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8月 夏休み



 講義室の演台で豚教官がにやにやといやらしい顔つきをしている。


「さてさて、前期課程の評定も残り二人だが・・・」


 夏季休暇を前に前期課程の総合評定を上位者から順番に行っているところだ。騎士候補生、精霊術士候補生通じてのトップは相変わらずの三澤さん。今は残り二人を豚教官が公開処刑しようとしている。


「下から二番目は宮本マリノ!総合D!少しはましになったがまだまだだな。最下位は安定の内藤ミズホ!お前らいい加減にしろ!一体軍を何だと思ってる!!俺様が指導してるのにどうやったらそんな成績になるんだ!!」


 演台の前に立った俺と宮本さんを相手に、何も指導してもらった記憶のない豚教官が勝手にヒートアップしてる。

 浅野教官のきついペア連携訓練が始まってからはそれなりに目的意識もできた。浅野教官もいくらなんでも厳しすぎだろと思うこともあるが、裏も表もなく上達させようという意思は明確だ。とにかく、やさしさはないが浅野教官は信用できる。あれでもう少し思いやりがあれば言うことないのだが。

 ともかく豚教官の理不尽さにいろいろやる気喪失しかけていたことを考えると、同じ理不尽でも雲泥の差がある。

 相変わらず浅野教官は愛想もくそもないが、人間性には感謝も尊敬もしている。

 豚教官がわめいている間、神妙な顔をして言いたいだけ言わせるしかない。

 またブーブーなんか言っている。そういう生き物だと割り切ることにしている。入営してから半年も経っていないのに、ずいぶん達観した気がするがこれも成長なのだろうか。


「浅野!お前もお前だ。かかりっきりでD評定の候補生しか育てられないとはな。教官としても無能だな。主任教官の俺に恥をかかせる気か!」


「いえ・・・」


 まずい、浅野教官にまで流れ弾がいってしまった。

 豚教官ににらみつけられて、俯き気味の浅野教官がさらに委縮している。何か豚教官に弱みでも握られているのだろうか?

 木下教官は無表情を貫いているが、佐々木教官は浅野教官がいたぶられている様子をニヤニヤしながら見ている。こいつもつくづく性格が悪い。

 候補生の方をこっそり見るとザマァと思ってる連中と、同情してそうな連中と、どうでもいいから終わってくれという表情に分かれている。

 一〇分近く怒鳴り続けていた豚教官はいいかげん疲れてきてるのか、はぁはぁと肩で息をしている。

このまま頭の血管が切れて倒れてくれないかなと思う俺は人でなしだろうか。


「まったく成長の見られない内藤と宮本に夏季休暇を取る権利なんぞいらん!」


 どうせ成績悪いから実家にも帰りづらかったから、いいけどさ。マリノは帰るつもりだと言っていたので、ちょっとかわいそうだ。


「浅野!お前も休暇はなしだ!その間内藤と宮本の補修だ!!なんとかしとけ!」


 浅野教官は完全なとばっちりだ。まいったな。


「は」


 俺たちとの訓練中と同一人物とは思えないほどの覇気のない敬礼だ。俺たちの反論の余地はない。どうもこれで二週間の訓練が確定したようだ。




 夏休み初日。訓練の内容は昨日までとほとんど変わらなかった。

 マリノも「予定が狂ったー」とかぼやきながらも訓練の手を抜くようなことはしない。真面目にやればD判定はなくなるのだから、成績を少し上げたほうが目の敵にされなくていいんじゃないかと言ったが、豚教官に嫌われてるくらいがちょうどいいらしい。本家に「使える精霊術士」と思われるのを恐れているようだ。

 浅野教官も三人での訓練時に戻ってからはいつもの様子だ。休暇が取り消されたのもまったく気にしているようには見えない。教官ほど強ければ豚教官ごときにあそこまで委縮する理由はないと思うんだが、何かあるんだろうなぁ。

 訓練の始めに俺たちのせいで休暇が取り消しになったことを謝罪をしたが「気にするな」と流された。


「ほんっとに誰もいなくなったな」


 夕方、夏休みに入った途端にがらんとした寮内を見てびっくりした。

 人気のない寮内がこれほど寒々しいとは思わなかった。


 普段なら男子寮だけで二〇人以上が生活している空間なので、まるで違う建物にいるみたいだ。

 セミの鳴き声が響き渡るだけの寮の風景は思ったより里心を刺激する。実家が近い連中は昨日の終業後に、距離があるやつも今朝早くから寮を後にしていたが、ここまで人の気配の有無で変わるとは思っていなかった。

 俺たちの他にも一人二人残っているらしいが、あまり接点がないやつだと聞いてる。

 成績がブービーなおかげで血筋や成績のいい連中からは良く思われていないので、いまだにロクに話したことのないやつも何人かいるのだ。俺の対人スキルがどうこうと言うわけではない。きっと。


「さて、飯にするか」


 窓の外を見るとそろそろ日が傾き始めている。

 ごはんと言っても食堂が閉鎖になっているので、寮ではどうしようもない。幸いと言うか、有力な精霊だまりのある神社がそばあるおかげで、周囲には参拝客向けに門前町ができていてその中には飲食店もある。普段はなかなか行く機会がないが、たまにはいいだろうということでこのあとマリノと教官とで食事に行く約束を取り付けてある。

 財布の入った麻のカバンを取って、玄関に向かうと寮母のおばさんがちょうど帰るところだった。


「あら内藤君は残るのね。休みの間、ご飯とお風呂、気を付けてね」


 ごはんとお風呂?


「お風呂?」


「そうよ。休みの間はお風呂もできないから、銭湯行ってね。もしかして聞いてなかった?」


 迂闊だった。ご飯のことは考えてたけど、お風呂のことはすっかり頭から抜けていた。汗とホコリまみれなので風呂が使えないのはきついな。最悪水浴びでどうにかするしかないか。マリノや教官はどうするつもりだったのだろう?


「え、ええ。まぁ何とかします」


「銭湯は門前町の中にあるからね。訓練がんばってね」


 寮母さんは俺が挨拶を返すと、人の良い笑顔で挨拶して帰っていった。

 銭湯か。生まれてこの方行ったことないぞ。


「おまたせ」


 振り返るとマリノと教官が女子寮の方から歩いてきていた。


「お疲れ様です、教官。マリノ、つかぬことを聞くけどお風呂ってどうするつもりだった?」


「教官と相談として、ごはんのあと銭湯に行こうって」


 そういって、着替えなどが入ってるらしきカバンを見せられる。


「すまん、俺も着替え取ってくる。ちょっと待っててくれ」


 慌てて部屋に戻ってタオルと着替えをカバンに詰めて、二人が待っている場所に駆け戻る。

 まだ日差しの残るなか参道を門前町のほうへ向かう。少し早いが、普段の寮の夕食の時間だと店が閉まってしまう。それだけは事前に調査済みだ。銭湯は何時までやっているのだろう。


「いつものことだが、食堂が閉まるとこういうのは不便だな」


「俺も食事がないのは分かってたんですが、風呂がないのには気づかなくて焦りました」


「でもたまには外食も悪くないですよ。変わったものも食べたいですし」


 そこからは雑多な話をしながら参道沿いにある教官オススメの小料理店に入り、簡単な定食--思ったより高かった、を頼んだ。そういえば実家にいた頃は外食する機会もほとんどなかったっけ。


「そうか二人とも銭湯は初めてか」


「そうですね。実家はただの農家ですから泊りで旅行に行くほど裕福じゃないですしね。普段は家の風呂で十分だし、夏は川で水浴びでしたりしてました。今日も最悪水浴びを覚悟しました」


「ボクのうちもわざわざ外の銭湯に行くような機会はなかったですね」


 一般家庭で大人がいれば誰でも使えるレベルの精霊術でお湯を沸かすことはそれほど難しいことではない。それでも精霊術で風呂を満たすほどの水を出して、さらに沸かすとなるとそれなりの負担になってしまうので、井戸からの水汲みが子供の仕事だったりするのは当たり前だった。

 俺のレベルでも一応一般人以上には精霊術は強いのでお風呂の水を沸かすことは可能なのだが、寮の浴場の大きな浴槽でそれをやるのは正直きつい。さらにそれに使った後を1人で掃除までするとなるとめんどくさいが先に立つ。実際、寮の風呂も薪と精霊術の併用で沸かしているはずだ。


「たいていはそんなもんだろうな。何事も最初はある。軍に入れば遠征先で現地の銭湯を利用することもあるしな」


 教官は話しながらも丁寧に焼き魚定食の魚の骨を箸で取っている。

 このあたりは海からも半日程度の距離なので新鮮な海の幸は当たり前に流通している。


「どうかしたか?」


「いや、すいません。箸の使い方がきれいだなと思って」


 不思議と食べ方自体に品があるというか、食べる姿勢がとても綺麗なのだ。

 魚の小骨を取るのが昔から苦手なので、俺が頼んだのはチキン定食だ。鶏肉は田舎でもポピュラーだったので、よく食卓に並んでいた。マリノはピーマンが入っていないのを確認してから同じくチキン定食にしていた。どんだけピーマン嫌いなんだ。


「うちは両親ともしつけに厳しかったからな」


「ああ、それでですか」


「子供の頃は行儀が悪いとよく叱られたよ。おかげで、人前で恥をかかずに済んでいるがな」


 もしかして教官も良いところのお嬢様なのかもしれない。

 食べ終わると、俺たちは事前に頼んでいた明日の朝食分のおにぎりをお弁当で受け取って店を出た。これも教官のおすすめだ。朝食も外食で、なんて思っていたが宿に泊まっていればたいてい簡単な朝食がつくので、朝からやっている食堂はほとんどないらしい。昼は門前町の入り口にある弁当屋が手ごろだと教えてくれた。




 小料理屋から四、五分歩いたところにある見落としそうな路地を一つ入ったところに『きびつの湯』という看板を掲げた店があった。


「これは教えてもらわないと分からないね」


 完全にマリノに同意する。連れていってもらってよかった。これは一人だとたどり着けない可能性が高い。


「ここは中で料金を払って、男湯と女湯に分かれるタイプだ。場所によっては入口から分かれているところもあるな」


 この銭湯は教官も士官学校時代によく利用したそうだ。

 教官について店内に入り、受け付けで料金を支払う。マリノも初めてで物珍しいのかきょろきょろしている。

 こぎれいな店内はごった返すというほどでもないが、近くの風呂なしの旅館のお客さんなども流れてきているようでまちまちの浴衣姿の人もいる。


「男湯はあっちだな。上がったら、私たちのことは気にせず先に帰ってくれていてかまわないからな」


 言い残して教官とマリノは女湯と書かれた暖簾の向こうに消えた。


「さて」


 脱衣所で他の人たちの様子をうかがいながら、服を脱いでタオルだけ持って浴室へ向かう。

 初めての銭湯で緊張していたが、なんのことはない入ってみれば寮の浴場と似たようなもんだった。

 違うのは脱衣所に飲み物の販売コーナーがあるのと、浴室が華やかな点だろう。

 寮の浴場はTHE軍の施設と言う感じで遊び心もクソもない殺風景なもんだ。それに引き換えここの壁には簡単とは言えタイル絵が描かれていて、お風呂が憩いの場であることを表している。さらには湯船が三つあり、それぞれの温度が異なっていて好みのお湯が楽しめるようになっている。

 まさに命の洗濯とはこのことだ。


「おっと、いかんうっかり長湯をしてしまった」


 体を清潔に保つという目的に徹したような寮の風呂とのあまりもの差に普段しないほどの長湯をしてしまった。休みの間は門限がないという気楽さもある。


「さすがに二人はもう帰ってるだろうな」


 そう思いながらロビーへの暖簾をくぐるとそこには、意外なことに教官たちの姿があった。


「ずいぶん、長風呂だったねー」


「っと、すいません。もしかして待って頂いてました?気持ちよくてついついな」


「いや、こっちもちょうど上がったところだ。気にするな」


 湯上りで上気した教官はいつもと違って艶っぽい大人の雰囲気だ。マリノはいつものマリノだ。牛乳を買って飲んでいた。


「こちらこそ教えてもらって助かりました。おかげで汗もホコリも洗い流せてすっきりです。ここに慣れると寮の風呂では満足できなくなりそうです」


「だろうな。私も週に一度はここを利用してる」


 そう言って浅野教官は穏やかに微笑む。

 浅野教官って、こんなに綺麗だったけ?ちょっと見惚れてしまった。




「お疲れ様」


「お、疲れ様でした・・・」


 ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す俺の前で、浅野教官が平然としている。汗だくのシャツが張り付いて気持ちが悪い。マリノも土がつくのも気にせず、少し離れた場所で大の字になって寝転んでいる。

 今日が補習と言う名の二週間にわたる最終日。補習のはずなのにそれまでの訓練よりもきつかった。

 相変わらず俺たちのレベルに合わせてくれていたようで、休みに入ってからは日々訓練強度が上がっている気がする。

 最近は減っていた筋肉痛と傷が絶えない日々が復活しかけていた。休み中は医務室も閉まっているので治療も自前だ。


「たいしたもんだ。私のペースになんとかついてきているじゃないか。二人とも上達したな」


「そりゃ、必死ですから」


 二日目からは「ただ訓練するだけではつまらないだろう」と教官が言い出して、毎朝当日の訓練ノルマを決めてそれが達成できたら、夕食を教官がおごってくれるということになった。マリノは「やった!」とか言っていたが、訓練内容の厳しさにすぐに割が合わないと泣きが入っていた。それでもついて行ってるんだから大したもんだ。

 俺も当初は食事をおごってもらえるという下心もあったが、途中からはそんな余裕もなくなり何をモチベーションに必死になっているかもわからなくなった。ただ意地になっていただけだろう。


「教官こそ大丈夫ですか?いくつか当たってるでしょう」


 今日俺たちがやっていたのは俺とマリノが五〇メートル先から連続して撃つこぶし大の岩弾を、正面から剣で叩き落としながら距離を詰めてくるというものだった。以前も似たような訓練をしたが、あれは水の塊を飛ばして当てていただけなので、全く殺傷力はなかった。今回は当たればケガをするし、いい加減な狙い方をしていると一気に踏み込まれて木剣の一撃を食らうのはこちらになってしまう。

 お互いに緊張感が必要だから本気で狙ってこいと言うのでやってみたら、いくつかは直撃してしまっていた。


「ほとんど楯と剣で受け流したから大丈夫だ。と、言いたいところだが。最後の方はいい予測と狙いだったな」


「ちょっと!教官。額から血が出てるじゃないですか!」


 躱しきれなかったのだろう、額のすみから血が出ていて頬を伝っていた。俺の声に気づいたマリノが慌てて起き上がって駆け寄ってくる。

 教官の行動を予測しながら撃っているとはいえ、向かってくる教官の気迫に押されて、どこに当てたらまずいとか考える余裕がなくなっていた。


「マリノ、頼む」


「座ってください。治療しますから」


 俺たちもへっぽことは言え精霊術士の端くれだ。初歩的な治療ができる精霊術は学んでいた。当然、豚教官が俺に教えてくれるわけはなく、大村さんの奥さんに教えてもらっただけだが。


「命の根源たるすべての精霊よ・・・」


 治療系の精霊術は初歩的なものは一般人でも使うことができる。精霊術士のレベルになると治療効果が強くなり、治癒系に特化した精霊術士は骨折や命にかかわるようなケガでも治療が可能になる。特化と言うのがミソで、本格的な病気やケガの治療には人体の知識も必要になってくるので難易度が一気に上がり、そのために専門的な勉強が必要になる。

 なので、治癒術適性がなかった俺の精霊術で治せるのは簡単なケガだけだ。大村さんの奥さんに教えてもらっただけとはいえ、治癒術はマリノの方が上手いので普段はマリノに任せている。今回もマリノの治癒術でどうにかなりそうだ。何せ頭なので、痕が残らないかどうかが心配だ。


「すいません、頭なんかに当てちゃって」


「気にするな。どうせ全身傷だらけだ。一つや二つ増えたところでどうってことはない」


「いやいや、女性の顔ですよ。気にしてください!ミズホも狙うところ考えてよ」


 マリノが怒りながらも傷口に手をかざして治療を続ける。


「ほんっとすいません」


 たしかに頭はまずいよな。


「二人とも優しいな」


「そんなことより、お願いですからヘルメットかぶってください」


「視界が狭くなってむしろ危ないんだがな」


「ちょっと失礼しますね」


 前髪をどかして傷があったところを恐る恐る確認する。


「よかった。傷跡は残ってないです」


 あまり大きい傷でなかったのが幸いだった。マリノの治癒術がよかったのかもしれない。


「そうか。・・・傷が残っていたら内藤に責任とってもらえたのかな?」


「「え!?」」


 さっきと言ってることが違う!


「そっかぁミズホが責任取るのかー」


 マリノがいかにも面白い話を聞いたとニヤニヤしている。


「冗談だよ。ありがとう。明日からは食堂が開くから今日が最後の夕食だな」


 真顔すぎて冗談に聞こえないです。


「そうですね」


 ある意味充実した休みだったので、ちょっと寂しい気がする。しかし教官の冗談は初めて聞いた気がするぞ。




「はいおまかせ定食、お待たせ」


 初めてきた小料理屋の店のカウンター席に定食が三つ置かれる。今日入った店は俺たちが来た時にはテーブルはすべて埋まっていて、空いていたのはカウンター席だけだった。一応門前町なので飲食店の数は結構あって、せっかくだからいろんなお店に行ってみませんかというマリノの提案で毎日違う店を利用している。どこも店によって特色があったが、極端にハズレと感じる店はなかった。お盆の期間中ということもあってか混んでいる日が多かった気がする。


「「「いただきます」」」


「今日は混んでて済まないね。三人とも居残り候補生かい?」


 厨房で忙しそうにしながらも、愛想のいい女将さんが話しかけてくる。

 テーブルとカウンターの違いで、店員とお客の距離感が違うということに、ここ二週間近い外食続きで俺にもわかるようになってきた。カウンターだと話しかけられることが多い。

 意識してなかったけど、こんなに外食したのは生まれて初めてだ。


「よくわかりますね」


「そりゃわかるさ、ここでずっと商売やってるからね。駐屯地の正規軍人さんなら毎日同じ時間には来ないしね。士官学校の候補生同士で付き合い始めた子たちが長期休暇の間に居残ってるのは毎年見かけるのよ」


「「「ぶっ!」」」


 俺たち三人とも教官も口の中のものを吹き出しそうになって、むせかえっていた。

 はたから見るとそう見えるのか。

 俺はむせた拍子に味噌汁が鼻から出そうだ。横を見ると教官ものどに詰まったのか顔を真っ赤にして苦しそうにしている。マリノは慌てて水で口の中のものを流し込んでいた。


「お、女将さん。俺たち別にそういう関係では・・・」


「あら、そうなの? 毎年そんなだから私ったらてっきりそうだとばかり。早とちりだったらごめんなさいね」


 なんかまだ疑わしそうな口ぶりだ。


「ただの居残りの教官と候補生ですよ」


「うむ、そうだ」


「そうそう」


 いつもの上品な食事風景はどこへやら。


「なんにしてもこれからも御贔屓にね」


 なんだろう。この、どんな言い訳をしても無駄なんだろうと思わせる『私には分かってるのよ』的な女将の笑顔。これが話に聞くドヤ顔と言うやつなのだろうか。

 それでも何か言い返したほうがいいのか、と思っていたら店員に呼ばれて女将さんは『ごゆっくり~』と言い残して向こうて行ってしまった。


「「「・・・・」」」


 あとはなんか気まずい空気の中、恋愛経験値の低い若者をからかうような真似は止めて欲しいと心底思いながら三人で黙々と箸を進めていた。

 いつものように教官が支払いを済ませて店を出る。毎日のように教官に払わせるのは申し訳なくて、たまには俺たちがと言っても「これは二人がちゃんと訓練のノルマをこなした対価だから」と譲ってくれなかった。そういえば期間中こなせないようなノルマを教官が課すことはなかったな。ずっとおごってもらっていたことになる。


「すいません。俺のせいで女将さんを勘違いさせて。気悪くさせちゃいました?」


 とりあえず、謝っておこう。図書室で気分転換に読んだ昔の恋愛マニュアルにも「下手に出て相手の気持ちを探れ」書いてあった。たぶん時代が変わっても女心はそれほど変わっていないと思いたい。


「いや、そんなこともない。ああいう風に女の子として扱われるのが久しぶりだったから驚いただけだ。むしろ新鮮だったな」


「ミズホは両手に花かぁ。岸本君とセラちゃんに土産話ができたよ」


 教官の反応もなかなか新鮮だが、マリノはそういうのは本当に止めてほしい。


「教官に迷惑かかるから、止めてね」




 そのあとの日課で三人して銭湯へ行き、帰ろうとしたらどこからか威勢のいい太鼓の音が響いていた。


「夏祭りでしょうか?」


「おそらく神社の夏祭りだろうな。私は行ったことはないが、ずいぶんにぎやかだとは聞く」


 そりゃ、このあたりでは一番大きな精霊だまりがある神社だもんな。そういやそれで飲食店も混みあってたのか。道理で道を歩く人も多いわけだ。


「教官、行ってみませんか?」


「そうだな。たまにはこういうのもいいだろう」


 マリノの提案でそのまま連れだって神社の方に歩いていく。日中の暑さが嘘のように夜風が気持ちいい。

 境内に近づくにつれて様々な屋台が出店していて、にぎやかさを増していく。田舎では見たこともないような屋台も多いし、中には精霊術を駆使しているのかカラフルないろどりの光を放っているのもある。


「すごいですね!俺、こんなの初めてです」


 さっき夕食を食べたばかりなのに食欲を刺激される匂いがあちこちから漂ってくる。

 近所でやってた夏祭りでは見たことのない屋台も多い。タイ焼き、イカ焼き、タコ焼き、フランクフルト、水あめ。

 焼きとうもろこし、焼き鳥、牛串、団子、焼きそばはわかるけど、それ以外は聞いたことがあるだけで食べたことはない。

 かき氷は近所の引退した精霊術士のおじさんが夏になるとよく作ってくれた。桃のフレッシュジュースも桃を栽培している農家が周りにあったのでおすそ分けで作ってもらったな。


「ミズホはこういうのでテンション上がるよね」


「そりゃ、田舎に住んでると仕方ないだろ。これより小さかったけど祭りは数少ない娯楽だからな。何かおすすめとかあります?俺は正直食べたことないものばかりなのでどれを選んでいいやらわからないんです」


「そうだな私のおすすめはタコ焼きだ。焼きたては特にうまいぞ」


「ボクのおすすめは焼きそばかな。屋台で食べる焼きそばって不思議なくらい美味しいんだよね」


「いつも御馳走になってるので教官の分は俺が出しますよ」


「ん、いいのか?こういう店は高いぞ?」


 ちらっと見たら確かにいい値段がついている。今更後にもひけないし、ここのところの夕食代は教官に出してもらいっぱなしで、それに比べたら安いもんだ。そもそも、給料をもらってもお金を使う機会がない。


「ちょっとボクは?」


 マリノはなぁ。高くついたラーメンの思い出がよみがえる。あざとく上目遣いでこっちを見てきやがる。


「・・・わかったよ」


「わーい、焼きそばー」


 わざとらしく喜びやがるが、悪い気はしない。マリノの人徳だな。


「ではお言葉に甘えて、私はたこ焼きにするか」


 屋台を眺めていた教官も心なしか嬉しそうだ。マリノは私買ってくるーと言って金をせびって行った。


「たこ焼きですか。俺も食べたことないんで楽しみです」


「そうなのか。ふんわり丸く焼き上げた中にタコが入っていてな。。マ、母がうるさくてなかなか食べる機会がないんだが、なかなか旨いんだ」


 タコ焼きの屋台の前に行くと、炭火の焼き台の上には丸くくぼんだ穴が並んだ鉄板がおいてある。あれで焼くのだろう。


「おじさん、たこ焼き二つお願いします」


「はいよ。二つで三〇円。ちょっと待ってな」


 確かに高いな、あれ二個で三〇円か。


「今のうちに飲み物買ってきます。フレッシュジュースでいいですか?」


「ああ、すまんな」


 たこ焼き屋でお金を支払って、焼きあがる間に飲み物を三人分買ってくる。マリノの分も買っておかないと絶対にうるさい。


「はい、お待たせ!」


「おおー!」


 二つ頼んだからあの鉄板で焼いた丸いのが二つかと思ったら、一人前が木の皮でできた皿に九つだったらしいなんか得した気分だ。この上にかけられた黒い液体から漂ってくるこの凶悪な匂いは一体なんだ?


 たまたま空いていた屋台の近くに設置してある縁台に二人ならんで腰掛ける。


「すごいいい匂いですね」


「だろう。ソースと言ってな、広島県から交易で入ってきているものだ。さて、冷めないうちに頂こう」


 添えられた爪楊枝で湯気の出ているたこ焼きを一つ突き刺して口に入れる。


「熱っっつ。でもうまいですね!」


「だろう」


 ほおばる教官の眦も幸せそうに下がっている。

 ラーメンといい、たこ焼きといい、田舎の食生活のなんと貧弱だったことよ。

 やっぱり退役したら食べ物商売が一番な気がする。今日行った小料理屋も一つ一つが丁寧に作ってあって繁盛していたしな。美味しいものを作っている限り食いっぱぐれる心配も命の心配もない。


「ん? タコ焼きと桃のフレッシュジュースの組み合わせは微妙でしたかね?」


 タコ焼きのソースに桃の風味が完全に負けている。普通にお茶の方がよかったかもしれない。


「いや大丈夫だ。内藤はやさしいな」


「他に取り柄もないですから」


「そんなことはないさ。お前は優秀な精霊術士になれるよ」


「だといいんですが」


「このジュースも精霊術で冷やしてただろう」


「あ、ばれましたか」


 あまり冷えてなかったので、凍るギリギリまで精霊術で混ぜながら冷やしてみたのだ。必要は発明の母と昔の人は言ったらしいが、訓練のあとに冷たい飲み物が飲みたい一心で練習していたらできるようになった精霊術だ。


「そりゃわかるさ。精霊術の気配がしてたからな。風と水を同時に、しかもカップの中だけ。なかなかできるもんじゃない。器用なもんだ。」


「よくわかりますね」


 騎士の浅野教官は精霊術の気配の読み取りとかはどちらかというと不得手なはずだ。


「戦場ではいくら剣で強くとも、観察力が低いと死に直結するからな。自分の今置かれている戦況、敵の様子、味方の様子、逃げるのか戦うのか。何を判断するにおいても観察する力とそこから得られた情報を分析、判断する力は生き抜くうえで一番大切だ。できない奴から死んでいく」


「ですか・・・。先は長いなぁ」


「内藤ならできるさ。真面目な話はここまでだ。たこ焼きに失礼だからな」


 再びたこ焼きに集中する教官。一つ口に入れては目を閉じてじっくり味わいを楽しんでいる。

 上品に食べるなら一つまるごとほおばるのはどうかと思うが、たこ焼きは外のカリカリ具合に反して中はトロトロなので、割ったり、かじったりという食べ方はできない。

 嚥下して恍惚とする様は、たこ焼きに対する教官の愛情の深さを表しているようだ。よほど好きなんだろうが、こんな顔もするんだな。


「どうした内藤食べないのか?まだ4つも残っているじゃないか」


 おっと、教官を見ていたら手が止まっていた。


「・・・半分食べられますか?思ってたよりお腹がいっぱいで」


 一つ口にしようとしたが、横からの圧がすごい。ラーメンを食べに行った時スープを俺に差し出したマリノも同じようなプレッシャーを感じていたのかもしれない。


「いいのか!」


 満面の笑みの教官を見るのは初めてだ。教官は普段あまり表情の変化がないので、たこ焼きの一つや二つ、安いものだ。特に豚教官の前ではいつも表情が暗くて、目に光もないような気がする。

 眦を下げて幸せそうにたこ焼きをほおばる教官。なかなかに貴重な光景だ。


「焼きそば、めちゃくちゃ並んでて待たされたよ」


 マリノが焼きそば片手にようやく戻ってきた。


「はいお釣り。二人していいムードだったけど、ボクお邪魔だった?」


「バカなこと言ってないで。ほら」


 冷やしておいたジュースを渡す。


「お、ありがと。気が利くね」


「ムードという意味では、二人のほうが似合ってるんだろう。いつも一緒にいるし、付き合ってるんじゃないのか?」


「「いやいや、そんなことないですよ」」


 俺とマリノがきれいにハモった。

 ウマが合うと言うのは間違いないのだが、正直言って異性としてはそこまで意識していなかった。日々のことに必死過ぎて気が回らなかったともいう。


「えーっと、ですね」


 まるっきり、そういう対象として見ていないと言うのも女性に対して失礼な話だし、付き合ってくださいというほど盛り上がっているわけでもない。

 何より職業柄の問題がある。

 今は二人とも候補生だが、正規に騎士団に入ってユニットを組んだ時に男女比の関係でお互いにペアの相手が異性の可能性は高く、大村さん調べだと三割程度はその相手とくっついてしまうのだ。四六時中一緒に行動する上に、ユニットを組むということは一緒にいることが苦にならない相手なのだから無理もない。

 俺とマリノは二人とも精霊術士になるわけだからユニットを組むことはあり得ない。将来それぞれ同性どうしでユニットを組む可能性もあるが、それもどうなるかわかったもんじゃない。

 今の正直な気持ちは「めずらしく砕けた雰囲気になったと思ったら、なんでそんな面倒な話題に触れてくれるんですか」だ。今の関係が十分心地いいのだ。


「ボクとしてはまだそこまでは考えてないかな。あ、ミズホのことが嫌いなわけじゃないよ。まずは精霊術士候補生から候補生を取るのが目標だし」


 マリノが考えていることが、俺の考えとそれほどずれていなくて良かった。マリノの模範解答に感謝だな。

 正式に精霊術士になれるかどうかは俺の方がより切実だ。でもマリノも動揺しているのは最近上達してきた索敵術の応用の精霊の動きでよくわかる。なんとなくだけど周囲の精霊の変化でわかることもある。


「そうですね。今はいい仲間です。俺たちの場合はまずは正規の精霊術士にならないと。そこから二年間の兵役を無事終えないと何も始まりませんから」


 兵役の終わっていない騎士や精霊術士はひよっこ扱いされることも多い。

 でも兵役期間に付き合ったらいけないという決まりはないんだよな。実際に付き合うペアも多いらしいし。


「そうそう。それにお嬢様のマリノと俺なんかじゃ釣り合い取れないですって」


「あ、その言われ方はイヤだな」


「そうだな。家柄なんか気にしてたら恋愛なんかできないだろう。好きなら好きでいいじゃないか」


「おおっ教官、意外と情熱的ですね。もしかして付き合ってる方いるんですか?」


 マリノのいう通り、教官が恋愛というのは失礼だがあまりピンとこない。

 二つ歳が違うだけとは思えない落ち着き、というか雰囲気が男性を寄せ付けない気がしていた。


「いない、いない。それこそ私みたいなつまらない女を相手してくれる男はいないよ」


 確かに教官面白い冗談や話術で男を楽しませるタイプではない。だからといってつまらないということもないと思う。


「じゃあ、気になる男の人は?」


「いないわけでもないが、相手してもらえないだろうよ」


 意外な印象だが、やっぱり教官も年頃の女性ってわけか。

 以前は、美人だけどそれ以上に表情が暗くて陰を引きずっているというイメージが強かった。

 けど、毎日一緒に訓練していると、本来はそうじゃない素朴で芯の強い女性だというのが分かってきた。

 雰囲気的に誤解されやすそうな気はするが、ちゃんと内面を知っていれば相手にされないなんてことはないだろう。


「教官が告白したらイチコロですよ。」


「ま、まぁ私に告白する勇気ができたらだな」


「教官ほどの美人に迫られて落ちない男はいないですって。やっぱ年上ですかね?」


 マリノ、ぐいぐいいくな。教官が美人なのも相手が気になるのも同意するが。


「ボク、すっごく気になるんですけど。誰ですか?ボクたちの知っている人ですか?いたっ」


 マリノの頭にげんこつを落としてやった。


「マリノ、教官が迷惑してる。いい加減にしろ」


 さすがに興味本位で聞くにもいいかげん失礼だろう。


「・・・ごめんなさい」


「いや、いいんだ」


「教官、迷惑は迷惑と言わないとマリノがつけあがります」


「ひどっ」


「大丈夫だ。普段こういう会話をする友人もいないからな。こういうのもいいさ」


 そういって夜空を眺めながら微笑む教官の横顔はとてもきれいだった。





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