第48話 血縁の幻影
「私の本当のお父さんは誰?」
美咲の口から吐き出された言葉に戦慄した亜希子。そんな言葉は想像をしていなかった。
「だ、誰って、お父さんよ」
至極当たり前の答えを返した。
「それって本気で言ってるの?」
「えっ!? だって他に答えようが……」
呆れたように小さくため息をつく美咲。
美咲の言っていることがさっぱり分からず、焦りの色を濃くする亜希子。
美咲は、あの断罪の日以降のことを語り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五年前――
不倫関係にあった妻の亜希子と間男の敦を断罪し、制裁を加えた真一。しかし、後に残ったのは、家族の崩壊による虚脱感と悲しさだけだった。
真一と娘の美咲は、自宅と土地の売却手続きを進めるため、マンスリーマンションへと居を移す。そこでも中々落ち込みから回復できない真一を支えたのは、娘の美咲だ。父親を励ましながら、積極的に家事をこなす美咲の姿に、真一も「美咲を守るのは自分だ。もっとしっかりしなければ」と、自分を少しずつ取り戻していった。
マンスリーマンションに入居してから二週間。真一も美咲も随分落ち着いてきた。そんなある夜、美咲が神妙な面持ちで真一の下にやってきた。
「お父さん、DNA鑑定しない?」
美咲の突然の言葉を受けて、冷静を保とうとするが、驚きを隠せない真一。
「私とお父さん、全然似てないよね」
「そんな親子はたくさんいるじゃないか」
「産みの親があんな女だって分かった以上、私とお父さんが似ていないのは、そういうことなんじゃないかって」
「美咲、やめなさい! お父さんと美咲は間違いなく親子だ!」
「お父さん! 現実から目をそらすのはやめて!」
「美咲……」
「私だって、お父さんが本当のお父さんだって信じたい……でも、こんな状況では信じ切れない! このまま有耶無耶にしながら、こんな気持ちを抱えて、私は生きていけないよ……」
辛そうな表情を浮かべる美咲の言葉に、何も返せない真一。
「お父さん。私も自分がお父さんの娘であることを信じたい……ううん、信じてる。たくさんの愛情を注いでもらったもの。だからさ、それをはっきりさせて親子の絆……って言ったら、何だか恥ずかしいけど……私とお父さんの間にはしっかりした血の繋がりがあるって証明してもらおうよ」
必死に父親を支えようとしてきた美咲。しかし、中学生という多感な時期に遭遇した母親の不倫。さらには、その現場を見聞きしてしまった。
私は本当にお父さんの娘なの?――
その疑問は、高木美咲という自分の存在そのものに対する疑問とも言えた。そんな疑問が浮かび上がっているのは、美咲の心が根底から崩壊する危機に瀕しており、もう限界を迎えようとしていることを示している。それを察した真一は、DNA鑑定によって親子関係が証明できれば、それは美咲にとって大きな心の支えになるだろうと考えた。
「……分かった。検査を受けよう」
「お父さん、ありがとう」
「美咲はお父さんの娘だ。間違いない」
「うん、大丈夫。きっと大丈夫だよ」
微笑み合う真一と美咲。そこには確かに親子の絆があった。
翌日、真一は離婚時に世話になった佐藤弁護士に相談。専門の鑑定機関を紹介してもらうことができた。料金は十万円近くかかり高額ではあるが、現在真一たちが可能な親子関係を証明する方法としては、DNA鑑定以上に精度の高いものはないであろう。白黒はっきりつけるには最適な方法だ。しかし、万が一の結果が出てしまえば、それもまた確定的な事実となってしまう。これまで十数年に渡り美咲へ愛情を注いできた真一。わずかばかりの不安を胸に抱えながら、DNA鑑定を申し込んだ。
数日後、鑑定キットがマンスリーマンションへ届く。綿棒のようなもので、頬の内側を何度か擦ればいいらしい。美咲と一緒に擦ったのだが、何とも間抜けな顔になってしまい、ふたりで大笑いしてしまう。
そして、鑑定機関に検体を返送。
「答えは分かってる。無駄金になるだけだ」
真一は、小さな不安を払拭するべくそんな一言を呟いて、検体の入った封筒を投函した。
一週間後――
「結果が届いた……」
念の為、結果はデータではなく書面で受け取ることにしていたため、鑑定機関からの事前連絡の通り、書留が届いた。
真一は封筒を受け取り、居間でひとり封筒を手にして震えていた。この中に「家族」が入っているのだ。
「大丈夫……絶対に大丈夫だ……」
意を決して、封を開ける真一。
中の書面を取り出し、それを広げた。
その内容に目を通す。
心臓が波打っているのを感じる。
手の震えが止まらない。
『父権肯定確率 0.0000000%』
『被験者同士は生物学上の親子関係が認められません』
<次回予告>
第49話 破綻する心




