表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/64

6話【彼は企業内のゴースト ── 完璧な嘘を暴いた盗撮写真の恐怖】

 翌日。  私は意を決し、会社で涼太について調べてみることにした。  理沙から託された「最後の命綱」を、自ら使う覚悟を決めたのだ。


 社内システムに名前を入力する。


 検索ボタンを押す。


 表示された画面には――


「大手商社勤務」


 確かに彼はそこで働いている。  表向きの経歴も、肩書きも、すべて「正しい」。


 けれど、肝心の詳細な情報は、すべて機密情報としてマスキングされていた。


 学歴も、過去の部署も、担当した業務も一切不明。  他の社員ではありえないレベルの「完璧な非公開」。


「やっぱり……何かを隠蔽している」


 つぶやいた瞬間、心臓が鋭く跳ねた。  彼は、本物の名刺と引き換えに、自らの存在を消去した、企業内のゴーストなのだ。


 その数日後。  涼太さんからデートの誘いが来た。


 私は、迷った末に――罠だと知りながら、覚悟を決めて会うことにした。  逃げてばかりでは何もわからない。  この恐怖の正体を、自分の目で確かめなければ、もう前に進めない。


 デート当日。  待ち合わせ場所で、涼太さんはいつものように穏やかな笑顔で手を振った。  その計算された完璧さに胸が揺れてしまう自分が、少し嫌だった。


 私は自然なふりをしながら、会話の流れに「彼の最大の弱点」を忍ばせた。


「……そういえば、涼太さんって桐谷蓮に似てるって言われません?」


 ほんの軽い調子で尋ねる。  しかし内心は、手のひらに汗がにじみ、神経のすべてが彼の顔に集中していた。


 涼太は一瞬だけ目を見開いた。  次の瞬間、彼の右手の指先が、テーブルの下でわずかに震え、それを隠すようにグラスを握り締めた。その瞳の奥に宿った微細な動揺を、私は絶対に見逃さなかった。


 けれど彼はすぐに、すべてを包み込むように柔らかく笑う。  その笑みは、まるでプロの俳優が鏡の前で完璧に作り上げたかのように自然だった。


「言われることはあるけど……特に意識はしてないよ。  ファンってわけでもないし。  君に似合うように意識したこともない」


 その声は落ち着いていて、嘘をついているようには聞こえない。  だが、その完璧すぎる声のトーンが、逆に無意識の演技であることを証明していた。


 私はさらに踏み込んだ。


「もし……私が桐谷蓮のファンだって知ってて、それに合わせて涼太さんが外見を似せていたとしたら……どう思います?」


 一拍。


 ほんの一瞬、彼の呼吸と動きが固まった。


 その刹那、胸の奥がざわりと波立つ。

 やはり、私が正しかったのだ。


 しかし涼太は、すぐに穏やかに微笑んだ。

 そのプロフェッショナルな切り替えに、ぞっとする。


「そんなこと、しないよ。

 僕はありのままの彩花さんに惹かれたんだから。

 嘘で君を騙す必要なんて、僕にはない」


 まっすぐな視線。

 その言葉は、私の最も聞きたかった言葉だった。


 彼の言葉の一つひとつが甘く響くほど、その裏側に潜む「設計者」の冷たい影の存在が気になってしまう。


 デート中ずっと、私は彼の仕草や言葉を注意深く観察した。  けれど、見れば見るほどわからなくなる。

 優しい。

 気遣いが細かい。

 すべてが自然。

 完璧すぎるほど。


 でもその「完璧さ」こそが、彼が「私を騙すために作られた存在」であることの証明だった。


「ねえ……涼太さん。

 もし私が誰かに騙されていたら……助けてくれる?」


 問いかけた自分の声が、恐怖と期待で震えていた。  これは、彼自身に、彼自身の嘘から助けを求めるという、自己否定的な絶望の質問だった。


 涼太さんは少し目を丸くし、すぐに絶対的な力強さで答える。


「もちろん。  彩花さんは大切な人だよ。  何があっても、僕が必ず守る」


 その言葉は、私が過去の恋で誰にも言ってもらえなかった、唯一の救いの言葉だった。  胸にじんわりと染みていく。


 なのに、なのに――。


 彼は私を守ると約束したその瞬間、私は、彼の嘘という名の檻に、さらに深く絡め取られてしまったのだ。


 すぐあと。


 涼太さんが席を立ち、お手洗いへ向かったとき。


 テーブルに置かれたスマホが、無機質な光を放った。


 画面には――


 私の、最も古いSNSページが、開かれていた。


「……っ」


 息が止まった。  数秒前まで「僕が必ず守る」と熱く語っていた彼の言葉が、その画面の冷たい光によって、一瞬で虚構へと変わる。


 偶然ではない。  数分前に、私が「桐谷蓮」の名前を出したことで、彼は会話中も私を監視し、即座に次の情報にアクセスしていたのだ。


 私の過去を探っている?


 それとも……私というターゲットの感情をリアルタイムで追跡している?


 呼吸が乱れ、胸が締め付けられた。  先ほどの「僕はありのままの彩花さんに惹かれた」という言葉が、冷たい嘘となって脳内に響き渡る。


 デートが終わった後も、感情は収まらなかった。  好きなのに。  信じたいのに。  不安は少しも消えてくれない。


 帰り道の海辺で、ふと頭に浮かんだのは江ノ島の“天女と五頭龍”の伝説。


 愛し合いながら、破滅へ向かった夫婦の物語。


 もしかしたら私も……この美しい、けれど毒に満ちた道に、引きずり込まれているのかもしれない。


 涼太と一緒にいると、運命という甘美な罠にかけられているような錯覚さえ覚えてしまう。


 今日のレストランは、高校の頃に夢中になったドラマ『夏の終わりに』最終回の舞台となった海辺の場所だった。


 夕焼けがガラス越しに差し込み、オレンジ色の光がテーブルを染める。


 胸に痛いほど懐かしい光景。


 桐谷蓮が演じた主人公が、愛を告白したあのシーン──泣きながら見た記憶が鮮明に蘇った。  涼太さんは、そんな私の様子を一目で察したように「この場所、彩花さんにとって特別なの?」と優しく聞いた。


 その鋭い観察眼に、思わず目を伏せてしまう。


 そして私は、彼の設計図通りに、桐谷蓮への憧れを打ち明けた。


 涼太さんは黙って聞き終えると、そっと私の手を握り── 「気持ち、よくわかったよ。  君のすべてを受け入れる」  と、まるで理想の恋人そのものの微笑みを浮かべた。


 その瞬間、胸がいっぱいになって涙がこぼれた。


 それは、「完璧に理解された」という安堵感と、「完璧に操作されている」という絶望感が混ざり合った、自己否定の涙だった。


「涼太さん……あなたは、いったい誰なの?」


 胸に湧いた叫びは、声にならなかった。


 目の前の男は、私の最も深い願望を演じきり、私を彼の世界の中に完全に閉じ込めたのだ。


 数日後。


 私のSNSに、不審なダイレクトメッセージが届いた。


『彼から離れなさい。  これ以上、関わるな』


 という一文と、添付された鮮明な盗撮写真。


 写真には、海辺のレストランで、涼太さんが私の手を握っている、あの「運命の再演」の瞬間が、客席側から、二人の表情がはっきりとわかるアングルで写っていた。


「……!」


 心臓が跳ね、指先が冷たくなる。


 ただの盗撮ではない。その写真の構図、光の差し込み方、そして私たちが手を重ねる角度までもが……高校時代、私がSNSに「理想の告白シーン」としてアップした、あのドラマ『夏の終わりに』の最終回と、残酷なまでに一致していた。


 誰かが、私たちの逢瀬を「撮影」している。それも、私の憧れを知り尽くした何者かが、最高のアングルでシャッターを切ったのだ。


「……嘘でしょ。誰が、どこから……?」


 混乱が渦巻き、髪を触る癖を制御できない。  この恐怖は、もはや私の内側の疑念ではない。  外側から襲いかかってくる、実体のある脅威だ。


 怖い。  怖い。  でも――彼にだけは知らせなければ、という衝動が、恐怖に打ち勝った。


 震える手でスマホを持ち上げた、そのとき。


 見知らぬ番号から、着信。


 息が止まりそうになる。心臓の音がうるさい。


 恐る恐る出ると――  聞き覚えのある、あの氷のように冷たい女の声が耳に流れ込んだ。


「警告したはずよ。  彼から離れなさい」


 身体が硬直した。  この声だ。  桐谷蓮を異常な執着で追い詰めた女と同じ、底の見えない冷たさ。


 女は続けて、淡々と、感情を挟まずに語る。


 涼太の過去。  涼太の役割。


 そして――決定的な、衝撃の事実。


「涼太は桐谷蓮の“影武者”として雇われていたのよ。  桐谷が引退してからも、彼になりすまして、誰かの人生を生きている」


「……は?」


 胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなる。


 影武者カゲムシャ?  彼が……?


 そんな。  そんなこと――。


 しかし、心の奥底の論理が、「あり得る」と囁いた。


 なぜなら、涼太さんは、あまりにも桐谷蓮に「似すぎている」。  彼の空白の経歴も、完璧な演技も、すべてが「影武者」という言葉で説明がついてしまう。


「涼太はあなたを騙してる。  すべて、彼に仕組まれた計画よ」


 その言葉が脳内で木霊する。


 ――思い返せば、彼は一度も「自分の言葉」で愛を語っていなかった。 彼のセリフはすべて、私がかつて画面越しに恋い焦がれた、あのドラマの脚本そのものだったのだ。 彼は、私を愛していたのではない。「私を愛するキャラクター」を完璧に演じていただけ。


「……どうして、そんなことを」


 女は冷たく、嘲笑うように笑い、「それは、彼本人に聞きなさい」


 そう言って、通話は切れた。


 耳元に残ったのは、無機質な電子音だけ。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます!


ぜひ『ブックマーク』を登録して、お読みいただけたら幸いです。


感想、レビューの高評価、いいね! など、あなたのフィードバックが私の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ