第46話 運命の観覧車
日曜日 午後四時半――
古びた木造アパートからひとりの女性が出てきて、足早に駅の方へと歩いていく。亜希子だ。くすんだピンクのセーターに黒いロングスカート、ベージュとクリームホワイトのチェックのマフラーをまとい、冬の厳しい寒さを防ぐことができる落ち着いた格好をしている。
その亜希子の表情は複雑だ。実の娘である美咲を捨てるという愚行を犯した亜希子にしてみれば、美咲と会える機会を作ってもらえたことには感謝しているし、本当に嬉しい。しかし、美咲の心情を考えれば、美咲と直接会うことができるのは、これが最後かもしれない。真一もすでに再婚をして、しかも亜希子の実家で自分の母親である沙織と共に暮らしている以上、自分がその中に入れてもらえるなどということはあり得ない。つまり――
――今日、真一と美咲、ふたりとの縁が完全に切れるかもしれない。
真一や美咲に一秒でも早く会いたい。でも、会いたくない。待ち合わせ場所へと向かう亜希子の心境は複雑だ。それでも亜希子は待ち合わせ場所へと向かう足を止めない。
『今後美咲とは定期的に会うことを許す』
そんな言葉を真一から聞けるかもしれない。
『お母さん、目を覚ましてくれたんだね! 会いたかったよ!』
そんな言葉を美咲から聞けるかもしれない。
慰謝料も養育費も欠かさず支払ってきた。自分の謝罪と反省の気持ちがきちんと通じているかもしれないのだ。だから、亜希子は最後まで希望を捨てない。可能性は限りなく小さくても、決してゼロではないはず。そんな思いを胸に、亜希子は海浜公園へと急いだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後六時 県立海浜公園――
夕暮れと夜の闇とが混じり合って美しいグラデーションが描かれた空をバックに、大きな観覧車が赤いカゴをたくさんぶら下げながら、ゆっくりと回っている。
今日は日曜日ではあるが、昼間は大勢のひとたちで賑わう観覧車も、この時間ともなると人気はあまりない。そんな中、亜希子はひとり、真一と美咲が来るのを待っていた。
(お願い……私を許してください……お願い……)
祈り続ける亜希子。
「…………! えっ、なんで……」
亜希子の視界に四人の影が見える。元夫の真一、娘の美咲、そして自分の母親である沙織、自分が不倫していた敦の元妻で真一の再婚相手である涼子。真一と美咲だけでなく、実家で暮らしている四人が全員やって来たのだ。
驚く亜希子だったが、かなり距離をとった場所で四人は立ち止まった。本来であれば、美咲の下へ飛んでいきたいところだったが、それはできない。四人の雰囲気が何かおかしいのだ。怒りや憎しみのこもった視線を送ってきてもおかしくないはずなのに、四人とも無表情でじっと亜希子を見ている。
「あ、あの……ご無沙汰しております……」
どうすればよいのか分からず、とりあず四人へ深く頭を下げた亜希子。しかし、頭を上げても四人の様子は変わっていなかった。
「亜希子、久しぶりだね」
「真一……さん……」
今の奥さんもここにいる手前、呼び捨てで名前を呼ぶのはよろしくないと「さん」を付ける亜希子。
「美咲と親子の会話をしたいだろ。観覧車にふたりで乗って、一周しておいで」
「えっ……一周って、十五分か二十分くらいよね……も、もっとゆっくりとお話を――」
「観覧車に乗る? 乗らない?」
焦る亜希子を遮る真一。亜希子に選択肢は無かった。
ゆっくりと近づいてくる美咲。しかし、亜希子の下までは行かず、そのままカンカンカンと金属製の階段を登り、観覧車乗り場に向かっていった。
(真一は私を許していない……だったら、せめて美咲にだけは……!)
亜希子の小さな希望のひとつであった真一の許し。残念ながら、それは叶わなかった。観覧車の小さなカゴの中で美咲の許しを得られるのか。消えかけた希望の灯火を消さないようにするように、ゆっくりと、ゆっくりと、亜希子は観覧車乗り場へと向かっていく。
観覧車は一周約十五分。
運命の観覧車は、ただゆっくりと回り続けていた――
<次回予告>
第47話 謝罪と詰問




