最終話 Are you happy?
一晩中明かりと人々の喧騒が絶えない街がある。飲食店や遊興施設のカラフルな看板の照明が街を照らし、チカチカと点滅を繰り返す電飾がその街を賑やかなものにしていた。いわゆる繁華街である。
きらびやかな街を行き交っているのも、どの店に入ろうが悩んでいるひとたち、食事を終えて店の前で談笑をしているひとたち、上司の悪口を叫んでいる酔っぱらいたち、お酒に飲まれて前後不覚になった男性を介抱する女性と、実に様々なひとたちがいた。皆、それぞれに大切なものを背負い、儚い人生を精一杯謳歌している。
そんな繁華街の雑居ビルの中。ちょっと洒落た居酒屋のカウンターで、スーツ姿の若い男性と、年上であろう同じくスーツ姿の女性が食事を楽しんでいる。お酒も入って上機嫌。おしゃべりが弾んでいる様子だ。
「そんな漫画とか小説みたいな話が現実にあるんですね」
「私も話を聞いた時は本当に驚いたわ」
「『事実は小説より奇なり』なんて言いますけど……」
「まさにそれを地で行っているわよね」
女性はジョッキに入ったレモンサワーをぐっと飲み干した。
「あっ、何飲みますか? 同じのでいいです?」
「じゃあ……生グレープフルーツサワーにしようかな」
「了解です! すみませーん、生グレープフルーツサワーひとつ!」
男性の注文に、カウンターの向こうから『はい、ありがとうございます!』と元気な返事が返ってきた。その返事に笑顔を返した若い男性は、また女性の方へと向き直る。
「そのお知り合いの方は、今どうされてるんですか?」
「心が壊れちゃったみたいで……」
「あぁ……まぁ、自分の不倫のせいですもんね……」
「うん……一度入院して、普通に生活できるレベルにまで回復したらしいけど、その後は連絡取れなくなっちゃって……」
「そうですか……心配ですね……」
「そうね、元気でいればいいけど……」
「そのご家族はどうなったんですか?」
話をしながら、運ばれてきたグレープフルーツを絞り、ジョッキに注ぐ男性。マドラーで軽く混ぜた女性は、ジョッキを口に当ててゴクリと喉を潤した。
「元気にやってるみたいね。私も詳しくは知らないけど、新しい家族がまた増えるって噂で聞いたから」
「それって……」
「うん、女の子とそのお父さんとの二人目の子どもだね」
男性は複雑な表情でジョッキのウーロンハイをゴクリと飲んだ。
「血の繋がりがない父親、でも戸籍上は親子。生物学上で言えば何の問題もないけれど、これまでの生活や戸籍の上では近親同士での……その女の子の考えや行動は、本当に正しかったのでしょうか……?」
「……私には分からないわ」
「お父さんの方は……」
「娘さんを苦しませて、壊してしまった責任に潰されたみたい。自分の心を壊すほどにね。でも、誰しも完璧ではない。親であっても人間だもの。ここでグズグズしていたら、これまでと同じだと気付いたらしいわ。今は娘さんの心を守るためにすべてを受け入れて、どんな形であっても、家族みんなを幸せにするんだと頑張っているみたいよ。それが今の彼が求める『シアワセノカタチ』なのでしょうね」
「それって……女性たちに囲まれて、他人が羨むような……ではないですよね……」
「そうね、私もそれは違うと思う。外から内情を覗き見れば、歪みきった穢らわしい関係に見えるかもしれない。でも、彼らにとってそれは性欲を満たすことが目的ではなく、心の支え合いに近いのかもしれないわね」
「支え合い……か」
男性は手にしていたウーロンハイのジョッキを、そっとテーブルに置く。
「その女の子の築き上げた『シアワセノカタチ』が、それを構成する家族にとって幸せなものなのであれば、誰に迷惑をかけているわけではないですし、問題ない……のかなぁ……」
「道義的な問題は残るわ」
「対外的には大っぴらにできる話ではありませんからね」
「その秘密自体が家族を結束させる要素のひとつになっているしね」
「確かに! 家族全員を巻き込んだ秘密ですもんね! ……その女の子は……心をズタボロに壊されて……それでも……それでも、母親に壊されてしまった『家族』という名の『幸せの形』を欲したんでしょうね。構築した『家族』と、自分の姿を投影している『子ども』によって、見失った自らの存在意義を確かめられるように……」
「自分の存在は、母親の性欲の残滓……自分は存在してはいけなかった存在……彼女の選択肢は、狂うことしかなかったのかもしれないわね」
少し悔しげにジョッキを手にする男性。
「なんか悔しいです……まだ若い女の子が、そんな悲しい選択肢を選ばざる得ないなんて……」
「子どもへ家族みんなが愛情を注ぐように、その女の子もお父さんや家族の愛に支えられている。きっと大丈夫だと思うわ」
女性が口にした「大丈夫」という言葉に、男性はどこか寂しさを感じる優しい微笑みを浮かべた。
「女の子やお父さんたちは、今幸せなんですよね。そうであってほしいし、そうでなきゃいけない……絶対に、絶対に幸せになってほしい……歪みを抱えていても、ずっと幸せであってほしい……。なんだろう……なぜか分からないけど、今すごく胸が苦しいです……」
「この話は他所では言わないでね。私もここだけの話っていうことで聞いた話だし、話が広まったらその家族に迷惑かけちゃうから」
「はい、分かっています。女の子とお父さん、子どもやその家族に、心からの笑顔が溢れることを、そして幸せな明るい未来が待っていることを陰ながら祈ることにします。それにしても――」
ウーロンハイをグイッと胃に落とした男性は、ジョッキをテーブルにゴンッと置いた。
「――不倫なんて馬鹿らしい。家族を犠牲にしてまですることではないです。浮気とか不倫とかするヤツの気が知れないですよ」
真顔で語る男性に、女性は優しく微笑みかけた。
「まだ新婚さんだもんね」
「結婚前の付き合いが長かったんで、ラブラブなんてことはないですし、小さなケンカもよくありますけど、まぁ仲良くやってますよ」
「ふふふっ……そっか、じゃあ知らないんだね」
「えっ、何をです?」
女性は優しい微笑みを浮かべたまま身体を寄せ、そっと男性の腿の上に手を乗せた。
驚く男性。
「……私といけない火遊びしちゃおうか……?」
「ちょ、ちょっと飲み過ぎですよ!」
男性の内腿をゆっくりと擦り出す女性。
「……バレなきゃ浮気じゃないよ……?」
「えっ……じょ、冗談が過ぎます……」
女性はとろけるような笑顔を浮かべた。
「……大丈夫よ……私にぜーんぶ任せて……」
「ま、待って、ウソでしょ……」
「……奥さんにはできないこと、我慢していること、あるでしょ? ……私には何してもいいからね……してほしいことも全部してあげる……ふふふ」
男性の耳元へゆっくりと顔を寄せていく女性。
「……怖がらないで……たっぷりと背徳の味を教えてあげる……」
「ま、まさか『幸せの形』を壊した母親って……!」
そして、亜希子の笑顔は、ニマァっとしたいやらしい笑みに変わっていく。
「不倫セックスって、気持ちいいんだよぉ〜」
<了>




