⑨哀しき詐欺師
探偵の顔には深い皺が刻まれ、鋭い眼光は長年の経験を物語っている。
彼の落ち着いた態度と冷静な視線は、私の心に重くのしかかる真実をしっかりと受け止める準備をさせてくれた。
「さらに、涼太様の過去を調べたところ、いくつかの偽名を使い分けていた形跡が見つかりました」と探偵は続ける。
「彼の本名は、涼太ではなく『立花翔』である可能性が高いです。
過去には、投資詐欺やマルチ商法など、詐欺まがいの商売に関わっていたという情報も…。
これらの情報は、彼の勤務先のodyne社への聞き込みや、彼の自宅周辺での聞き込み、そして彼のSNSアカウントの過去の投稿などを細かく調査した結果、判明したものです」
探偵の説明が進む中、私は何とか平静を保とうとしたが、心の中に広がる不安がじわじわと浸透していくのを感じる。
涼太の正体を知るたびに、胸が張り裂けそうになる。
「特に、彼の本名については、戸籍謄本の入手には至りませんでしたが、複数の情報源から『立花翔』という名前が浮上しており、信憑性は高いと思われます」と探偵は淡々と続けた。
その言葉に、全身から血の気が引いていくのを感じた。
涼太は、一体何者なのか。
彼は一体何を企んでいるのか、私に近づいてきた本当の理由は何なのか。
疑問は深まるばかりだった。
「探偵さん…立花翔って、どんな名前で詐欺行為をしていたか分かりますか?」
私は震える声で尋ねた。
「はい。いくつかの偽名を使っていましたが、主に『藤堂涼』や『中野翔』といった名前を使用していました。
彼の活動範囲は広く、全国各地で同様の手口を使って被害者を増やしていたようです」
探偵の言葉に、私は頭を抱えた。
信じていた涼太が、実は詐欺師であり、私をもその餌食にしようとしていたのか。
その現実に耐えられないほどのショックを受けた。
「涼太さん…いや、立花翔が、私に近づいてきた理由は何ですか?」
探偵は一瞬ためらいながらも、続けた。
「おそらく、奥野様のご家族やご自身の資産を狙ってのことだと思います。
過去の事例から見ても、彼は裕福な家庭や資産を持つ女性に接近し、信頼を得てから資産を奪うという手口を繰り返しています。
涼太様の過去の被害者も、同様の状況にありました。
特に、奥野様の場合は、お父様の突然の死によって多額の保険金が彩花様に入ることになりました。
彼はそれを知り、彩花様を狙った可能性が高いです」
探偵の言葉に激しい怒りと悲しみがこみ上げ、心の奥深くが抉られるような感覚に襲われる。
涼太が、いや、立花翔が私に近づいた理由は、愛や友情ではなく、ただの金だったのだ。
その現実を知り、目の前が真っ暗になる思いだった。
父が亡くなった時に口座に振り込まれた1億円。
確かに、それは私にとって大きな金額だった。
しかし、私はそんなお金よりも、父の温もりを求めていた。
それを、彼は利用しようとしていたのだ。
しかし、私はここで立ち止まるわけにはいかない。
深く息を吸い込み、震える声で探偵に尋ねた。
「彼の過去について、もっと詳しく知りたいです。
彼がなぜ、そんなことをするようになったのか…」
探偵は一瞬、考え込むように黙った後、静かに目を合わせた。
その眼差しには、私の不安を理解しようとする優しさが感じられた。
「奥野様、彼の過去にはいくつもの影があります。
彼がなぜ、その道に進んだのか、それを知ることができれば、彼の行動の真意が少しは見えてくるかもしれません」
その言葉に少し安心を覚えたが、同時に新たな疑念も芽生え始めていた。
私の心の中の混乱は、決して簡単には解消されることはないだろう。
探偵は、私の決意を感じ取ったのか、静かに頷き、立花翔の過去について語り始めた。
彼の目は鋭く、冷静さの中に鋭い観察力が宿っていた。
「彼は、幼い頃に両親を亡くし、施設で育ったようです。
そこで彼はさまざまな苦労を経験し、大人への不信感を募らせていったのです」
探偵の声は落ち着いていて、どこか優しさを秘めている。
彼は過去の悲劇が、立花翔を今のように歪めてしまった理由を、丁寧に説明してくれた。
お金だけが自分を救ってくれると信じるようになった彼の姿が、どこか寂しさを感じさせた。
「彼の詐欺行為は、そんな彼の心の叫びだったのかもしれません」
その言葉に、私は思わず涙が溢れてしまった。
彼への怒りは、哀れみへと変わり、そして、彼を救いたいという気持ちが芽生えてきた。
「それでも…私は、まだ彼を愛している」
心の奥底から、そんな声が聞こえてきた。
私は、この気持ちに戸惑いながらも、彼を諦めることができなかった。
彼を救いたい。
そして、彼と共に、新しい人生を歩みたい。
そんな叶わぬ願いを抱きながら、私は、再び深い闇の中に落ちていった。
探偵の言葉は、私の心の奥底に眠っていた感情を揺さぶった。
探偵事務所を後にした私は、車の中で涙を流し続けた。
理沙の家に着くと、彼女は玄関先で私を待っていた。
「彩花、顔色が悪いわ。何かあったの?」
理沙は心配そうな顔で私を抱きしめた。
彼女の温もりに、少しだけ心が軽くなる。
「涼太さんが…、涼太さんが…」
理沙は、何も言わずに私の背中をさすってくれた。
「大丈夫よ、彩花。話したくなったら、いつでも話してね」
理沙の優しさに包まれながら、少しずつ落ち着きを取り戻した。
震える声で、涼太の真実を打ち明けた。
「涼太さんは…、本当は詐欺師だったの。
私を騙していたのよ…」
理沙は驚いた表情を見せたが、すぐに私を強く抱きしめた。
「彩花、そんな酷い男のために泣かないで。
あなたは悪くない。
騙されたのは彩花なんだから」
理沙の言葉が、私の心に深く染み渡った。
「でも…、私、まだ涼太さんのことが好きなの…」
私は、自分の弱さを打ち明けた。
理沙は、私の手をしっかりと握り、優しく微笑んだ。
「え、マジ?
彩花もそんなことあったの!?
あたしもさ、前にめっちゃ好きなやつにフラれて、どん底だったことあるんだけど。
でもさ、時間が経てば意外となんとかなるもんだよ!
今は辛いと思うけど、無理に忘れようとしなくていいし。
好きなだけ泣いたらいいよ。
だってさ、好きな人に裏切られたんだもん、そりゃ悲しいに決まってるじゃん!」
理沙の言葉は、まるで魔法のように私の心を癒してくれた。
私は彼女に全てを打ち明け、心の内をさらけ出すことができた。
彼女は黙って私の話を聞いてくれ、時には励まし、時には一緒に泣いてくれた。
「彩花、大丈夫!
あたし、いつも味方だからね!
一緒に乗り越えよう!
ほら、美味しいもの食べに行こうよ。
絶対気分転換になるから!」
理沙の言葉は、私の心に深く刻まれた。
私は、理沙というかけがえのない親友がいることに心から感謝した。
そして、決意した。
立花翔の正体と、彼の目的を完全に暴き、私の人生を取り戻すために戦うと。
そのためには、まずは自分自身が強くなること。
そして、理沙の支えを受けながら、前に進むこと。
私の新たな戦いが、ここから始まった。
涼太への不信感は、もはや疑いようのない確信へと変わっていた。
家に着くと、私は涼太との思い出の品々をすべて段ボールに詰め込んだ。
ペアで買ったマグカップ、一緒に選んだ村上春樹の本、一緒に見た映画のチケット…。
それぞれの品物を手に取るたびに、楽しかった思い出が蘇り、涙が溢れた。
「どうしてこんなことに…」
私は、自分の思い出に浸りながらも、もう彼を信じることはできないと心の奥で感じていた。
彼との過去を断ち切る決意をした。
翌日、私は引っ越し業者に連絡し、荷造りを始めた。
新しい部屋は、日当たりの良い明るい場所だ。
窓からは、都会の喧騒が聞こえてくるが、その音が不思議と心を落ち着けてくれる。
私は、この場所で新たなスタートを切ろうと決めた。
「…さようなら、偽りの愛。」
「ちくしょう、またか…」
カフェの窓から彩花の後ろ姿を見つめながら、僕は唇を噛み締めた。
彼女が泣いているのが分かる。僕のせいで。
彼女を傷つけ、裏切ってきた。
それでも、彼女を愛しているという気持ちは、決して嘘ではない。
だが、今の僕には彼女に近づく資格はない。
彼女をこれ以上苦しめるわけにはいかない。
まるで、美しい花を摘むように、僕は彼女から離れなければならないのだ。
「さようなら、彩花さん…」
心の中で呟き、踵を返した。
この嘘で塗り固められた人生に、終止符を打つ時が来たのかもしれない。
彼女が幸せになるためには、今は彼女のそばにいない方がいいと、自分を納得させるように思考を巡らせる。
「僕の孤独は、君の笑顔のためにあるのだろうか…」
少しだけ眉を上げ、考えながら言葉を紡いだ。
彼女にとっての最善を願うことが、今の僕の務めなのだと、自分に言い聞かせた。
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