第50話 愚者は踊る
真一と美咲に血の繋がりがなかった――
美咲の話に、亜希子は愕然としていた。
そのことを亜希子も知らなかったのだ。
ふたりが乗った観覧車のカゴは、随分と高いところまで来ている。窓からは街灯の灯った海浜公園と、明かりが灯り始めたその周辺の住宅やビル、そしてその反対側の窓には闇に沈んでいく海が見えた。
しかし、ふたりはそんな景色に目もくれない。
ピンと張り詰めているカゴの中の空気。
美咲は、冷めた視線を亜希子に向けた。
「ねぇ、私の本当の父親は誰?」
「…………」
亜希子の背中に冷たいものが流れる。
答えられるわけがない。そんな話を今初めて聞いたのだから。
「もう一度聞くわよ。私の本当の父親は誰?」
「…………」
考えを巡らせる亜希子。
真一と初めて結ばれた時のことを考える亜希子。美咲はその時にできた子どもだと考えていた。
(……! ま、まさか……)
亜希子は思い出した。真一と付き合い始める直前まで男遊びに明け暮れていたことを。
亜希子は、時を遡るように考えを巡らせた。
そもそも真一と付き合うきっかけとなったのは、勤め先の会社で『公衆便所』と呼ばれた亜希子を庇ったことだ。そして、その数日前に新入社員歓迎会で真一と初めて出会った。その直前まで、誰彼無く不特定多数の男と寝ていたのだ。真一と身体の関係を結び始めた時期との時間差も小さい。おそらく二週間もないだろう。コンドームで避妊していたから大丈夫だと考えていたが、美咲が真一との子どもではないのであれば、その頃に関係をもった不特定多数の男性の誰かの子どもであることは間違いない。
つまり、その相手が誰なのかはまったく分からないのだ。
亜希子は真っ青になっていく。
「早く答えなさいよ。私の父親は誰? 元彼?」
震えが止まらない亜希子。
「わ、分かりません……」
「はぁ?」
美咲はポカンと口を開けた。
「分からないってどういうことよ。分からないわけないでしょ」
「分からないんです……」
顔を歪める美咲。
「どういうこと? 意味分かんない」
「…………」
亜希子は震えながらうなだれた。
それを見てハッとする美咲。
「あぁ、そういうことか! なるほどね! あははははは!」
笑い出した美咲を見ることができない亜希子。
「アンタは昔っから男にだらしなかったんだ!」
美咲の言葉に、亜希子は自分の膝の上で拳をぎゅっと握った。
その通りだったので、何も言い返せない。
「昔から節操無く色んな男を咥えこんで、ベッドでギシギシアンアンやりまくってたんだ! おっかしい! あははははは!」
自分を嘲笑う実の娘に、亜希子もそっと口を開いた。
「で、でもね、ちゃんと避妊して――」
「どうせゴムさせてただけでしょ?」
「えっ?」
驚く亜希子に、美咲は侮蔑の視線を送る。
「ゴムだって、使い方を間違っていれば避妊できないわよ。そんなことも知らずに、男とヤリまくってたの?」
「だ、だって――」
「付け方がおかしかったり、穴が開いていたり、隙間があったりすれば、ゴムなんてまったく意味ないわ。液溜まりの空気は抜いた? 男が達したらすぐに身体を離した? そもそも男は本当につけていたの? その都度確認した? まさか、達する時だけゴムしていれば問題ないとか思ってないよね?」
「…………」
何も言い返せない亜希子。
「それに『ちゃんと避妊してましたぁ〜』って、何その言い訳。この期に及んで実の娘にそんな言い訳することがどんなに恥ずべきことなのか、どれだけ自分の馬鹿を晒しているのか、アンタ分かってる? まぁ、分かんないよね。アンタの頭の中にあるのはセックスだけだもんね。脳みその代わりにピンク色のお花畑が広がってんでしょ?」
「ううぅ……」
呆れ顔の美咲を前に、亜希子は恥ずかしさから顔を真っ赤にしてうなだれた。
「じゃあ結局、私の本当の父親は誰なのか分からないと、そういうことね」
「…………」
「おい、聞いてんだから答えろよ」
「は、はい……分かりません……」
ハァと大きなため息をひとつついた美咲は、両手で頭を抱えた。
沈黙が支配するカゴは、まもなく観覧車の頂上へと差し掛かる。
「み、美咲、本当にごめんなさい……でもね、お父さんもお母さんもあなたを本当に愛してる。嘘じゃない。本当よ」
頭を抱えたまま、ピクリと反応する美咲。
「お母さんは馬鹿なことをしてしまったけど、でもそれまでは美咲にたくさんの愛情を注いできた。だから――」
バッ
亜希子の言葉を遮るように、美咲は勢いよく立ち上がり、そのまま亜希子の胸倉を掴んだ。
「み、美咲……」
美咲は憤怒の表情を浮かべていた。亜希子は、これまで見たことがなかった娘が本気で怒っている姿に恐怖した。
「てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ」
カゴがちょうど観覧車の頂上を通過した。
ゆっくりと地上へと近づくカゴの中で、美咲はこれまで蓄積してきた怒りを爆発させる――
<次回予告>
第51話 希薄な存在




