糸の始点、言葉の起点
朝露が残る学院の裏庭に、まだ日が昇りきらない淡い光が差し込んでいた。
私は、静かにユリウスのもとを訪れた。
「……クラリス様、どうかされましたか」
彼は変わらぬ無表情だったが、その声にはどこか警戒の色が滲んでいた。
私は頷く。
「少しだけ……あなたの“昔”について、聞かせてほしいの」
彼の目が、ほんのわずかに細まる。
その静かな沈黙の中に、私は“物語の心臓”で見た断絶の糸を思い出していた。
――繋がらなかった青と銀の線。その起点に、言葉が必要だったのだ。
「できれば、ラファエルとのことを……」
少しの間を置いて、ユリウスは小さく息を吐いた。
「……わかりました。人目のない場所に」
私たちは、学院の温室へ向かった。
花の香りが満ちる静かな場所。
そこで彼は、過去の一端を語りはじめた。
「昔、私はラファエルと共に辺境の防衛線に就いていました。
任務の途中で、ある命令が下りました。
“魔導核を残して撤退せよ”と。
……けれど、そこにはまだ避難が完了していない住民がいたんです」
私は息を呑む。
「私は命令を破り、最後まで撤退を待ちました。
結果的に、その場は救えましたが、
軍法違反として処罰を受け、
ラファエルとは……それきりです」
「彼は、そのことを知っていたの?」
「……ええ。彼は、何も言わずにその場を去った。
それが、彼なりの選択だったのだと……
ずっとそう思ってきました。
でも、それが“見捨てた”と映っていたなら……
私は――」
彼は言葉を飲んだ。
けれどその視線の奥には、明確な後悔が宿っていた。
私はそっと、彼の背中に伸びる“青の糸”を見た。
それはまだ空に向かって漂っている。
でも、確かに、“誰かを求めている”色だった。
「だったら、話すしかないわ。
……ちゃんと、言葉にして。
じゃないと、糸はまた、切れてしまう」
「……でも、言葉にしたところで、彼が聞いてくれるとは限らない」
「それでも、言葉にしなきゃ、始まらない。
私、そういうの、何度も小説で見てきたから知ってるのよ」
私はにっこり笑ってみせた。
「私は“感情の糸”が見えるけど、
あなたたちは、それを言葉で繋ぐしかないのよ」
ユリウスは、ほんのわずかに目を細めた。
「……わかりました。
もし、機会があるなら、彼に伝えます」
その目は、確かに揺れていたけれど――
それでも、前を向いていた。
その日の午後。
私は、ラファエルにも会いに行くことにした。
彼もまた、“言葉にできていない”ものを、ずっと心の奥に抱えている。
ならば、その糸の端を、私が手渡さなくちゃいけない。
物語は、感情と選択で織られている。
だったら今、私はその“最初の一文字”を書きに行く。
それが、私の――役割だから。