観測者ノアとの遭遇
人の噂というのは、火のついた油のように早い。
あの日、ミリアに向けて放たれた心ない一言が、私の知らないところで勝手に“物語”になっていた。
「クラリス様が、庶民の少女に陰湿な嫌がらせをしているらしい」
「王太子殿下も、最近はあまり顔を見せておられない」
「近いうちに婚約破棄があるとかないとか」
いやいやいやいや。してねぇって。
むしろ私、ミリアにお茶を出して「一緒にお菓子食べましょう?」とか言ったんですけど!?
どうして“善意”がこんなに綺麗に“悪意”に加工されるんですか!? 加工職人か!
もはや私の善行は、すべて「偽善」「策略」として解釈されるフェーズに突入していた。
さすがテンプレ悪役令嬢。設定が強すぎる。
でも私は、それでも折れなかった。
だって、今はそんなことより――
「ユリウスとラファエル、再会させなきゃ」
そう、推しカプの再会こそが最優先事項。
この世界には、かつて私が心血を注いで追いかけたBL小説『紅蓮の誓約』のキャラたちが混ざっている。
騎士ユリウスはすでに確認済み。あとは、もうひとり――氷の魔導師ラファエルだ。
「二人を再会させて、少しずつ距離を縮めていって……あわよくば“共闘”とか“誤解からの仲直り”イベントがあれば……!」
尊すぎて心臓が爆発しそうだが、それはあとでじっくり悶えるとして。
問題は、この“物語世界”が完全におかしいということ。
本来乙女小説であるはずなのに、BL設定が混入してる。
しかも、登場人物たちはそれを“普通”だと思って動いている。
まるで、物語のジャンル同士が混ざり合って、境界が曖昧になっているかのように。
そんな中、運命の出会いは突然訪れた。
その日、夕暮れの中庭。学院の裏手にある噴水の前。
私は、ぼんやりと感情の糸を眺めながら座っていた。
風が木々を揺らし、水音が静かに耳を打つ。
その空気の中、不意に背後から声が響いた。
「君が、歪みに気づいた者か」
ゾクリとした。
誰もいなかったはずの場所に、ひとりの男が立っていた。
白銀の髪に、氷のような青い瞳。
漆黒のローブには不思議な紋章が浮かび、全身から“ただ者ではない”オーラが出ている。
「誰?」
警戒心を隠さずに問うと、男はゆっくりと頭を下げた。
「ノア。次元の観測者だ」
……観測者? それ、どこかのSFアニメで聞いたような……いや、そんなのよりも。
「君の中にあるものは、この物語の法則に適合しない。
そして、君が見ている“色”――感情構造視は、本来この世界には存在しない能力だ」
「うんうん、それな! だから私が、ユリウスとラファエルをくっつけて、世界のバランスを戻そうと――」
「……いや、違う」
「えっ」
ノアは一切の迷いなく、首を横に振った。
「君の“推しカプ”とやらは、世界の安定性と無関係だ。
むしろ、それは君個人の願望だろう」
沈黙。
「……まぁ、そうだけど!? でも!
その二人が結ばれたら、物語が“正しい形”に――」
「君の“正しさ”と我々の定義する構造的安定は別物だ。
主観によるカプ構築は、修復行為ではない。むしろ観測上はノイズに近い」
「ノイズ言うなああああ!!」
ほんと何!? この人、見た目だけ人間の、感情のないAI!?
ていうか、そんな冷静に推しの存在を否定しないで!? 尊さが吹き飛ぶわ!!
ノアはまったく表情を変えずに続けた。
「今はまだ観測段階だ。要因は不明だが、君の能力が影響を与えているのは確か。
我々の目的は、物語構造の整合性を回復し、世界を正常に保つこと――」
「じゃあそれ、推しカプ成立と、どこが違うの?」
「全然違う」
秒で即答された。
もう笑うしかない。
「……いいわ、じゃあ並行してやる。私は世界を救いながら、推しもくっつける!」
「“推しカプ”という単語を説明してもらえるか?」
「説明したくない!」
世界の歪みの修復。
推しの恋の成就。
全然別の目的なのに、なぜかこの場にいる私たちは、同じ方向を向いていた――ような気が、ちょっとだけした。