⑥偽りと真実の愛
再び桐谷蓮について調べ始めると、気になる噂が目に留まった。
桐谷蓮は引退後、海外に移住し、別人として生きているというものだった。
ネットの掲示板には「アメリカで実業家として成功しているらしい」「名前を変えて東南アジアで暮らしているらしい」など、さまざまな憶測が飛び交っている。
どれも真偽は不明だが、不思議と彼の面影が感じられる気がしてならなかった。
「もしも涼太が桐谷蓮だとしたら、なぜ私に近づいたんだろう?」
そんな考えが頭をよぎり、胸がざわつく。
彼が突然姿を消した理由と何か関係があるのだろうか?
大手商社に勤める私が携わっているITセキュリティプロジェクトの知識が、もしかしたら涼太の真実に迫る手がかりになるかもしれない。
桐谷蓮が引退後どこで何をしていたのか、ネットの記事や過去のインタビューを丹念に読み漁り、図書館で当時の芸能雑誌や新聞記事まで探した。
彼のスキャンダルや謎めいたエピソードが出てきたが、どれも真実には届かず、断片的で彼の姿ははっきりと浮かばない。
次に、私は涼太のSNSアカウントを探し出してみた。
彼が普段どう過ごしているのか、どんなことを大事に思っているのか、少しでも手がかりが欲しかった。
ところが彼のアカウントは鍵がかかっていて、見える情報は彼がodyne社に勤めていることや出張が多いというごく一般的な内容ばかりだった。
まるで誰かに見られても問題がないように表面だけを取り繕っているかのようで、真実には程遠いものに感じられた。
ふと、涼太との初デートで撮った江ノ島の夕日をバックにした写真が頭に浮かぶ。
あの時の彼の穏やかな微笑みが私の不安を和らげてくれた。
でも今その写真をよく見返すと、端に不自然な影が映り込んでいるのに気づいた。
まるで私たちを見張っているような、冷たい視線を感じさせるような影だった。
もしかしたら、涼太は最初から私に何かを隠していたのかもしれない。
いてもたってもいられず、私は親友の理沙に相談を持ちかけた。
理沙は私の話に耳を傾けながら、うなずいていたが、突然目を輝かせ「よし、一緒に涼太さんのこと調べてみよう!」と言ってくれた。
そう言うと、すぐにスマホを手に取って涼太のSNSをくまなくチェックし始める。
さすが流行に敏感で情報に強い理沙だと思った。
いいねを押した写真やコメント、フォローしているアカウントまで確認して、彼の趣味や交友関係を一つ一つ慎重に見ていく理沙の様子は、どこか探偵のようだ。
「彩花、涼太さんって釣りが趣味っぽいよ?
この間、大きなマグロ釣って自慢してる!」と、目をキラキラさせて見せてくるスマホの画面には、大物を手に笑顔の涼太の写真が写っていた。
「へぇ、涼太さんにそんな一面があったなんて…」
私は少し驚きながら、彼の意外な一面に見入った。
さらに理沙は、他の投稿も見て「あとね、同僚らしい人が『今度、一緒にゴルフ行こう』ってコメントしてる! もしかしてゴルフも趣味かな?」と、さらに深く分析を始めた。
その熱心さに感心する反面、心配もよぎる。
「ねえ、もしかして涼太さんの会社の人にも連絡してみたの?」
思い切って聞いてみたが、理沙は「もちろん、彩花のためだもん!」と悪びれる様子もなくにっこりしてみせた。
「理沙…ありがとう。
でも無理はしないでね。
私も一緒に頑張るから」
心からの彼女の気持ちに胸が熱くなる。
理沙がこれほどまでに親身になってくれることに感謝の気持ちが溢れてきた。
「大丈夫! 匿名で連絡したからバレないってば!」
理沙は自信満々で答え、少し安心させてくれるものの、まだどこか不安は拭い切れない。
そんな中、理沙がまた「見て、これ!」とスマホを私に見せてきた。
画面には桐谷蓮のファンサイトの掲示板が表示され、そこには目撃情報が書かれていた。
「えっ…嘘みたいにそっくり」
息を呑んで画面を見つめる。
そこに写るのは涼太とは違う名前だが、彼の顔にそっくりな人物だった。
「都内のバーで働いてるって書いてあるよ? 行ってみようよ!」
理沙は目を輝かせ、少しも躊躇しない様子だ。
私は迷いもしたが、涼太が私に「あなたと出会うための人生だった」と囁いたあの言葉が真実か、それとも巧妙な嘘か確かめたい気持ちが勝った。
「…うん、行こう」
期待と不安を抱きながら、私たちはそのバーへ向かうことにした。
薄暗い店内を進んでいくと、カウンターの奥に見覚えのある横顔が目に飛び込んできた。
「…涼太…?」
私は思わず呟いていた。
まるで時間が止まったかのように、ただ彼を見つめていると、その姿は桐谷蓮そのものだった。
息が詰まるような錯覚に陥り、言葉が出てこない。
そんな私の手を理沙がそっと握り、耳元で囁く。
「ねえ、話しかけてみなよ。
もしかしたら、何か分かるかもしれないじゃん?」
理沙の言葉に背中を押され、私は小さく頷いた。
緊張で心臓がはやるのを感じながら、彼のもとへ歩み寄る。
「あ、あの…もしかして、桐谷蓮さんですか…?」
私が勇気を振り絞って尋ねると、彼は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、すぐに小さく首を振った。
「違います」
ただその短い返答だけ。
けれど、それだけで私の胸はじわりと重くなる。
彼に抱いていた想いが大きければ大きいほど、裏切りのような不安が広がっていく。
それでも、彼の瞳の奥に何かを訴えかけるような微かな光を感じた気がした。
もしかしたら、彼には何か言えない理由があるのかもしれない…そう思わせるものがあった。
「桐谷蓮さん…ではないんですか?」と、私はもう一度確認するように尋ねてみた。
「ええ、違います。なぜそう思ったんですか?」
彼は警戒するような表情で聞き返してきた。
その一言で、どう言い訳をすればいいのか分からなくなり、私は言葉に詰まる。
「…知り合いに、似ていたもので…」となんとか答えると、彼は興味を失ったように視線を逸らした。
「…そうですか。失礼しました」
深々と頭を下げ、理沙と共に店を後にした。
心の奥に小さな隙間ができたような感覚があった。
涼太の秘密は、まだ深い闇の中に隠されたままだ。
「彩花、大丈夫?」
心配そうに声をかけてくれる理沙に、私は少し力を込めて頷いた。
「うん。でも、諦めない。
涼太さんの正体、絶対に突き止めるから」
理沙の温かさに少し癒され、気持ちを新たにした。
出口の見えない迷宮のようなこの真実を解き明かすまで、私は決して足を止めない。
IT企業で働く私には、SNSの裏側を追う技術がある。
涼太のアカウントにアクセスし、もう一度詳しく投稿履歴を見直してみると、鍵アカウントの壁越しに、過去の足跡がうっすら見えてきた。
その中で、彼が江の島に頻繁に通っていたことが分かった。
江の島の伝説について涼太が話してくれた時の景色が蘇る。
あの話はただのエピソードだったのか、それとも真実を隠すためだったのか。
そしてある日、私は彼の自宅を訪れることを決意した。
江ノ島の海は、今日も静かに波打ち際を撫でている。
あの日、彼と見た夕焼けが思い出され、その美しい景色は今も私の心を捉えて離さない。
だけど、もし彼の真実を知ることで、この景色が二度と見られなくなるとしても、それでも私はその真実を求めずにはいられないのだ。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
ぜひ『ブックマーク』を登録して、お読みいただけたら幸いです。
感想、レビューの高評価、いいね! など、あなたのフィードバックが私の励みになります。