㊾機械の叛逆:希望を知った兵器と後悔を抱く殺し屋
「……そういえば」
彩花は、アレックスのいつも無表情な顔を静かに見つめ、切り出した。
「クロノスが主催した あのパーティーで、 私が 侵入者だとバレて 逃げようとした時、 ウェイターのフリをして さりげなく 私を 誘導してくれた 人がいましたよね」
彩花はかすかに微笑み、続けた。
「あれは、 あなた だったんですね。
あの時は、本当にありがとうございました」
彩花が過去の恩義を口にした瞬間、アレックスの無機質だった表情が一瞬だけ 動揺で硬直した。
彼はその出来事をただの命令として処理したはずだったが、彩花が感謝を伝えたことで、行動の裏に潜んでいた 微かな人間性が露呈した。
あの日、護送中の車内で、彩花は自身の悲劇的な過去と家族への強い想いについて話し始めた。
その声には、深い悲しみと、それに打ち勝とうとする 鋼のような強さが宿っていた。
その言葉は、まるで小さな波紋が静かな水面に広がるように、アレックスの硬質な心に影響を与えた。
「大切なものを守るために戦う」
彩花が語ったその普遍的な言葉は、彼の中に潜んでいた純粋な疑問を目覚めさせ、彼自身の冷酷な役割に対して初めて 深い疑念が芽生えた瞬間だった。
アレックスは彩花の計り知れない痛みを感じ取り、何か 力になる言葉をかけたいと強く思った。
しかし、感情を表現することに極度に不慣れな彼は、どう伝えていいのか分からず、ただ口ごもるばかりだった。
「あ、あの…… その…… が、頑張ってください……!」
ぎこちない言葉と棒読みの声。
戸惑いと焦りが混じった不自然な笑顔に、彩花は思わず 優しく 吹き出した。
その笑顔の裏には、アレックスの不器用さに対する温かな親しみと、彼の偽りない純粋な思いが確かに伝わった瞬間があった。
その澄んだ笑い声を耳にした瞬間、アレックスの心に一筋の まばゆい光が差し込んだ。
それは、彼が自分自身の感情に初めて気づいた記念すべき瞬間でもあった。
無機質な機械のように生きていた自分が、今、初めて 「温かさ」 を 感じている。
驚きと戸惑いの中で、彼の頬は薄く赤らみ、人間らしい 微かな感情が確かに存在していることを自覚した。
そして、彩花の存在が彼の内面に 革命的な変化をもたらしていることに、彼は気づかざるを得なかった。
彩花の決意――
「大切なものを守るために戦う姿」
――は、アレックスにとって、自分自身の 存在の根源を再び見つめ直すきっかけとなった。
彼女との出会いは、冷たい機械としての役割から解き放たれ、人間へと戻るための、小さくも 確かな一歩を彼に踏み出させたのだ。
彼の中で、長い間 眠っていた 感情が、ゆっくりと 目覚めつつあった。
ただの命令を受ける兵器であるはずの自分が、今や心の奥底で誰かを守りたいと強く思い始めている。
彩花の笑顔と彼女の決意を胸に、アレックスは自らの役割についてもう一度 問い直す決意を固めたのだった。
……彼はかつて、重度の 不治の病に苦しみ、病院の白いベッドの上でただ死という冷たい運命を待つだけの無力な少年だった。
その名前はアレックス・ライト。
病魔に蝕まれた身体は、日に日に痩せ細り、生きる希望という光を完全に失いかけていた。
そんな絶望の淵にいる彼に、クロノスの支配者 黒崎は、まるで神の啓示のように「強大な力」と引き換えに「新たな命」を提示した。
それは、プロメテウスとして生体改造を受け、常人を超越した 強靭な肉体と驚異的な再生能力を手に入れること。
しかし、その代償は、人間としての すべての感情を永遠に 切り離すという、魂の売買に等しい残酷な取引だった。
アレックスが唯一 この世に繋ぎ止めていたもの、それが最愛の妹との約束だった。
最後の夜、彼は衰弱しきった妹の手を握りしめ、こみ上げる 無力な涙を必死に抑えながら、力強く誓った。
「絶対に、この病気を治してあげる。
だから、お兄ちゃんを信じて。
諦めないで。
二人で、 また笑おう」
妹のかすかな笑顔に光を見出し、アレックスは迷いながらも黒崎の 悪魔の提案を受け入れた。
彼は妹の命を救うという純粋な目的のために、自らの人間性を実験台に捧げたのだ。
しかし、人体強化の 実験は成功した ものの、妹は 彼のもとに帰ることはなかった。
黒崎はアレックスに偽りの力を与えたが、同時に、彼から最も大切な 家族の絆 と 愛する記憶 という 魂の核 を奪い去ったのだ。
その過程で彼はすべてを失い、「感情を持たない兵器」 プロメテウスとして生まれ変わった。
彼は今も癒えることのない 喪失感と深い苦しみを機械の心の奥底に抱えていた。
彼の痛みと現在の 冷酷な使命、その二つが彼の胸の中で激しく、絶望的にぶつかり合い、深い葛藤を生み出していた。
他のプロメテウスのメンバーもまた、それぞれ隠された、 耐え難い 過酷な過去を抱えていた。
命令に忠実な 感情を持たないはずの彼らの中に、組織の計画が進むにつれて 人間らしい心が 微かに 芽生え始めていた。
ある者は、失われた 愛する人を守るという歪んだ動機のために自らの身を犠牲にし、またある者は、過去の 拭い去れない罪を償うために黒崎に服従している。
彼らの心の奥底に潜む深い葛藤と苦悩は、やがて組織の内部に 亀裂を生み出し、クロノス の 崩壊という形で、 戦いの中心にいる者たち の 運命 に深く刻まれることになるだろう。
ある夜、アレックスは、廃墟の静寂の中、独りで錆びた廃工場の一角に身を潜め、黒崎の 非人道的な計画について考えていた。
彼は仲間のプロメテウスたちと違い、誰にも支配されない 自分の意志で行動する自由を魂の底から求めていた。
「俺たちは 魂のない 道具じゃない……
俺たちは、人間だ 」
彼は、冷たいコンクリートの床に膝を突き、怒りと悔恨を込めて拳を骨が軋むほど握り締め、心の中で静かに 革命の誓いを立てた。
冷たい床に、病院の白いシーツに埋もれるように横たわる妹の 力尽きた 笑顔が幻影として重なる。
冷たくなった妹の手の感触、あの日の 絶望と無力感は、今も彼の心に深い傷跡として残っていた。
妹を失った罪悪感は、まるで底なし沼のように彼を呑み込もうとする。
そして、彩花の出現によって無理やり 取り戻した感情は、彼に新たな恐怖ももたらした。
黒崎は彼に偽りの力を与えたが、同時に最も大切な 彼の人間性を奪った。
アレックスは、妹との約束を「世界を守る」という形に変えて果たすため、そして自分と同じ苦しみを味わう犠牲者を二度と増やさないため、支配者黒崎に対抗することを決意した。
たとえ、 この強靭な体が 黒崎によって 作られた としても、彼の 魂 は誰にも支配されない。
妹との約束を果たし、この世界に 真の平和 をもたらす。
それが、兵器 アレックス の 人間としての 新たな 生きる目的 となった。
彼は黒崎に対抗するための機密情報を集めることを決意し、密かに彩花たちの協力者になる道を孤独に模索し始めた。
彩花との出会いは、そんな彼の凍てついた心に確かな光を灯した。
彼女の折れない強さと優しさに触れる中で、アレックスは妹の面影を重ね、誰かを守りたいという人間らしい感情が爆発的に芽生えていく。
それは、彼にとって未来への新たな希望であり、同時に過去の自分と向き合う 避けて通れない試練でもあったのだ。
一方、クロノスの孤独な殺し屋 セバスチャンは、土砂降りの雨の中、致命的な重傷の体を引きずりながら荒涼とした雪原をさまよっていた。
激しい肉体の痛みは彼の全身を容赦なく貫き、彼を生と死の狭間へと引きずり込もうとする。
だが、それ以上に彼を苦しめたのは、脳内に埋め込まれた「感情処理回路」の異常な軋みだった。
冷たい雨は鋭く肌を刺し、だがそれ以上に、彼の魂の奥底を締めつけるのは初めて知る 深く根を張る 「後悔」という感情の重みだった。
その未処理の情報の奔流は、降り注ぐ雨以上に彼を冷たく、 孤独に包み込んでいた。
雨はやがて小降りになり、空気は急速に冷えていく。
まるで天が彼の機能停止を待っているかのように、雨は静かに 雪へと変わっていった。
雪片が冷たく肌に触れるたびに、セバスチャンの意識は遠のき、脳内回路に過去の血塗られた記録がエラー表示と共に重くのしかかる。
薄れる意識の中、彼の前に演算ではない、純粋な『概念』の幻影が現れ始めた。
それは、彼が殺し屋として、機能として命を奪い、未来を破壊した 無数の人々の『可能性』の断片だった。
彼らは無言のままセバスチャンを取り囲むように立っていた。
そして、その幻影の中心に、彼自身の 原罪 の記憶がフラッシュバックした。
転機となった あの電磁嵐の夜――彼は組織の任務で、不可視のプロトタイプ兵器を追っていた。
激しい戦闘の最中、彼が放った特殊な位相銃の一撃は標的を貫いた。
その瞬間、標的が保持していた時空間の微細な歪みが破壊され、純粋な『感情データ』がセバスチャンの「感情処理回路」に熱い電流のように逆流した。
それは、破壊された存在が持っていた「未来への希望」の断片であり、彼の脳内で初めて未処理の情報として認識されたのだ。
【ERROR: 新規感情データ受信。
名称:コウカイ。
処理不能】
冷たい機械だったセバスチャンの歯車が、焼き付くような 激しい痛みと共に狂わされた。
彼は演算ではなく、五感 で 初めて 理解した。
『破壊してはならないもの』を、取り返しのつかない形で 破壊してしまったのだ と。
『もう、 誰の希望も…… 未来も…… 砕きたくない……』
セバスチャンは、震える体でその幻影のもとへ歩み寄り、重傷を押して雪の上に跪いた。
喉の奥から、機械の命令 ではない、魂の叫びが絞り出された。
「すまない…… 本当に、すまない……!
この手で…… 未来を 奪ってしまった……」
言葉はかすかにしか聞こえず、彼の声は風雪に消えた。
しかし、その瞬間、希望の断片の幻影は静かに、 穏やかに セバスチャンを見つめた。
それは、罪の重荷を彼自身で 背負うことを受け入れた 彼への 静かなる赦しのようだった。
セバスチャンの胸に、何年も 存在しなかった 温かい涙が込み上げるのを感じた。彼は深い安堵の中で意識を失い、 すべてが 闇に包まれた 。
次に目を覚ますと、セバスチャンはまだ冷たい雪の中に倒れていた。
だが不可解なことに、彼の致命的な傷を負った体には、迅速で的確な 応急手当が施されていた。
傷口には丁寧に 包帯が巻かれ、突き刺すような 痛みも不思議とわずかに和らいでいた。
彼はかすれた声を上げながらも、警戒心を抱きつつ周りを見渡した。
だが、視界の限り 誰もいない。
新しく積もった 雪原には、彼を救った人物の足跡すらも 不自然なほど 残っていなかった。
「誰が……?
そして、 何の目的で……?」
その問いかけは、雪の帳に消えゆく 薄い吐息のように、セバスチャンの唇から零れ落ちた。
しかし、その答えを探すよりも先に、彼は今 果たすべき使命 がある と 本能的に悟った。
彼は重い体を力ずくで奮い立たせ、雪に膝をつく自身の体を支えた。
傷だらけの体からは痛みが、 凍える体からは止まらない震えが襲う。
それでも、 彼には 主 である黒崎の元へ 戻るという 使命 があった。
彼は雪に足を取られ、 何度も倒れそうになりながらも、再び 確かな一歩を踏み出した。
その瞳には、過去の罪 に苛まれていた 以前とは違う、揺るぎない 強靭な決意が宿っていた。
師の 穏やかな赦しの幻影が、まるで暗闇に差した 一筋の光のように彼の心を温かく照らし出す。
自らの 破壊してしまった罪と真正面から 向き合い、それを乗り越えた ことで、彼は絶望の淵から再び 生きる意味を見出したのだ。
降りしきる雪の中、冷たい風が容赦なく吹き付ける。
しかし、セバスチャンの心は、まるで鉛のように重くのしかかっていた罪悪感が消え去ったかのように、不思議と 軽やかだった。
彼は、贖罪の道へと続く新たな未来へ向かって歩み始めた。
その一歩一歩が、 彼の 機械 ではない、人間としての 再生 を、そして かすかな 希望 を物語っていた。




