台湾青年その二
昭和39年(1964年)4月、石川誠はM大学商学部で留年し、単位のとれていない授業に出席する他、後輩の堀江康之、北原仙次、伊藤直樹たちのいる『王ゼミナール』に顔出しして学んだ。新年度の『王ゼミナール』の初めての集まりの時、新入生が沢山、ゼミナール室にいたので、石川はびつくりした。新しい3年生のメンバーは辻和也、風間健二、佐藤洋介、松本貢、山田昭彦、六馬英雄、三浦久子、江口安代、林千帆と大勢で、女性が3人も加入していたから驚いた。『王ゼミナール』は商学部のゼミナールであり、中国貿易のゼミナールだ。そのゼミナールに女性が3人も参加するなどということは、今までに無いことだった。貿易英語専門の『石田ゼミナール』に女性が入ることは理解出来るが、中国貿易の『王ゼミナール』に女性が参加することが不思議でならなかった。王育文先生の説明によると、彼女たちは文学部で王先生から中国語を習っている学生で、より詳しく中国や台湾の歴史を知りたいということもあっての、特別参加だという。いや女性ばかりではない。中国との国交のない現在、辻和也たち男性が、中国貿易のゼミナールに入る理由が分からなかった。新年度加入メンバーの紹介の時、3年生のリーダー、辻和也はこう挨拶した。
「僕は南京で生まれました。赤ん坊の時、上海から帰国したので、中国語は耳に残っていますが、喋れません。これを機会に、王先生から中国語を学び、日常の挨拶程度、話せるようになり、何時の日にか南京に行きたいと思っています」
辻和也の理由は明確だった。だが、辻が中国に行けるかどうかは、分からない。『王ゼミナール』は中国貿易のゼミナールであるが、現在、大学が考えている中国貿易とは、香港や台湾との貿易であり、鎖国状態の中国大陸との貿易ではなかった。文学青年の山田昭彦は、こう挨拶した。
「俺は中国文学に興味を持っています。杜甫や李白の詩が好きです。魯迅の小説も好きです。『王ゼミナール』で中国語の勉強をして、中国の歴史と文学を追求したいと思っています」
辻や山田のように、真面目に挨拶する者もいれば風間健二のように、おどけた挨拶をする者もいた。
「俺は英語の入部試験の無い、面接だけの『王ゼミナール』を選びました。英語を得意がってる連中に勝つ為に、中国語を、このゼミナールで習得したいと思っています。ここ数年のうちに中国大陸との交易が中国との友好商社によって、必ず始まります。その取引に英語は通用しません。英語を得意がっている連中の出来ない中国貿易を実現し、アメリカかぶれの連中に勝つ。これが俺の入部の理由です」
英語の苦手な風間らしい理由であった。女性たちの挨拶に、石川たちは先輩組は興味深々だった。まず三浦久子が挨拶した。
「私は第二外国語に中国語を選び、2年間、王先生に教えていただきました。中国語の勉強を2年で辞めてしまうのは勿体ないような気がして、文学部から特別に『王ゼミナール』に入ることを許可していただきました」
続いて野口安代が付け加えるように言った。
「私も三浦久子さんと同じ考えで、『王ゼミ』に入ることを決めました。三浦さんとクラスも同じで、2人で一緒なら、商学部の皆さんについて行けると思い、『王ゼミ』を選びました」
三浦久子と野口安代の挨拶は可愛かった。石川誠はスラットした黒髪を長く垂らしている林千帆が、どのような挨拶をするのか興味を抱いた。林千帆はゆっくりと喋った。
「私は5歳から12歳まで香港で暮らしていました。父が商社マンで香港駐在だった為、小学校まで香港で過ごしました。中学校まで神戸で過ごし、高校を卒業するや神戸の日中友好商社で事務仕事をやることになっていましたが、上司に基本的になっていないと叱られ、直ぐに会社を辞め、上京しました。そこで父と同じ貿易の仕事をしようと考え、商学部に入学しました。第二外国語は三浦さんたちと同じ中国語を選びました。中国語を思い出す為です。しかし、私の記憶に残っているのは広東語で北京語ではありません。ですから更に北京語を学ぼうと『王ゼミ』に入りました。現在、日本は台湾や香港との交易が盛んですが、風間さんが言うように、中国本土との交易が始まるのは目に見えています。その時の為に、私は中国語を勉強します。先輩や同期の皆さん、よろしくお願いします」
林千帆の言葉に、王育文は目を光らせた。台湾と中国を区分して喋る彼女に驚いた。風間健二が、中華人民共和国のことを中国大陸と言ったのに、林千帆は中国本土と言った。どういうことか。新入生の紹介が終わったところで、王育文は、林千帆の挨拶の言葉に出て来た中国本土と台湾について、説明した。
「私は諸君が私のゼミを志望した理由を再確認して、一層、元気づけられました。『王ゼミナール』の存在理由は、日本国が隣国と付き合う為に中国の歴史を諸君が学び、未来への研究を深め、将来に役立たせることです。そして、まず知っていただかなければならないのが、風間君や林さんが語っておられた、二つの中国です。この二つの中国については、中華人民共和国と中華民国ということで、中学校、高校の歴史で学んで来たと思いますが、これは林さんが言われたように、中国本土と台湾と表現した方が理解しやすいと思います。私は台湾の台南市の生まれです。小さな時から日本語を教えられ、日本人の先生から教育を受けました。台湾では、私より年上の人は皆、日本語が分かります。読み書きも出来ます。ですから私たち台湾人は、日本のチャンバラ映画『国定忠治』や『鞍馬天狗』を観て、泣いたり笑ったりするのです。私は台湾の台北高校を卒業してから、東京大学の大学院中国語学科に通い、今、博士論文を執筆中です。論文の内容は秘密ですが、中国本土と台湾に関する論文であることは確かです。私が、その中で論じていることが正しいか、何が正しいかは、これから築かれる歴史によって証明される筈です。現在、私が生まれた台湾は台湾という国でありながら、別名で呼ばれています。中華民国です。台湾人にとっても、日本人にとっても紛らわしい台湾の呼称です。中華人民共和国と中華民国。紛らわしいと思いませんか。この中華民国の呼称は、台湾で暮らす一部の人たちだけが使っている呼称です。大陸から台湾に逃亡して来た国民党、つまり蒋介石一派が決めた台湾の呼称です。本日、新入生の皆さんに、私の著書『苦悩する台湾』をプレゼントします。次回から、中国語指導と共に、この小冊子を参考に、中国と台湾について講義して参ります。中国を知ること。これが『王ゼミナール』の基本です」
新入生たちは王育文講師の言葉に圧倒され、皆、真剣な顔になった。石川誠は後輩たちが、王育文の経歴と台湾贔屓の情熱に、不思議な世界に引き込まれて行くような、呆気状態であるのを目にした。
〇
石川誠にとって、『王ゼミナール』の時間は退屈だった。3年生の時から4年生の時までに学んだことの繰り返しで、教室の中で浮いているような状態だった。4年生では伊藤直樹が『王ゼミナール』のリーダーになり、張り切っていた。だから直ぐに文学部で留年になった白石真二を誘い、『王ゼミナール』に参加している自分たちが邪魔者であることに気づいた。正常に考えれば、それは当然のことだ。ゼミナールの単位は既に4年生の時、取得したのであるから、この教室にいる必要がない。その上、高校時代の仲間を連れて来るとは異常だ。それに気づいた石川は『来々軒』での仕事を続けている楊映心が出入りしている『台湾青年会』の事務所に顔出し、時間をつぶすようになった。『王ゼミナール』の授業は王育文の歴史観と学生たちの討論の場だった。ところが3年生の文学青年、山田昭彦にとって、王育文の講義は中々、面白く、待ち遠しい教科であった。中国大陸ではなく、台湾島、そのものの歴史の学習であったが、興味深かった。だが辻和也や佐藤洋介たちや三浦久子たちは、中国語の学習を希望していた。ところが王先生は教室に入って来た時の〈你好〉と教室から去って行く時の〈再見〉しか、中国語を喋らなかった。中国語を学びたい連中が多いのに、王先生は、あえて中国の歴史を語った。王先生にとって、商学部のゼミナールは、貿易相手国、中国の歴史と現状を学生たちに教え、どのようにすれば中国語圏との貿易が上手く出来るかを指導研究する立場にあった。しかし、予想していたのと異なる『王ゼミナール』の活動に、三浦久子や野口安代も不平を抱き、『王ゼミナール』の学年委員長である辻和也に、その不満をぶちまけた。辻は、その訴えを王先生に伝えようとしたが、迷った。どうしたものかと山田に相談した。山田は自分の意見を辻に伝えた。
「文学部から参加している女性たちの気持ちを分からぬではないが、『王ゼミ』は中国貿易のゼミなので、王先生が言われるように、中国を知ることを学習するのが第一だと思う。『王ゼミ』は商学部の授業の一端のゼミなのだから、文学部の女性たちに、王先生の指導方法をとやかく言われることはないと思うが・・」
山田のこの言葉に、辻和也は渋い顔をした。
「そうは言っても、僕は『王ゼミ』の学年委員長だ。授業方針変更を相談されて、それを放って置く訳には行かない」
「ならば商学部の女性にも意見を訊いたらどうだ。彼女が同じ意見だったら、先生に相談しても良いだろう」
辻は山田の言う通りだと思った。1部の者の意見を全体の意見とするのは正しくない。ここは辻の言う通り、商学部の女性、林千帆の意見を求めよう。しかし1対1で女性に会うのは何となく照れ臭いので、遊び人の山田に、その仲介役を依頼した。結局、頼まれたら断れない性分の山田が、その交渉役に立つことになった。山田は『世界経済』の時間に、林千帆に近寄り、囁いた。
「林さん。放課後、喫茶店『田園』で『王ゼミ』の件で、辻が会いたいと言っているが、都合はどうかな?」
「いいわよ。4時に『田園』ね」
彼女は一発回答してくれた。山田はふざけて、彼女に謝々と礼を言った。その山田の顔を見て、林千帆の顔が少し曇った。山田は彼女と会う約束が出来たことが嬉しくて、彼女の表情の変化に気づかなかった。興奮したまま、『世界経済』の授業に出席した。その後、『配給論』の授業にやって来た辻和也に訊かれた。
「どうだった?会ってくれそうか?」
「勿論だ。俺は狙った魚を逃がさない。4時、『田園だ」
「流石、ドン・ファン。女には強いな」
辻にそう言われ、山田はちょっぴり良い気分になった。何の手練手管も使わず、『田園』でゼミの件で会いたいと申し込んだだけのことであるのに、辻は山田の協力に感激してくれた。それにしても林千帆は美人だ。長い黒髪を垂らし、スタイルは抜群。その面輪は目が切れ上がって美しい。白い顔にほんのり化粧した色やかさは何とも表現し難い。辻は喜んだ。
「彼女の意見はどうだろうか?」
「会ってからでないと分からないよ。今、考えたって、考えるだけ無駄だよ」
「それも、そうだな」
辻和也にとって、林千帆の意見がどうなのか、心配で心配で仕方ないみたいだった。彼女の意見によっては、王育文講師の講義内容を変更してもらう交渉をしなければならない。教えを乞う学生が、講師に向かって、講義内容の変更を申し出るなんて、おかしな話だ。だが現状、2人の女子学生から不平不満が出ている以上、他の男子学生にも不満を抱いている学生がいるかもしれない。自分が『王ゼミナール』の学年委員長である以上、皆の意見を訊かなければならない。佐藤、風間、松本、それに六馬といった仲間も、いろんな意見を持っているかもしれない。彼らには『配給論』の授業が終わってから訊いてみよう。『配給論』の教室に入り、少しすると、戸村教授がやって来て、『配給論』の授業が始まった。林千帆は最前列の席に座って、真剣に講義を聞いているようだ。山田昭彦は、最後列の窓際の席に座り、窓の外を眺めた。大学の裏庭には真紅のバラの花が咲いて、5月の青空には白い雲が、ゆっくりと散歩していた。
〇
午後4時、辻和也と山田昭彦はM大学から御茶ノ水駅に向かう途中の喫茶店『田園』に出かけた。待ち合わせの相手、林千帆は、既に2階の片隅のステンドグラスの窓辺の席で、コーヒーを飲んでいた。辻は彼女を発見するなり、深く頭を下げた。
「遅れて申し訳ありません」
すると学年委員長に頭を下げられた林千帆は笑った。
「いいのよ。私が早すぎたのですから。山田さんも来てくれたのね」
「はい。辻の奴が、『王ゼミ』のことだから、お前も一緒して、話をしようって言うものだから。辻の奴、貴女と1対1だと、何も喋れなくなるのじゃあないかと心配になって、同席させていただくことに」
山田が、そう答えると、彼女は、再び笑った。辻は真っ赤になった。山田は辻に彼女の前に座るよう指示して、その横に座った。林千帆は並んで座る2人を見て、クスリと笑った。彼女にとって、2人とも、とても純情そうに見えた。辻が彼女に訊いた。
「何が面白いのです?」
すると彼女は笑って答えた。
「早く飲み物を註文しないと、彼女に申し訳ないわ」
辻と山田は振り返った。ウエイトレスが注文カードを持って待っている。辻が慌ててウエイトレスに答えた。
「僕、コーヒー」
「俺も同じだ」
山田はウエイトレスに、そう答えると、林千帆に微笑み返した。彼女は俺たちを弄んでいる。女の媚びを売っている。俺は辻とは違う。少年時代から高校と、沢山の女と付き合って来た。年上の女とも関係した。彼女の男へのからかいも、今のうちだ。何時か俺の前で跪かせてやる。山田がそう思っていることも知らず、彼女は山田に言った。
「山田さんて、何時も明るいのね」
「俺が明るいって。そう言われると、嬉しいけど、本当は暗い文学青年のつもりでいるのだが・・」
「まあ、そうでしたの。ごめんなさい。ところで何かしら、辻さんの『王ゼミ』の相談って?」
そう訊かれて辻和也は赤面したが、喫茶店内は暗くて分からない。辻は初めから林千帆に圧倒されていた。直ぐに言葉が出ず、唸っていたが、山田が尻を突くと、急に元気になって喋り始めた。
「先日、三浦久子さんと野口安代さんから、『王ゼミ』の在り方について、僕に相談がありました。それは中国語の勉強をしようと『王ゼミ』に入ったのに、中国語を教えてくれないという不満です。僕は『王ゼミ』3年生の学年委員長なので、この不満に対し、全員の意見を訊かなければなりません。その上で、石川先輩や伊藤リーダーに相談したりして、、その結論を出し、王先生にゼミ員の考えを話そうと思います。三浦久子さんたちの考えを林さんは、どう思われますか。中国語のゼミにした方が良いですか?」
辻和也の問いに、林千帆は直ぐに答えず、考え込んだ。答えに戸惑っている風だった。しばらく考えてから、彼女はちょっと溜息をつき、ポツリと言った、
「そうねえ。中国語の勉強をもっとしたい。難しい問題だわね」
「そんなに難しい問題ですか?」
「だって、そうでしょう。『王ゼミ』で教えている台湾の歴史は、王先生のライフワークよ。王先生の『王ゼミ』での講義は、一人でも多くの人たちに、台湾の苦悩を知って貰う為の種まきなの。先生の望みは私たちを通して、日本人だけでなく、アジアの人たち、世界中の人たちに、台湾の現状を知ってもらいたいのよ。そのゼミの講義を止めさせて、中国語の学習に切り替えるなんて、無理よ。彼女たちは王先生のことを英語教師みたいに考えているようだけど、辻さんが、そんな講義変更を提案をしたら、先生は、お辞めになるわ。ライフワークを遂げる為に、寄り道は出来ないの」
「ライフワーク?」
「王先生は中国というより、台湾を語りたいのよ。ですから前期は、先生の講義を素直に聞きながら、中国語を教えてもらうことね。先生の考えは、先生からいただいた『苦悩する台湾』を読めば分かるわ。私、もう最後まで読んじゃった」
林真帆の言葉に辻と山田は唖然とした。2人とも王育文講師の『苦悩する台湾』を読破していなかった。『王ゼミナール』の授業で、王育文講師の指導に従い、第1章から順に学んでいるに過ぎなかった。その為、2人には林千帆の言っていることが、半分くらいしか理解出来なかった。ただゼミナールの授業は現状のままがベターであるという彼女の考えを知ることが出来た。辻は自分を反省した。林千帆は王育文講師について自分たちより詳しく知っている。自分や山田より、先に勉強を進めている。彼女はゼミナールでの学習に真摯だった。彼女は引っ込み思案では無く、むしろ前向きな性格で、辻に確認した。
「辻さんは南京生まれでしたわね。矢張り貴男も、将来、南京に行く為に、三浦さんたちのように中国語を勉強したいですか?」
「勿論、中国語を話せたら便利ですからね。しかし僕は自分が中国語を覚えたいから、『王ゼミ』で中国語を教える時間が無い事を、問題にしているのではありません。あくまでもゼミのメンバーから、ゼミの授業で中国語を学びたいという意見が出たからです」
「分かっているわ。女性2人に泣きつかれたからでしょう」
「そうなんだよ」
林千帆は困惑している辻の顔を見ると、何故か学年委員長の辻の事が可哀想になった。そこで困り果てている辻に提案した。
「私にお任せ下さい。ゼミの授業が始まる15分前に、皆に集まっていただき、私が中国語を教えましょう。日常会話程度でしたら、私にも教えられます。彼女たちとも中国語会話の練習をします」
「本当ですか。それは有難い」
「俺にも教えてくれますか?」
山田が、千帆に質問すると、彼女は笑った。
「勿論よ。同じゼミの仲間ですもの。付き合って上げるわよ」
山田は、また俺をからかっていると思った。辻は林千帆のポンポンと跳ね返って来る言葉に不思議な親しみを感じた。彼女に相談して良かったと、胸を撫で下ろした。彼女がゼミの始まる前に中国語の日常会話の指導をしてくれるというのであれば、三浦久子や野口安代は『王ゼミナール』に積極的に参加してくれるであろう。王先生でなければ駄目だとは言うまい。辻は目の前の林千帆に深く頭を下げた。
「林さん。では次回のゼミの授業から、中国語を僕たちにも教えて下さい。よろしくお願いします」
「オッケーよ。でも教えるという言葉は使わないで。中国語の喋り合いタイムとしましょう。私が教えるとなると、中国語を習って来た彼女たちにも抵抗があると思うの。皆で中国語会話の練習をする。それで良いと思うわ」
「流石、お姉さん。人の心理、読んでるう」
「からかわないで、山田さん」
林千帆は、そう言うと、山田の頭を拳骨で、コツンと軽く叩いた。辻は彼女とふざけ合う山田に嫉妬を感じながらも、林千帆に相談して良かったと、2人と一緒になって笑った。
〇
6月1日、月曜日、石川誠は『台湾青年会』の事務所に行った。そこで宗方隆と機関紙の原稿整理をしていると、仙台の林栄源から宗方に電話は入った。宗方隆は宋英中のペンネームで活動していたので、皆から英中と呼ばれていた。
「英中さん、『青年会』の中にスパイがいるよ。気を付けないと」
「何だって!」
「新しい中央委員会のメンバーの氏名や組織及びそれに関係する人事内容を記したビラが、東北地区の台湾留学生に配送されている。内部事情を相当に詳しく知っている者の仕業だ。『台湾青年愛国会』と名乗っているが、国民党特務機関が印刷したビラであることは明白だ。彼らは王育文先生の思想を、国賊の思想だとののしり、台湾留学生は国民党の指導に従い行動してこそ、中華民国の繁栄があるのだと宣伝している」
林栄源からの連絡を受けた、宗方は、廖建龍を仙台に派遣した。廖建龍は林栄源に会い、実物のビラを入手確認し、それを東京へ持ち帰り、宗方隆たちに見せた。そのビラを見て、委員長の黄有仁、事務局の宗方隆や石川誠は蒼白になった。そのビラの内容は林栄源が宗方に電話で話した通りで、5月17日の『台湾青年会』の中央委員会で決めた内部情報が記されており、会の情報が筒抜けであることを証明していた。
「栄源さんの言う通りだ。我々メンバーの中に、特務と繋がっている者がいるぞ」
「中央委員会のメンバーリストは幹部以外が入ることの出来ない2階の会議室に掲示したばかりで、一般会員には分からない、ペンネームになっている。それなのにペンネームで無く、本名で記されている。これは明らかに内部に特務のスパイがいるということだ。スパイは一体、誰だろう」
黄有仁、廖建龍、宗方隆、石川誠の4人は、スパイ行為をしている犯人が、誰か考えた。会員の中で、スパイの可能性がある者が数人いた。その数人を黄有仁と宗方の2人が直接、調査することに決めた。黄有仁が3人に言った。
「このことは王先生に、しばらくの間、秘密にしておこう」
黄有仁は会員の中に、国民党の特務のスパイがいると知ったら、王育文が落胆するであろうと推測し、王育文には内緒にし、秘密裏にスパイ探しを始めた。そして会員の1人、陳純真がスパイであると突き止めた。6月22日の夜、黄有仁たち幹部は、『台湾青年会』の本部に陳純真を呼んで尋問した。幹部が居並ぶ会議室の席に陳純真を座らせると、まず黄有仁が陳純真に言った。
「陳同志。只今から君を『台湾青年会』に関する機密漏洩の件で査問する。君は機密漏洩などしていないと言うが、調べは既についている」
すると陳純真は黄有仁委員長を睨みつけて言った。
「そんな事を言われても、僕は秘密漏洩などしていません」
「陳君。嘘をついても無駄だ。今回の君の違反行為は家庭的事情があっての犯行と、我々は判断している。その為に、君が犯してはならない事をやったと思っている。その点は君に同情する。とはいえ『台湾青年会』の機密の漏洩は、あってはならない事であり、今後、君がどうなるかは、君の出方ひとつだ。どういう事情で、どういう事を相手方に喋ったのか、誠意をもって話してくれ。全てを正直に話し、反省するなら、我々は君の処罰を穏便に済ませようと思っている」
「そう言われても、僕は機密漏洩などしていませんから、話しようがありません」
陳純真は犯行を否認した。すると廖建龍が、仙台で手に入れたビラを示して、尋問した。
「我々は特務にレポートを提出している学生が誰であるか、ずっと内偵して来た。そして君が犯人であると断定した。君が何故、機密を漏洩したのか、君に詳しく白状してもらいたい。どんなルートで漏洩したのか、説明してくれ」
「僕が何をしたというのです。僕に、そんなビラなど作れません。言いがかりはやめて下さい」
「君が飯倉の大使館に出入りしていることは明白だ。しらばっくれるな」
「確かに僕は『駐日国府大使館』に姉の仕事の手続きで、行ったことがあります。僕は姉の家に住んでいて義兄との関係があり、姉や義兄の前で、日本で商売させてくれている蒋介石政権を褒めたり、大使館に行って、〈中華民国万歳〉を口にしたことがあります。それは義兄たちに自分の考えを気づかれぬ為の、見せかけのポーズです。行きがかり上、そんなことは誰にもあることではないでしょうか。何故、大使館に行ったことくらいの事で、僕が責められなければならないのですか?」
陳純真は廖建龍の尋問に対して話をはぐらかし、自分は情報を漏洩した犯人ではないと、あれやこれや言い訳をした。廖建龍は、それでも冷静に詰問した。
「我々はこのビラの情報を誰が流したのか、内偵して来て、君が特務と通じていると突き止めた。何故、君が特務に加担したのか、何故、我々を裏切らねばならなかったのか、その理由を知りたい。何故、裏切った?」
「僕は、この会を裏切った覚えはない。絶対に裏切っていない、僕は男だ。僕は台湾人だ」
陳純真は黄有仁委員長や問い詰める廖建龍や会の幹部を前にして、せせら笑い、自分は台湾人であると主張した。あまりにも人を食った陳の態度に載天光が身体を振るわせて怒った。
「この野郎。嘘を言うな!」
たまりかねた載天光が、突然、陳純真に襲い掛かった。怒りを爆発させた載は、あっという間に、陳の左肩を、鋭いナイフで突き刺していた。陳の肩から鮮血が飛び散った。載は、それでも尚、陳を刺した。それを見た宗方隆は黄有仁と慌てて載天光を背後から取り押さえた。
「止めろ、載。陳は同志だ。陳も理由があってのことだ。殺してはならぬ」
黄有仁の言葉に、載は切出しナイフを手から落とし、宗方に引っ張られ部屋の片隅のソフアに座らせられた。載は怒りを抑えられず、ふてくされて、ソフアに寝そべった。陳は血を流している個所を、張南雄に手当してもらい、泣きながら告白した。
「申し訳ありません。何もかも話します。僕は『駐日国府大使館』の文化参事所の余承業に脅迫され、スパイ活動の依頼を受けました。僕は『台湾青年会』とは、何の関係も無いと断りましたが、協力しないと台湾で病床に伏している父を逮捕し、獄死させると脅迫されました。また東京で商売をしている義兄と姉のパスポートの延長を認めず、日本での商売が出来ないようにするからと、脅迫されました。そうして3万円で仕事を引き受けさせられました。皆さまを裏切ってしまい、大変、申し訳ありません。心から恥ずかしく、深くお詫び申し上げます。許して下さい」
陳の肩の出血は中々、止まらなかったので、張南雄の応急手当を宗方隆が手伝った。そんな手当を受ける陳純真に、黄有仁は自白書を書かせた。それから張南雄に車を運転させ、近くの『慶応病院』に連れて行った。廖建龍と載天光は陳純真を救急診察室に送り込み、廊下で待つ間、気が気で無かった。診療室に入った陳純真は、手当を受けてから医師に訊かれた。
「ひどい傷じゃあないか。どうしたんだね?」
「僕が悪いんです。仲間と政治の事で喧嘩したんです」
すると医師は直ぐに看護婦と一緒に、傷の手当てをして笑って言った。
「最近、君のような学生が多くて困る。学生運動も良いが、学費を工面してくれている親のことを思い、真面目に学業に励みなさい。本来なら警察に届けなければならないのだが、学校に知れて、退学にでもなったら大変だ。内密にしておくから、学生運動はやめなさい。学生は学問が仕事です」
「は、はい。そう心がけます」
陳純真は、そう言ってくれた医師に深く頭を下げ、診察室から廊下に出た。廊下で待っていた廖建龍と載天光が、直ぐに訊いた。
「どうだった?」
「うん。2,3回、通うことになるって。仲間内の喧嘩だと言ったら、先生は笑って納得してくれた」
陳純真から医師に疑われずに済んだと聴いて、廖建龍と載天光はホッとした。もし、この病院で陳純真が、リンチにあったと真実を告げたら、『台湾青年会』の中央委員のほとんどが、警察に逮捕されるに違いなかった。それにしても『駐日国府大使館』の文化事業官の余承業が、特務の指令係をしていたとは、全くの驚きであった。油断出来ない。
〇
6月25日、第4木曜日、M大学の『王ゼミナール』の授業前、林千帆は、806号室で三浦久子、野口安代をはじめ、辻和也たち男子学生に、中国語を教えた。林千帆を中心とする女子学生3人を男子学生数人が囲んでの中国語会話の勉強は、下手でも、初めて中国語を習う者たちにとって、とても楽しい時間だった。4年生は就職活動で、誰もいなかった。その中国語の練習をしている806号室に、突然、王育文講師が、駆け込んで来た。息も絶え絶えだった。恐怖に怯え、蒼白の顔をして、目の色を変えていた。
「諸君。私を助けてくれ」
王育文講師は、そう言って、テーブルの陰に隠れた。辻和也たちが、何事かと、一瞬、顔色を変えると、人相の悪いヤクザ風の男、2人が、806号室のドアを足蹴りして入って来た。当然の出来事に学生たちは震え上がった。
「出て来い。王育文!」
辻も山田も、足がぶるって身動き出来なかった。1人の男がテーブルの陰にしゃがんでいた王育文講師を見つけ出し、王講師の首根っこを押さえつけた。ああ、先生がやられる。誰もが、そう思った。次の瞬間、六馬英雄が、暴漢に向かって叫んだ。
「先生に何をするのだ!」
頑丈な身体をした六馬は、王育文講師を押さえつけている男に跳びかかり、王講師を引き離すと、その男に二段蹴りを食らわせた。男はよろけ、六馬が足を払うと、見事に技にかかって、暴漢は806号室の床に叩きつけられた。それを見て、もう1人の男がポケットから切出しナイフを取り出し、六馬に向かって身構えて叫んだ。
「邪魔立てすると、命はないぞ」
「そんな屁っ放り腰で、俺に勝てると思うのか?」
六馬は、そう言うと空手の構えをした。山田も椅子を持ち上げ、暴漢に対峙した。辻たちも、それに倣った。それを見て、暴漢の一人が危険を感じて、仲間に言った。
「やばい。引き上げよう」
大勢に構えられて、敵わないと思ったのだろう、暴漢たちは逃走した。六馬も山田も、逃げる暴漢を追おうとはしなかった。三浦久子が王育文を支えながら、辻に訊いた。
「警察に知らせましょうか?」
すると王育文は、我に返り、学生たちに向かって言った。
「警察に知らせないで下さい。私事で、大学に迷惑をかけられません」
「でも、一体、あいつらは何者です?」
王育文は興奮して訊く学生たちの気持ちを鎮めなければならないと思った。真実を話すべきだと思った。
「彼らは国府の回し者です。諸君、助けてくれてありがとう。六馬君、本当にありがとう。このことは無かったことにして下さい。大学に知れたら私は免職となります。今、あったことは、すっきり忘れて下さい」
王育文講師は悔しさを堪え、事件を荒立てないよう依頼した。学生たちは、王講師が、どんな境遇にあるかを理解した。まだ肩で息をしている王講師を見て、辻和也が言った。
「先生。僕たち中国語会話の練習をしますので、そこで少し休んで聞いていて下さい。林さんに指導してもらい、少し話せるようになりましたよ」
「そうですか。それでは10分ほど休ませて下さい。それから台湾の歴史の授業を始めます。私には時間が無いのです。中国語を教える時間が無くて申し訳ありません。台湾の歴史も中国を学ぶことです。何時の日にか私も、諸君と一緒に中国大陸や台湾への旅行をしたいと思っています。その時の為に、中国語会話をしてみて下さい」
王育文講師の言葉に、三浦久子、野口安代が中心になり、中国語会話を始めた。王育文は、事件の事を忘れたかのようにテーブルに両肘をついて、下手な中国語会話を、楽しそうに眺めた。林千帆は中国語をほとんど口にしなかった。辻は、それを不思議に感じた。10分程すると王講師が辻に言った。
「もう良いでしょう。皆さん随分、上手になりましたね。こんなに話せれば十分に通用します。この次は私が台湾の新聞を持って来て、皆さんに、それを読んで上げましょう。では講義を始めます」
王育文は中国語会話に熱心な三浦久子たちを、褒めてから台湾の歴史の授業に入った。以前、林千帆が辻たちに語ったように、王育文にとって、台湾の歴史を若い日本人に伝えることは、まさにライフワークそのものだった。王育文は『苦悩する台湾』に沿って、オランダ統治下の台湾社会と、郭慎一の反乱の講義を行った。辻も山田も、林千帆が言ってた通り、王育文講師は時間に追われていると思った。それにしても、今日、王育文講師を襲った国府の回し者とは、一体、どんな連中なのだろうか。何故、王先生を狙ったのか。台湾の回し者が、何故、日本にいる王先生を狙うのか。辻は林千帆に言われ、『苦悩する台湾』を最後まで流し読みしたが、まだ理解出来ないことが多かった。王先生は何故、日本に亡命したのか。台湾とは、そんなに複雑な国なのか。王先生の実兄が台湾政府に殺されたというが、王先生もまた、台湾政府に狙われているのだろうか。王先生は国家から狙われるような、そんなに偉大な人物なのか。辻には良く理解出来なかったが、辻は学年委員長の立場から王先生を守って上げなければならないという使命感を抱いた。そして、その日の授業が終わってから六馬英雄と一緒に、王先生を、練馬の自宅まで送り届けた。
〇
石川誠と楊映心は、その日の夜、『王ゼミナール』の後輩、風間健二から事件の事を聞き、緊張した。台湾政府の特務員の手先が、大学の構内にまで刺客を送って来るとは、尋常では無かった。楊映心は石川に言った。
「こうなったら、私が王先生を守ります。留学生の中に、陳純真のような裏切り者がいたことはショックです。同じ事が起らぬよう、用心しなければなりません」
「そう言うが、どうやって王先生を守るのだ?」
「王先生の送り迎えを私がやります。私が出来ない時は、後輩の伊藤君に協力してもらいます。出来れば君にも協力してもらいたい」
楊映心の依頼により、石川、伊藤、堀江、北原、風間といった日本人学生が、王育文の自宅と大学の間のカバン持ちを交替で務めることになった。『台湾青年会』の黄有仁は、恩師、王育文が危険な状況にあることを感知して、王育文に『台湾青年会』内部で、スパイ事件があったことを、電話で報告した。
「残念なことですが、陳純真が、特務の手先であったことを報告しておきます。また本日、施史明から陳純真が我々を告訴したとの電話がありました。史明の話では、国府の特務は『駐日国府大使館』を通じて、日本の法務省を動かし、我々を一網打尽にしようと企んでいるのではないかという事です。先生におかれましては、当分、『台湾青年会』本部に近寄らないよう、お願いします」
それを聞いて、王育文は黄有仁の忠告に従い、『台湾青年会』事務所との接触を断った。大学に通う時以外は、自宅に、石川、楊、伊藤、堀江、風間、辻といった『王ゼミナール』の学生たちを招いて、麻雀に明け暮れした。王育文講師の麻雀の腕前は超一流で、麻雀好きの石川誠もタジタジだった。麻雀をしている時の王育文は明朗豪快で、学生たちと同年配に若返った如く、パイさばきも若々しかった。育文の妻、芳梅は、そんな主人と学生たちの様子を楽し気に眺め、彼らの食事などの準備に夢中になった。麻雀が出来ない楊映心は、女子中学生の安麗と一緒に買い物に出かけたりした。その途中、楊は安麗に訊かれた。
「楊さんたちは何故、私たち家族に優しくしてくれるのかしら?
「王先生は私たち台湾人の希望の星なんだ。先生なくして台湾の未来はない。私たちは先生に勇気づけられて生きている。先生が台湾人による台湾人の台湾の完成を目指しているからだよ」
「楊さんたちは何故、父と同じように遠く離れている台湾のことに夢中になれるの?住んでいるのは日本でしょう」
「それは先生や私たちにとって、台湾が故郷だからさ」
「ふう~ん。でも日本にいて台湾の夢を抱くのは、それこそ夢の気がするけど・・」
2歳ちょっとで、母と一緒に日本に移住した安麗にとって、台湾は記憶にない未知の国だった。父祖の地とは話に聞いているけれど、その島国が、命を懸けてまで支援改変しなければならない所とは思えなかった。安麗の言葉を聞いて、楊映心は愕然としたが、気を取り直して安麗に言った。
「王先生は、私たち台湾人を中国人の暴挙の中から救済しようと努力しているのです。王先生は台湾人です。安麗さんのお母さんも、安麗さんも台湾人です。私も台湾人です。台湾は台湾に昔から住んでいる台湾人の長い歴史と父祖たちが注いで来た血と汗と涙の島です。私たちは、この事実を抹消する訳には行きません。ところが、この事実は中国大陸から流れ込んで来た外来の蒋介石政権により、否定され、抹消されています。私たちは、それを容認出来ません。私たち台湾人は、大日本帝国が滅びると同時に、『台湾共和国』として独立し、永遠の幸福を求めて、新しく出発したのです。現在の台湾の政府は『台湾共和国』の政府では無く、台湾に逃げて来た中国の国民党一派の傀儡政府なのです。ですから私たち台湾人は、共に力を合わせ、台湾の真実の歴史を引き継ぎ、『台湾共和国』の夢を実現させたいのです。その為に私たちは王先生の教えに従い、蒋介石政権と戦っているのです。私たちの運動は台湾人と中国人の民族闘争、植民地解放運動なのです」
楊映心は興奮し、安麗に説明した。安麗は楊映心の瞳の輝きに、男らしさを感じた。
〇
7月最初の日曜日、7月5日、山田昭彦は渋谷のハチ公前で、林千帆を待った。先週の授業の帰り、渋谷で映画を観る約束をしていた。午後1時半、彼女は白いワンピース姿でやって来た。
「你好」
「你好」
2人は出会うと直ぐに道玄坂の映画館に向かった。信号を渡って、坂道を上る2人の姿は、恋人たちみたいだった。2人は映画館の窓口で入場券を買い、中に入り、後方の席で、2人並んで、外国映画を観た。上映されているのは、ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーン共演の『昼下がりの情事』とロバート・テイラーとヴィヴィアン・リー共演の『哀愁』だった。『昼下がりの情事』は私立探偵の娘を扮するヘップパーンのパリを舞台にしたロマンチックコメディで、山田も千帆も笑ったり、しんみりしたり。『哀愁』はイギリス軍将校とバレエの踊り子がウォータールー橋で巡り合うストーリィで、その映画が始まってからは、2人は笑いもしなかった。ロマンチックな映像に感動し続けた。『哀愁』の終盤になって、山田は千帆の手に触れてみた。彼女の手は柔らかく、か細い、たおやかな手だった。山田がその手を、そっと放そうとすると、彼女が反対に握り返して来た。山田は自分の身体が火のように燃え上がるのを感じ、焦った。『哀愁』のラスト曲は『蛍の光』だった。卒業式のたびに耳にした美しく哀しい曲だ。その曲に合わせて、スクリーンの幕が下りると、山田と千帆は立ち上がり、観客と一緒に、ゾロゾロと外に出た。それから恋文横丁のレストランに入って食事をした。運ばれて来たポークソテーと野菜サラダを食べながら、見て来た映画の話をした。『哀愁』について山田が語った。
「あの『哀愁』に出て来るウォータールー橋は、数寄屋橋だね」
「スキヤ橋って何?」
「春樹と真知子の」
「ハルキ、マチコ?そんなスキヤキがあるの?」
山田は香港で育った千帆が『君の名は』のドラマを知らないことに気づき、数寄屋橋の話を止めた。『君の名は』の小説は『哀愁』の模倣ではないかなどと、思いつつ、千帆に教えた。
「食べ物の名前で無くって、ブリッジの名前だよ」
「まあ、そうだったの。私ったら恥ずかしいわ。山田さんといると、いろんなことを知ることが出来て、私、嬉しいわ」
「俺も日曜日に貴女と映画を観て過ごせたなんて、夢のようです。ゼミの連中が見たら、怒るだろうな」
「そうかしら」
「そうですよ。貴女は『王ゼミ』の薔薇の花なんです。辻も風間も六馬も、皆、貴女に憧れているんだから・・」
山田は、この時とばかり、彼女を良い気分にさせ、心の丈を、彼女にぶつけた。褒められて悪い気になる女はいない。千帆は赤くなって言った。
「そんなこと無いわ。六馬さんや松本さんは、私のことなど無視しています。むしろ六馬さんは、私を嫌っています。あの人を見ていると、私、寒気がします。ヤクザを床に叩きつけた横暴さ。あれは狂気です」
「でも、あの時、六馬がいなかったら、王先生は殺されていたかもしれないよ}
「そうね」
林千帆は六馬の話になると、急に嫌悪感を示した。彼女は六馬のように頑丈で毛深くて、乱暴で、野性的な奴が嫌いなのだろうか。それとも、説得もせずに、直ぐさま空手を武器に暴力を働いた彼を目の当たりにして、嫌いになったのだろうか。山田は話題を変えた。
「千帆さんは、最近、どんな小説を読まれていますか?」
「カフカの『変身』を読みました」
「難しい小説を読むのですね」
「変身したいと思っているの。読んでみたけど、哲学的で馴染めなかったわ。山田さんは、どんな小説が好きなの」
「うん。三島由紀夫とか石原慎太郎の作品だね」
「私、三島由紀夫の『潮騒』を読んだことあるわ。それ以外、読んでないわ」
食事を食べ終わり、コーヒーが運ばれて来ると、再び、王育文講師のことが話題となった。博士号を取得する為に東京大学に通っている王育文の優秀さと努力について林千帆は称賛した。それと共に、王育文がM大学の貧乏講師であることも強調した。誰から聞いたのか、彼女は王講師の家族構成まで知っていた。まるで探偵みたいだった。山田が彼女の事を知っているのは、『王ゼミナール』に入った時の兵庫県出身で、香港で暮らしていたことがあるという自己紹介で聞いた内容程度だった。住所は目白と訊いてはいるが、自宅なのか下宿なのか不明だった。山田は、そのことについて訊いてみた。
「千帆さんは下宿しているのですか?」
「まあ、そんなとこね」
「一人ですか?」
「兄と一緒よ」
その言葉を聞いて、山田はショックを受けた。あわよくば彼女の部屋に行ってみたいと思っていたのに、兄と暮らしているなんて。付き合いずらいと思った。食事を済ませ、外に出ると夜風が心地良かったので、2人はほぼ完成した『代々木オリンピック競技場』を観に、渋谷から代々木まで夜の散歩をした。千帆がいろんなことを話したが、山田は空想ばかりして、彼女の言葉が耳に入らなかった。そして原宿駅で彼女と別れた。
〇
7月23日、木曜日の早朝、『台湾青年会』本部事務所に私服の警察官、11人が踏み込んで来た。本部に寝ていた廖建龍と宗方隆はびっくりした。警察官代表に家宅捜査令状を示され、1階と2階をくまなく捜査された。その上、幾つかの書類などの物件を押収され、持って行かれた。この家宅捜査は、あらかじめ施史明から、アドバイスを受けていたので、機密書類は既に他に移していて、それ程、問題になるものは無かった。だが、この捜査により、黄有仁、廖建龍、載天光、許安成、張南雄、柳文卿、宗方隆の7人が逮捕され、警視庁で取調べを受けた。逮捕の理由は集団リンチだった。石川誠は新聞を読んで驚いた。
:警視庁捜査二課と新宿署は、台湾人留学生、陳純真さん(24)が集団リンチを受けたとして、新宿区南元町にある『台湾青年会』本部を家宅捜査し、黄有仁ら台湾人6名と日本人男性1名を傷害監禁などの疑いで逮捕した。調べによると先月23日、陳さんは午前8時から翌日の午前1時まで、『台湾青年会』本部事務所内に監禁され、顔を殴られた他、首を切られるなどの暴行を受けて、『慶応病院』に入院したという。全治3,4日間の傷で大事に至らなかった。『台湾青年会』のリーダー、黄有仁は陳さんに負傷させた事実を認めたが、集団リンチを行った覚えは無いと、犯行を否認している。
警視庁は1962年の『日劇催涙ガス事件』の犯人が、逮捕者の中にいるものとみて追及している:
記事を一読した石川は心臓が止まりそうだった。『台湾青年会』のメンバーの逮捕にも驚いたが、2年前、10月10日に行った『双十節妨害事件』の犯人を追及しているということも書かれており、宗方隆先輩が自白するのではないかと身震いした。メンバーの中に警察が追求しようとしている犯人がいることは確かだった。宗方先輩が自白すれば、共犯者である自分が割り出されるのは時間の問題だった。当日のアリバイを証明してくれる男の事を思い出した。あの日、俺は大学の図書館で、白石真司と会い、喫茶店『田園』で過ごし、夕方、演劇部の稽古部屋に顔を出した。あの時のことを白石に思い出させておきたかった。そこで演劇集団『紫頭巾』に連絡すると、高島哲夫が電話口に出て答えた。
「白石さんは1週間ほど休みになっております。アパートに電話してみて下さい」
白石真司のアパートに電話すると、隣りの部屋の男が共同ピンク電話口に出た。
「白石さんですか。最近、見かけていません。新聞が沢山、溜まっています。呼んでも応答がありません。気味が悪いので、一度、様子を見に来ていただけませんでしょうか?黒崎と申します。貴男のお名前は?」
「石川です。これから、そちらに伺います」
石川誠は、そう返事すると、直ぐに白石のアパートに向かった。万一の時、白石に証明してもらわねばならない。白石のアパートに着くや、石川は白石の部屋のドアを叩いた。応答がない。隣りの部屋の黒崎という男が出て来たので、家主の家まで案内してもらい、家主立合いの上、白石の部屋のドアを開けた。開けてびっくり、異臭が鼻を突いた。白石真司は、布団を被ったまま死亡していた。家主が警察に連絡し、警察官が数人、パトロールカーでやって来た。石川は警察官に、白石真司との関係を種々、訊かれた。警察官たちは白石の部屋の中を丹念に調査した。1時間半ほどして、白石の両親がやって来た。息子の情けない死にざまを見て、両親は抱き合って泣き叫んだ。何故、息子が死んだのか、石川に問い詰めて来たが、石川には白石が何故、死んだのか、その理由を説明する事が出来なかった。石川は警察官に同行を求められ、警察署で白石真司について質問され、調書を取られた。何故、彼のアパ-トに訪問したのか尋ねられた時、一瞬、考えたが、悩むことは無かった。言葉が自然に溢れ出た。
「最近、学校で会わないので、心配になって電話すると、アパートの隣りの部屋の黒崎さんが、電話口に出て、様子を見に来て下さいと言うものですから、訪問しました。ドアを叩いても反応が無いので、大家さんを呼んで・・・」
石川はありのままを話し、気分がすっきりした。黒崎と種々、調べられたが、一般的な答えをしただけで、それ以上の追及は無く、『台湾青年会』のことも『王ゼミナール』のことも口にしなくて済んだ。白石真司が亡くなってしまった今、運命に任せるしかなかった。白石真司の死は検視の結果、服毒自殺と判定された。青酸塩類が体内から検出されたという。
〇
白石真司の葬儀は府中の自宅で行われた。石川誠は柴田、堀江、楊ら『王ゼミナール』の旧友たちと共に、通夜に出席した。王育文講師も風間や六馬と一緒に顔を見せた。白石の突然の死は、誰にも信じられなかった。
「真司とお別れして下さい」
白石の母に言われ、石川は柩の中の白石の顔を覗き込んだ。白石は死に顔を化粧され、さながら歌舞伎役者のように美しい顔で眠っていた。石川は小さな声で言った。
「白石。君は何故、俺に相談もせずに逝ってしまったのか?」
石川は溢れ出ようとする涙を堪えた。まだ、これからという時に、死んでしまうなんて。翌日の告別式には劇団『紫頭巾』の座長、木暮銃造や高島哲夫、北原麗子たちが出席した。高校時代の親友、荒川史郎、吉野雄二も来てくれた。『紫頭巾』には北原麗子の従弟、北原仙次が麗子に連絡してくれたらしい。喪服を着た麗子は一段と美しかった。楊映心も告別式に出席してくれた。その楊が石川に言った。
「中々、演技の上手な男だったが、残念なことをした。白石は何処から毒薬を入手したのだろう。誰かに飲まされたのかも知れないぞ」
楊映心の言葉に、石川は、白石が殺されたのかもしれないという疑問を抱いた。石川と『王ゼミナール』の連中がかたまっていると、北原麗子がやって来て、従弟の北原仙次に訊いた。
「真ちゃんの遺書は無かったの?」
「遺書の話は、聞いていないよ」
「変だわねえ」
遺書の話になって、疑惑が生まれた。文学好きの白石が遺書を書かない筈がない。それが劇団員の一致した意見だった。北原麗子は北原仙次に呟いた。
「私の事、遺書に書こうと思わなかったのかしら」
石川も同じ思いだった。白石は何故、自殺の理由を遺書にまとめずに逝ったのか。あんなに積極的に青春を謳歌していた白石が、何も書き残さずに自殺するなんて、信じられない事だった。自殺の原因は失恋か、学業か、演劇か、文学か、人生そのものか。それとも他殺。しかし死んでしまった白石に、そんなことを問いかけるのは、何故か罪悪に思えた。静かに眠れ。今はただ親友の冥福を祈るのみである。白石の柩が霊柩車に運び込まれた時、石川は、これが白石との最後の別れであると思った。そう思うと、涙が恥ずかし気持も無く、ボロボロと頬に流れた。会葬は正午に終わった。楊映心は『王ゼミナール』の堀江、北原や劇団の人たちと一緒に帰って行った。石川誠は高校時代の友人、荒川と吉野の3人で都内に帰った。
〇
8月2日、ベトナムと中国の海南島に挟まれたトンキン湾で、北ベトナム軍の哨戒船がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した。これをきっかけにアメリカのジョンソン大統領はアメリカ空軍に命じ、北ベトナムへの爆撃を開始させた。このことはアメリカにとって初めから不幸になることは見え見えであった。というのはアメリカの支援するゴ・ジンジェム政権が、今まで民衆を無視した独裁政治を行って来たからだ。その為、南ベトナムの民衆が、北からの侵略に対し、政府と共に命を懸けて、対抗しようという気持ちなどさらさら持っていなかったからである。それ故、日本の知識人は、アメリカに対し、無益な戦争を止めるよう政府やマスコミを通じて要請した。しかしアメリカは南ベトナムの民衆の心も掴まず、北ベトナムへの戦いに介入した。この戦いは北ベトナムと南ベトナムの戦いであったが、何時の間にか、北ベトナムを支援する中国やロシアと南ベトナムを支援するアメリカや韓国との戦いになった。この戦いに狂喜したのは、台湾の蒋介石総統だった。彼はアメリカと共に北ベトナムの進攻に参加し、北ベトナムを侵略し、その勢いを利用して、中国共産党との戦いにエスカレートさせて行くことを願った。アメリカと共に対中戦争を行い、その勝利者となり、自分が中国大陸の支配者に復帰することを夢見た。その夢はアメリカ兵のベトナム戦での戦死者が増えるに従い、蒋介石のシナリオ通り、アメリカの蒋介石政権への期待度が大きく膨らみ、より可能性のある夢に思えて来た。今や故ケネディ大統領が考えていた台湾の独立構想は何処かへ吹き飛んでしまい、台湾は大陸復帰へと向かうようになった。蒋介石率いる国民党政権の下で、台湾人がベトナム戦争に加担する動きが濃厚になった。このことは海外にいる台湾独立派の人たちを心配させた。対中戦争が始まれば、多くの台湾人が太平洋戦争時と同様、犠牲になることは明らかであった。台湾人を死なせてはならない。台湾を本拠とした対中戦争はあってはならない事だった。それを心配した王育文は台湾地下組織を通じて、国連でも力のある台湾大学の彭明敏教授へ密書を送った。
:彭明敏教授。君にお願いする。このままではベトナム戦争をきっかけに、対中戦争が起こってしまう。私たち外国にいる台湾人が、祖国を思い、やきもきしたところで、何にもならない。肝心なのは台湾で暮らしている君たちだ。君たち台湾に住んでいる者たちが、台湾人民の平和と正義に向かって立ち上がってくれなければ、大陸との戦争が始まってしまう。親蒋派のアメリカの共和党の国会議員、ゴールド・ウオーターは蒋介石とつるんで、呆れた妄想を描いている。それは『アジア合衆国』という妄想だ。その妄想は良いとしても、長い民族の歴史と人権を無視した独裁政治をもって、アジアを統一し、人種差別を行うことは、何としても阻止せねばならない。その為には君たち台湾にいる者が、一日も早く、台湾人民を自救する為の組織団を結成し、蒋介石の国民党を消滅に追い込むことが急務である。台湾人の明日を思い、勇気をもって君に立ち上がってもらいたい・・・:
王育文からの書簡を受け取った彭明敏教授は苦悩した。青春時代、東京帝国大学で、台湾留学生として共に学んだ仲間、王育文の要請を一概に無視することは出来ない。青春時代に共有した美しい台湾の自治を語り合った友との思い出を継続させる為には、この要請を素直に受け止めて、何としても、蒋介石政権を打倒し、対中戦争を阻止せねばならない。戦争で沢山の人が死ぬのは、もう嫌だ。彭は自分の悩みを教え子に伝えた。彭の教え子、謝聡敏と魏廷朝は、彭明敏教授の悩みと台湾の危機を理解し、蒋介石政権打倒の為の組織結成に賛成した。謝聡敏は彭教授に言った。
「先生。対中戦争は何としても食い止めなければなりません。その為には王育文先生の言うように、私たち、台湾にいる者が、強力な組織を作らなければなりません。『台湾人民自救』をスローガンにして、同志を募り、国民党に対抗しましょう」
そこで彭明敏らは直ちに『台湾人民自救宣言』と題するパンフレットを作成し、台湾島内全域は勿論のこと海外にいる台湾人たちにもパンフレットを配布することを決めた。彭明敏が前書きを執筆した。
〈 現在、台湾で一つの根強い運動が急速に展開し始めている。
それは台湾島に住む、千二百万の人民が、共産党の統治を欲せず、また国民党の蒋介石に虐げられることを甘受しない為の自救運動である。世界的潮流の中で台湾人民が目覚めつつあるこの時代に、蒋介石の非合法政権を壊滅せしめ、民主と自由を掲げた合理的繁栄社会を建設する為、我々、台湾人民は、一致団結して戦わなければならない・・・〉
この書き出しの宣伝文は一つの中国と一つの台湾を主張し、蒋介石政権に不満を抱いている台湾民衆の心を揺さぶるのに役立った。彭明敏たちは、このパンフレットを地下組織員を通じて配布し、各組織の一致団結を計画し、やがては一つの協力な政党を結成しようと考えた。
〇
8月17日、『台湾青年会』の起訴された全員が釈放され、夏休みは過ぎ去った。9月になると、『王ゼミナール』の仲間やクラスの連中が登校して来て、大学の授業が再開した。『証券市場』の授業が終わった時、辻和也は荒木正晴と風間健二に声を掛けられた。
「おい、辻。俺たち、これから『幸楽』に行って待っているから、誰か一人連れて来てくれ」
「おう。分かった」
辻は、そう答えて『商店経営』の教室に行き、授業を終えて出て来る山田たちを待った。教室の前に行くと直ぐに山田昭彦と佐藤洋介と野村次郎が出て来た。辻は3人に声をかけた。
「松本と荒木が『幸楽』で待っているんだ。誰か1人、付き合ってくれ」
3人は、これから予定があったので、渋い顔をした。それを見て辻が困った顔をすると、佐藤が言った。
「お前たち、付き合ってやれよ。俺は用事があるんだ」
「うん、分かった。野村、お前も一緒に行かないか」
「いいよ。じゃあ、5人打ちだな」
佐藤の言葉に山田と野村が麻雀に参加することになった。3人はM大学正門から出て、駿河台の坂を下り、麻雀荘『幸楽』へ向かった。その道すがら野村が思わぬ事を口にした。
「山田。辻。彼女には気を付けた方が良いぞ」
「彼女?」
「お前たちが夢中になっている文学部の彼女の事だ」
「林さんのことか?」
「うん、そうだ。この間、池袋で見かけた。『パピヨン』というバーに入って行った。彼女は夜、あのバーで働いているのかも・・」
「それは本当か?」
「嘘を言って何になる。本当だ」
「彼女がバーに務めているから、気をつけろというのだな」
「信じられん」
辻和也には信じられぬ事だった。山田も、びつくりした顔をして、野村を疑った。すると野村が笑って言った。
「2人とも、そうカッカするな。今、喋った事は、麻雀に勝つ為のオイラの作戦だ」
野村はサッと麻雀の話に切り替えた。辻が、今にも怒り出しそうな雰囲気だったからだ。野村は辻和也が林千帆に思いを寄せていることを知っていた。そんな会話をして、3人が『幸楽』に入って行くと、荒木と風間が、麻雀パイを並べて待っていた。『幸楽』でアルバイトをしている広岡洋子が、山田に気づき声をかけた。
「いらっしゃい。山田さん、頑張ってね」
「頑張るよ。洋子ちゃんとの映画代ね」
「私との映画代を稼ぐって言ってから、そろそろ1年よ。本当に映画に連れて行ってくれるの」
そう言われて、山田が返答に窮すると、荒木正晴が洋子に言った。
「洋子ちゃん、応援するなら俺か風間にした方が利口だぜ。山田には彼女がいるから、応援しても無駄だよ。それに山田、勝負に弱いから」
「まあっ、彼女がいるって本当なの。山田さん、ひどいわ。私、映画に連れて行ってもらえるの、ずっと期待して待っているのよ」
「分かってるよ。荒木の言ってることは噓っパッチだ。勝つ為の作戦だよ」
山田は、そう言い訳して麻雀卓に座り、麻雀仲間と向き合った。だが山田は野村から聞いた林千帆の事が頭に絡みついて、今日は麻雀に勝てないと思った。賭け事に精神を集中させ。勝てる心境になれなかった。池袋のバー『パピヨン』で働く千帆の姿が、脳裏を駆け巡った。その為、相手のリーチに対する警戒心が湧き上がらなかった。山田はコテンパンにやられた。勝ったのは荒木と風間と野村だった。山田が大きく沈み、辻も負けた。かつ丼を食べたが駄目だった。やがて仕事を終えたサラーリーマンたちが入って来たので、5人は『幸楽』を出て、解散することにした。ところが麻雀に負けた山田が野村と荒木に言った。
「荒木や野村の言葉にカッカして大敗だ。今日は勝ち組のおごりで、池袋の『パピヨン』に行こう」
「何だ、その『パピヨン』って?」
「うん。文学部の林さんが、アルバイトしているらしい、池袋のバーの名前だ」
野村次郎が荒木に説明した。
「そうか。それは面白いな。では行ってみるか。但し割り勘だぞ」
「よし、林さんが本当にいるかどうか、行って確かめてみよう」
辻和也は『パピヨン』行きに賛成した。風間は家の用事があるので、付き合えないと断った。そこで辻、山田、荒木、野村の4人で池袋に出かけた。御茶ノ水駅から地下鉄丸ノ内線の電車に乗り、池袋に出かけた。池袋の夜は賑やかだった。野村はキョロキョロしながら、3人を池袋西口の飲み屋街に連れて行った。野村は飲み屋街を行ったり来たりして、バー『パピヨン』を探した。ネオンが眩しく、沢山、バーやクラブがあるので、何処か忘れてしまったらしい。辻が野村に確認した。
「本当に『パピヨン』という名前の店だったのだろうな」
「間違いない」
「中に入って彼女がいなかったらどうする?」
「いれば飲んで帰る。いなければ、居酒屋で飲む」
そんな会話をして4人はしばらく池袋西口の飲み屋街をうろついた。やがて『ロマンス通り』に入り、野村が『パピヨン』の看板を発見した。
「あったぞ。あそこが『パピヨン』だ」
バー『パピヨン』の看板は、控え目な紫色のネオンを点滅させていた。4人は『パピヨン』の前を行ったり来たりした。道路から、店の中は見えないないのに、行ったり来たりした。
「何してるんだよ。入るのか入らないのか?」
荒木正晴がイライラして言った。辻和也は店の中に『王ゼミナール』の林千帆がいるのかと思うと、彼女に会った時、彼女がどんな顔をするか不安でならなかった。その辻の背中を山田が、軽く叩いた。
「勇気、勇気!」
山田の言葉に辻が漸く入る気になった。野村は案内役なので、先頭を切らざるを得なかった。バー『パピヨン』は地下1階にあり、4人は階段を降りて、バー『パピヨン』と書かれたドアを開け、中に入った。そんなに広くないバーだった。4人掛けのテーブルが3つと、ちょっとした踊り場があった。カウンターは割に長く、6,7人程度、腰かけられた。入って来た4人に気づくと、カウンター内でグラスを磨いているヒョロ長い男が、元気な声を上げた。
「いらっしゃい」
接客をしていない手前のテーブルに座っていた女性2人が振り返って笑った。その席にも、接客中の奥のテーブル席にも林千帆の顔は無かった。辻は胸を撫で下ろした。安堵の気持ちと残念さが交錯した微妙な気分だった。
「こちらへ、どうぞ」
化粧のきつい女性が4人を空いているテーブル席に案内した。席に座ると、辻が女性に訊いた。
「あのう。この店に、千帆さんという人、勤めていますか?」
すると香水をプンプンさせた女性が答えた。
「そんな人、いないわよ」
「林真帆さんです」
「誰のことかしら?」
それを聞いて、辻たち4人は顔を見合わせた。彼女がいないなら、店を出ようという合図の視線の交換だった。辻が小さな声で、丸椅子に座っている女性に言った。
「僕たち帰ります」
それを聞いて、おしぼりを持って来た女性が、不愉快な顔をした。辻たちが立ち上がって出ようとした時だった。カウンターの片隅に座って酒を飲んでいた男が、待ってましたと4人に声をかけた。
「待ちな。飲まずに帰るのか?」
ドスの利いた低い声に、4人はぶるった。男は暗いバーの中なのに、サングラスを掛け、その容姿は、ヤクザ風だった。男はカウンターの椅子から降り、自分が座っていた椅子をクルクル回し、4人に近寄って来た。辻も山田も、こういう時、六馬がいてくれたらと思った。池袋や新宿には暴力バーがあると噂に聞いていたが、暴力バーとは、こういう所かと、4人は覚悟を決めた。すると男が笑って言った。
「お前たち、何をびっくりしているんだ。俺だよ。俺」
男はサングラスを外した。辻は仰天した。
「松本。松本じゃあないか」
松本貢の顔を見て、他の3人もびっくりした。松本貢は真面目な顔をして言った。
「彼女と約束でもしてたのか?彼女は今日、来ないぜ」
「君は何故ここに?」
辻和也の質問に松本貢は、きまり悪そうに答えた。
「うん。用心棒のアルバイトをしている。ここは林さんの兄さんが経営している店で、男がマスターの陳さんだけでは心もとないので、俺が店を手伝っているのさ」
そう言って、松本が振り返ると、カウンター内で客用オードブルを準備している男が、ちょこんと頭を下げて、挨拶した。そこで4人は、松本の指示に従いカウンター席に座り、ビールを飲んだ。松本はマスターに学友を紹介した。
「陳さん。辻君と山田君は王育文先生のゼミで中国の勉強をしている。千絵ちゃんと同じゼミの仲間だ。こちらの荒木と野村はクラスメイトだ。俺がいない時に来たら、よろしく頼む」
「分かりました。私は陳青波と申します。どうぞよろしく」
陳青波は、ひょろ長い身体をくねらせ、またもや、ちょこんと頭を下げた。そしてビールを注いで来た。皆で乾杯した。辻も山田も、荒木たちに麻雀でやられたことなど、もう忘れていた。林千帆は、この店で千絵子と呼ばれているようだった。少し酔いが回ると、松本は、接客してないホステスをカウンターに呼んで、学友の相手をさせた。辻たちは思わぬ世界に跳び込み、ホステスと喋ったり、歌ったり、踊ったりした。松本貢は、石原裕次郎の歌など、とても上手に唄った。辻は明子と言う女に、千帆のことを訊いた。彼女が何時、現れるのか、それを知りたかった。
「千絵ちゃんて、何時、店に来るの?」
「千絵ちゃんが見えるのは、土曜日の忙しい時くらいよ。あとは陳さんと松本さんに電話をかけて来る程度よ」
「見えるのは土曜日ですね」
辻が、そう確かめると、明子は辻に耳打ちした。
「貴男、千絵ちゃんに惚れているみたいね。惚れては駄目よ。千絵ちゃんは橋本さんと仲が良いんだから・・」
その言葉に辻の酔いは一挙に覚めた。千帆が松本貢の恋人。何ということだ。辻は急に不愉快な気分になった。それで荒木に言った。
「荒木。遅くなるから、もう帰ろう。勘定をしてもらおう」
「そうだな。そろそろ、帰るか」
「最後まで良いではないか」
「居候で門限のある奴がいるから、帰るよ」
「そうか。じゃあ、またな」
辻たちが帰る仕度を始めると、明子が辻たち4人をからかった。
「君たち、時々、来てね。今度はもっと、サービスして上げるわよ」
飲み代は荒木に任せ、麻雀で負けた辻と山田が少しだけ負担した。松本に見送られ、『パピヨン』を出ると、池袋の夜は、これからが佳境というように輝きを増していた。辻は不愉快だった。千帆が松本貢と深い関係とは今まで全く気付かなかった。駅に向かいながら、荒木が言った。
「意外に安かったな」
「松本がいたからさ」
「でも妖しそうな雰囲気もあったな」
「そうだな。奥の方で年寄りの男がキッスしたりしていたな」
荒木と野村は楽しかったのであろう、いろいろ喋って、大満足だったようだ。それに比べ辻は無言だった。
「おい、どうした辻。随分、大人しいな。気分でも悪いのか?」
「心配するな。辻は彼女がいなかったので、落胆しているのさ」
山田が、そう言って、辻をからかった。そういう山田も、辻と同じ心境だった。4人は池袋から山手線電車に乗り、新宿で別れた。
〇
9月20日、台湾で大変なことが起きた。台湾大学の彭明敏教授と教え子、謝聡敏、魏廷朝の3人が、『台湾人自救宣言』のパンフレットを配布したとして逮捕された。王育文講師は、この台湾での逮捕事件を知り、ショックを受けた。王育文に事件の連絡をくれた李灯輝は、前日、彭明敏と会っていたという。パンフレットを配布するにあたり、彭明敏はアメリカや日本の友人及び台湾の仲間の紹介を、李灯輝に頼んだらしい。その彭明敏教授の無謀なやり方に李灯輝は反対したという。
「私は今、『連合農村委員会』の責任者の立場にいる。私は学者であり、目下、国民党政府の推薦を受けて仕事をしている者である。申し訳ないが、君の頼みについては協力出来ない。他を当たってくれないか」
李灯輝が協力を断ると、彭明敏教授は台湾を戦争に巻き込まない為であり、日本に亡命している王育文からの要請でもあると、李を説得したという。李灯輝は京都帝国大学に留学していた時代、王育文の兄であり、日本初の台湾人検事、王育林の世話になり、育文とは京都や東京で会っていて、学生時代とても親しかったので、彭明敏から育文の話を出され、彭明敏に協力すると約束した。ところが翌日、彭明敏、謝聡敏、魏廷朝の3人は、出来上がったばかりのパンフレットを配布し、警備総司令部に逮捕されてしまった。李灯輝は、事件を知って、慌てて王育文に連絡した。
「育文君。彭明敏たちが、『台湾人民自救宣言』のパンフレットを配り、逮捕された。このままでは彼ら3人は、反乱罪を起こしたとして、銃殺されてしまう。民主国家でのこれら宣伝行為は、言論の自由の範囲に属することであり、刑罰の対象にはならないが、台湾では違う。お願いだ。君の力で欧米や日本の政治家、学者などに働きかけ、国際的な圧力で、彼らを助けてくれないか。そうでないと、彼らは殺されてしまう。お願いだ。君の力で彭を助けてくれ」
王育文は李灯輝からの連絡を受け、自民党の有本明治代議士に事件の状況を訴え、日本政府から彭明敏たちの釈放を申請した。またアメリカにいる『台湾独立連盟』の陳以徳に連絡をとり、アメリカ政府を動かし、彭明敏たちを釈放するよう応援を頼んだ。その為、台湾国民党政府は、彭明敏たち3人の逮捕を隠そうとしていたが、アメリカやカナダ、フランス、日本からの報道陣の問い合わせ攻めに合い、3人を処刑する訳には行かなくなった。特に彭明敏は、太平洋戦争の時、東京帝国大学を中退し、台湾大学に編入して、その後、カナダとフランスの大学で学び、法学博士の学位を取得するなどして、台湾人学者の希望の星だった。国連総会にも出席したこともあり、世界的に有名な人物だけに、彭教授が逮捕されたことについての海外の反響は、蒋介石が思っているより大きかった。噂は噂を呼び蒋介石総統は苦しい立場に追い込まれた。そこで蒋介石は部下に命じた。
「欧米や日本の我等、国民党政権に対する批判は、相当に厳しいものになって来ている。彭明敏のしたことは、本来、政府転覆罪として、死刑にしても異論の余地のない行為であるが、諸外国で有名な彼を死刑に処するのは、諸外国から一層の非難を浴びる事になり、芳しくない。とりあえず、彼らの死刑を中止し、保安処に拘留して、勝手な行動をさせぬよう監視せよ」
結果、彭明敏たち3人は銃殺されずに済んだ。そればかりか、彭明敏の戦争反対の訴えが、台湾人たちにも広まった。そこで蒋介石は彭明敏たちの死刑中止だけでなく、台湾民衆との宥和を計る為、日本にいる廖文毅や邱青台たちの帰台を促し、蒋介石政権が如何に自由で国際的歩みを始めているか内外に示そうと考えた。黄紀男、廖史豪たち拘留者を軍法処に移送し、廖文毅たちを帰台させる作戦に協力するよう強要した。しかし革命闘士などという者は、そう簡単に独裁者の誘いに同意し、協力するものではない。どんなに惨いリンチの刑罰に遭遇しても、彼らはへこたれはしない。必ず何処かで裏切られることを知っている。こうなって来ると粘り合いになる。気の短い蒋介石総統は、海外にいる台湾独立派の連中が呼びかけても中々、台湾に戻って来ないのでイライラした。いたたまれなくなり、息子の蒋経国や蒋偉国を叱り飛ばし、彼らに命令した。
「憎きは『台湾共和国』を再興させようと考えている廖文毅と王育文である。彼らが彭明敏を逮捕したことをアメリカやフランスに知らせたに違いない。彼らを帰国させるか、日本で抹殺しない限り、蒋王国の明日は無いぞ。我が一族が中共との戦いに勝利し、大陸に戻り、全中国の支配者となり、やがてはアジア合衆国を成立させ、そのトップに立つのだ。我がこの構想を邪魔する者は、何としても排除せねばならない。そうでないと、お前たち兄弟が安心して世界の指導者として生きて行けるか、わしには保障出来ぬ。特務を更に強化し、廖文毅と王育文を取り巻く連中を、この世から一掃せよ」
その命令は蒋兄弟から、駐日大使、魏道明のもとに下った。魏道明は余承業らを使い、台湾独立派メンバーの洗い直しを行った。リストアップしたメンバーの中に、かって自分たちが大使館で使っていた周明海や金美麗がいるのには、余承業もびっくりした。そこで余承業は金美麗の父親に病弱な健康状態を訴えさせ、娘に帰国して欲しいという手紙を書かせた。だが、圧力をかけたが、それが父親の本意で無いことを、金美麗に直ぐに気づかれてしまい、計画は不成功に終わった。
〇
10月になった。日本は高度経済成長の波に乗って、10月1日、東海道新幹線が開業し、最高時速二百十キロメートルで走った。10日には『東京オリンピック』が開催された。日本人の多くが、この第18回夏季オリンピック開会式のテレビ中継から始まり、10月24日までの15日間、オリンピック競技に熱狂した。そんな最中の10月16日、中国は原爆の実験に成功した事を報道した。しかし、オリンピックに浮かれている日本国民には、そんな報道は耳に入らなかった。女子バレーボール競技での日本チーム『東洋の魔女』の活躍や大松監督の報道の方を優先した。アメリカや台湾、韓国などは、この中国からの報道に緊張した。ベトナム戦争がエスカレートして米中戦争になるのではないかと危惧した。このことは『台湾青年会』にとっても心配の種となった。とはいえ『台湾青年会』にとっては『陳純真事件』以後、会そのものが弱体化し、会員が去って行く事の方が、差し迫った悩みだった。『台湾青年会』本部に警察の立ち入りがあった後、台湾留学生たちが、会合に顔を出さなくなってしまった。資金援助をしてくれていた在日台湾人たちも、協力を避けるようになり、会そのものの運営が厳しい状態となった。黄有仁をはじめ許安成、廖建龍らは、資金集めに奔走した。一方、石川誠と楊映心は、王育文の警護をするかたわら、白石真司の死について、捜査を開始した。どう考えてみても、白石真司が自殺したとは考えられなかった。彼が自殺する筈など無い。あるとして考えられるのは唯一つ、失恋である。演劇集団『紫頭巾』の北原麗子に対する片思いは、白石が劇団を辞める決断をした時に終了していた筈だ。あるとすれば『王ゼミナール』で顔見知りになった林千帆との関係だった。白石は、時々、後輩、林千帆のことを口にしていた。そこで石川誠は『王ゼミナール』の授業前、後輩、辻和也と山田昭彦に、林千帆のことを訊いた。
「君たちと同期の林千帆さん。最近、見かけないがどうしている?」
「分かりません。お兄さんの仕事の手伝いで忙しいみたいです」
「困ったなあ」
石川誠は溜息をついた。すると辻が尋ねた。
「彼女に何か訊きたいことでも・・」
「少し気になることがあってな。彼女に教えてもらおうかと思って」
その言葉に辻は警戒した。石川誠が何を考えているのか分からなかった。先輩が彼女に関心を抱いている事は確かだった。辻が黙っていると山田が答えた。
「彼女は池袋ロマンス通りのバー『パピヨン』で、アルバイトしています。その店は彼女の兄さんが経営している店で、彼女もたまに店に顔出ししているようです。そこへ行けば会えるかも・・」
「ゼミの松本が手伝っているかも
辻と山田の話に、石川誠は頭の中が混乱した。辻和也たちの説明からすると、林千帆という女は普通の女子大生とは違うようだ。大学に通い、夜のバーで働き、『王ゼミナール』の後輩たちを手玉に取っているみたいだった。白石真司が惚れていた彼女には謎が多すぎる。後輩の辻と山田と別れてから、石川誠は楊映心と一緒に、図書館に行って、語り合った。
「白石は林千帆にふられて自殺するようなちんけな男とは思えないが、何故か彼女に関連した自殺のように思えるが、楊はどう考える?」
「もしかすると彼女は国民党のスパイかも。多分、そのことを白石さんに気付かれ、白石さんを、毒殺したのではないでしょうか?」
「馬鹿な。彼女が、そんな恐ろしい事をする女とは思えぬが」
「そのうちに分かります。私は、そういう目で彼女を観察します」
楊映心は林千帆のことを疑っていた。もし彼女が楊の言う通り国民党のスパイであるなら、尊敬する王育文講師は、危険な人物を、自分の指導するゼミナールに所属させていることになる。それが事実なら王育文講師の命も危ない。そこで2人は林千帆がアルバイトをしている池袋のバー『パピヨン』や、彼女が住んでいる目白のアパートや彼女の兄、林成明が経営する新橋の『竹林菜館』などを調査してみた。しかし彼女には楊映心が疑うようなところは無かった。また後日、『王ゼミナール』の女子大生、三浦久子と江口安代にも訊いてみた。すると彼女たちは、先輩、白石真司が亡くなってから恋人を失った人間のように、ひどく落ち込んでしまって、『王ゼミナール』の教室でも、口を利かなくなり欠席が続き、大学を中退するのではないかと思われるほど、げっそりと痩せてしまったと答えた。石川誠と楊映心は、もう一度、振出しに戻り、演劇集団『紫頭巾』を調査してみることにした。北原麗子との間に何かあったのかもしれない。
〇
辻和也は石川誠と楊映心に、林千帆のことを訊かれたことが気になって仕方なかった。そこで最近、大学に顔を出さなくなった彼女の事を心配し、10月25日の日曜日、辻和也は林千帆に電話してみた。彼女は家にいて電話口に出ると、元気でいると答えた。本当に元気なのか顔を見たいと話すと、彼女は簡単にデートを了解してくれた。午後1時半、新橋の『浜離宮』の入口で待ち合わせることにした。その約束の時間に辻が『浜離宮』の入口に行くと、既に林千帆が待っていた。水玉模様のワンピースにブルーリボンのつば付き帽子姿が、とても似合っていた。2人は秋の『浜離宮』を散策した。
「久しぶり。最近、学校に来てないけど、何かあったの?」
「心配かけて、御免なさいね。調べごとをしているの」
「調べものって何の調べものですか?」
「中国の歴史。真実の歴史。中国大陸を統治しなければならないのは誰か」
「それは、現在、鎖国政策を行っている中国共産党のトップ、毛沢東だろう」
「一般人の答えは、それで良いの。しかし、私は違うと思っているの」
そう喋る千帆の言葉には自信があった。彼女には辻の考えを否定するような何かを掴んでいる雰囲気があった。2人は、紅葉し始めた庭園の紅葉や色褪せない松の緑を眺めながら池の畔を通り、海の見える岸辺に立った。そこへ1人の男が現れた。男は千帆に声をかけた。
「あいや。千絵さん。不思議なところで会いましたね。お友達と一緒ですか?」
「まあ、陳さん。こんな所でお会いするなんて。あっ、そうそう、この方、大学のゼミで一緒の辻さん」
「知っています。松本さんに以前、池袋の店で紹介していただきました。辻さんですよね」
「ああ、あの時の陳さん」
「はい。陳青波です。今日は日曜日なので、海を観に来ました。台湾が恋しくなると、千絵さんのお兄さんの店がある新橋近くの、ここに来るね」
「そうですか」
「おおっ、チャンスね。2人の写真、撮って上げるね。もっと近づいて・・」
陳青波は、そう言うと一方的に喋りまくり、2人を岸辺に座らせ、カメラのシャッターを切った。写真を撮り終わってから、3人はベンチに腰掛け、台湾について語り合った。陳青波は辻にこう語った。
「私たちの出身地、台湾は今、一生懸命頑張っています。でも私は台湾人ではありません。外省人です。だから私たちは早く力をつけて本土に帰るつもりです。外省人である私の両親の故郷は南京です。あそこには孫文先生の墓があるよ。私はお金持ちになって、早く本土にある両親の故郷、南京に戻り、親戚の人たちに会いたい」
すると林千帆が、陳青波に言った。
「辻さんも南京生まれよ」
「あいや。辻さん、南京生まれ」
「2歳までしかいなかったので、僕の記憶には何もありません。それにしても何故、両親が台湾で暮らしているのに、交流の途絶えている大陸に帰る必要があるのです?」
辻は王育文講師の『苦悩する台湾』で台湾の歴史を学び、一般人より台湾の事情に詳しかったので、陳青波に質問した。すると彼は得意になって喋った。
「中国は元来、蒋介石総統率いる国民党政府の統治下にあった。だけど日本軍がアメリカ軍に降伏して、大陸を去ってから、資本主義を掲げるアメリカと社会主義を掲げるソビエトをバックにした権力争いが起こり、朝鮮半島が北と南に分裂したように、中国も国共衝突が起こり、毛沢東率いる共産党軍が蒋介石総統率いる国民政府軍を台湾へ追いやり、中国本土を奪ってしまったのです。日本軍と戦って成功したのは蒋介石総統なのに残念なことです。でも蒋介石総統は、『中華民国』の首都、南京を離れ、一時、台湾島に後退しているが、台湾で一生懸命頑張って、資金力をつけ、軍備を増強し、再び南京に帰る準備をしています。当然のことでしょう。中国人が故国に帰るのは・・」
「そんな力をつけた国民党の人たちが中国に進出したら。また中国国内での国共戦争が始まってしまうよ」
「同じ中国人。話し合えば解決するよ。台湾の本土復帰は、国民党が中心になって中国を支配しない限り、実現しない。国民党は中国人の為、台湾人の為、頑張るよ」
陳青波が興奮して喋る様子を見て、林千帆が陳の手をつねった。陳が痛い顔をしたので、千帆が何をしたのか、辻には直ぐに分かった。
「対不起。ごめんなさい。千絵さん、私、お呼びでなかったですね。ごめんなさい。折角のデートの邪魔をしちゃって」
「早く、あっちへ行って」
「はい、はい。お呼びでない。では辻さん、さよなら」
陳青波は、コメディアン、植木等の真似をして、2人の前から去って行った。風が通り過ぎるみたいだった。その陳青波を見送ってから千帆が言った。
「私、池袋のお店では、千絵子と呼ばれているの」
千帆はベンチに座って、身の上話を始めた。その話は『王ゼミナール』での自己紹介や、山田昭彦から入手している話以上の詳しい情報は何もなかった。辻は上海から引き揚げて来て、田舎で暮らした話などをした。それから少し公園内を散歩して、2人は新橋に出て、喫茶店『ロダン』に入った。薄暗い席で向き合ってコーヒーを口にしてから、千帆が辻を真剣な眼差しで見詰めて言った。
「辻さん。千帆の味方になってくれるわね」
「突然、どうしたのです。僕は千帆さんにゼミで助けてもらい感謝してます。僕は千帆さんの味方ですよ」
「辻さんには、どうしても千帆の味方になって欲しいの。私、誰かに狙われているわ。白石さんと同様。誰かに殺されるかも知れないわ」
「ええっ!誰かに狙われているのですか。狙われる理由があるのですか?」
「分からないわ。でも誰かに尾行されているの。幻では無く、事実よ」
「まさか王先生のように台湾の回し者に狙われているのでは?」
「いいえ、違うと思うわ。兄が中華料理店や酒場での商売をしているでしょう。ですから私たち兄弟には敵が多いのよ」
「すると相手は池袋のヤクザか商売仇きですか?」
「分からないわ。確信がないの」
千帆は真剣な顔で悩みを訴えた。しかし辻には、彼女の言葉を如何に受け取るべきか判断しかねた。彼女には陳青波や松本貢という用心棒がいるではないか。何時だったか、山田昭彦が辻に言ったセリフが頭の片隅にあった。
「松本の奴、彼女に利用されているだけなのさ」
もしかして千帆を尾行しているのは山田ではないだろうか。山田も千帆に思いを寄せている1人だ。辻は明言を避けた。辻が黙っていると千帆が、また言った。
「私の味方になってくれるの?」
「訊くまでもないよ。僕は何時だって君の味方さ」
辻がそういうと、千帆は納得したかのように笑った。それにしても千帆は若々しく美人で目立ち過ぎる。何時の間には夕方になっていた。2人は新橋駅前で別れた。
〇
11月初めのM大学の文化祭が終わると、石川誠は『王ゼミナール』の伊藤直樹、堀江康之、久保克己、北原仙次たち後輩と共に、単位を取得してない科目の期末試験を受けた。一年間、教科をしぼって、じっくり勉強したので、試験はそれ程、難しくなかった。その石川誠たち四年生が期末試験を終えた所で、『王ゼミナール』の1泊旅行が計画された。旅行先は冬の軽井沢だった。四年生は石川、伊藤、堀江、北原、久保の5人、三年生は辻、山田、佐藤、風間、松本、六馬の男性6人と三浦久子、江口安代、林千帆の女性3人、それに王育文講師を加えて、合計15人の一行だった。上野駅から軽井沢まで信越線の汽車に乗って移動し、軽井沢で待っていたマイクロバスに乗って、軽井沢の見学をした。初冬の軽井沢の風景は素晴らしかった、紅葉に敷き詰められた森や落葉松林の中をマイクロバスで移動し、熊野神社、離れ山、千ヶ滝、教会、テニスコートなどを見学して回った。マイクロバスの運転手は柴田三郎先輩の父親の会社『柴田商会』が準備してくれたもので、宿泊する『モミの木山荘』も『柴田商会』の保養所だった。軽井沢の名所らしき所を回って、その『モミの木山荘』に到着したのは夕方の5時だった。それから風呂に入ったり、将棋をしたりして寛いだ後、6時半から宴会になった。宴会は王育文講師の挨拶から始まった。
「本日は、お疲れさまでした。4年生、3年生全員の出席で、私も大変、嬉しく思っております。またこの旅行の幹事の伊藤君、石川君にはいろいろとお世話になりました。一同、感謝してます。天候にも恵まれ、本当に楽しい1日でした。残念なのは、ここに白石真司君がいないことです。この間、石川君と彼のお宅を訪ね、線香をあげて参りました。お母さまから、皆さまによろしくとのことでした。『王ゼミナール』も年々、人数が増えて、こんなに素晴らしく楽しい旅行が出来るとは、私も仕合せです。今晩は堅苦しい話は止めにして、愉快に過ごしたいと思います。では皆で乾杯しましょう」
ここで各々のグラスにビールが注がれた。グラスを掲げ、王育文講師に合わせ、一同、乾杯の声を発し、宴会に入った。王育文は本当に仕合せそうであった。若い学生たちと一緒にいる時が、彼が一等、安心していられる時間だった。山荘の管理人夫婦とお手伝いによって運ばれて来た料理を口にし、酒を酌み交わすと、『モミの木山荘』は熱気につつまれた。普段、見られない学生たちの隠し芸が披露された。普段、芸などやるとは思えない堀江がハッスルして『スーダラ節』を唄いながら踊った。皆、大笑い。石川と伊藤は襖を使っての温泉芝居。北原仙次は小林旭の『北帰行』を唄った。久保克己は藤山一郎の『青い山脈』を唄った。四年生は、全員、就職が内定していて、喜びに溢れる笑顔だった。三年生の女性3人はザ・ピーナツの『情熱の花』のコーラスを披露した。六馬は『M大校歌』を唄った。その六馬の歌唱に合わせ、皆で手拍子し、宴会は盛り上がった。佐藤は石原裕次郎の『赤いハンカチ』を唄い、松本はフランク永井の『有楽町で逢いましょう』を唄った。歌や踊りや手品が主流の宴会では、歌を唄うのが手っ取り早かった。そこで、辻と山田と風間の3人は御三家の歌真似をした。辻が西郷輝彦の『君だけを』を唄い、山田が橋幸夫の『江梨子』を唄い、風間は舟木一夫の『修学旅行』を唄った。王育文講師も唄った。『阿里山姑娘』という台湾の歌だった。宴会は9時前に終わった。後片付けは山荘の管理人たちと三浦久子たち3人がしてくれた。それから王育文講師たち四年生の部屋で、麻雀が始まった。麻雀が出来るのは、王先生の他、石川、堀江、辻、山田、風間の5人だった。麻雀の出来ない伊藤、北原、久保は三年生の部屋に行き、佐藤、松本、六馬らと、トランプゲームを楽しんだ。女性たちは、女性部屋で、おしゃべりをした。麻雀部屋でのゲームは一番先に、山田と風間が抜けることになった。あとは2位抜けで、順繰りにメンバーが変わり、ゲームは進行した。堀江先輩は強かったが、王育文講師は、それ以上だった。辻や山田や風間は王育文のテクニックにはまり、こんな筈ではないとカッカした。しばらくして王育文は2位になり、小用をしに席を外した。ところが麻雀部屋に中々、戻って来なかった。麻雀パイを捨てながら、堀江が心配した。
「先生、馬鹿に遅いな。酔っぱらって、便所に落ちたりしてるんじゃあないだろうな」
「なあに、伊藤や北原のいる三年生の部屋に行って、酒でも飲んでいるのだろう。まさか女性の部屋には・・」
「便所に行くと言って出て行ったきりだ。便所でゲロでも吐いているのだろうか」
「風間。悪いが、隣の部屋と便所を見て来てくれ」
風間は石川の指示に従い、直ぐに様子見に行った。そして直ぐに戻って来た。
「先生は隣の部屋にも、便所にもいないです。何処へ行っちまったんだろう?」
石川、辻、山田の視線がぶつかり合った。3人は突然、立ち上がつた。それを見て堀江が訊いた。
「急にどうしたんだ!」
辻と山田はあの6月のことを思い出していた。
「先生が大変だ。探さなくては!」
石川と辻と山田は女性部屋に走った。女性の部屋のドアを開けると三浦久子、江口安代、林千帆の3人が、猿轡をされ、細紐で縛られていた。石川たちは女性たちの猿轡を剥がし、彼女たちに訊いた。
「どうしたのだ?」
「と、突然、5人の男が入って来て、私たちに猿轡をして、縛り上げたの。王先生は、何処の部屋にいるのか尋ねて、出て行ったわ」
「先生は、この部屋には来なかったのだな」
「来ませんでした。それより早く紐をほどいて。先生を助けなければ」
小さな山荘が急に騒がしくなった。風間の知らせに、伊藤も佐藤も酔いが覚めた。山荘の管理人が伊藤に訊いた。
「警察に知らせましょうか?」
すると伊藤の代わりに松本が答えた。
「まだ知らせないで下さい。皆で探してみて、見つからなくなった時、警察に電話しましょう」
松本は冷静だった。庭に跳び出した石川、辻、山田は王育文講師の名を夜の森に向かって呼んだ。
「王先生!王先生!」
すると森の奥の方から北原の声がした。
「おお~い、こっちだ。こっちだ」
大声で仲間を呼ぶ北原の声をたよりに、声のする方へ走って行くと、月下の森で、六馬英雄が王育文講師を襲った5人の男を相手に闘っていた。王育文は両手を縛られ、車に乗せられようとしていた。リーダー格の男が六馬に向かって叫んだ。
「お前は王育文の命が惜しくはないのか。大人しく手を引け。さもないと王育文を殺すぞ」
暴漢たちは皆、手にナイフを持っていた。今にも王育文を殺傷するかのように、六馬を威嚇した。すると王育文講師は暴漢と揉み合いながら六馬に命じた。
「六馬君。私は殺されても構わぬ。こ奴らを捕らえ、その身分を世界に公表せよ」
その王育文の言葉に、六馬英雄は王育文を刺そうとしているリーダー格の男のナイフを足蹴りした。
「アイヤーツ!」
その六馬の足蹴りで、王育文を抱えていた男は弾き飛ばされ、白樺の木に当たって崩れ落ちた。そこへ石川誠たちが駆け付け、他の4人の暴漢に対峙した。六馬は王育文を救い出すと、暴漢たちを捕まえにかかった。暴漢たちは辻や山田たち学生が殺到して来たのを見て慌て出した。リーダー格の男は腰を抑えながら六馬を睨みつけ部下に命令した。
「逃げろ!」
暴漢は2台の車に分乗して、あっという間に逃走した。暴漢の人数は車内で待機していた運転手を加えると合計7人だった。伊藤や久保、佐藤たちが現場に駆け付けた時には、総てが終わり、襲われた王育文を囲んで、互いの無事を確かめていた。六馬の傷が一番ひどかったが、彼は平然として集まって来た仲間に晴れやかに言った。
「この前の与太者だ。皆の声を聞いて退散した。ここは寒い。山荘に戻ろう」
「おう」
一同は夜霧の森の中を警戒しながら『モミの木山荘』に戻った。山荘に辿り着くと、山荘の管理人夫婦は勿論のこと、三浦久子たちも驚いた。灯りの下で、六馬の負傷した肩や顔を見て、誰もがゾッとし、真っ青になった。
「医者を呼びましょうか?」
すると六馬が言った。
「大丈夫だ。医者など呼ばないでくれ。暴行事件があったと、大学に知れたらまずい。全員退学になりかねない」
「分かりました。直ぐに、傷の手当てを致します」
山荘の女将が救急箱を持って来た。六馬英雄の傷の手当てを江口安代が、王育文の傷の手当てを三浦久子が、石川誠の傷の手当てを林千帆が受け持った。辻と山田は、自分たちの傷の手当を佐藤や松本にしてもらった。石川誠は林千帆の手当てを受けながら、何故、暴漢たちは王育文講師が軽井沢に来ていることを知っていたのか疑問を抱いた。もしかして、ゼミのメンバーの中に、国民党のスパイがいるのか?スパイは誰か?まさか、堀江ではあるまい。だとすると三年生の中にいるのか?その三年生の辻和也も、また同じようなことを考えていた。これらの疑問は王育文にとっても同様だった。だが王育文は、学生を疑ってはならないと思った。折角の楽しいゼミ旅行を自分の所為で台無しにしてしまった事が残念でならなかった。そこで王育文講師は学生たちに詫びた。
「また諸君に迷惑をかけてしまいました。申し訳ない。諸君たちの勇気ある力で、国府の回し者は退散しました。助けてくれてありがとう。もう安心だ。麻雀はどうなったかな?堀江君に独り勝ちされてはたまらない。再開,再開・・」
王育文講師は先頭に立って麻雀部屋に戻って行った。その姿に一同、唖然とした。伊藤直樹が、そんな王育文の背中に向かって言った。
「先生。無理をしないで下さいね。僕たちは、もう寝ますよ。明日のスケジュールもありますからね」
「うん。分かった。分かった」
山荘の管理人夫婦は、ホッとして奥の部屋に引き上げた。女性たちも自分たちの部屋に帰った。六馬、松本、佐藤の3人は部屋に戻り、先輩の伊藤、久保、北原と同室で眠ることにした。部屋の明かりを消し、男たちは部屋の高窓から自分たちを覗いている月を眺めた。美しい月と星々が、軽井沢の夜空を飾っていた。翌日、『王ゼミナール』の一行は、『モミの木山荘』での朝食を済ませ、山荘の管理人夫婦たちに、お礼の挨拶をし、マイクロバスに乗って、東京に帰る前の観光を楽しんだ。まず白糸の滝を観てから鬼押し出しを見学し、その後、『軽井沢スケートセンター』に行き、スケートを楽しんだ。空は青空。白雪の浅間山が煙を吐いていた。王育文講師はスケートの経験がないのか、山田と風間の肩につかまり、おっかなびっくり、スケートをして喜んだ。石川誠は、そんな明るい王育文の人柄が好きだった。目の前のことに熱中する姿は子供のようで羨ましかった。遅くまで麻雀したのに、睡眠不足ではないのだろうか。ちょっと心配になった。それより何より、昨夜、王育文を襲った犯人が、何故、軽井沢まで、やって来たかだ。昨夜から石川誠の頭の中は、『王ゼミナール』のメンバーの中にスパイがいるのではないかという疑念が渦巻き、スケートどころでは無かった。スパイは誰か。まさか一番先に現場にいた六馬英雄では?そんな筈がない。もし彼がスパイであるとするなら、あんなに傷ついて王育文講師を助けることはしない。北原仙次は、劇団『紫頭巾』と関係あるが、どうだろう。白石真司は北原仙次の姉、『紫頭巾』の女優、北原麗子と親しくしていたが、服毒自殺した。あの劇団には、国府との関係があるのだろうか?2時間ほど、スケートを滑ると、王育文講師も1人で何とか滑れるようになった。女性たちも上手に滑れるようになった。あっという間に、昼時になり、西部鉄道が経営するレストランでカレーライスを食べた。それから、マイクロバスに乗って、軽井沢駅に行き、マイクロバスから降りて、運転手とさよならした。駅前で土産物などを買った。そして午後2時半過ぎの上野駅行きの汽車に乗って東京に向かった。『王ゼミナール』の初冬の旅行はとんでもない事件もあったが、陳育文講師が冷静に振舞っていてくれたので、結構、楽しい旅行で終了した。
〇
12月になったら、学年末試験に備え、一生懸命、勉強しなければならないのに、辻和也は山田昭彦たちと一緒になって、相変わらず、荒木正晴、野村次郎たちクラスの仲間と麻雀をしたり、喫茶店に行ったり、女の尻を追いかけたりしていた。そんな或る日のことであった。突然、林千帆が『王ゼミナール』を辞めると言って来た。辻は図書室で、それを聞いて驚いた。辻は夕方、記念館の前で千帆と待ち合わせして、『ニコライ堂』方面に向かった。歩きながら辻は千帆に訊いた。
「何故、辞めるのですか。僕に出来ることがあるなら、何でも言って下さい。千帆さんの味方になると、以前、約束したではありませんか。一体、どうしたのです?」
「家庭の事情よ」
「家庭の事情だけでは分かりません。僕は『王ゼミナール』の学年委員長として、千帆さんが、ゼミを辞める理由を知りたいのです。いや、知らなければなりません」
千帆は、そう問う辻の真剣な顔を見て困惑した。辻は自分に特別な厚意を抱いている。辞める理由を答えなければならない。どう話せば良いのか、千帆は迷った。返事を待って、辻がイライラしているのが分かった。そこで千帆は、こう答えた。
「私、結婚するの」
「えっ、今、何と言いました?」
「私、結婚するの」
が~ん。辻は目の前が真っ暗になりそうだった。林千帆が結婚する。精神的におかしくなりそうだった。余りにもシヨッキングな話だ。僕に相談しないで結婚するなんて。辻は自分のショックを隠し、千帆の結婚を祝福した。
「おめでとう。相手の方は、僕の知ってる人ですか?」
「貴男の知らない人です。彼は商社の貿易部にいる人です。彼ったら、今度、香港駐在になるので、その前に私と結婚し、香港で一緒に暮らそうと言うのです」
「そうなんだ。残念だなあ。『王ゼミ』の連中、皆、残念がるよ」
「そんなこと無いと思うわ。煩いのが1人減って・・」
辻は千帆の辞める理由を聞いたが、何故かすっきりしないものを感じた。あんなに本気にさせておいて、突然、結婚するというのか。辻は弄ばれた自分の事が哀れになって来た。だが千帆の心を自分の都合の良いように強要する訳にはいかない。辻が黙り込んでしまうと、千帆は勝手に喋った。
「ゼミの皆さんに優しく親切にしていただきながら、辞めるなんて、本当に申し訳ありません。王先生には既に大学を中退することを伝え、了解をいただいてます。先生に伝えるの、とても辛かったわ。でも辻さん。私は勉強より、彼を選んだの。勉強は何時だって出来るわ。結婚のチャンスは滅多にないのよ。分かって・・」
「彼に言って、大学を卒業するまで、結婚を延ばせないの?」
「彼は異国に赴任するのよ。遠く離れて、2年間も待てというの」
「2年でなく、1年とちょっとだろう」
「今を延ばせば、今度は彼が香港駐在を終了するまでなんて話になり、駐在機関が2年以上になったら、私が幾つになると思って」
「2人の愛が固ければ、時間も年齢も関係ないよ」
辻はむきになって言った。千帆には辻の口調で辻の気持ちが良く分かった。
「私は中退届を出しました。結婚式場も決めました。もう誰が反対してもストップ出来ません。辻さんには本当にお世話になり、また迷惑をかけ、誠に申し訳ないと思っているわ」
「いいんです。僕なんて」
辻は泣き出したい気分になった。今、この場から千帆を、何処か遠くへ連れ去りたい気持ちになった。紫色の黄昏は『ニコライ堂』の鐘を鳴らし、2人に別れの時を知らせた。
「辻さん。私に別れのキッスして」
その千帆の言葉が辻には信じられなかった。今、耳にしたのは空耳かもしれない。しかし、確かに、〈別れのキッスして〉と聞こえた。自分よがりの夢であっても良い。自分は千帆にキッスして上げよう。辻は夕暮れの中で千帆を抱き寄せ、キッスした。『ニコライ堂』の鐘がまだ鳴っている。
〇
12月11日の金曜日、『王ゼミナール』の仲間、松本貢が死んだ。池袋からオートバイに乗って家に帰る途中、スピードを出し過ぎて、道路を曲がり切れず、電柱に激突して、頭を打って即死したという。警察からの連絡を受け、彼の家族の者や『王ゼミナール』の佐藤が現場に駆け付けた時には、現場には綱が張られ、損壊したオートバイとミラーの破片が散らばっているだけだった。松本貢はもう救急車で病院に運ばれていた。松本貢と親しかった佐藤から、連絡を受け、辻和也が病院に駆け付けた時には、警察の検視も終わり、松本貢は霊安室に運ばれていた。やがて山田も駆けつけて来て、辻に言った。
「また『王ゼミ』の仲間が死んだ。これは単なる事故でないかもしれない。誰かに狙われたのかも・・」
山田の推測の言葉に辻は身震いした。まさか、そんな事があったりするのだろうか。鑑識の結果は確かに交通事故であるが、山田が言うように、あのオートバイ好きの松本貢が運転を誤るとは思えない。交通事故に見せかけて、誰かに殺されたのかもしれない。だが家族の居る前で、そんな事は言えない。病院に駆けつけてくれた佐藤、辻、山田たちに、松本貢の兄、洋一が言った。
「貢の為に駆け付けていただき、感謝します。やっと大学に入り、これからという時に、交通事故で命を落とすなんて、家族一同、がっかりしています。これから、葬儀の日程などを決めて、詳細が決まりましたら、皆さんに連絡致します。本日はこれにてお引き取り下さい。有難うございました」
松本貢の兄、洋一の挨拶を受けて、辻たちは病院から引き上げた。帰る道すがら辻は松本の死について山田と佐藤に言った。
「山田の言うように、オートバイの損傷具合からして、松本が死亡したなんて、考えられない」
「その通りだ。オートバイに乗って、アクロバットをして見せる松本が、交通事故だなんて信じられないよ」
「まさか、王先生を狙っている奴らにやられたのでは?」
3人の想像は悪い方へ、悪い方へと走った。翌日、辻和也は王育文講師や石川誠たちに、松本貢の事故死を知らせた。石川誠も、後輩たちの説明を聞いて不審に思った。石川はこの事件を楊映心や柴田三郎や宗方隆に話すと、一目のつかない道路での事故死を、誰もが疑った。2日後の夜、『王ゼミナール』の仲間や『台湾青年会』の一部の者が、松本貢の通夜に出かけた。目黒区にある松本家は『明効堂』という江戸時代からの漢方薬の販売店だった。石川誠と楊映心が尋ねると、係の女性が広い座敷に案内してくれた。祭壇前には松本貢の両親は勿論のこと、兄弟や親戚縁者が座り、松本貢の死を悲しんでいた。後方の席には王育文講師やゼミの後輩、辻和也たちが既に座っていた。三浦久子、江口安代、林千帆も喪服姿で座っていた。林千帆の顔は、ゼミの仲間を失ったというより、恋人を失った哀しみに沈んでいるかのように蒼白だった。故人となった松本貢は菊に飾られた黒い額縁の中から、親戚縁者は勿論のこと、『王ゼミナール』の仲間やクラスメイトや幼い時からの友人に向かって、微笑みかけていた。僧侶の読経の中、焼香をして通夜の儀式が終了してから、『王ゼミナール』の仲間は目黒駅近くの喫茶店で松本貢の思い出話をした。王育文講師は、こう口火を切った。
「松本君は私のゼミナールに参加し、台湾の歴史を学び、台湾独立運動にも興味を示してくれました。私たち台湾人は日本人である彼に勇気づけられ、挫折から何度、立ち上がったしれません。彼はまるで同志のような素晴らしい学生でした」
すると石川誠が付け加えた。
「松本君は、何時も言ってた。僕は宗方隆先輩を尊敬しています。日本人はアメリカ軍に占領され、幸運にも良い方向に立ち直れたが、台湾人は中国の国民党軍に占領され、今なお酷い目に遭っている。宗方先輩が言うように、台湾人は中国から来た国民党軍の圧政を排除し、一日も早く独立せねばならない。僕はその為に命を懸けて、台湾人に協力するのだと・・」
石川誠の言葉に続いて、楊映心が言った。
「私は、松本さんの事故死を疑っています。頭だけ電柱に激突して死亡するなんて、おかしいです。殺人としたら警察も大変なので、簡単に事故死にしてしまったのです。下半身に全く傷が無いなんて、おかしいでしょう?」
楊の言葉に林千帆の顔が青ざめた。いつも冷静な彼女が、突然、泣き出した。そういえば、松本貢は林千帆の兄が経営する池袋のバー『パピヨン』でアルバイトをしての帰りに事故を起こしたのだ。喫茶店にいた客たちは、そんな『王ゼミナール』の連中を、怪訝な目で睨んだ。王育文講師は周囲の目を気にして解散するよう石川に指示した。喫茶店を出て目黒駅の改札に向かいながら、林千帆が皆に詫びた。
「皆さん。今日は御免なさい。もう私は泣きません。もし松本さんが、誰かに消されたなら、私は犯人を見つけ出し、仇をとります。今日は,御免なさい。何時かまたお会いしましょう」
長い髪の千帆は、そう言い終わると、目黒駅前からタクシーに乗って帰って行った。石川誠は王育文を豊島区の自宅まで、楊映心と一緒に送って行った。
〇
昭和40年(1965年)の日本は前年『東京オリンピック』を経験し、戦後の荒廃から確実に復興し、立ち直りを見せた。一方で、M大学などでは授業料値上げ反対闘争で、学生たちがデモなどを行い、キャンパスが騒然とし始めた。学生運動を革命ロマンであるというような風潮が高まり、文学部の三浦久子や江口安代から、文学好きの山田昭彦や風間健二に、同人誌『オリエント』の同人にならないかと誘いがかかった。女に甘い山田と風間は彼女たちと喫茶店『丘』で文学論を交わし、やがて同人仲間の杉下栄の率いる左翼活動組織『レット・ウッド』との交流をするようになった。『レッド・ウッド』の中に人目を惹く播磨夕子という女子学生がいて、山田たちは共産主義を吹き込まれようとした。しかし『王ゼミナール』で、王育文講師から共産党思想について教えられていたので、2人は杉下栄や播磨夕子の活動に参加しなかった。王育文講師は辻や山田や風間たちに、ゼミのメンバーに毛沢東の『矛盾論』を読ませ、毛沢東自身、共産主義に疑問を抱いていることを教えていたからだった。そんな状況の年初に台湾の蒋介石総統は、自分の息子、蔣経国を国防部長に就任させ、日本にいる廖文毅や王育文ら反抗分子を帰国させることに執念を燃やした。部下に一任せず、蒋経国みずから活動するよう命じた。蒋経国は真っ先に、廖文毅の甥、廖史豪と軍法処で面会し、史豪を説得した。
「廖史豪よ。お前は『台湾民主独立党』の台湾地下工作委員として、政府転覆計画を試みたが、失敗し、逮捕され、黄紀男と共に、死刑判決が下った。台湾のお前らの仲間は一網打尽、根絶された。なのに、お前の叔父、廖文毅は日本で、依然として『台湾民主共和国』の大統領と称し、ふんぞりかえっている。だが彼はアメリカにも、日本にいる台湾人にも、見捨てられている。お前の叔父が日本でやっていることは。まるで1人芝居だ。そんな廖文毅を助けられるのは、お前だけだ。我等、国民党は政府要人を日本に派遣し、彼に帰国投降するよう呼び掛けているが、彼はアメリカが自分を台湾の大統領に据えてくれると信じ、今も言う事を訊かない。彼を救うのは今をおいてない。我が父、蒋介石も今なら民衆のことを考え、お前の叔父を許してくれるであろう。お前の叔父を永遠に日本に留めて置く訳にはいかない。お前が心を込めて帰台を要請すれば、彼はきっと、心動かされるであろう。もし、廖文毅がお前の訴えにより投降したなら、お前を始め廖温進、廖綉鴛ら家族を釈放し、国民党が没収している廖文毅の土地や財産を返還することを約束する。ここに録音テープを準備した。私が言った約束を、廖文毅に向かって喋ってくれ」
廖史豪は蔣経国の熱心な語りかけに感激した。蒋経国の指示に従い、涙をぬぐいながら史豪は録音マイクに向かって喋った。こうして廖史豪を口説き落とした蔣経国は、廖史豪の肉声を吹き込んだテープを日本に送った。廖文毅は、そのテープを『駐日国府大使館』から受け取り、甥の声を聴いた。
「叔父さん。私の母、綉鴛は心臓病の為、もう長くありません。私と黄紀男は死刑を宣告され、何時、銃殺されるか分かりません。国民党は、叔父さんが帰国しても、罪には問わないと言っております。叔父さんが帰国すれば私たちを直ぐに釈放してくれると政府は約束してくれています。叔父さんの雲林西螺の土地も財産も返還してくれるそうです。叔父さん、これが最後のチャンスです。日本にいないで、どうか早く帰国して、私たちを救って下さい・・・」
廖文毅は甥の録音テープを聞き、大粒の涙を流した。文毅は苦悩した。
「このまま史豪を放置しておけば、廖一族は完全に滅んでしまう。史豪の母、綉鴛にも、死ぬ前に、一目、会っておきたい。実弟、温進も、このままでは獄死してしまう。蒋介石の考えが、本心なのか虚偽なのか分からぬが、自分1人だけが日本に残って、何になるというのか。台湾にいる一族が存在しての自分である。台湾の一族が抹消され、誰もいなくなって、何故、命を賭して戦う必要があるのか。史豪のテープの内容が、国民党の本意なら、今が台湾に戻る最後のチャンスであろう。今まで自分を信じ、戦って来てくれた廖史豪や黄紀男や母や弟を死なせてはならない。たとえ自分が帰台して死刑になっても、彼らを救ってやらねばならぬ。私は投降するのではない。自分の一族や部下を救う為に帰国する」
廖文毅は苦悩した挙句、台湾に帰る決意をした。廖文毅は駐日大使、魏道明に『台湾民主共和国』大統領の要職を放棄して台湾に帰る準備をすると伝えた。そして後任の大統領として邱青台を推薦した。しかし、日本で文学賞を受賞し、作家活動に熱を入れ始めた邱青台は廖文毅の要望であるにもかかわらず、後任大統領になることを断った。邱青台は廖文毅の要望を固辞して引き受けなかった。
「私は『台湾民主共和国』大統領になるような器ではありません。それに私の母は日本人です。それに私の大親友、王育文が日本で『台湾青年会』を率いて、同じような台湾の民主化運動をしています。政治の事は彼らに任せ、私は作家の道を進んで行きます。いずれにせよ、私は廖先生が帰台することに、反対はしません。林献堂先生のように、客死ではたまりませんからね。国民党は先生の身分を保証すると約束してくれると言っていますが、期待してはなりません。充分に安全であることを確認してから、帰国して下さい」
邱青台は廖文毅に帰国を焦らず、慎重に現地の状況を確認してから、帰台するよう説得した。
〇
石川誠たち四年生が卒業を迎え、三年生の辻和也たちが期末試験を終えて、大学の春休みを、好き勝手に過ごしている3月初めのことだった。辻和也は鹿児島県警から、『王ゼミナール』の林千帆が、鹿児島の枕崎に近い坊ノ岬で入水自殺をしたので、枕崎署まで来てくれと連絡を受け、びっくりした。あの林千帆が自殺するなんて、全く信じられなかった。辻は誰に相談したら良いのか分からず、春休みで鹿児島に帰省している山下秀和に電話し、東京から山田昭彦と一緒に現地に向かった。羽田空港から霧島の鴨池空港に到着すると、山下秀和が、迎えに来て、車で待っていてくれた。早速、山下の運転で鹿児島を経由して枕崎に向かい、枕崎警察署に到着したのは、夕方だった。警察署に入ると担当の警察官2人が、3人を応接室に通して、事情聴取した。テーブルの上に遺書と遺書の入っていたバックとハイヒールが並べられ、入水自殺した女性との関係を訊かれた。辻は、自分と彼女は学友であり、自分も山田も彼女とは親しい付き合いだったと説明した。また彼女の親族の事を訊かれたので、彼女は目白で兄と暮らしていて、兄は新橋の中華料理店『竹林菜館』の経営者、林成明だと教えた。それら肝心な事を聴取してから、警察官は、彼女のバックの中に、辻和也の住所と電話番号のメモが入っていたと明かした。また遺書を見せてくれた。そこには、こう書かれていた。まず辻が読んだ。
〈 私を信じてくれていた皆様に、深くお詫び致します。私は悪い女です。
私を愛して下さった人を、2人も失ってしまいました。どうすれば、彼らへの罪滅ぼしが出来るのでしょうか。
私は考えました。
私が死んでお詫びするしかありません。
申し訳ないと言う言葉で済むものではありません。
身を投げてお詫びします。
大変、勝手ですが、どうか、これでお許しください。さようなら・・・・
林 千帆 〉
辻が読んだ後、山田昭彦と山下秀和が、遺書を読んだ。辻と山田は、その遺書を読んで、彼女を愛したという、2人の男が誰であるか、ピンと来た。白石真司と松本貢だ。その名前の明記されていない2人のことを、警察に訊かれたが、辻も山田も山下も知らないと答えた。鮫島警部たちにの調査に協力して、礼を言われた後、3人は警察署を出た。そして警察署から紹介された枕崎の旅館に泊まることにした。その旅館に行き、車を停め、部屋に荷物を置いてから、晩飯を食べに枕崎の街に徒歩で出かけた。まず目にしたのは『港屋食堂』という看板をかけた店だった。ちょっと覗くと女性も入っている店なので、中に入った。辻も山田も、ここは九州の港町だから、うまい酒も珍しい肴もあるだろうと期待した。鹿児島出身の山下秀和は、おいに任せろと言って、カツオ料理の他、魚介類の刺身、煮物、焼き物、白菜などを註文してくれた。3人は久しぶりにビールで乾杯し、今日、枕崎署で経験したことを振り返った。山下が辻たちに訊いた。
「おまいたちは、あのよか女子の遺書にあった愛しちょった2人の男、知ったとか」
「うん。警察には言わなかったが多分、白石真司先輩と松本貢のことだ」
「ええっ、ほんのことか?あの松本が・・」
山下秀和は、信じられないと言う顔をした。そんな3人の様子を見て、左隅にいる女たちが変な視線を送って来た。山田が彼女たちに声をかけようとすると、辻が制した。彼女たちも坊ノ岬に身投げした女性の遺体が、まだ見つからないと話していた。平穏な地方での事件は直ぐに知れ渡っていた。山田は一人の女のことが妙に気になって仕方なかった。プレイボーイの山田は辻の注意も聞かず、彼女に声をかけた。
「これから、ちょっと飲みに行こうか。どう?」
彼女はキョトンとして答えた。
「ごめんなんせ。ほいならバーへ行ったらよかと」
山田は辻と山下の前で女に振られ、赤っ恥をかき、旅館に戻ることにした。辻と山田は長旅をした上に酒を飲んで、ぐっすりと眠った。山下も運転疲れで良く眠った。翌日、3人は旅館の朝食を食べ、清算してから、再び車に乗り、枕崎署に行った。担当の鮫島警部から林真帆の兄と連絡が取れ、今日、東京から枕崎に来るとの報告があった。それから真帆が身を投げたという坊津町の坊ノ岬に行った。辻和也たちは、その現場に立ち、白波の寄せる岩場を見下ろした。小舟が出て、彼女の遺体を探してるのが見えた。見渡す限りの水平線の彼方に海はどこまでも続いていた。3人は海に向かって祈りを捧げ、そこで鮫島警部と別れ、帰路についた。山下が、鹿児島の自分の家に寄って行けと言ったが、王育文講師らに事件のことを一時も早く知らせなければならないので、そのまま帰ることにした。山下は来る時と同様、霧島の鴨池空港まで辻たちを送ってくれた。持つべきものは友である。九州から戻った辻和也と山田昭彦は事件の事を王育文講師やセミの仲間にしらせた。2人から、林千帆が入水自殺したことを知り、王育文も石川誠も『王ゼミナール』の仲間も、びっくりしたが、総ての事は警察に任せるより仕方なかった。
〇
そうこうしているうちに、桜の花が咲き、四月になった。大学を卒業した石川誠は印刷会社に就職した。また久保が都庁、伊藤が化粧品会社に、堀江が芸能事務所に就職するなど、社会人になった。そんなゼミ卒業生を柴田三郎と田中亮一が祝福して上げようと、『王ゼミナール』のOB会を計画し、先輩たちや後輩たちに声を掛けた。5月23日の夕方、飯川誠は、神田神保町にあるそのOB会場に向かった。かって台湾の政治について『王ゼミナール』の仲間と熱心に語り合ったり、『東京オリンピック』を迎え、日本が高度成長するのを目の当たりにした大学生時代は過ぎ去り、石川誠も飯田橋の印刷会社に勤務し、まもなく2ケ月になろうとしていた。中華料理店『金龍飯店』の2階に上がると、懐かしい顔ぶれが集まっていた。入り口で伊藤直樹や久保克己、北原仙次たち受付係に挨拶し、宴会場に入って行くと、一番奥の席に王育文講師が椅子に腰かけ、ニコニコしていた。その周りには、中村、上野、坂本、土屋といった先輩の他に、柴田、田中、堀江たちが会話していた。石川誠は、王育文の前に進み出て挨拶した。
「先生。お久しぶりです。またお会い出来て光栄です」
「おう、石川君。久しぶり。元気でやっているか?」
「はい。何とかやっています。楊は元気ですか?」
「元気だ。仕事のかたわら、時々、宗方君の所に顔を出してくれている。君によろしく伝えてくれと言っていた。会が終わった頃、私を迎えに来るかもしれんよ」
「そうですか。『台湾青年会』の方も忙しいのですね」
「そうなんだよ。5月14日、廖文毅頭領が帰台したことにより、『台湾青年会』に加入する留学生が増え、移転した小泉八雲旧宅前の本部も、多忙で活気に満ちている」
王育文の言葉に石川は安心した。OB会のパーティは先輩たちの自己紹介や現況報告から始まり、結構、盛り上がった。皆、大学生時代に学んだ台湾独立のことなど忘れてしまっていて、王育文講師だけが、台湾独立の情熱を抱き続けている感じだった。それにしても日本で『台湾共和国』大統領として頑張っていた廖文毅が台湾に戻ったということは意外であった。生命の保証はされているのだろうか。特別な裏の約束でもあるのだろうか。彼が国民党に帰順することによって、台湾国内や国外にいる独立派のメンバーが、転向するかもしれなかった。石川誠にとって、廖文毅の帰順は納得出来なかった。柴田と田中の企画した『王ゼミナール』のOB会は大成功だった。王育文講師は柴田たちに感謝し、OB会は楽しく終了した。そのパーティが終わると、王育文講師は、迎えに来た楊映心たちと帰って行った。柴田と田中は、これから銀座に行くと言って、水道橋の方へ帰って行った。羽振りの良い2人だった。石川誠は堀江康之と北原仙次に声を掛けられ、神保町のバー『灯影』で飲んだ。女性を寄せ付けず、片隅の席で飲んだ。3人の会話は『王ゼミナール』の先輩たちのことから始まった。まず堀江が言った。
「俺たちのゼミに、中村先輩や坂本先輩、上野先輩がいたなんて、知らなかったよ。王先生も嬉しそうだったな」
「そうだな。これからもOB会を続けて欲しいな」
「それには会長を決めないと」
「心配は要らないよ。柴田と田中がやってくれるから・・」
石川が、そう答えると、北原仙次が妙な事を言った。
「ところで、王先生から石川に何か話がなかったか?」
「うん。楊が『台湾青年会』に顔出ししている事と、廖文毅が台湾に帰国したと話してくれた」
それを聞いて、北原は不満足そうな顔をした。石川が、もっと別の情報を貰ったのではないかと、想像した。だが、王育文が、あんなに大勢の教え子のいる中で、秘密情報を話す筈がなかった。そこで北原は自分の姉、北原麗子たちが秘密裏に捜査していることを、石川に漏らした。
「実は、去年の7月に自殺した白石のことを、他殺ではないかと姉たち演劇仲間が密かに調査を重ねて来た。そして、ようやく他殺とであると判断したらしい。だが警察に申告して、演劇活動が出来なくなると困るので、王先生には秘密にしておいて欲しいと、楊映心を通じ、伝えたという」
「それは本当か」
「本当だ。ここだけの秘密だ」
「白石を殺した犯人は誰なんだ?」
石川と堀江は、目を輝かせ、北原に訊いた。
「調査の結果、後輩の松本貢が白石を殺したという結論に達した。白石の奴、演劇集団『紫頭巾』で、僕の姉に振られ、その後、ゼミの後輩、林千帆に近づき、彼女の用心棒になった。林千帆は楊映心が心配していた通り、国民党の手先だった」
「3月、九州の坊ノ岬で海に身を投げて自殺したあの女が、国民党のスパイ」
「彼女たちは白石を利用し、密かに王先生を拉致して、台湾に連れて行こうと計画していた。それを白石に反対されたんだ。食うか食われるか。そこで彼女は漢方薬店の息子、松本貢を『パピヨン』というバーで誑し込み、松本から毒薬を入手し、白石を薬殺したのだ」
「というと、彼女は特務の手先だったのか?」
「そういうことになる。でも入水自殺していなくなってしまい、それが真実かどうか、分からない」
「松本の奴、それが分かっていて、彼女に加担したのか。そして、その後、交通事故に見せかけて殺されたのでは・・」
石川と堀江は北原から説明を聞いて、愕然とした。あの白石真司が、よりにもよって、国民党のスパイの女に惚れていたとは、全く信じられなかった。北原は話を続けた。
「松本貢は、特務に加担していることに気づき、ゼミにスパイがいることを王育文に伝えようとしたのではなかろうか。多分、それを知った林千帆の兄、林成明が陳青波らに命じ、松本がオートバイに乗って帰るのを襲わせたのだと思う。頭を殴って殺害した上、交通事故に見せかけ、電柱にオートバイをぶつけて、松本の死体をそこに放置した。そして、林千帆という女は知らぬ振りをしていた」
「何という、酷い事を・・」
「それを悔いて、彼女は九州に行って自殺したのだ」
北原は王育文講師と関係している自分たちも、台湾の特務に気を付けないと、命を落とすことになるかもしれないと、石川たちに忠告した。石川は、この北原から情報を楊映心に一時も早く知らせなければならないと思った。
〇
7月25日、日曜日、陳純真事件の判決が、東京地方裁判所で言い渡された。陳純真をナイフで傷付けた載天光が懲役二年。査問したリーダー、黄有仁と廖建龍が懲役一年。許安成と張南雄が10ケ月。査問に加わったとして、柳文卿と宗方隆が8ケ月の判決を受けた。いずれも執行猶予3年付という三井明裁判長の判決だった、この判決結果に、王育文たちは胸を撫で下ろした。もし三井明裁判長が、自分と同じ台北高校の卒業生でなかったならば、台湾の政治状況を把握せぬまま、法務省入国管理局の言うがままに、台湾人6人の同志は、強制送還されることになったであろう。不幸にも6人が台湾に強制送還されたなら、6人全員が獄中で拷問を受け、死刑になったであろう。しかし、三井裁判長は台湾留学生陳純真の訴えと黄有仁たちの言い分が真実であるかを確認し、王育文発行の『台湾青年』を熟読し、黄有仁たちの暴行が、已むに已まれぬ行為であったと知り、深い理解と愛情をもって、判決を下したのだ。このようにして陳純真事件は結末を迎えたが、この事件の為に、『台湾青年会』は大きな打撃を受けた。事件に関与した連中が処罰を受けることになったことは勿論であるが、今まで日本で事業をしながら、『台湾青年会』に資金援助をしてくれていた在日台湾人経営者や出身者たちが、資金援助をストップしたりした。その為、『台湾青年会』の資金繰りは苦しくなり、黄有仁も困り果て、『台湾青年会』の委員長を辞任した。後任にもと貴族議員、胡顕栄の息子で日本企業の経営者である胡寛敏が就任した。彼は台湾経済界で活躍している胡振甫の弟で、昨年、逮捕された彭明敏教授の行動に感銘し、彭明敏の犠牲を無駄にしてはならないと、『台湾青年会』に加わり、その資金力をもって、急激に頭角を現すようになった人物だ。彼は『台湾青年会』の為になら惜し気も無く、資金協力してくれた。王育文講師は、何故、胡寛敏がそんなに資金を出せるのか不思議でならなかった。そこで、その理由を胡寛敏に訊ねてみると、彼は、こう答えた。
「私の父は先生も御存知の胡顕栄です。父は日本統治下の台湾で財を成し、日本の貴族議員にもなりました。その父の日本での遺産が、突然、私に跳び込んで来たのです。千葉県が五井海岸に石油コンビナートを作ろうとしたら、父名義の土地が沢山あり、私がたまたま日本に居住していたので、私が、その相続人となりました。お金が天から降って来ると言う話がありますが、私の場合は、お金が海から湧き上がって来ました。このお金は台湾をこよなく愛した父、胡顕栄が残して行ったものです。私には、これらのお金の相続人が私であることで良いのかどうか分かりません。このお金は、きっと台湾人の為に、父が残して行ったものです。私は、そう理解し、このお金を台湾独立運動の資金として供出しようと決めたのです」
王育文講師は胡寛敏の言葉を聞いて涙が出そうになった。台湾人医師、呉技鐘のような金持ちの他に、胡寛敏社長のような人物が現れ、『台湾青年会』の委員長になってくれたことは、王育文にとって、有難く心強く、幸運だった。胡寛敏は『台湾青年会』の委員長になり、組織の内容が掴めて來ると、台湾独立を積極的に進めようと、今まで以上に会員を募り、会の強化に努めた。アメリカやヨーロッパにいる台湾人同志に連絡を取り、彭明敏教授を釈放させようと夢中になった。彼の活動により、『台湾青年会』は再び活力を増し、その行動も学生運動に似て、過激的になり始めた。胡寛敏は『台湾青年会』での実権を掌握すると、この組織を国際組織に格上げしようと、周明海と金美麗に依頼した。周明海、金美麗夫婦は、文章力もあり、英語力も抜群だったので、国際的外交を巧みにこなし、『台湾青年会』の存在を世界にアピールした。この積極的外交姿勢により、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの台湾人留学生たちが呼応し、台湾独立思想が世界に広まった。台湾人の若者たちは国民党政府を恐れず、正面から国民党に対抗することを願い、『台湾青年会』の名称を、その目的に相応しい名称にするよう要請した。胡寛敏委員長は、その意見を重視し、王育文講師に『台湾青年会』の名称変更を要請した。結果、『台湾青年会』は『台湾青年独立連盟』と名称を変更し、具体的政治団体として、旗揚げすることになった。
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9月、王育文講師の友人、李灯輝がアメリカに渡った。彼はアメリカのロックフェラー財団とコーネル大学の合同奨学金により、コーネル大学の大学院博士課程に入学した。12年ぶりの留学だった。彼は29歳の時アイオワ州立大学で農業経済学を学び、台湾に戻ってから台湾の農業経済部長を務めた。その李灯輝の農業に関する研究と実積は申し分なく、コーネル大学は、李灯輝の研究室を設けるなどして、彼を迎え入れ、彼に対する待遇は至れり尽くせりだった。そんな李灯輝を知って、沢山の台湾留学生たちが、彼の所に訊ねて来て陳隆志の率いる『台湾同郷会』への加入を勧めた。台湾にいる時から博士論文の準備をしていた李灯輝は、時間的な余裕もあったので、素直に『台湾同郷会』に加入した。長老であったことから、時々、ニューヨークに出かけ、会合で挨拶を頼まれたりした。また京都大学時代、王育林の家の食事に招待された時の事を思い出し、若い留学生をフィンガーレイクスに近いイサカの自宅に招待し、彼らと談笑した。張燦洪、蔡同栄、鄭自才、周色明ら、沢山の若者が、李灯輝の周りに集まった。張燦洪をはじめとする台湾の若者は李灯輝に訴えた。
「李先生。私たちは李先生や奥様に、日本にいる『台湾青年会』の人たちや王育文先生の思想を理解して欲しいと思っています。台湾は国民党の蒋介石の私物でもなければ、中国共産党の物でもありません。台湾は私たち台湾に生まれ、台湾を祖国とする台湾人の台湾です」
「そうです。台湾が中国人の蒋介石の台湾である理由は何処にもありません。それ故、私たちは大陸から来た国民党の連中が、一日も早く大陸へ帰国することを願っています。国民党が台湾にいる限り、台湾人はベトナム人同様、対中戦争の危機にさらされ続けるのです」
「今年の5月、東京の『台湾共和国』臨時政府の大統領、廖文毅が台湾に帰り、国民党に歓迎されたというニュースがアメリカに流れて来ました。あれは虚偽のニュースです。実情は廖文毅が、蒋介石に降伏したのです。本来なら廖文毅は、死刑に処される人ですが、蒋介石は彼を死刑にせず、むしろ歓迎し、台湾人民の信頼を得ようと考えたのです」
「その通りだと思われます。この見せかけの善行によって、台湾にいる『台湾民主独立党』の地下工作員や日本やアメリカにいる台湾独立派のメンバーを帰順させ、処分しようと計画しているのです」
「でも私たちは騙されません。台湾大学の彭明敏教授が言論の自由を認められず、反乱罪で逮捕されたことは、蒋介石率いる国民党の非合法な独裁政治が継続していることの証明です」
「李先生。私たち『台湾同郷会』のメンバーは、まだ国民党政権を信じておりません。どうか李先生のお力で、台湾独立を実現させて下さい」
アメリカにいる台湾からの留学生たちは、李灯輝に台湾人による台湾独立を訴えた。しかし国民党の傘下で、農業関係の農業関係の研究をしている李灯輝にとって、彼らの考えを、そのまま受け入れ、賛同する訳にはいかなかった。李灯輝は留学生たちに、こう語った。
「王育文も彭明敏も邱青台も私の親友である。彼らの独立の夢は、充分に理解している。しかしながら一方的に独立を叫んでいても、それでは何の成果も得られないと、私は思う。むしろ廖文毅のように、国民党と良く話し合い、彼らと同化し、国民党にどっぷり浸かり、国民党の考えを内部から徐々に変向させて行く事のほうが、台湾独立の早道だと思う。一見、その方法はいたずらに時間がかかるのではないかと思われそうだが、それが自然の流れである。台湾で生まれ台湾で育った中国人の子供たちは、やがては中国人でなく台湾人に変化して行く。自分を台湾人と思うようになる。それが自然の摂理であり、人間感情というものである。君らはまだ若い。焦ってはならない。その時代は必ずやって来る。時を待つのだ」
李灯輝は冷静沈着だった。ゆっくりと時間をかけ、一歩一歩、前進する者が最後の勝利者となることを信じて疑わなかった。人間万事塞翁が馬。眼前の不幸に慌てふためくことはない。現在を諦観するに終わらず、苦難を甘受しながらも、絶えず将来を見据え、着実に安全な道を選び、一歩一歩、前進するのだ。李灯輝は、台湾独立を希求して集まって来るアメリカで暮らす台湾の若者たちに、過激な行動を慎み、学生は学生らしく勉学にいそしむように説得した。血気盛んな若者たちが、それを納得しようがせまいが、自分の考えを若者たちに語り、時が熟成するのを待つように説いた。しかし、アメリカの台湾留学生の情熱は留まる事がなかった。10月になると全米の台湾独立運動の代表者たちが、ウイスコンシン州マジソンに集まった。彼らは『全米台湾独立連盟』の結成を論議すると共に、蒋介石政権の彭明敏教授に対する処罰を不当裁判と非難し、その減刑を国府に働きかけることにした。国府は、こうしたアメリカやカナダ、日本などの国際的圧力に抗しきれず、11月、蒋介石総統の命令により、彭明敏を特赦をもって釈放すると共に、謝聡敏と魏廷朝の刑を軽減することにした。
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12月5日、ジャーナリストの大宅壮一が『サンデー毎日』に台湾に関する記事を書いた。
: 韓国の李承晩政府、ベトナムのゴ・ジンジェム政府、台湾の蒋介石政府は、第二次世界大戦後のアジアにアメリカが作った3大独裁政権である・・・。
現に台湾人の間では中国人のことを〈支那人〉と呼んでいる。従って今すぐ国連管理下の国民投票を行ったならば、90%まで〈反共反蒋〉の道を選ぶであろうと見られている。アメリカに追随することしか知らぬ日本政府に、自主的な台湾政策を求めるのは無理だとしても、日本国民としては、〈台湾人の台湾〉の為に、援助の手を差し伸べるべきではなかろうか・・・:
この記事は、王育文をはじめとする『台湾青年独立連盟』のメンバーを勇気づけた。彼らの中の一部の者は中国共産党と連絡を取り、国民党の連中の大陸への帰還工作を試みた。中国共産党はこの提案に躊躇することなく興味を示した。中国共産党政府は台湾に移動した国民党員を大陸に帰還させる為の情報を得ようと、急接近して来た。中国共産党にとって、国連の代表になっている蒋介石政権の内情を知ることによって、対米政策が決めやすくなることは、間違いなかった。ベトナム戦争において、アメリカが台湾軍を使うか使わないかが、ベトナム戦争の勝敗を大きく左右することは自明の理だった。特に劉少奇は、毛沢東の大躍進政策の失敗から脱却する為、国民党と同じ、資本主義の道を模索しようと、『台湾青年独立連盟』の学識者と接触する為、中国の学識者を香港に送り、日本や台湾の知識人との交流を活発化させた。この『台湾青年独立連盟』の動きに蒋経国は顔色を変えた。彼は親しくしているアメリカ中央情報局のクラインからの報告を受け、即刻、王育文を帰台させるべく行動せねばならぬと思った。廖文毅や彭明敏を使い、国民党に帰順するよう考えたが、それは不可能に終わった。結果、再度、王育文の拉致を考え、日本にいる『黒龍会』のボス、杜玄彪に、その実行を依頼した。杜玄彪は手下を使い、王育文の高校生になった娘、安麗の誘拐を計画した。王育文を従わせるには、彼の愛娘を誘拐する方法が一番効果的であると、ヤクザらしい悪質なことを考え、部下に、それを命じた。杜玄彪の手下の男たちは、下校途中の王安麗と水島洋子に、黒塗りの車の中から声をかけた。
「池袋駅に行くには、どちらの方へ行けば良いでしょうか?」
王安麗と水島洋子の2人は、声を掛けられ立ち止まった。すると突然、車の中から2人の男が降りて来て、1人が洋子を捕まえて、車の後部座席に押し込んだ。もう一人の男が安麗を捕まえ、抵抗する安麗を抱き上げ、車の中に投げ込んだ。予期せぬ出来事に洋子も安麗も、恐怖に震え上がった。洋子が叫んだ。
「助けて!」
その洋子の口を男が押さえつけて言った。
「大声を出すな」
男たちにナイフをちらつかされて、2人は暴漢に従うしか術が無かった。その時、近くの道路を王育文の家に向かう途中の六馬英雄が通りがかった。安麗は慌てて手を振った。六馬が、それに気づいた。リーダーらしき男が運転手に合図した。
「行け!」
それを合図に黒塗りの車は急発進した。六馬は手を振る安麗を目にした瞬間、手を振る彼女の顔を見て、誘拐であると察知し、直ぐに山手通りを走って来たタクシーを拾いその車を追跡した。西落合、東中野、新宿、富ケ谷、池尻、上馬と、タクシーのメーターが上がる。一体、黒塗りの車は何処まで行くのか。運転手が六馬に訊いた。
「何処まで行くのですかね」
「分からん。先方が停まる所まで行ってくれ」
タクシーの運転手は、六馬の事を犯罪者を追跡している刑事と勝手に思い込み、追跡を楽しんだ。やがて車は瀬田から左へ曲がり田園調布の広い屋敷の中に入った。六馬はなけなしの金でタクシー代を支払うと、タクシーから降り、車が入って行った屋敷の表札を確認した。数寄屋門の柱には『杜』という表札がかかっていた。六馬は直ちに屋敷に入って行くべきか、考えた。どう考えてもヤクザの親分の屋敷だ。子分が沢山いるに違いない。そこで、近くの戸越に住む先輩、石川誠と八雲に住むクラスメイトの木村広樹のことが頭に浮かんだ。六馬は車の入って行った屋敷から田園調布駅まで歩き、駅前の公衆電話から石川誠と木村広樹に電話した。幸いなことに2人とも家に帰ったばかりで、今から直ぐに田園調布に来ると言ってくれた。六馬は田園調布駅で、石川と木村が来る間、王育文に電話を入れた。
「ありがとう六馬君。安麗と洋子さんが誘拐されたことは確かだ。先ほど犯人から電話があり、楊君が犯人との交渉の為、新宿に出かけた。新宿で犯人との交渉が始まったら、楊君が電話して来るに違いない。その時、私の行き先が決まる。それまでに何とか2人を救出してくれ」
「分かりました。これから石川先輩と私の友人がやって参ります。警察の力を借り、3人で安麗さんたちを救出します」
「杜玄彪の屋敷には地下室があった筈だ。かって廖文毅らと、そこで秘密会議をしたことがある。2人は多分、そこに閉じ込められていると思われる。気を付けてくれ。1時間して君から電話が無かったら、警察へ連絡する」
「お願いします」
王育文は今日の出来事を予知していたかのように、冷静に電話を切った。20分程して石川と木村が現れた。六馬は王育文講師と話し合った内容を石川と木村に説明した。話を聞いて、木村は緊張し、蒼白になった。とんでもない事件が起きたものだ。怖いが六馬の知り合いの女子高校生を何としても助け出さなければならないと覚悟した。
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六馬英雄、石川誠、木村広樹の3人は、田園調布駅から、『黒龍会』会長、林玄彪の屋敷に行き、裏口から屋敷内に侵入した。高い塀に囲まれた屋敷の庭は常緑樹が茂り、植木が多く、辺りが暗くなり始めたので、入するのに、それ程、苦労せずに済んだ。3人は鉄筋2階建ての大きな建物の1階裏のトイレの窓を外して、そこから1階の部屋に忍び込み、内部の様子を窺った。2階に何人かが会話しているのが聞こえた。1階では、玄関と反対側の奥の部屋が明るくなっていて、何人かで料理を作っているのか、女の笑い声と共に香ばしい匂いが流れて来て、鼻を突いた。1階入口の左側には応接室が2つあり、その中間の廊下の突き当りに、避難口という表示があった。そこのドアを開けると、更にドアが2つあり、1つは庭の外へ、もう1つは地下室へのドアだった。地下への階段は20段ほどの曲がっ階段だった。石川と六馬は木村を階段上に残して靴番をさせ、2人で地下に降りた。地下には6畳ほどの小部屋と12畳ほどの大部屋があった。小部屋は暗く誰もいなかった。大部屋には灯りがついていた。そこで石川と六馬は、入口のドアを1センチ程、そっと開けて隙間から中を覗いた。2人は部屋の中に、王安麗と水島洋子が、口に猿轡をされ、手足を縛られ、壁にもたれて座っているのを目にした。その2人をナイフを持ったチンピラ2人が監視していた。若いチンピラが年上の男に喋るのが聞こえた。
「藤川の兄貴、早いとこ、やっちまおうぜ。どうせ、こいつらは始末されるんだ。その前に可愛がってやらねえと、可哀想だよ」
「ウウウ、ウウウ・・」
男の言葉を聞いて恐ろしくなったのであろう、水島洋子が呻き声をあげた。安麗も身をよじらせ、縄を解こうとした。猿轡をされて、助けを求めようにも言葉が出なかった。2人の女子高校生が白い足をスカートから出して、身をよじらせる姿態を目にして、兄貴分の藤川が刺激され、若いチンピラに言った。
「谷口。お前もたまには良い事を言うじゃないか。確かにこのまま何もしないで始末するのは勿体ねえ」
藤川は、そう言って、コクリと生唾を飲み込んだ。谷口は待ちきれない風だった。谷口は怯えている少女2人に近寄り、まずは洋子の胸元のボタンを外した。洋子のふくよかな乳房が露わになると、谷口は興奮した。
「兄貴。思った通りだ。いいオッパイしてやがる。たまらねえぜ」
「ようし。その女は俺に任せろ。お前は、そっちの女を可愛がれ」
藤川の命令で、谷口はニタッと笑い、今度は安麗の胸元のボタンを外した。
「藤川の兄貴。制服の中の引きしまった固いオッパイも、リンゴみてえで、興奮させてくれますぜ」
谷口は嫌がる安麗の乳房にしゃぶりついた。ドアの隙間から事態を覗いていた六馬英雄は石川が部屋に跳び込もうとするのを止めた。藤川が夢中になるのを待った。藤川は洋子を弄びながら言った。
「俺にオッパイ揉まれて、そんなに気持ちが良いのか。しかし、オッパイだけじゃあ、つまんねえだろう。下の方も、これから楽しませてやるからな」
「ウウウ、ウウウ」
洋子は抵抗した。抵抗すればする程、男たちは興奮した。藤川がいやらしく笑った。
「そうか。早くしてか。そうだろうな。待っていろ。今、下の方を脱がしてやるからな」
2人の男の欲望がむき出しになり、少女たちのスカートの中に手を入れようとした時だった。1階の廊下をから、階段を降りて来る音が聞こえた。石川と六馬は慌てて隣の小部屋に身を隠した。藤川と谷口は足音に気づき、少女たちから離れた。大部屋のドアが開き、少年が入って来た。
「兄貴。河合さんが谷口さんと2人で、直ぐ来るように呼んでいます」
「ちえっ。これから、お互い楽しもうというところだったのに。河合さんのお呼びとあっては仕方ねえ」
藤川は剝がし終えた洋子のパンティを手に、残念そうに少年に言った。谷口も未練がましく、藤川に言った。
「全くでえ。藤川の兄貴。このままにしておいて大丈夫ですかね」
「手も口も縛ってあるんだ。逃げようたって何も出来やあしねえよ。大丈夫だ。河合さんの話が終わったら、直ぐに戻って来て可愛がってやるぜ。それまで楽しみに待っていな」
藤川は、喋れない少女たちに、そう言い残すと、部屋のドアを閉め、チンピラ2人を連れて大部屋から出て行った。階段を上り切り、避難所のドアが閉められ、3人の足音が消えると、石川は六馬と小部屋を出て、隣の大部屋に入り、安麗と洋子の救出に取り掛かった。彼女たちは怯えきった目で、2人を見た。六馬が言った。
「しっ。安心して下さい。もう大丈夫です」
六馬と石川は、2人の恐怖を和らげると、彼女たちの後ろ手を縛っているロープをナイフで切断した。続いて猿轡の結び目を解いた。自由の身になると洋子と安麗が慌てて、パンティを穿いた。六馬が2人に訊いた。
「大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です」
「歩けますか?」
「はい」
「私たちの後をついて来て下さい」
六馬が先頭になり、地下室から1階への階段を上った。上り詰めた所の踊り場に行くと、木村広樹が石川と六馬の靴を持って待っていた。その時、天井の方で、コトコトという音がした。それを聞いて安麗と洋子は緊張して抱き合った。六馬が言った。
「もう大丈夫です」
石川誠の指示に従い、木村広樹が庭側の非常口のドアを開け、外の様子を窺った。誰もいない。それを見て、石川が安麗たちに言った。
「ここから外に出れば、もう安心です。庭の植木に隠れながら、裏口の木戸を開けて、表に出れば、もう道路です」
5人は裏の植木の中を潜り抜け、林玄彪の屋敷内から、脱出逃亡した。そして田園調布駅に向かって必死になって走った。途中、パトカーが2台、自分たちが来た方向に向かって、サイレンを鳴らし走って行くのを目にした。田園調布駅に着いてから、六馬は王育文講師に電話を掛け、安麗の声を聴かせた。助かった娘の声を聴いて、王育文は涙を流して喜んだ。
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同日の夕刻、『台湾青年独立同盟』事務所からの依頼で、『駐日国府大使館』の者と名乗る人物と会う為に新宿のホテルに向かうことになった。楊映心は不安なので、石川誠と一緒にホテルに行こうと思ったが、石川と連絡が取れなかった。石川の勤務先に電話すると、石川は出張先から自宅に直帰することになっているという事だった。相手が1人であるということなので、楊映心は、まあ良いかと新宿歌舞伎町にある『Pホテル』に1人で行った。相手から指定されていた『Pホテル』の620号室のドアをノックすると、静かにドアが開かれ、サングラスをかけた男が、楊映心を部屋に招き入れて,言った。
「ご苦労様です。楊映心さんですね。お待ちしておりました。どうぞ、どうぞ、中にお入り下さい」
「は、はい」
「そこのソフアへどうぞ」
その言葉に従い、楊がソフアに座ると、男は部屋のドアを内側からロックした。楊は異様な雰囲気を感じ取った。部屋の中を見回すと、なんともう一人の男が、背を向けて窓辺のカーテンの脇に立っていた。その男は背を向けたまま言った。
「程君。楊さんに、大使館から『台湾青年会』に通告する書類を渡しなさい」
「はい。楊さん、この通知に従って行動するよう、仲間に伝えて下さい」
その通告書に記されているのが、帰台通告であると知って、楊は顔色を変えた。命令に従わないと留学生たちのパスポートを取り上げるという内容だった。楊は唖然とした。背を向けた男は更に言った。
「楊さん。それと、王先生に、お伝え下さい。我々は王先生のお嬢さんをお預かりしております。お嬢さんは元気ですよ。そう王先生に、お伝え下さい」
「ええっ。本当ですか。お嬢さんをお預かりしているって・・」
「安心して下さい。私たちのボスが大事にお預かりしていますから」
「彼女をどうしようというのです?」
「決まっているではありませんか。王先生を呼び出して欲しいのです。王先生が指定時刻に指定場所にお見えになりましたら、娘さんをお引渡し致します」
「指定場所は何処ですか?」
楊映心の質問に男が振り返った。楊は男の顔見て唖然とした。男は何と大使館の文化参事官、余承業ではないか。不気味に笑っている。
「楊さん。何を驚いているのです。しばらくぶりですね。貴男にこの仕事を引き受けて貰う為に、私、わざわざ、ここに来たのです。ここから王先生に電話して下さい。今から直ぐに家族3人で、芝浦埠頭に来るよう伝えて下さい。そこで人質にしている娘さんを引き渡すとボスが言っていると伝えて下さい。今、ここから、王先生に連絡して下さい」
その言葉に従うべきか否か、楊映心は躊躇した。その戸惑う楊映心に、サングラスの男が突然、ナイフを突きつけ、楊に電話するよう部屋の受話器を渡した。身の危険を感じ、楊の顔が引きつった。冷たいナイフが楊の頬に当てられた。
「電話をするんだ」
楊は已む無く電話の受話器を手にした。王育文に電話を入れるなり、王育文の方から、話しかけて来た。
「楊君。ご苦労さん。新宿にいるのか。安麗と洋子ちゃんは、石川君と六馬君に無事、救出された。そこにいる犯人を捕まえたい。何とか交渉を長引かせてくれ。相手は誰だ。大使館の誰だ?」
「今、新宿の『Pホテル』で打ち合わせしています。はい。大使館の人です。今から直ぐに奥さんと明華さんを連れて、芝浦埠頭に来るようにとのことです。そこで、安麗さんを引き渡すと言っています」
「そのボスは誰か?」
彼らのボスが誰であるか、楊には分からなかった。楊は会話を聞いている余承業に訊いた。
「王先生が、ボスは誰かと訊いています。余さんのボスが誰であるか教えて下さい」
すると椅子に座って、楊映心と王育文の会話を聞いていた余承業は、急に立ち上がり、赤面して怒鳴った。
「ボスの名が言えるか」
「でも、教えていただかないと、王先生は埠頭に来てくれませんよ」
楊映心の言葉に、余はイライラし、楊に向かって言った。
「つべこべ聞くな。娘の命がどうなっても構わないというのか、王に訊け」
楊映心は余の怒る言葉を受けて、受話器の向こうにいる王育文に娘の命の保証について尋ねた。
「ボスの名前は言えないそうです。娘さんの命が、どうなっても構わないのかと言っています」
「楊君。そいつに言ってやれ。王育文は台湾独立の為なら、自分の命や肉親の命を失っても構わないと言っていると・・」
それを聞いて、楊映心は、余に、そのままを伝えた。
「王先生は台湾独立の為なら、自分の命や肉親の命を失っても構わないと言っています」
「そんな馬鹿な。肉親を見殺しにするなんて、人間なら、そんなこと出来る筈がない。私が話す。受話器をよこせ」
余承業は楊の手から受話器を奪い取った。完全に激怒し、頭に血が上っている。楊は逃げるのは今だと思った。このままでは、この男たちに殺されてしまう。楊はナイフを持った男の足を、突然、強く踏みつけ足をかけた。男は予期せぬ突撃に、ドサッと床に倒れ、手からナイフを落とした。その男が這い蹲っている間に、楊はドアに駆け寄り、ロックを解除しようとした。逃げようとする楊に気づき、余承業が受話器を置いて、楊の襟首を掴んだ。楊は、それを力いっぱい振り払った。そして620号室のドアのロックを開けようとする楊に、2人の男が襲い掛かった。サングラスの男は、サングラスを掛け直し、背後から、楊の背中に、ナイフを何度も何度も突き刺した。楊は激痛を堪え、ドアを開けると、ホテルの非常階段へと逃げ出し、転がり落ちるように、非常階段を駆け降り、ホテルの外に跳び出した。エレベーターを使って降りて来た余承業たちは、血まみれになって路上を逃げて行く楊を捕まえた。余承業が、楊映心を羽交い絞めにし、サングラスの男が正面から楊の胸を刺した。楊は2人のなすがままにされるしかなかった。ラブホテルに入ろうとした女性が、その様子を目にして悲鳴を上げると、大勢の人だかりが出来た。楊が力尽きて路上に崩れ落ちると、余承業とサングラスの男は新大久保方面に向かって逃走した。事件の現場を見ていた人たちは、ただ現場の惨状に驚愕するだけで、誰も楊を助けようとはしなかった。しばらくして誰かが叫んだ。
「救急車を!」
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翌日、石川誠は六馬英雄から楊映心が殺されたことを聞いて驚嘆した。慌てて、『台湾青年独立連盟』に駆け付けた。そこには王育文講師を始め、胡寛敏委員長、周明海、金美齢、宗方隆、廖建龍、許安成、黄文雄たちが集まり、頭をかかえていた。この間、忘年会の件で、打合せをしたばかりなのに、その楊映心が殺されたなんて、石川には信じられなかった。新聞は、こう報じていた。
〈 14日午後8時半頃、新宿区歌舞伎町2丁目のホテル前の道路で、台湾人、楊映心さん(26)が、2人組の男に胸や背中、数十ケ所をナイフで刺され、死亡した。調べによると楊さんと2人組はホテルの室内で口論になり、揉み合い、殴り合いになり、楊さんが、非常階段から逃亡した。そのホテルから自力で逃げ出した楊さんをホテル前で2人組が捕まえ、ナイフで刺して逃亡した。その楊さんを通行人が発見し、救急車を呼び、病院に運ばれた。楊さんは救急車で病院に運ばれる際、2人組にやられたと話していた。警視庁新宿署捜査本部は、現場付近の目撃情報などから、殺人事件として犯人の行方を追っている。楊さんはM大学を卒業し、大学院修士課程に通う留学生で、来年の2月、学位を取得する予定であった。〉
石川誠は柴田三郎、田中亮一、田代光男に、楊が亡くなったことを、知らせた。数日後、楊映心の葬儀が行われた。石川はその日の午後、会社を早退し、上野近くの『妙音寺』に出かけた。楊の葬儀の一切を『来々軒』の主人が段取りしていた。『台湾青年独立連盟』のメンバーも数人来て、手伝っていた。石川も仲間に加わり、告別式の受付の手伝いをした。王育文は六馬英雄と一緒に警視庁に出かけていて、葬儀には出席していなかった。しばらくすると柴田と田中が現れた。2人とも、あんなに頑張っていた楊が亡くなったなんて信じられないと、愕然としていた。
「無念であったであろう。楊の気持ちを思うと、泣けて来る」
柴田の言葉に同感だった。楊映心は台湾独立を夢見て、『台湾青年会』に入会し、王育文を慕い、尊敬し、柴田や石川たちと親交を深めるようになったのだ。彼は台湾人留学生の間でも、その人柄から人気があり、将来を期待されていた青年だった。その楊映心が、何故、殺されなければならなかったのか。平和を願う楊が何故、殺されなければならなかったのか。石川には納得出来なかった。
「楊は特務に殺されたに違いない」
許安成は楊映心が国民党の特務に殺害されたものと推測し、王育文や宗方隆たち数人が、警視庁捜査本部と掛け合っていることを石川たちに話した。楊映心の葬儀はしめやかに行われた。遺影の楊映心は、石川たちに〈平和に暮らせ〉と言っているようであり、『台湾青年独立連盟』のメンバーには、〈頼んだぞ〉と言っているようだった。実に悲しく、実に辛い告別式だった。石川は、その翌日から数日間、会社を休んだ。
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1週間後、台湾人留学生、楊映心を殺害した犯人が検挙された。犯人2人は楊映心を殺害したとして新宿署に自首したが、楊を殺した、余承業とサングラスの男では無かった。谷口という青年と、17歳の未成年者だった。2人は下校途中の王育文の娘らを誘拐した『黒龍会』の杜玄彪の手下で、殺害理由は金銭のもつれということであった。警視庁捜査本部は、2人を犯人と断定し、王育文らの特務殺人説を却下し、あっさり事件を処理してしまった。国際問題に発展させたくないという日本政府と台湾政府の話し合いに従った警視庁の処置と思われる。この結末に対し、『台湾青年独立連盟』のメンバーには不満が残ったが、泣き寝入りするしか方法が無かった。楊映心の親友、石川誠にとっても、この結果は納得出来るものではなかった。楊映心が殺害された同時刻に、あの田園調布の地下室にいた若者2人が新宿での殺人犯とは、酷い話だ。しかしながら、石川誠には楊映心の死が、『台湾共和国』の為に捧げた死であると思えば、それは友の美しい大義の為の死であったと、心の中で整理することが出来た。石川は葬儀の時、許安成が言った言葉を思い出す。
「楊映心。私たちは君の死を無駄にはしない。君の台湾独立に賭けた夢を、必ず実現する。君の事は永遠に忘れない」
あの時の遺影に向かっての叫び声は、今も楊映心を知る者の心を揺さぶって止まない。
ー《台湾青年』その二 完 ー