第29話 狂える背徳者
自暴自棄になったのか、敦が怒りに顔を歪めながら、ソファにふんぞり返って叫んだ。
「知るか、ボケッ! 何か文句あんのかよ! 何だ、金が欲しいのか? この貧乏人! いいぜ、払ってやるよ。百万か? 二百万か?」
いやらしい笑みを真一に向ける敦。
そして、その矛先を妻の涼子へも向けた。
「涼子、お前は文句ねぇよなぁ〜」
涼子は敦を睨みつける。
「お前、自分の立場分かってんの? お前みたいな女、俺以外に嫁にできるヤツいねぇだろ。なぁ」
ビクッと身体を震わせた涼子。
「お前自分でも分かってんだろ、自分がブサイクだって。お前を抱いてやれるヤツが俺以外にいるか? いないよなぁ〜」
涼子へのあまりにも心無い侮蔑の言葉に、真一は拳をぎゅっと握った。
「俺、賭けてもいいぜ。俺と別れて、お前が幸せになる確率はゼロパーセントだ。何でかは、お前自身が一番良く分かってるよなぁ〜」
涼子の瞳から涙が一筋零れる。
敦は、そのいやらしくニヤけた表情で、とんでもないことを言い放つ。
「お前、絶対に子ども作れないもんなぁ〜」
バッ
激怒した真一がその怒りを隠さずに敦へ掴みかかろうとした。
しかし、その腕を掴んで真一を止める涼子。
真一が涼子に顔を向けると、涼子は涙を零しながら、首を左右に振った。拳を震わせながらソファに座り直す真一。
一瞬ヒヤッとした表情を浮かべた敦は、またニヤけ顔に戻った。
「そもそもよぉ、テメェが亜希子を満足させられなかったのが問題なんじゃねぇのぉ〜?」
敦の言葉にニヤリと笑う亜希子。
「そうよ! 敦さんがいなければ、私はアンタのモラハラで心を壊していたわ!」
「まぁ、お前さんの愛する妻を寝取っちまって悪かったな。すっげぇ気持ち良かったよ。まぁ、その分金払ってやるからよ」
「敦さん、本当に素敵だったわ……ねぇ、アンタの代わりに私を抱いてくれたんだから、アンタが敦さんにお金払いなさいよ!」
「クククッ。そうだな、それが筋ってもんだよな」
「妻を満足させてくれて、ありがとうございましたって、頭下げなさいよ! 何で敦さんがお金払わなきゃいけないのよ!」
不倫現場の写真が印刷された紙の束を前にしても暴言を吐き続ける亜希子。それを見て、敦はニヤニヤしている。真一は冷静を保っているが、後ろに立っている亜希子の母親である沙織は、身体を震わせながら怒りを必死で抑えていた。その隣に立っている中年の男性は無表情だ。
「まぁまぁ、亜希子。旦那としたって『ボクちゃん、くやしいでちゅ〜』ってなもんだろ。金を恵んでやるからよ、それで風俗でも行ってこいよ、な」
「敦さんって、本当に人間が出来てるわよね。これが本当の男よ」
亜希子はキッと真一を睨んだ。
「たかが不倫くらいでガタガタ言ってさ。馬鹿じゃないの! 全部アンタのせいじゃないの! 私に責任があると思ってんの? ウチのお母さんまで巻き込んで……もういいわ!」
敦と同じくソファにふんぞり返る亜希子。
「まだATMとして使えるかと思って、しょうがないからアンタの妻をやってあげてたけど、もういい。アンタとは離婚でいいわ。美咲もいらない」
娘の美咲を捨てると言い放ちながらニヤける亜希子は、徐々に表情へ狂気を浮かび上がらせながら叫んだ。
「私は私だけの『幸せの形』を見つけたの! それをアンタや美咲、そこの涼子とかいう女に邪魔はさせない! あなたも敦さんのやることに文句ないわよね! 本当だったら私が妻になってもいいのに……」
その狂気を含んだ笑みを真一に向ける亜希子。
「ほら、離婚してやるから! それで文句ないわよね! もううんざり!」
『ひとはここまで狂えるのか』
真一は思った。それは亜希子の母親である沙織も、敦の妻である涼子も、同様に感じていた。亜希子も敦も正気を無くしているとしか思えないのだ。それは不倫がバレたことにより、自暴自棄になっているように見える。しかし、それは違う。最初はそうだったのかもしれないが、亜希子も敦も自分の中では正当なことを言っていると思っている。ふたりは自分たちの考えや世界に正当性があると考えているのだ。
ただ、それは言ってしまえば不倫という背徳の沼に溺れ、湧き出る脳内麻薬に踊らされているだけ。麻薬中毒の状態と同じである。また、その正当性は「ふたりだけの背徳の世界」での話であり、真一や涼子、沙織がどう考えているのか、法的にどうなのかは別の話だ。
この後、亜希子と敦はそれを思い知ることになる。
ふたりへの断罪が始まる――
<次回予告>
新章『第六章 断罪』
第30話 無知と無恥と鞭




