かなりまずい状況な気がする。


「野営地中心の広場にて輜重隊、候補生を中心にして全周防御陣!!候補生も死にたくなきゃもたもたするな!!候補生!一班から一〇班までは外周一列だ。第二中隊は候補生を交互にはさむように外周を構成。フォローしてやれ。残りの候補生は第二列を作れ!」


 近藤少佐の指示が聞こえてくる。


「教官、行きましょう」


「ああ、もう大丈夫だ」


 とても大丈夫そうには見えないが、立っているのがやっとの様子の教官の手を引いて防御陣の場所へ向かう。

 周りがあわただしくは動き回る中、マリノも教官の様子を不安そうに見ている。

 初陣で狂狼の群れの襲撃にあった小隊唯一の生き残り。教官のトラウマがどの程度のものなのかは俺にはわからない。

 向こうからはこちらも青ざめた様子の豚教官と佐々木教官が歩いてきている。四人の教官のうちまともなのは木下教官だけのようだ。そんな教官たちを見て河野副隊長が舌打ちしたように見えた。


「・・・教官は第二列で一列の候補生のフォローだ!」


「騎士候補生は楯装備だ。走れ!」


「第二列の騎士候補生はクロスボウ忘れるんじゃねえぞ!」


 俺たちは遅れているかと思ったが、他の候補生はさらに遅かった。俺たちは抜き打ち訓練を警戒していただけ用意が早かったみたいだ。


「候補生どもおせーぞ!ぶっ殺すぞ!」


 中隊の人たちも殺気立っている。


「小隊長!全方位に明かりをお願いします」


 副隊長、河野大尉の命令で精霊術士たちが明かりの精霊術を詠唱し、円陣の周囲に光球が浮かび上がって、辺りを照らし出す。

 狂狼の群れはまだその外側だ。さっきより増えてる気がする。


「三澤候補生!狂狼の特徴はなんだ!」


 近藤少佐が三澤さんに呼びかけている。


「はっ。主として夜行性で単体では五級程度の魔獣ですが、三級と呼ばれる集団の場合、統率するボスの下で一〇頭前後の群れを構成し、家畜や人間を襲います。まれに強力なボスの元、複数の群れが集まり五〇匹以上の大規模な集団を作り二級の脅威となることもあります」


 外周に立つ三澤さんは答えながらも楯と槍を暗闇に向けて用心深く身構えている。


「次!横山候補生!弱点は!」


「ああやってボクたち候補生の緊張をほぐそうとしてくれてるんだね」


 俺の横でマリノがつぶやく。いつもは場を和ますような態度をとっていることが多いが、さすがに余裕がなさそうだ。

 岸本も・・・前列か。その後ろにちょっとひきつったような古賀の姿も見える。


「はっ、・・・狼や犬が魔獣化したので火に弱いであります!」


「バカヤロー!お前は戻ったらみっちりしごきなおしてやる!」


 横山らしいなぁ。なんであれで精霊術士の成績トップなんだろう。もしかして場を和ますためのジョークだったとしたら横山を尊敬したかもしれない。


「次!高見候補生!」


「マリノ、緊張してる?」


「はっ!やつらの体毛は火に多少耐性があり、動物と違い火を恐れることはありません。動きが早いので

注意は必要ですが、一方体皮が固いわけでないので剣や槍、矢などの物理攻撃で十分対処可能です。精霊術も火属性以外の物理ダメージが効果的であります」


「ちょびっと」


「だよね。・・・あれだけ訓練したんだ。落ち着いて・・頑張ろう」


 気の利いた言葉の一つも出ない。教官は生きているのか心配になるほど血の気が引いたままだ。今は唇をきつく噛んで血が滲んでいるのも気にせず、暗闇のほうを見つめている。


「そういうことだ。落ち着いてやりゃあ大丈夫だ。そろそろくるぞ」


「くるよ」


 暗がりの中にじわじわと距離を詰めてくる結構な数の気配を感じる。それでも一部だ。


「河野、俺も今日は前列だ。あとの指揮は任せた」


「了解です」


 円陣を組み終えてあたりは静まり返り、近藤少佐と河野大尉のやりとりが鮮明に聞こえる。狂狼たちも足音も、唸り声もなく静かに距離をじわじわつめてくる。


「実戦です!騎士は狂狼を抑えることに専念!焦って飛び出したりして陣形を崩さないように注意。精霊術士は飛びかかってくるやつを警戒してください!狂狼は弱くもありませんが、陣形を守って対処すれば難しい敵ではありません!候補生も落ち着いて対処してください。第一列抜剣!」


「「「おう!!」」」


 騎士たちがそれぞれの得物を構える。

 俺も自分の緊張と弱気を吹き飛ばすために精一杯の声を出す。

 実戦か・・・。


「第一波がまもなく出てきますよ。第一列の精霊術士は第一撃を躱して接近する個体に備えてください。第二列カマイタチ詠唱用意!カウント一〇、九、八、七、六、五、四・・・撃て!」


 副隊長の号令に合わせ、俺も索敵術で感じる気配を頼りに暗闇の狂狼を撃つ。

 詠唱に時間がかかる術士もいるので、一斉に撃つ場合は平均的な詠唱時間から逆算して指示がでる。だから精霊術士は自分の詠唱時間を逆算しながら詠唱する練習をしている。

 やはり俺たち、候補生の撃つカマイタチは正規の精霊術士のようにタイミングが合わず多少ばらけてしまっていたが、まだ見習いだとあきらめてもらうしかない。慣れてくると多少はタメもできるのが、詠唱タイミングのすり合わせってほんと難しい。

 初撃は当たったが、やはり俺の一撃だと軽すぎて急所に入らないと大してダメージが入らず、多少スピードを落とせたくらいだ。


「各個に迎撃開始!」


 精霊術やクロスボウの矢が、飛びかかってくる狂狼に次々と突き刺さっていく。

 第一列では飛び道具を潜り抜けた狂狼が飛びかかるが騎士の楯に阻まれ、ペアを組む精霊術士に仕留められていた。

 そうだ。俺が無理に仕留める必要はないんだ。仕留めやすくするだけでも俺の存在価値はある。

 バラバラに飛びかかってくる狂狼の前肢を狙ってはカマイタチを放つ。一度に襲い掛かってこられないのがせめてもの救いだ。足だけを狙うのは難しいが、索敵術による気配感知と動きを予測する訓練はさんざんやった。教官相手の動く目標にたいする射撃訓練だってあれだけやったんだ。

 狂狼は教官よりは遅いし、動きも単調だ。

 おかげで半分以上は当たっていた。

 片方だけでも前肢に大きな傷を負えば、さすがの狂狼も着地でバランスを崩して転倒する。

 あとは他の精霊術士かクロスボウの連中に任せてしまおう。

 気配を読み、近くて射線が取れる個体を見定めて、撃つ。

 割り切ってしまえば緊張感はあるが作業のようなもので、周囲を見る余裕も出てくる。

 マリノはさっきから俺が転ばせた狂狼を仕留めることにしたらしく。動きが鈍ったり転倒した狂狼の首をカマイタチで飛ばしている。

 俺のカマイタチでは狂狼の首を落とすだけの威力がないし、喉笛をかき斬るには角度とタイミングが難しい。正面からだと眉間にでも入らない限りは一撃では無理だ。さすがに疾駆する狂狼の眉間をピンポイントで狙うほどコントロールは良くない。

 戦闘が始まってから浅野教官は微動だにしないまま。鞘に収まった長剣の束をずっと握る手も真っ白になっている。さっきと違うのは向かってくる狂狼を視線だけで殺せそうなほど睨みつけていて、今にも飛びかかっていきそうなところだ。以前狂狼との戦闘になってパニックを起こしたと聞いたが大丈夫だろうか。

 第一列に入った三澤さんや岸本は、両側にいる中隊の騎士のフォローもあって、ソツなく対処しているみたいだ。

 秋山教官は意外性のかけらもないが、震えながら立ち尽くしている。外れてもいいから少しでも攻撃してくれると牽制になっていいと思うんだが。

 あと気になったのが横にいる河野大尉も中隊の精霊術士たちも、索敵術による気配感知の能力が俺よりも低い気がすることだ。狂狼の動きに対する反応が俺よりも何テンポか遅い。ひきつけてから対応する作戦なのか、それとも索敵術に長けた精霊術士がいないのだろうか。

 げ、多い。

 そんなことを思っていると全方向から暗がりの中、二〇頭くらいの気配が近寄ってくるのが分かる。大尉はまだ何も言わないがもしかして気づいてないのか?

 この数はヤバイ。


「河野大尉・・・来ます。たぶん二〇匹くらい一度に・・・」


 一瞬驚かれたようだが、河野大尉がすぐに号令をかけた。


「警戒!一気に来ますよ!!応戦準備!」


「気合い入れていけよー!」


 近藤隊長が叫んだ次の瞬間に気配が一気に動きだした。

 一度に飛びかかってくる数が多すぎて、迎撃する精霊術と矢が追いつかない。

 いくつかは当たって足止めできたり、牽制は出来たようだが、そのままの勢いで第一列に飛びかかってきた狂狼のほうが多い。あちこちで悲鳴や叫び声が上がっている。

 俺のすぐ前の第一列でも騎士候補生の井上が構えていた楯ごと押し倒されてのしかかられている。後ろにいるペアの高原は完全に腰を抜かしてへたり込んでいる。まずい!


「第二列、穴が開いた一列をフォロー!衛生!応急治療を!」


「ぅおおおぉ---!!!」


 前触れもなく、浅野教官が雄たけびを上げて飛び出していく。

 目にも止まらない速さで長剣を抜くや、次の瞬間には井上の喉笛を食い破ろうとしてた狂狼の脳天をかち割った。

 さらに駆け出して、第一列に向かって飛びかかってくる狂狼を横なぎに真っ二つにしてしまう。

 つえー。じゃなくて、防御陣を飛び出してるから、早く戻らないと下手すると孤立して囲まれてしまう。


「きょ、教官!」


「ちっ!浅野、戻りなさい!」


 副隊長の制止が耳に入っていないのか、突出した教官に狙いを定めて襲い掛かってくる狂狼をまた切り伏せてしまう。


「ちょっ、あー、もう」


 突出した教官を獲物と見たのか、暗がりから勢いよく二頭並んで向かってきているのが分かる。

 前列が邪魔で射線が取れない。

 ったくもう!


「教官!二時の方向二頭来てます!距離六〇」


「あ、こら!!戻れ!」


 後ろから河野大尉の怒声が聞こえるが、無視して射線が確保できる位置まで走ってカマイタチを三連射。教官を見殺しにはできない。手ごたえから、たぶん一頭にはあたったはず


 直後、暗がりから無事だった一頭が教官の頭上へと跳躍してくる。


「死っ・・ねー!!」


 気合い一閃。教官は躱しざまに長剣を横っ腹に叩きこんでいた。引き裂かれた狂狼からは血が噴き出して教官を真っ赤に染める。

 俺のカマイタチを食らって転がりでてきた狂狼は、いつの間にか俺の後ろについて来ていたマリノが止めのカマイタチを打ち込んでいた。


「次、来る!正面三頭、距離五〇!続けて一〇時二頭、距離七〇!マリノは二頭の方を牽制して!」


「っるぁぁ!!」


 カマイタチの三連射でそれぞれの肢の腱を切り裂き、動きが鈍ったところを教官が流れる剣舞のように立て続けに一撃で切り伏せる。

 あとの二頭はマリノの氷の散弾でひるんだところを本隊からの精霊術を受けてやられていた。マリノも地水火風どれもまんべんなく得意なのは大したもんだ。詠唱速度は早くないが、タメが上手いのでタイミングよく援護してくれることが多い。

 教官は返り血を気にもせず、口角を釣り上げて笑っていた。


「次っ!」


 ってまじかよ。


「正面五〇メートル、六頭近づく!マリノ!火球の貯め撃ち用意」


 暗闇の中でまだ少し距離があるし、仲間が立て続けにやられて警戒しているようだ。俺は索敵術で大体わかるけど、教官には見えていない。こうなると耐性があるのがわかっていても、明かりが欲しい。


「照明!この方向四〇メートル先に明かりをお願いします!」


 後ろに叫ぶと精霊術士の数人が光球を作ってくれた。照らし出された隅に狂狼が浮かび上がる。


「くっそがぁーーー!」


 雄叫びとともに教官が駆け出す。

 ちょっと教官待ってほしい。突出しすぎ。


「マリノ、火球を正面に!」


 もうこうなりゃやけくそだ!




 さっきから何頭倒したかもう数えていないというか、そんな余裕はない。

 俺が索敵、マリノが火球で牽制と照らし出し、そこを俺がカマイタチで動きを鈍らせ、教官が止めを刺す。これの繰り返しだ。

 幸いというか狂狼が立て続けに襲い掛かってくるおかげで思ったほど前進することもなく、突出してしまったといっても防御陣からもかろうじて援護射撃ももらえる距離で留まっている。教官が狂狼をひきつけてくれたおかげで防御陣の反対側を襲っていた狂狼も残りわずかになった。

 俺たちの正面側も索敵術にひっかかる反応はかなり減った。これで終わりなのか、まだ範囲外に潜んでいるのか。一番気になるのは少し奥の方にいた大き目の気配のやつがゆっくりこっちに向かって来ていること。

 さすがに肩で息をしはじめた教官の周囲には切り伏せた狂狼が何頭も屍をさらしている。


「教官!また一〇時の方向から三頭!二時の方向から大型一頭!距離いずれも五〇ゆっくり近づく」


 まずい、まずい、まずい。二時の方向のやつは大き目どころじゃなかった!ひときわ気配がでかい!

 やばい!

 しかもタイミングを合わせるように、反対側の三頭!ほぼ挟まれてる!

 あの距離だと防御陣からの精霊術は届かない。どうする?!


「マリノ、この方向に大火球!。!教官、マリノの火球に続いてください!」


 いくら狂狼が火に強くても、ノーダメージではない。多少でもダメージを与えて散らせば、三頭いても教官なら見えてれば何とかするはず。

 あとはこっちのヤバいやつ。


「はぁ!」


 気合とともにデカブツに向けてカマイタチを連射する。豆鉄砲でも目や眉間にあたればひるむと思いたい。


「はやっ!当たれ!当たれ!」


 いきなり暗闇の中からすごい勢いで距離を詰めてくる。俺も精いっぱいの速さでカマイタチを顔の当たりに撃ち続ける。

 後ろで轟音が鳴り響いて、明るく照らしだされた。マリノの大火球が炸裂したのだろう。俺の正面に向かってきてたデカブツも炎に照らし出され、直後にギャンっと悲鳴を上げた。姿が見えたのでようやく狙いが定まり、デカブツの左目をカマイタチが切り裂いていた。


「でかっ!」


 他の狂狼の一回りどころではない、人の体高を優に超えている。二メートルを超える狼ってアリかよ?

 片目をつぶされ、残されたほうの目で見降ろすようににらみつけてくる。片目を失ったことで足が止まったので、さらに連射するが、警戒されたのか俺のカマイタチは毛皮に阻まれて、ダメージになっていない。


「グォォオーン!!」


 大きく雄たけびを上げて再び突っ込んでくる。

 やばい、やばい、やばい、やばい。

 巨大な顎が迫ってきているのがコマ送りのように見える。

 大きく開かれた口に向けてカマイタチをぶつけるが、鮮血が噴き出していてもお構いなしだ。

 躱そうにも身体が動かない。間に合わない。やつの方が早い。

 やべ。ここまでか?

 これが死の間際にみる走馬灯ってやつなのか。

 よだれをまき散らし、一本一本が俺の腕ほどもある巨大な牙が刻一刻と近づいてきている。

 俺を喰おうとしている。

 だめだ。

 これは死んだな。

 ごめん、おばあちゃん。

 ごめん、母さん、父さん。

 ごめん、みんな。


「っはぁぁああ!」


 視界の隅、横合いからすさまじい速さで気合とともに、教官が狂狼の首筋に剣もろともに突っ込んでいく。

 斜め下から首筋にロングソードの剣先が突き立てられる。

 毛皮に突き刺さり。

 肉をかき分けて。

 ゆっくりと根本まで埋まっていく。

 首のうしろから剣先が突き出した。

 噴き出してくる狂狼の血の一滴一滴が飛び散る様さえ鮮明に認識できる。

 まっすぐ俺を食い殺そうと向かっていた狂狼の巨体が体当たりのような教官の一撃で揺らぎ、教官の身体はぶつかった反動で弾き飛ばされて宙を舞いながら俺の方に飛んでくる。


「え!?」


 さいわい真正面からだったので、教官の身体を受け止める。

 同時に向きをそらされた狂狼が俺の横を駆け抜け、後ろで大きな音を立てて転倒する。

 一連の流れが一瞬、一瞬切り取られたかみたいに、理解できる。

 だが、飛んでくる人間を受け止めて支えるような筋力が俺にあるわけもなく、受け止めたまま一緒にゴロゴロと地面を転がり、俺は意識を失った。




 なんだか、とてもまぶしい。


「・・・ミズホ?ミズホ!」


 俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。身体がとても重くだるい。


「・・・ん・あ、マリノ?」


 目を開けるとマリノが覗き込んできていた。


「・・・良かった」


「えっと、どうなったんだっけ?でっかいのが迫ってきて・・・」


 まだ頭がはっきりしない。

 でっかい狂狼が迫ってきて、こりゃもうだめだと思ったところまでは覚えている。


「最後、教官があのボスっぽいやつに一撃入れたのは覚えてる?」


「言われてみればなんとなく」


「あのボスっぽいやつがどうも最後の一頭だったみたい。ほかは全部片付いたよ」


「そっか。・・・教官は?」


「ミズホの腹の上」


「は?」


 意味が分からず、おなかの方を見たら、上から下まで血まみれの何かが倒れこむようにして乗っかっている。どうりで身体が重いわけだ。


「教官がミズホにぶつかった後、倒れて起きなくてさ、教官、泣きじゃくるわ、すがりつくわ大変だったんだよ。中隊の治癒術士の人が怪我もないし、命に別条はないからすぐに目を覚ますだろうって言ったら気が抜けたのかそのまま寝ちゃった」


 おなかの上では一定のリズムで呼吸してるのが伝わってくる。


「・・・・・」


 だんだん意識がはっきりしてくると周りの様子も見えてくる。まだ早朝の時間だろうが、さっきまで夜明け前だったのがいつの間にか朝日が昇っている。

 周りでは火球攻撃でくすぶっているススキを消火したり、けが人の治療などで慌ただしく動き回っている人もいる。

 狂狼の死骸から使える素材や魔核の取り方を中隊の人たちが候補生に指導しているのだろうか。ナイフの使い方を説明したり、しかりつけている声も聞こえてくる。


「とりあえずボクたちは休んでていいってさ。・・・あ、ボク、中隊長にミズホが起きたこと報告してくるね」


 つ、疲れた・・・・。朝日がまぶしい。太陽が黄色いってこういうことを言うんだろうか。


 すぐ近くには首の後ろから剣先をのぞかせたままのボスが、さらにそのまわりには解体が手つかずの狂狼の躯がいたるところに転がっている。

 たぶん半分くらいは俺たち三人で仕留めたのではないかと思う。


「目が覚めたようだな。大丈夫か」


 声の方を見ると、近藤少佐と河野大尉、マリノがいた。


「あ、はい」


 身体を起こそうとしたら,そのままでいいと中隊長に止められた。あきれ顔の少佐はともかく大尉のしかめっ面の冷たい視線が怖い。命令違反したしな。かなり怒ってそうだ。


「すいません、ご迷惑をおかけしました」


「まぁ説教は今度だ。今は休め。それに説教するとしたら浅野が先だが、その様子を見たら説教する気も失せるよ」


 血まみれの浅野教官は相変わらず俺のおなかの上に突っ伏して寝息を立てている。


「ですね。浅野少尉が目を覚ましたら、まずそこの沢で血を洗い流しなさい。二人ともものすごく臭うわよ」


 もしかして、大尉が顔をしかめていたのは臭かったからなのか?


「はい! 申し訳ありません」


 しばらく休んどけという少佐たちを見送っても、俺は鼻がマヒしてるのか自覚がない。

 たしかに教官は返り血やだけでなく、肉や内臓が飛び散るのもお構いなしに剣を振り回してたから分かるけど。


「なぁマリノ。俺たちそんなに臭う?」


「うん、かなりね。ミズホもかなり教官に近い位置まで飛び出してたから仕方ないんじゃない?後ろから見てるボクが怖いくらい前に出るんだもん」


 あー、そういや少しでも索敵術の精度上げようとして前に出てたかも。至近距離のほうが俺のカマイタチでも致命傷とか与え易かったし。


「ごめん」


 とにかく疲れた。

 この後、教官が目を覚ますまで一時間。

 そのあと額を地面にこすりつけるようにひたすら平謝りする教官をなだめるのに一時間かかった。

 言いたいことがないわけではないが、あそこで教官が斬りこんでいなければ、あのまま陣形が食い破られて袋叩きにあっていた可能性だって高い。そうなれば俺たちもこうして生きて朝日がみれたかどうか怪しかった。

 いくら言っても聞かない上に、途中から泣いて自罰的になる一方の教官に、マリノが罰として二か月間非番の日に俺たちに晩御飯と銭湯をおごってくださいと話をすり替えるように要求してようやく話がついた。

 その間、正規軍の人たちがどう思っているのかはわからないが、みんな無視か、目をそらすようにして俺たちを避けていた。士官学校の連中も似たり寄ったりだ。

 周りがどう思っているかはどうでもいい。ただ今は生き残ったのを喜ぼう。

 救援の部隊が来たのは夜明けから三時間ほど経ってからだった。

 それから救援部隊も総出で、素材を取り終わった狂狼たちの死骸を焼いて片付け、浄化ーーしておかないと、また魔獣発生の原因になる。俺たちも手伝おうとしたら、河野大尉にお前たちはさっさとその血まみれの体を洗い流してこいと怒鳴られた。

 演習はそのまま中止になり、撤収することが決まった。

 限られた馬車にはひどいけが人と素材が優先で載せられ、それ以外の者は相変わらず徒歩だ。

 夜襲から夜明け近くまでの戦闘に、さらに素材の解体と、寝不足と疲労困憊でくたくたの候補生を中心とした集団のあゆみは亀の如く。師団本部の駐屯地を経由して士官学校の寮に戻ったころにはもう日没を過ぎていた。





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