第56話 美しき虚像
春の訪れを感じる柔らかな日差しが差す朝。周囲に畑が点在する郊外の住宅地、新築の一軒家の前に近所に住むひとたちが集まっている。その中心には、新築の家を建てたであろう五人家族の姿があった。
三十代後半から四十代くらいの仲の良さそうな夫婦。夫は中肉中背で黒髪短髪、紺のスーツ姿。妻は黒髪ショートカットで、白いタイトなワンピースに淡いピンクのカーディガンを羽織っている。夫の優しい微笑みへ、幸せそうに微笑み返した妻の手には女の子の赤ん坊が抱かれており、すやすやと眠っていた。
父親であろう夫婦の夫が、隣に立っていた娘の肩をそっと抱く。父親と楽しそうに笑い合い、嬉しそうにぴったりとくっついているのは、十代後半から二十代前半くらいの若く美しい娘。目立たない程度の茶髪をポニーテールにしており、ライトグレーのパーカーにタイトなデニム、白いスニーカーと、カジュアルにファッションをまとめている。母親に抱かれた妹であろう赤ん坊を、両親と一緒に笑顔で覗き込んでいる。
少し離れた場所で、そんな三人に優しい眼差しを送っている年配の女性。ライトグリーンのサテンブラウスに淡いベージュのロングスカート。艶のある長い黒髪とまとった雰囲気が色っぽく、年齢をまったく感じさせない妖艶さを感じさせるスレンダーな女性だ。
年配の女性へ寄ってくる近所の主婦。
「長田さん、新築おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「こんなに立派な家に建て替えられて、本当にうらやましいですわ!」
視線をそっと夫婦の夫へ向ける女性。
「義理の息子が建て替えてくれまして。この家でみんなで幸せになろうって」
「優しい息子さんですね。真一さん……でしたっけ?」
「はい、真一です。娘の亜希子が不義理を働いたにも関わらず、本当に感謝しています」
「そう言えば娘さん、大変だったわね……」
「私も病院に運ばれたと聞いて驚きました。一体何があったのか……。その後すぐに退院したという話は聞いています。ただ、今はどこで何をしているのやら……」
「でも、優しいお孫さんの美咲ちゃんもいるし、二人目のお孫さんもできたし、おばあちゃんとして幸せでしょ?」
「はい、本当に幸せです。お嫁さんの涼子さんにも仲良くしてもらっていますし、何より……義理の息子には本当に良くしてもらっています」
年配の女性は、頬を赤く染めた。まるで恋する少女のように。
それを見た近所の女性も笑顔で何度も頷く。
「娘さんのことがあっても、義理の息子さんやお孫さんがこうやって寄り添ってくれるのは、長田さんの人徳よね。一家離散してしまうような家もありますし……」
「一家離散?」
首を傾げる年配の女性に、近所の女性は顔を近づけてこっそりと話し続ける。
「……ほら、この通りの少し先、何年か前に旦那さんの転勤先から帰ってきた高月さんのお宅よ」
「そういえば、最近奥様をお見かけしませんね」
「あのふくよかな奥さん、長年色んな男と浮気を繰り返していたんですって」
「まぁ。そんな風には全然見えませんでしたが……」
「旦那さん、ずっと証拠を集めていたみたいで、いつだったか家を追い出されたみたいなのよ。高校生の息子さん、浮気する母親にも、モラハラな父親にも嫌気がさして、家に帰ってこないんですってよ。ほら、あそこの旦那さんって、時代錯誤な亭主関白だったでしょ。だから、今はあの家に旦那さんがひとりで寂しく暮らしているみたいよ。庭なんてゴミが散乱して荒れ放題ですもの」
やれやれと、呆れた表情を浮かべる近所の女性。
「じゃあ、奥様はご実家にお帰りになったんですね……」
その言葉に、近所の女性の目が輝く。
「そう思うでしょ! 違うのよ! 実家からも縁を切られたらしいわ」
「えっ、じゃあ……」
「私、見ちゃったのよ! 買い物に行ったら、偶然! 戸神の繁華街で!」
「隣の市で?」
「辛そうな顔しながら、風俗街に入っていったから……ほら、駅前のちょっと奥に入った一角がそんな感じじゃない。慰謝料もかなりの金額を請求されているみたいだし、普通の仕事じゃ支払いが大変なんじゃないかしらね」
「まぁ……」
「完全な一家離散で、人生はめちゃくちゃ。奥さんや旦那さんは自業自得だけど、息子さんが可哀想よねぇ。私なんかにもきちんと挨拶する凄くいい子なのに。浮気や不倫、モラハラなんてするもんじゃないわね」
肩をすくめる近所の女性に、少し困ったように苦笑いを浮かべる年配の女性。
「ウチも娘の不義理が原因で、こんな複雑な家族構成になってしまいましたけど、それでもこれが私たちの『シアワセノカタチ』なのかなって」
「長田さんのお宅はそれでいいと思うわ。複雑って言うけど、それを長田さんが受け入れたことでみんな幸せそうだし、こうして立派な家に住めることになったわけだしね。賑やかで楽しい『幸せの形』。五人が幸せなら、私はそれでいいと思う」
「ありがとうございます。孫の泣き声がまだしばらくうるさいと思いますが、何卒ご容赦ください」
「ふふふっ。赤ん坊は泣くのが仕事! 気にしないで!」
パーカーを来た孫娘が声を掛けてきた。
「おばあちゃん! 写真屋さんが来たよ!」
「はーい! 今行くわね! すみません、失礼いたします」
「はい、素敵な家族写真を撮影してきて!」
家の玄関の前では、すでに四人とカメラマンが待っていた。
カメラマンは、カメラを三脚にセットしながら指示出ししている。
「はい、じゃあ玄関の前に並んでくださいねぇ! 表札もしっかり入れますよ!」
玄関脇の表札には『高木・長田』と書かれている。
玄関前には、向かって左から孫娘、赤ん坊を抱いた妻、夫、年配の女性の順に並んだ。
「もうちょっとくっついてくださーい。お父さん、照れないで!」
カメラマンの言葉に、周囲にいる近所のひとたちから笑い声があがる。
家族は夫を中心にきゅっと詰めた。
「あぁ、もうちょっと仲の良いところが見たいなぁ。お父さん、奥様の肩を軽く抱いて……はい、そうです! いいですねぇ! 両端の方々もお隣さんの腰に手を軽く回しましょうか! はい、最高です! 幸せいっぱい夢いっぱいな家族写真が撮れそうです!」
軽快なカメラマンの指示に、思わず笑みが浮かぶ四人。
近所のひとたちも、それを笑顔で見守っている。
カメラのファインダーを覗くカメラマン。そこには幸せに溢れた五人家族の姿があった。
「はい、物凄くいい感じです! ハイ、チーズで撮りますからね! 心の準備はいいですか!? じゃあ、皆さん笑顔で! 撮りまーす。ハイ、チーズ」
カシャリ
「もう一枚撮ります! いきますよー、ハイ、チーズ」
カシャリ
「はい! お疲れ様でございました! 住宅の新築、本当におめでとうございます!」
カメラマンからの祝福の言葉に、周囲にいた住民たちも幸せそうな五人の家族に、心からの拍手を贈った。四人も笑顔で周囲に何度も頭を下げ、これから築き上げていくこの家での『シアワセノカタチ』に思いを馳せた。
「……もうひとり、子ども作ろうかな」
孫娘はそうボソリと呟くと、ひとりほくそ笑んだ。
<次回予告>
最終話 Are you happy?




