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「田舎臭い貧乏令嬢はごめんだ」と婚約者に捨てられたので、帰郷途中に拾った訳アリ青年(じつは王太子)と苦し紛れに婚約契約を結んでお持ち帰りした結果……

「は? いまさらなにを言っているの?」

「だってほら、辺境の地ってなにもないだろう? 財産がたんまりあるどころか、カツカツの生活じゃないか。王都での贅沢な生活を手放し、わざわざ行くようなところじゃない。それに、おれには目指すものができた。それには、やはり王宮にいる必要がある」

「そんなこと、わかっていたでしょう? 婚約する前にちゃんと申告したはずよ。あなたは、それでもいいと言った。だから、婚約したのよ」

「あのときは、そうだな。まとまった金が欲しかったんだ。ほら、おれも王子のはしくれだ。王太子になるためには、有力者を味方にしなければならない。そこにきみが金貨を持って現れた。もっとも、資金にするには足りなさすぎる枚数だがね。それはともかく、最近知り合ったレディの父親は、だれかさんの父親のようにド田舎の貧乏貴族ではなく最有力者でね。資金をたんまりだしてくれるらしい。おっと、資金だけのことではない。きみは、とにかく臭い。土とか糞とか獣とか、とにかくエレガントでない臭いが染みついている」


 このバカ王子は、結局わずかな金貨が目的だったのだ。金持ちで影響力のある有力な父親を持つレディと遊ぶ金貨が欲しかったのだろう。最初から、わたしのことなど相手にするつもりはなかったのだ。婿養子どころか、結婚などまったく考えていなかった。


 なけなしの軍資金を返して欲しい。王都で無為にすごした時間を返して欲しい。


 お父様が「婿養子」捜しにと提供してくれたへそくりとわたしの全貯金。


 それをちらつかせたのがいけなかった。


「裏切るとか別れるとか言うなよ。そもそも、おれたちはそういう関係じゃなかった。一度たりとも寝たことはなかったし、それどころか口づけだってしたことがなかった。悪いが、きみのような黒髪に黒い瞳を持つレディは、不吉の象徴とされている。そう遠くない将来、王太子に、最終的には国王になるおれが、そんなきみを王妃にすれば、この国に災厄を招くことになる。だから、きみはきみに相応しい田舎者を婿にした方がいい。ほら、王家の騎士たちにつまみだされない内に王都を去るがいい」


 これ以上の抵抗はムダである。


 クズで愚かとはいえ、相手は王子。どのようなことでもできる。


 泣き寝入りするしかない。高い授業料を払い、学んだと思うしかない。


 とはいえ、心や感情でそんなこと理解できるわけはない。


 頭の中でクズ王子の頬をぶん殴り、心の中で罵りまくった。それから、彼に背を向けた。


(二度と王都に来るものか。王子なんて二度とゴメンよ)


 寝泊まりしていた安宿を引き払い、さっさと乗合馬車に乗り込んだ。


『バイバイ、王都。王族、滅んでしまえ』


 煌々と輝く王都の光に見送られ、乗合馬車は街道を疾走し始めた。



 途中、いくつか停車場により、夜になると宿場町の安宿に泊まった。


 故郷が近づくにつれ、気分はどんどん落ち込む。領地が迫りつつある。憂鬱度は、いやでも増す。


(明日、いよいよ家よ。お父様とお母様とお兄様は、落胆するわね)


 三人の落胆ぶりが想像出来るだけに、憂鬱っぷりはマックスに達してしまう。


 正直なところ、わたし自身は婚約者に婚約破棄されようが逃げられようがどうでもいい。クズ王子と縁が切れ、かえってせいせいしている。しかし、両親と家のためを思えば、そんな呑気なことを言っている場合ではない。


(あとは、隣国ね)


 国境を接している隣国に婿を求めるしかない。


 とはいえ、わが国と隣国は仲がよくない。そのため、これまで隣国への進出は控えてきた。


(まっ、どうにかなるわね)


 とりあえず、最後の夜をどうにかしなくては。


 持ち金ギリギリで狭くて汚い部屋を確保できた。これでもう残金は夕食のパン代くらいしか残っていない。


 食堂であたたかいものを食べるどころか、朝食にありつけそうにない。


(まっ、どうにかなるわね)


 明日帰る。それまでのガマン。水で空腹をしのげばいい。


 というわけで、部屋に唯一の所持品であるトランクふたつを放り込み、さっそくパンを確保しに行った。



 幸運にも、パン屋の主人はめちゃめちゃいい人だった。


 閉店間際にギリギリすべりこんだこともさいわいだった。


 売れ残ったパンをいろいろ詰め合わせた袋が半額になっていた。それを銅貨一枚で二袋も持たせてくれた。


「ラッキー。残り物には幸運があるってほんとうね。うまく調整すれば、明日のランチまでいけるかもしれない」


 宿屋までの帰りは、うれしさのあまりスキップしていた。


「いたっ!」

「おっと」


 が、途中あきらかにこの町の住人ではない複数の男性のひとりと出合い頭にぶつかってしまった。


 しかし、農作業や家畜の世話で鍛えたわたしの体はビクともしない。逆に向こうの方がふらついた。


 四人連れだ。この町の住人ではないどころか、この辺りにさえ住んでいなさそうな連中である。ひとりはメガネをかけている「いかにも頭がよさそう」な感じである。四人は、ジャケットにスラックスというきっちりとした恰好をしている。とはいえ、ジャケットもスラックスも皺だらけだけど。


 この連中は、王都からやってきたに違いない。しかも、ある程度の身分だ。


 王都で生まれ育ったわけではないけれど、短期間とはいえそこですごしたからわかる。


「すまない、レディ。大丈夫だったかい?」


 ぶつかったメガネが尋ねてきた。


 わたしからすれば、ヒョロヒョロの勉強っ子タイプ。だけど、顔はそこそこイケている。


「ええ。あなたこそ大丈夫?」

「大丈夫。ところで、青年を見なかったかい?」

「青年? どこにでも転がっていそうね。あなただって、あなたの仲間だって青年だし、この町にも青年は大勢いるわ」


 笑いながら告げると、メガネも笑った。


「その青年というのは、まぁまぁカッコいいから目につくはずだ。恰好は、いまは正直分からない」

「あなたもまぁまぁね。その青年とあなただったら、どちらの方がカッコいいかしら?」


 メガネは、仲間を振り向いた。


 他の三人は、筋肉質で屈強なタイプ。


 軍人だとすぐにわかった。


 なぜなら、お父様が軍人だったから。お兄様もだけど、お兄様は、頭脳派だからヒョロヒョロやタイプ。たとえば、眼前のメガネさんのように。


「わたし、かな?」


 メガネさんは、キッパリはっきりスッキリ断言した。


「そういうの、嫌いじゃないわ。だけど、ごめんなさい。あなたたちの捜している『その青年』という青年には会っていないわ」

「そうか。仕方がない。レディ、ぶつかって悪かったね」

「こちらこそ。『その青年』がはやく見つかるといいわね」

「ああ。ありがとう」


 四人を見送ってから、紙袋に入っている大量のパンを抱え直した。それから、歩きはじめた。


 安宿のある方向にではない。すぐ右横にある路地へ向かって、である。


 もう一度、四人が去った方角を見た。影も形もないことを確認し、路地の暗がりへと頭を突っ込んだ。


「彼らの捜している人ってあなたのことでしょう? その青年さん?」


 そうして呼びかけた。


「ああ、よくわかったね」


 すると、路地の暗がりから黒い影が出てきた。

 

 いかにもな感じで漆黒の闇のような黒いマントに身を包み、そのマントのフードを目深におろしている。


 彼は、わたしと少し距離を置いたところで歩を止めた。


 建物の屋根と屋根の間から、かろうじて月が見える。月光の下、彼はかぶっているフードをおろした。


「たしかに、まぁまぁイケてるわね」


 彼をサッと観察し、そう評価した。


「『まぁまぁイケてる』ではなく、『まぁまぁカッコいい』だろう?」


 その青年が訂正してきた。


「どっちでも同じことよ。ところで、メガネさんたちに追われているあなたはヤバい人なのかしら?」


 あらためて、彼を上から下まで観察した。


 すくなくともヒョロヒョロな体型ではないけれど、先程のいかにも軍人というようなマッチョ感はない。背はそこまで高くなく、中肉中背で筋肉質といったところか。


 たしかに、顔はかなりいい。


 もっとも、わたし基準だけど。


 残念ながら、田舎で生まれ育ち、お父様とお兄様や使用人や領地の男性しか知らないので、基準はかなり低いはず。


 婿探しでも、顔の基準はどうでもよかった。どちらかといえば、体格を重視しているから。


 そんなわたしの男性にたいする見る目はともかく、眼前の青年は悪いことをして追われているようには見えない。


 が、じぶんでいうのもなんだけど、人を見る目に自信がなくなっている。


(もしかしたら、こう見えてとんでもない犯罪者だったりするのかもしれないわね)


 人は、見た目で判断してはいけない。


「自分では、ヤバい人とは思わないがね」


 笑った彼の歯は、真っ白である。月光の下、その歯がやけに光って見えた。


 彼の雰囲気から、ヤバい人ではないと結論付けた。


「もしかして、メガネたちに密告する? 褒美がもらえるかもしれないよ」

「そうなの? それは魅力的ね。宿代とこのパン代で無一文になったから。だけど、それならとっくの昔に伝えたわ。『そこの路地に隠れているまぁまぁカッコいいのが、あなたたちの捜しているその青年じゃないの?』ってね」


 メガネさんと話をしているときに気がついていた。


 この青年が路地から様子をうかがっていることを。


 なぜかわからないけれど、そんな彼に興味を抱いてしまった。だから、告げ口しなかったのである。


「ヤバい人でないのなら、しばらくわたしの部屋に隠れていなさい。もっとも、安宿だから狭くて汚いけど」

「それはありがたい誘い文句だ。そうそう。これだけは伝えておこう。おれは、拾ってくれた恩人に手を出すほど落ちぶれてはいない。そこは安心してくれ」

「あら、そうなの? ちょっと残念かも」


 即座に返すと、彼は笑いだした。


 もちろん、わたしも笑った。


「おれは、チャールズ・ケンドリック。チャーリーと呼んでくれ」

「わたしは、ミヤ・エルズバーグよ」


 そうして彼を安宿の部屋へ誘い込んだ。もとい、かくまうことにした。


 当然、下心があってのこと。って、そういう意味での下心ではないけれど。


 この出会いがわたしの運命をおおきく狂わせるとは、このとき思いもしなかったのはいうまでもない。 



 安宿だから当たり前だけど、とにかくうるさい。


 二階建てで、一階は食堂兼バーになっている。


 時間を問わず、だれかがなにかを叫んだり騒いだりしている。それが、二階にあるわたしの部屋まで聞こえてくる。バーだけではない。通りでだれかがケンカや談笑をしているのが、開けっ放しの窓から聞こえてくる。


 窓を閉めることはできない。まず、壊れているので物理的に閉めることができない。そして、室内の悪臭がすごすぎる。開けておかないと耐えられない。


 元婚約者のクズ王子に臭いと言われたけれど、そんなわたしの臭いなど安物の香水と思えるほどの悪臭だ。


 壁が薄いため、両隣の部屋からもいろいろ聞こえてくる。というか、両隣の宿泊たちふたりとも、レディを誘って寝台でエクササイズをしているみたい。だから、そういう音がイヤでも聞こえてくる。


 チャーリーとふたり、狭い部屋でそういう物音や声を聞くのは気まずすぎる。とはいえ、いまさら追いだすわけにもいかない。


 チャーリーも気まずいにきまっている。わたしの誘いに応じたことを後悔しているかもしれない。そして、「出ていく」とも言いにくいはず。


 というわけで、強烈に汚い毛布と壊れているマットののっている寝台の上でふたり並んで座り、じっと耐えている。


「グルルルルルル」

「ギュルルルルル」

「ガルルルルルル」


 しばらく前から、お腹の虫が大暴れをしていた。いつもならさすがに羞恥心で真っ赤になる場面だけど、いまは正直助かった。


 ちょうどいいタイミングすぎる。


「いやだわ。みっともないったらないわね」


 立ち上がると、「ギギギギギ」と寝台が悲鳴をあげた。


「チャーリー、お腹すいているわよね? あなた、銅貨の一枚も持っていなさそうだから。ほら、これを食べましょうよ。パン屋さんで閉店間際の詰め合わせセール品が値引きになっていた上に、さらにサービスしてもらったの」


 寝台の枕元に置いておいた紙袋を引き寄せ、彼との間に置いた。


「ワオ! いろいろな種類が入っている。うまそうだな」

「でしょう? 売れ残りを寄せ集めているんでしょうね。堅くなっているかもしれないけれど、あなたもわたしも若いから歯は丈夫よね? だから、大丈夫でしょう」


 言いながら、あらためて彼の顔を見た。


 いまにも尽きてしまいそうなロウソク一本だけの細々とした光の中、彼はキラキラしている。


「歯は丈夫さ」


 笑った彼の歯もまた、キラキラ光っている。


(ほんと、きれいな歯ね)


 ということは、彼はちゃんとした環境で育ち、すごしているのだろう。食事面や衛生面、それから医師に診てもらえる、という環境の中でである。


 それはともかく、ふたりでパンを堪能した。


 飲み物は、それぞれ携帯用の水で賄った。


「助かったよ。じつは、メガネたちの目を逃れるために店でなにかを買うことができず、飲まず食わずだったんだ。なんか生き返ったという感じだ。すごく美味かったしね。ひさしぶりに美味いパンが食えたよ。しかも、こんなに大量に」

「それはよかったわ」


 ガツガツとパンを貪り食べた彼は、満足げにしている。


「連中も宿で眠った頃だろう。そろそろお暇するよ。いつまでもレディの部屋にいるわけにはいかないしな」


 彼が立ち上がると、またしても寝台が悲鳴を上げた。


「ちょっと待って。もう一度確認してもいいかしら? あなた、ヤバい人じゃないのね。わたしの言いたいこと、わかるわよね?」

「ああ、わかっているつもりだ。答えは、先程と同じくノーだ。きみのいうヤバい人が、ごくごく一般的な意味だとすれば、だけど。それと、きみとおれの認識や価値観におおきな差がなければ、だけど」


 彼は、わたしを見おろしてきっぱりスッキリさっぱり即答した。


(いま、わたしは絶体絶命。彼も追われていてピンチのはず。たしかに、彼はそういう意味のヤバい人ではないはず。背に腹はかえられない。ここはやりすごす意味でも彼と手を組むべき。そうよね?)


 もうあとがない。とにかく、家族や周囲の人をよろこばせ、安心させたい。


 あとのことは、それから。


(まっ、どうにかなる)


 決断すれば、あとは実行に移すだけ。


 先のことはあとで困ればいい。とにかく、この直近をのりきればいい。


「ねぇ、チャーリー。あなた、行くあてはあるの? メガネさんたちから逃れてどこに行くつもりだったの?」

「そうだな。じつは、逃げているのは目的があるからなんだ。だが、それはすぐには達せられそうにない。だからきみの質問の答えは、『いまのところ行くあてはない』だね」

 

 彼は、わたしの隣に座り直した。


 寝台が悲鳴をあげた。


「だったら、わたしと契約を結ばない?」


 ズバリ切り出した。


 こういうことは勢いである。言った者勝ちなのだ。


「契約?」

「そう。婚約のよ。つまり、契約婚約ね。あなたには、わたしの婚約者になって欲しいの。もちろん、結婚を前提にした婚約者よ。それもかなり前向きな、具体的にはいますぐにでも結婚してもいい感じの」

「なんだって?」


 チャーリーは、仰天した。


 当たり前だけど。


 その様子がおかしくて笑ってしまいそうになりながら事情を説明した。


 自分は田舎領主の娘であること。兄がいるが、婚約者がひとり娘で婿養子にならなければならない。そのため、わたしが婿養子を迎えて家の跡を継ぐこと。婿養子探しに王都に行き、父親の知人のコネで王子のひとりと婚約したが、所持金だけふんだくられて捨てられたこと。そうして、手ぶらで帰らねばならなくなって困っていること。


 まぁ、王子のくだりについては多少脚色はしたけれど、まったくの嘘やでたらめではない。


「そうしたら、あなたに出会った。これは、運命かも。もちろん、契約だから婚約者のふりをしてくれればいい。ある程度の時期がきたら、ケンカして別れ、あなたは出ていく。それまでの間に、わたしは他をあたってそっちと契約を結ぶわ」


 必死である。


 取り繕うのも大変。


 口を閉じてから、彼の様子をうかがった。


 彼の反応が気になる。


 いろいろな反応が考えられるけれど、一番怖いのは無反応。それが一番厄介。


 彼と視線が合った。


 金髪なのに瞳はハッとするような蒼色。


(真夏の空の色よ。わたしの一番大好きな色)


 チャーリーの瞳に見惚れてしまった。


 その彼が微笑んだ。


 ドキッとするほど素敵な微笑みである。


(そういえば、あのクズ王子も顔だけはよかった。笑顔が素敵だった)


「よく笑う人に悪人はいない」、というのがわたしの持論である。


 クズ王子のあの笑顔は、きっと偽物だったのだ。


(彼は、どうかしらね?)


 チャーリーの笑顔が作り物であったとしても、わたし自身傷つくわけではない。なぜなら、わたしたちはあくまでも契約婚約をするだけで、そこにはなにもないのだから。


「あ、そうそう。悪いけど、契約婚約のお礼は食と住の提供くらいしかできないの。つまり、物理的なものはなにも渡せない」


 かんじんなことを忘れていた。


 それこそ、金貨による報酬を期待されていたら大変だから。


 伝えてちゃんと検討してもらわないと。


(というか、こんなの『バカバカしい。断るにきまってるだろう?』とか、『きみは見ず知らずの男を部屋に連れ込むだけでは飽き足らず、婚約者にしてしまうのか?』とか、呆れられるにきまってるじゃない)


 それでも、提案しなければならないほど追いつめられている。崖っぷちに立たされている。


 沈黙が痛い。


 両隣さんは、どうやらエクササイズに疲れて果てたらしい。階下の通りからも何も聞こえてこない。


「ああっ!」

「はあっ!」


 が、静けさも一瞬だった。両隣からまた激しく嬌声が聞えてきた。 


「イクッ!」

「イッちゃうわ」


 どこにイクのか、あるいはイッちゃうのか?


 どこにでもイケばいいし、イッちゃえばいい。


 チャーリーは、なにをもったいぶっているのかまだ笑っている。


(ちょっと、わたしをバカにしすぎでしょう?)


 短気なわたしは、そんな彼にイライラしてしまった。


「かまわないよ。きみの提案にのっからせてもらうよ」


 チャーリーは、笑うのをやめると真剣な表情で言った。


 まるでこの契約が国家間の条約か何かのように。


 彼は、真剣かつ真摯に宣言した。


 

 

 チャーリーと契約婚約の契約を結んだすぐあと、安宿の部屋を出た。


 チャーリーとふたりで狭苦しい部屋ですごすことはできない。それならまだ、野宿の方がマシである。それに、チャーリーを追っているメガネさんたちのこともある。彼らが眠っている間に町を出て、できるだけ距離を開けた方がいい。


 というわけで、わたしのトランクふたつをチャーリーが持ってくれた。彼自身の荷物はない。というのも、彼は、自分のマントのポケットに最低限のものを詰め込んでいるからである。それから、ズボンのポケットにも。最初はわからなかったけれど、彼のズボンやマントはじつに機能的に出来ていることがわかった。


 彼は、なぜか軍用のマントとズボンを着用していたのだ。


(軍の脱走兵?)


 チャーリーの「脱走兵疑惑」が生じた瞬間だった。


 それはともかく、支払い済みの馬車賃はもったいないけれど、こうなった以上すこしでもはやく実家に帰りたい。


 偽者だけれど、婚約者を連れて帰ることができる。


 それなら、はやく帰って彼を見せびらかしたくなった。もとい、紹介してみんなをよろこばせたくなった。



 町を離れ、歩き続けてエルズバーグ家の領地に入った。そこで街道からそれ、森の中で休憩をした。まだ真夜中。夜明けまで休むことにした。


 チャーリーは、すぐに薪を集めて火をおこしてくれた。さらには、マントのポケットから小さく折りたたんだ携帯用のシートを取り出し、それと着用しているマントを使って寝床を準備してくれた。彼自身の寝床ではない。わたしの寝床をである。


 彼が見張りをしてくれるというので、お言葉に甘えて休ませてもらった。


 こんな森の中で、しかも若くて謎めいた青年に見守られて眠れるわけはないと思いつつ、爆睡してしまっていた。目が覚めたとき、というか、彼に揺り起こされたときには、すでに夜が明けかけていた。


 余ったパンをたらふく食べ、出発した。


 そうして歩き続け、やっと見えてきた。


 生まれ育った屋敷が。


 ようやく帰ってきたのである。



「へー、あれがきみの屋敷? 想像していたのよりずっとおおきくてあたらしいね」


 わが家は、歴史的建築様式とよばれる時代の古めかしい屋敷である。しかも王都の貴族の屋敷より小さい。もっとも、土地だけはあるので、敷地は何十倍もあるけれど。


(あれがおおきくてあたらしく見えるなんて、チャーリーはいったいどういうところで育ったのかしら?)


 内心で苦笑した。


(あっ、そうか。彼なりの気遣いね)


 いわゆる、おべんちゃらである。


「そうかしら。王都の屋敷にくらべれば、超アンティークの犬小屋だと思うけど。それよりも、いまさらで申しわけないんだけど、わたしの家族、ちょっと個性的なの。あなたが驚く、というよりかひく前に伝えておくわ」

「どんなふうに?」


 チャーリーは、丘の下から屋敷を見上げつつ首を傾げた。


 彼は、太陽を背にこちらの目が眩むほどきらめいている。


「まぁ、会ってみればわかるから。じゃあ、行きましょう」


 自分で話題をふっておきながら、おもわず言葉を濁してしまった。


(ここで逃げられたら元も子もないからね)


 そして、彼を促して丘をのぼりはじめた。



 なにもかもあいかわらずである。これが、わたしが生まれ育った光景。


 うしろを振り返り、丘の下にひろがる小麦畑を見た。


 広大な小麦畑は、降り注ぐ太陽の光で金色に光っている。それはまるで、地上に金色の絨毯が敷き詰められているようだ。微風が肌に心地よく、穂をゆらす「サワサワ」という音が耳に心地いい。


 金色の絨毯だけではない。牧草地では家畜たちがのんきに草を食み、畑ではイモや豆が育っている。


 こんなド田舎の日常の光景、王都にいる貴族や有力者たちは見たことはないだろう。ましてや王族であるあのクソ王子は、この光景を田舎臭いとバカにした。馬糞臭いと嘲笑った。


「クソくらえ、ね」


 声に出していた。


 わたしは、この光景が大好きである。この光景を自慢したい。


 わたしのつぶやきに驚いたのか、チャーリーがこちらを見た。しかし、彼はなにも言わなかった。


(空気の読める男、嫌いじゃないわ)


 彼が契約上の婚約者であることが残念でならない。


「お嬢だ!」

「お嬢だぞ。旦那様、奥様、若旦那、お嬢だ」


 使用人たちに見つかったらしい。


 背中にみんなの声があたった。


 そんなに家をあけたわけではないのに、みんなの声がずいぶんと懐かしく感じられた。それこそ、目に涙がにじみそうなほどに。

 

 丘の上まであがったときには、みんな勢ぞろいで出迎えてくれた。


「ミヤッ!」

「ミヤッ!」

「ミヤッ!」


 お父様とお母様とお兄様が駆けより、わたしを抱きしめてくれた。


 抱きしめるというよりか、殺人的ハグである。


 とにかく、うちの家族は力が強いのだ。


 もっとも、その中にはわたしも入るのだけれど。


「みんな、婚約者を紹介するわ」


 三人の力強すぎるハグからやっと解放されると、チャーリーを振り返った。


 彼は、いつの間にかフードをかぶっていた。


「ミヤ、わかっているよ。手紙には婚約することに成功して婚約者ができたと書いてよこしていたが、そんなわけはない。ミヤ。いくらおまえが個性的なレディであっても、うちに婿養子にきてくれる青年などいやしない。賄賂、ではなく持参金だってたいした金額ではないしな。あれだけでは、王都にいる青年は来てくれやしないだろう」

「そうよ、ミヤ。あなたが個性的な魅力を発揮しても、こればかりは難しいことは分かっていたのよ。だから、そろそろ呼び戻そうと思っていたところだったの」

「ミヤ、わたしもそろそろ休暇が終るからな。父上と母上の伝言を持って王都におまえを尋ねるつもりだったんだ」


 お父様とお母様とお兄様は、わたしを信じていなかった。


 まぁ、たしかにみんなの言う通りなんだけど。


「そ、そんなことないわ。ほら、ここにこうしているでしょう? カッコよくて性格もいい人なの」


 とにかく、背後にいるチャーリーを推しまくった。


 まぁ、逃亡者であってもあのクソ王子よりかはずっとマシ。


「うおっ、きみは」

「キャアッ! な、なんてことなの」

「あ、あなたは?」


 言い訳を、というよりかはチャーリーを推しまくるわたしの前で、お父様たちは叫び声を上げた。


「オホンッ! ゴホンッ!」


 その瞬間、うしろで不自然な咳払いがした。


 振り返ると、チャーリーがフードをおろして「まぁまぁカッコいい」顔をさらしていた。


「お嬢様と婚約させていただきました、チャールズ・ケンドリックです」


 彼はしきりに左目だけを閉じながら、わたしの横を通りすぎてお父様と握手をした。


「チャーリー、左目どうしたの? 大丈夫?」

「あ、ああ、ミヤ。ゴミが入ったみたいだ。だけど、もう大丈夫だ」


 チャーリーは、お母様の手に口づけをした。それから、お兄様と握手をかわした。


 お父様もお母様もお兄様も、チャーリーがカッコよすぎて驚いている。


 三人とも顔をひきつらせるほど驚いている。


 その様子を見、優越感に浸ったことはいうまでもない。


 チャーリーに無理じいしたことは否めないけれど、彼を連れて帰ってきてほんとうによかった。


 心から満足した。




 チャーリーは、逃亡者なのにいい男である。人は、ふたつもみっつも取り柄を持たないものだけど、彼はいくつも持っている。


 彼は、うちの家族にすぐに馴染んだ。使用人たちも彼のことが大好きである。


 それだけではない。彼は、うちの手伝いまでしてくれる。いいと言っているのに、率先して畑仕事や家畜たちの面倒をみてくれる。さらには、馬の調教まで。


 彼は、農作業や家畜の世話などの仕事にすぐに慣れた。しかも要領と手際がいい。


 お父様とお母様とわたしは、ずいぶんと助かっている。


 お兄様は、長期休暇が終って王都に戻った。わが国の軍の参謀候補を務める彼は、王都にある軍本営でしばらく勤務するらしい。その間に婚約者との婚儀の話を進めることになっている。


 お兄様が婿養子になって向こうの家を継ぐのは、もう時間の問題だろう。


 ちなみに、婚約者は軍で士官を務めている。その父親は、伯爵で元参謀長である。母親は、元副参謀長。そして、ひとりだけいる兄は、現参謀長で将軍の片腕。


 とはいえ、お兄様が参謀候補なのは、彼の実力である。彼は、自分の才能と努力とで目指す地位に突き進んでいる。けっして婚約者家族のコネだとか影響力ではない。


 向こうの父親や兄は、そういうことには厳格らしい。お兄様にたいする扱いは、他のだれよりも厳しいのだとか。が、プライベートではひとり娘にデレデレな父親であり妹命の兄らしい。その婚約者のお兄様にたいしては、娘や妹可愛さからともに可愛がってくれているという。


 そんなお兄様のしあわせストーリーはともかく、わたしのことである。


 ほんものの婚約者を捜し、ゲットしなければならない。が、日々の生活に追われ、そんな暇がない。


 訂正。毎日の仕事だけでなく、チャーリーと遊びまくるのに忙しく、とてもではないけれどそんな時間を作れない。


 遊び、というのは違うかもしれない。馬を調教がてら彼を領地のいろいろなところに案内したり、会話や読書を楽しんだり、剣や格闘術の稽古をして汗を流すのである。


 そんな毎日が意外と面白い。というか、以前よりもずっとずっと面白くて刺激的である。だから、毎日をかなり楽しんでいる。


 チャーリーは、なにもやらせても完璧である。とくにわたしが小さい頃からお父様に指南を受けている剣と格闘術と乗馬をさせれば、かなり筋がいい。というか、素人とは思えないほどの能力を発揮する。


 残念ながら、お兄様はそのどれもが苦手である。お兄様は、「脳筋バカ」のわたしと違って体力的なことは苦手なのだ。そのかわり、幼い頃から軍事書や兵法書を友達にしていただけあり、頭だけは最高にいい。


 お兄様とは違ってチャーリーの筋の良さは、お父様をうならせるほどである。お兄様のことでは失望しただろうお父様は、うれしそうに彼と剣を振っている。軍きっての最高の剣士であり、マスターと言われたほどのお父様は、どうやらチャーリーを認めてくれたらしい。


 わたしの婚約者、として。


 それは、お父様だけではない。チャーリーは、やさしくて気遣い抜群で機転と融通が利いている。彼は、およそこの世の全レディが男性に求めるものを持っている。だから、お母様だって彼にデレデレだ。


 そして、わたしも……。



「ここは、ほんとうにいいところだね」

「でしょう?」


 農作業をすませてから、チャーリーと馬で湖と小麦畑を一望できる丘にやってきた。そこは、わたしのお気に入りの場所のひとつである。だから、彼がやってきてから最初に連れてきたところだ。左半分には湖が、右半分には小麦畑が、見おろすことができる。それはもう圧巻であり美しい光景がひろがっている。


 わたしに絵心があれば、ぜひとも描きたい景色。しかし、あいにくそういう芸術的な要素はいっさい持ち合わせてはいない。


「肥沃な土地に善良で働き者の領民たち。それなのに、エルズバーグ侯爵家は侯爵とその家族が働いている。こういってはなんだけど、侯爵家はあまり裕福ではなさそうだ」

「そのとおりよ。だから、最初に言ったでしょう? うちは、あまり裕福ではないというよりかはカツカツなの。代々の領主は、みんな超がつくほどのお人好しで要領が悪くて善良すぎるの。自分たちや家のことはどうでもいい。とにかく、領民のためになにかしなければならない。いいえ。すべきだと考えている。というか、それが家訓になっている。だから、領民のためになけなしの財産をはたいているの。たとえば、学校や病院や教会その他もろもろの運営のほとんどすべてをうちで賄っている。それから、領民の税金は、他の領地の三分の一程度。その上で、うちが上乗せして国に税をおさめているの。だから、残るわけないわよね。もっとも、代々の当主や男子は、剣の指南役や参謀として軍で要職に就かせてもらっているから、その分のお手当てがもらえているから助かっているけど。ほんとうは、わたしも軍に入りたかったの。だけど、お兄様とふたりそろって家を出るわけにはいかないもの。だから、わたしが継ぐことにしたの。厳密には、婿養子を取って旦那様に継いでもらいたい。というわけで、王都に滞在して婿探しをしていたわけ。でっ、結果的にだまされて軍資金だけふんだくられたのよ。田舎しか知らないわたしだから、まんまと騙されたわ。授業料にしては高いものについたわよね。でも、あなたに出会えてよかった。言葉は悪いけれど、いい拾い物をしたってことね」


 眼下にひろがる壮大かつ美しい景色から、チャーリーへと視線を転じた。


 彼もこちらを見ている。


「あなたが来てからどのくらい経ったかしら? あっという間だったけど。メガネさんたち追手も現れないし、そろそろあなたも出ていきたいんじゃないの? それなら、大ゲンカでもしてきっかけを作らないといけないわね」


 心の中では、「それは困る」と思っている。それから、「行かないで欲しい。できればここにずっといて欲しい」とも。


 困ってしまうとかいて欲しいとか思っているのは、本来の意味、つまり「婚約者」がいなくなって具合が悪いからではない気がする。


 チャーリーは、いまや家族や使用人だけでなく領民たちの間で大人気でなくてはならない存在になっている。彼は、「ミヤの婿養子殿」と呼ばれ、慕われている。


 そして、領地内の全レディの注目の的で憧れの存在。


 その彼がいなくなれば、「やっぱりミヤだから」と笑われるだろう。


 しかし、たとえそうなっても仕方がない。これは、あくまでも契約。彼とわたしの契約婚約であり、ほんとうの婚約でも婚約者どうしでもない。当然のことながら、わたしたちの間に愛や絆など存在しない。


 彼には自由になる権利があるし、わたしから解放されて自由になるべきなのだ。


 いついつまでもわたしのワガママや都合で縛りつけていいわけではない。


 それはよくわかっている。わかってはいるけれど、彼にここにいてもらいたい。


 体裁のこととは違う理由で彼に「いてもらいたい」と願ってしまう。


 そのことを認めざるをえない。不本意だし、想定外すぎるけれど。


 ただ、それがどういう気持ちからなのかは、正直わからない。


 おそらく、チャーリーが同年代だからだろう。あるいは、波長があうからかも。


 もしもこれがチャーリーではなかったら? 性別を問わず同年代で波長が合えば、だれであろうとここにいて欲しい。友達でいて欲しい。そう思うに違いない。


 そう結論付けることにした。


 そう結論付け、自分自身を納得させようとした。


「では、契約は終了というわけかな? きみとおれの契約婚約は、終わりというわけ?」


 チャーリーが言った。慎重に言葉を選んでいる気がした。彼の瞳は、夏の空の色と同じ澄んだ蒼色。それは、わたしがもっとも好きな色である。


「そうね。そうなるわね。だってそうでしょう? いつまでも婚約者のふりをさせるわけにはいかないし。それに、あなただっていつまでもここでムダな時間をすごすわけにはいかない。あなた、言ったわよね? 『逃げているのは目的があるから』って。それは、逃げてまで達したい目的なのよね? せっかく逃げおおせたんですもの。その目的を達成すべきでしょう?」

「目的、か……」


 彼は、澄んだ蒼色の瞳を眼下に広がる景色へと向けた。


「ほぼ達成したがね」


 そして、なにかつぶやいた。


「なんですって? ごめんなさい。きこえなかったわ」

「いや、なんでもない」


 蒼色の瞳がこちらに戻ってきた。


 そこには、わたしがくっきりハッキリ映っている。


 わたしは、彼にくらべればほんとうにオーソドックスな容姿だとあらためて思った。


 しかも性格が、「うーん」である。容姿のようにオーソドックスならまだしも、いいとはけっしていえない。男勝りで、負けん気が強くてテキトーすぎてと、およそレディらしいところがない。


 そんなわたしが、チャーリーと釣り合うわけはない。たとえ彼が逃亡者であろうと、わたしと彼は見た目にも性格的にも釣り合っているようには到底思えない。


(そういえば、彼に追われている理由をまだ教えてもらっていないわね。わたしってば彼が逃亡者だとわかっているのに、犯罪者とか悪人とはまったく考えずにいい人認定している)


 というか、チャーリーが追われていることなどすっかり忘れていた。


「あら?」


 そのとき、眼下に五頭の騎馬が全速力で駆けて行くのが見えた。この丘からだと、なんでもよく見えるのだ。


 五頭の騎馬は、街道を南から駆けてきた。ということは、王都方面からやってきたことになる。


 すぐにピンときた。チャーリーに関係のある人たちだ、と。


 眼下からチャーリーに目を戻した。すると、彼も気がついたのか真剣な表情で眼下を見つめている。


「どうやらバレたらしい。というか、きみの兄上がメガネたちを連れてきたのだろう」

「なんですって? お兄様が、彼があなたを売ったというの? 信じられない」


 仰天した。


 お兄様は、わたしに弱い。彼は、わたしが生まれた瞬間からわたしにデレデレである。そのお兄様が、ほんとうは嘘だけど婚約者だと紹介したチャーリーをメガネさんたちに売るだなんて、にわかには信じられない。


「売った? そういわけではないだろう。仕方なしに連れてきたに違いない」


 チャーリーは、苦笑した。


「チャーリー、すぐに逃げた方がいいわよ。なんなら、いますぐこの馬で逃げて」

「いいや。これ以上は逃げない。潮時ってやつだ。戻ろう、きみの家へ」

「でも、チャーリー」


 チャーリーに行ってほしくはないけれど、捕まってもらいたくもない。だから、彼の決意に反対した。

 

 しかし、彼の決意は揺るがなかった。



 結局、屋敷へ戻った。


 丘の上で見かけた五頭の騎馬は、やはりうちに用事があった。厳密には、五人の騎手たちはチャーリーが目的だった。


 彼らは、屋敷の前で待ち構えていた。騎手たちだけではない。お父様とお母様と使用人たちの姿もいる。


「お兄様、信じられない。この人たちを連れてくるなんて、どういうつもりなの?」


 五人の中のひとりは、やはりお兄様だった。お兄様の姿を見た途端、カッときてわれを忘れてしまった。馬の手綱をひくのももどかしく、馬上から飛び降りながらお兄様を非難した。

 それだけでは怒りがおさまらず、お兄様に駆けよって胸倉をつかんで地上から浮かせていた。


 お兄様は、わたしより体格がいい。しかし、わたしの膂力は体格の差をはるかにうわまわるのだ。


「ミ、ミヤ、やめてくれ」


 お兄様は、宙に浮いたまま情けない声をあげた。


「ミヤ、もういい。兄上のせいではない」


 肩に手が置かれた。同時に、チャーリーの穏やかな声が聞えた。


 そこでやっと冷静になった。


 お兄様を地上におろしたところで、彼と招かざる客たちが軍服、具体的には将校服姿であることに気がついた。


 招かざる客は、前に会ったメガネさんと三人の男たちだ。


 ハッとするまでに、お兄様も含めて五人が敬礼した。


「閣下」


 五人の視線が集まっている。もちろん、わたしにではない。横にいるチャーリーに、である。


「閣下。ワガママももうおしまいです。われわれといっしょに戻ってもらいますよ。軍も王宮も閣下の不在で大騒ぎになっています。軍はともかく、王宮はこれ以上ごまかしようがありません。観念することですね。もう充分でしょう? ワガママは、もうしまいです」


 メガネさんが言った。


 もちろん、わたしにではない。


 横に立っているチャーリーに、である。


「ちょっ……、ど、どういうこと?」


 言葉にならないほど驚いた。


「メガネさん。あなた、自分でチャーリーよりイケてるって言ったわよね? だけど、こうしてふたりで並んだら、チャーリーの方がずっとイケてるじゃない」

「きみ、そこなのか?」


 個人の好みや情が絡んでいるかもしれないけれど、メガネさんよりもチャーリーの方がずっとずっとイケてる。


 顔も体格も。それから、おそらく性格も。


「まいったな。それは、きみの目が悪いよ。どこからどう見ても、わたしの方がずっとイケている」

「いや、あなたもそこじゃないですよね? 妹は可愛いから許されるけど、あなたはそうではない」


 メガネさんの反論に、お兄様がツッコんだ。


「まいったな。あっという間に緊迫した空気がなごんだ」


 チャーリーが笑いはじめた。


「はりつめた空気をあっという間にユルユルにするなど、わが娘ながら見事としかいいようがない」

「あなたまでなにを言いだすのです。人様の前で娘をベタ褒めするものではありません。そのようなことはだれもがわかっています。いまさら披露する必要はありません。わたしたちの娘は、周囲を楽しませる天才です。これは、持って生まれた才能と日々の努力なのです」

「お父様、お母様、やめてください。他人の前で褒めるだなんて恥ずかしいです。ところで、閣下ってどういう意味なの?」


 お父様とお母様に一応注意してから、そう尋ねてみた。


「ああ、それは『将軍閣下』の閣下だ。もっとも、軍以外では『殿下』と呼ばれているがね」


 さわやかな笑声とともに、チャーリーが答えてくれた。


「『将軍閣下』? 『殿下』? いったいだれが?」

「おれさ。おれは、じつは王子のひとりであり将軍なんだ。まぁ、いまは婚約者になるはずだったレディを追う為に将軍の方は短期休暇中だがね。もっとも『短期休暇』を申請して軍を逃げだした、もといふつうに去ったものの、そこのメガネたちが執拗に追ってきてね。ミヤ。その途中できみに出会い、いまここにいるわけだ」

「では、あなたの目的ってそのレディを捜すことだったの? なんてことかしら。ムダに時間をとらせてしまったわ。それどころか、こんなわたしに散々付き合わせてしまった。というか、あなた、ほんとうに将軍なの? 王子って、ほんとうの意味での王子? とにかく、とんでもないことだわ」

「もちろん、おれはほんものの将軍でありほんとうの意味での王子さ。自称とかお飾りではなく、ね。あるいは、比喩や暗喩的なものでもない。正真正銘の将軍で王子だ。それから、きみの父上は、おれの剣の師匠だし、きみの兄上はそこのメガネのもとで参謀修行をしているおれの直属の部下だ。ちなみに、メガネは、もうすこししたらきみの義理の兄になる。メガネは、きみの兄上の婚約者の兄だからね」

「ちょちょちょちょっ、いろいろ情報が多すぎるわ。いっきには整理できない。とにかく、外野のことはいいの。チャーリー、あなた自身よ」


 いろいろいっきに言われても、混乱してしまうだけ。


 わたしがいま知りたいのは、たったひとつだけである。


「ああ、おれの婚約者捜しのことかい? もういいんだ。ちゃんと見つかったから。ミッションはコンプリートしている。こう見えても、おれはそこそこの将軍でね。作戦を失敗したことがない」

「そう。それはよかったけど……。って、だれなの? そのレディ、どこにいるの?」


 左右を見まわした。まさか、お母様ではないわよね?


 チャーリーは、体ごとわたしに向き直った。


「ミヤ、きみだよ。きみは、もともとおれを紹介されるはずだったんだ。手違いで違う王子に、って、彼は、王太子になるどころかもうすぐ廃位されるけどね。それから、彼がなるつもりだった王太子には、おれがなることになっているらしい。とにかく、あの王子は、きみとおれのことを知っていて、きみを利用し困らせただけだ。彼は、ライバルであるおれに一泡吹かせたかったんだろう。それはともかく、メガネからきみのことをきいてね。正直なところ、きみとの婚約話に興味などなかった。しかし、きみの王都での様子やクソ王子とのことをきいてから興味を抱き始めたわけなんだ。それで、いてもたってもいられなくなってきみのあとを追った。そして、きみとのあの出会いと衝撃的な誘いだ。一発だったよ。おれは、あれできみにまいってしまったわけだ」


 チャーリーは、イケてる顔をますます輝かせた。


「ミヤ、今度はおれが提案、いや、誘う番だ。あらためて、おれと契約を結んで欲しい。おれからは、無期契約を要望したい。契約婚約は、もう充分だろう。夫婦というのはどうだい? おれと無期契約結婚をして欲しい。これからさき、ずっと妻でいて欲しい。無期契約妻として、おれの側にいて欲しい。どうだろうか?」


 チャーリーを見上げた。


 いきなりすぎる。頭も心もまったく追いついていない。


 しかし、本能は、感情は、想いは……。


「もちろんオーケーよ。今度は、わたしがあなたの無理強いに付き合うわ。無期契約? どんとこい、よ」


 即答していた。


(エルズバーグ侯爵家の跡継ぎのことは? まぁ、どうにかなるでしょう)


 あとで考えればいい。ぜったいに解決策はあるのだから。


 気がついたら、チャーリーに口づけされていた。


 これから、ますます面白いことになりそう。あのクソ王子にも「ざまぁみろ」って言ってやりたい。


 なにより、チャーリーの側にいられる。


 これほどうれしいことはない。


 無期契約結婚、最高だわ。



                            (了)



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