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59:正義の名の下で闇に堕ちる時

風見は、自身がクロノスという巨大な毒の奥深くまで潜り込んでしまったことを、皮膚の奥で理解する日々を送っていた。


表向きは冷徹で、有能な専属弁護士として完璧な冷静沈着を装いながらも、彼の胸の奥では常に、鋼のように張り詰めた緊張と、出口のない倫理的な葛藤が渦を巻いていた。


かつて彼は、法という絶対的な武器を手に、犯罪者を追い詰める警察官だった。しかし今や、正義を大義名分に法を無視し、自ら犯罪に手を染める者となってしまった。いつ裏切りが露見し、破滅が訪れるか、その不可避な危険の中で、風見は次第に深い自己嫌悪に苛まれるようになっていった。


Ⅱ. 暴力という名の罪

その夜。クロノスの一員として表面上は信頼していた同僚を尾行していた風見は、握りしめた拳の中で自分の手が震えるのを感じた。それは恐怖か、あるいは最後の良心の抵抗か。


彼はその震えを無視し、抑圧し、同僚を密かに背後から襲った。鈍く、短い悲鳴が静寂を破り、風見は苦しむ同僚の声を耳の奥で噛みしめながら、彼の所持していた最重要機密データを奪い取った。


暴力という最も原始的な手段に頼ったその瞬間、風見は冷酷な一線を自ら越えてしまったことに気づく。いつしか、かつて犯罪者を追う『狩人』だった自分が、『獲物』と同じ土俵に立ち、同じ手口を使う**『犯罪者』**になってしまったのだ。


Ⅲ. 空虚な自己弁護

「これも、正義のためだ…必要な犠牲だ」


風見は、乾いた喉で、そう自己を弁護する呪文を吐き出す。


だが、その言葉はあまりにも空虚で、重い疑念が鉛のように胸の中に沈み込んでいく。彼は今、本当に失われた正義のために行動しているのか? それとも、自分が抱える深い憤りと生への恐怖を、『正義』という甘美な言葉で正当化しているだけではないのか?


風見の理性と本能、警察官としての義務感と現在の罪悪感が、彼の内面で絶えず、激しくぶつかり合っていた。


Ⅳ. 監視下の闘い

クロノスの極秘ファイルにアクセスすることは、彼が当初想像していたよりもはるかに危険で困難だった。


クロノスのセキュリティシステムは、企業の通常の防護策を遥かに超えた要塞であり、常に幹部たちの冷酷で計算高い視線が光っていた。物理的なアクセスポイントだけでなく、ファイルの読み取りにまで厳重な監視が行き届いている。風見がデータを引き出そうとしたとき、コンマ数秒でも動作が遅れれば、不正アクセスが即座に検知され、社内に破滅を告げる警報が鳴り響くという致命的なリスクが常につきまとっていた。


風見は、幹部たちの石のような冷たい視線を何度も感じていた。彼らは、たとえ長年の社員であろうと、わずかな裏切りを疑い、過去に裏切り者を冷徹に粛清してきたという血生臭い噂が社内に深く根付いている。


ミスを犯せば、即座に命を狙われる。風見は手汗を何度もズボンで拭いながら、ほんの一瞬の隙を見計らい、数週間にわたる緻密な準備と絶え間ない偽装工作によって、どうにかセキュリティの鉄壁をすり抜けたのだった。






しかし、危機をすり抜けた安堵の直後、風見の中に芽生えた疑念は、日に日に鋭い棘となって強まっていった。


内部に潜む「内通者」の影、幹部たちが風見の正体をどこまで知り、どれほどの範囲で彼を監視しているのか。誰も信用できないという極限状態に、彼の神経は砂のようにすり減っていった。誰が味方で、誰が敵なのか。彼の背後で、密かに、しかし確実に動く巨大な陰謀の音が、常に耳の奥で不気味な低周波として響いていた。


Ⅵ. 「神の因子」の正体

やがて、「神の因子」の存在が公にされていない理由もまた、風見には冷徹な事実として徐々に明らかになってきた。


クロノスは、その禁断の力を、少数の「選ばれし者」のみに授けようとしている。国家や世界の支配構造を根底から変革し、クロノス自身が新たな支配者層となる計画は、単なる技術の独占ではなかった。それは、人類の進化そのものを、彼らの都合の良い方向へ根本的に変えるという、神への冒涜にも等しい力を秘めていたのだ。


選ばれた者だけが手にできる「神の因子」の力――それが、世界の未来を一方的に左右するという、恐るべき選民思想の現実が、風見の目の前に白日の下に晒され始めた。


Ⅶ. 計画の深淵

風見は、クロノスを完全に崩壊させるための最後の扉に、一歩手前まで迫っていた。彼が命懸けで手に入れたデータは、「神の因子」に関する最重要機密だった。


だが、そのデータを必死に読み解いていく中で、彼はさらに深い謎に直面し、背筋に冷たい汗をかいた。


「神の因子」は、クロノスの壮大な計画の、ほんの一部に過ぎないのだ。


彼らは、人類の進化の操作という目的以上に、さらなる恐ろしい、最終的な目的を持っていた。風見は、自分がまだ真実の全体像を知っていないことに気づく。データには、クロノスが「神の因子」だけでなく、さらに壊滅的な計画を裏で進行中であることを暗示する暗号めいた記述が含まれていた。


計画の全貌が恐怖とともに明らかになるにつれ、風見の心は新たな、底知れない恐怖に包まれた。彼は全てを暴き出す覚悟を決めたが、その真実が世界にもたらす結果が、どれほど壊滅的なものになるかは、まだ、知る由もなかった。






...風見は、クロノスの核心である施設内の冷たく、無機質な空気を感じながら、慎重にサーバールームへと潜入していた。


数週間にわたる完璧な偽装と、命を懸けたリスクを重ねた準備の末に手に入れたバックドアを使うチャンスは、これが最初で最後の瞬間。セキュリティは、彼の予想通り、非情なほどに厳重で、何度も指先が恐怖で止まりそうになる。


汗が滲む手で最後のアクセスコードを打ち込み、モニターの暗い光に浮かび上がったのは、「神の因子」計画の冷酷で緻密な全貌だった。


その瞬間、風見の心臓は一瞬にして凍りついたかのようだった。


それは、単に選ばれた者に超常の力を与える計画ではなかった。「神の因子」は、全人類の意識を操るために設計された、サイコトロニックな兵器だったのだ。特定の信号を発することで、因子を持たない世界の大多数の意識を消し去り、彼らを完全に従属させる。その規模と冷酷な非人道性に、風見は文字通り息を呑んだ。


クロノスの最終目標は、選ばれた少数の支配者層に「神の因子」を与え、世界中の市民を彼らの意のままに操る、絶対的な世界の再編成だったのだ。


Ⅸ. 逃走と捕捉

風見は、内側から湧き上がる恐怖を一瞬で飲み込み、「この恐るべき計画を今すぐ止めなければならない」と本能で決意した。


彼はすぐさま証拠となる大量のデータをダウンロードし始め、慎重に手元の特殊な通信機で外部の協力者にその一部を緊急送信しようと試みる。


しかし、クロノスの想像を絶する高度な監視システムは、その微かな不正アクセスを瞬時に検知した。


瞬く間に、施設全体に警報の咆哮が鳴り響き、すべてのセキュリティが風見という一点に向かって一斉に動き出した!


冷や汗が滝のように流れる中、風見は本能的な冷静さを保ちつつ、鍛え抜かれた刑事の経験を活かして追手をかわし、施設内を地を這うように駆け抜ける。彼は何度も追い詰められそうになるが、巧妙に逃走ルートを選び、建物の複雑な構造をチェスの盤面のように利用してセキュリティチームの包囲網をかいくぐった。


だが、全ての出口が目前に迫る中、脱出は許されなかった。


風見は、最後の扉の付近で、まるで待ち構えていたかのように立ちはだかる一人の人物に、ついに捕まってしまう。






風見の目の前に立ちはだかった人物は、かつて行方不明となり、闇に葬られたと信じられていた警察時代の上司、柳田正弘だった。


長い間、彼の失踪は謎に包まれていたが、柳田は今、クロノスの最高幹部として、風見の脱出を阻む壁となっていた。


柳田は、風見を品定めするような冷たい眼差しで一瞥し、口元に薄い冷笑を浮かべた。


「お前がこの深淵まで辿り着いたのは驚きだ、風見。だが、お前が何を見たところで、お前はもう、時代遅れの過去の人間だよ」


柳田の言葉は、風見の命懸けの努力を嘲笑うかのように響き、風見の中で緊張は極限まで高まった。彼のこれまでの全ての行動が無意味に思えるほどの強烈な絶望感が押し寄せた。柳田というかつての師であり、今は強大な敵を前に、風見はどう打開すればよいのか、その答えを血眼になって探していた。しかし、彼の背後から徐々に迫ってくる警備員たちの重い足音が、彼に残された時間がコンマ数秒もないことを冷酷に思い知らせていた。


Ⅺ. 変貌した信念

風見の頭の中は信じられない現実で混乱していた。目の前に立つのは、かつて命懸けで尊敬した警察時代の師だ。自分が追い求めていた真実が、こんなにも裏切られた形で彼の前に現れるとは、想像の範疇を超えていた。


「なぜ、あなたが…クロノスに?」


驚愕に歪んだ表情で問いただす風見。だが、柳田は冷ややかな笑みを浮かべたまま、狂気的な光を宿した目で風見を見下ろしていた。


「なぜ、だって?」


柳田は嗤いながら、世界を否定するような声で言う。


「お前、本当にわかってないのか? 正義? 法律? そんな幻想が、この腐りきった世界で何かを変えられると思っているのか? クロノスの絶対的な力こそが、この世界を真に支配する唯一の手段なんだよ。神の因子…あれは単なる始まりに過ぎない。俺たちは、選ばれた者だけが持つべき究極の力を手に入れたんだ。そしてお前は、その偉大な進化の邪魔をしようとしている」


風見は、柳田の変わり果てた姿と、歪んだ選民思想の言葉に愕然とした。彼はいつの間にか、かつての正義の体現者ではなく、クロノスという巨大な悪意と狂気の思想に完全に飲み込まれた人間になっていたのだ。


Ⅻ. 暗闇への沈下

その瞬間、風見は背後に、ぞっとするような違和感を覚えた。


次の瞬間、彼の首筋を、鋭く、灼けるような痛みが貫いた。


振り返る間もなく、彼の視界は万華鏡のように揺れ動き、意識は急速に遠のいていく。


セバスチャン――柳田の手下である冷酷な執行者が、風見に向けて高濃度の麻酔薬を打ち込んでいたのだ。


重力に抗う術もなく、風見の身体はゆっくりと、音もなくその場に崩れ落ち、クロノスの闇へと完全に沈んでいった。

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