火のゆらぎ、言葉のかけら
夜が、森を静かに包みこんでいた。
星のない空。風のない空気。
木々が身じろぎもせず、先ほどまでの激しい戦闘がまるで幻だったかのような静寂。
だが、肌に残る火薬の匂いと、胸の奥に残る熱は、まだ確かにそこにあった。
私は焚き火の前に座っていた。
淡い炎が、地面と空の境界をぼやかしながら揺れている。
その明かりの中で、私は“偶然”を装った“舞台”を整えていた。
ひとつの椅子を、炎の向こう側に。
もうひとつを、自分の隣に。
ただそれだけの配置。
けれどそれが、言葉を生む“余白”になることを、私は信じていた。
最初に現れたのはユリウスだった。
黒い制服の裾をわずかに焦がしたまま、無言で私の隣に腰を下ろす。
彼の動きはいつもと変わらず、無駄がない。
けれどその沈黙には、戦いのあとにしかない“疲労のにおい”があった。
「……お疲れさま。無事でよかったわ」
私がそう言うと、彼はわずかに頷いた。
少しして、足音もなくラファエルが現れた。
杖を手に、表情はいつものように無機質。
けれど、服の袖に泥が付いていることが、この夜の出来事の異常さを静かに物語っていた。
彼は正面に座り、私とユリウスを交互に見たあと、何も言わず焚き火に目を落とした。
ようやく、三人の呼吸がひとつの空間に重なる。
パチ、と乾いた薪のはぜる音。
私は、お茶のカップを三つ、火のそばに置いた。
「……夜は冷えますわね。どうぞ」
ふたりとも、無言のままそれを受け取る。
炎の明かりに照らされたカップが、手のひらの中で微かに揺れていた。
その沈黙の中で――
ユリウスが、ぽつりと口を開いた。
「……先ほどは、助けていただき、ありがとうございました」
低く、かすれた声。
それでも、その一言に宿る想いは、静かに火を灯すようだった。
ラファエルは焚き火を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
そして、ややあって返された言葉は、短くて冷静だった。
「反射だ。考えるより先に身体が動いただけ。
……礼は必要ない」
その声音に、私は微かな違和感を覚えた。
言葉が“防御”のように聞こえたのだ。
ユリウスはそれでも、まっすぐに言った。
「それでも……俺は、嬉しかった」
ラファエルの手が、カップの持ち手をほんの少しだけ強く握った。
火の粉がふっと、空へ舞い上がる。
「……変わったな、お前」
「クラリス様のおかげです」
私は、何気ない素振りで扇子を口元に寄せる。
(はい死ぬ。尊みで死ぬ。今のセリフ、何度でも再生したい)
けれど、声には出さなかった。
ラファエルは、ふっと微笑んだように見えた。
本当に見間違いかもしれないほど、ささやかに。
「……俺も、変われるのかな」
その言葉は、問いだったのか、ただの独白だったのか。
ユリウスが、かすかに首を横に振る。
「変わらなくていい。
あなたのままで、もう一度……隣に、立ってほしい」
一瞬、炎が大きく揺れた。
まるで、その言葉に風が生まれたようだった。
ふたりの間にあった“あの頃”が、ほんの一瞬だけ、確かに戻ったような気がした。
私は、静かに立ち上がった。
「……では、私は先に休ませていただきますわ。
おふたりとも、どうかごゆっくり」
背を向けながら、そっと振り返ると。
焚き火の灯りに照らされたふたりの影が、並んでゆらゆらと揺れていた。
言葉はもうなかった。
けれど、沈黙の奥にあったのは、“空白”ではなく、始まりだった。