㊹狂気の英雄と血の決別:霧に消えた因子
「風見さん…… 本当に、 あなたなのか?」
蓮が、信じがたい安堵と驚きを交えた声で尋ねた。
風見は、静かに頷き、彼らの前に歩みを進めた。
「ああ、私だ。
心配かけてすまなかった 」
彼の声は、以前よりも力強く、自信に満ち溢れていた。
しかし、その奥に潜む冷酷な何かが、一瞬だけエリカの胸を不吉にざわつかせた。
「でも、もう大丈夫だ。
私は、 完全に 回復した」
風見は力強く拳を握りしめ、仲間たちを見据えた。
「いや、それだけじゃない。
私は、 この復讐 のために、 全てを犠牲にして 力を手に入れたんだ。
黒崎を倒し、お前たちを守る。
それが、 セバスチャンから託された 私の使命だ!」
風見の言葉に、蓮たちは一瞬の安堵を感じた。
彼が帰ってきた。それは間違いない。
しかし、風見の瞳の奥には、常軌を逸した不気味な輝きがあった。
正義感と、制御不能な復讐心が入り混じり、彼の表情はどこか歪んでいる。
エリカは無意識に息を呑んだ。
「風見さん…… まさか、セバスチャンの ことで…… 」
エリカが呼びかけようとしたその瞬間、事務所の扉が轟音と共に勢いよく蹴破られた。
鋭い金属音と共に、黒崎の部下たちがアサルトライフルを構えて突入してきたのだ。
——風見の体内に埋め込まれたGPSが、セバスチャンの死と引き換えに 彼らを救った隠れ家 を、 皮肉にも 暴露してしまったのだった。
「どうやら、お前たちの 希望に満ちた再会 は失敗に終わったようだな」
勝利を確信した鬼塚の冷酷な声が、戦場と化した事務所に響き渡った。
蓮たちは、咄嗟に銃を手に応戦するが、敵の数は圧倒的だった。
次第に追い詰められていく。
彩花は極度の緊張により力を制御できず、闇の力が彼女の心を蝕んでいく。
風見は、血を浴びることを楽しむかのような、不敵で、どこか歪んだ笑みを浮かべながら、黒崎の部下たちを人間離れした圧倒的な力で蹂躙していく。
しかし、その瞳にはセバスチャンの死の影を宿した、明確な狂気に満ちた、血のような光が宿っていた。
仲間を救う冷静な戦術家としての風見はもういない。
怒りと復讐心に全身を支配された、ただ破壊を求める 暴力の化身がそこにいた。
「風見さん、 やめろ!
やりすぎだ!
殺してしまう!
何をしてるんだ!」
蓮が喉を張り裂けそうな声で叫ぶが、その声は彼の歪んだ耳には届かない。
彼の拳は敵の頭部や肋骨を狙い、次々と敵を原型を留めないほど打ちのめし、無慈悲で、無軌道な暴力が続く。
床は血と破片で滑り、 誰も彼を理性の側に引き戻すことはできなかった。
絶体絶命のピンチの中、蓮は暴走する彩花を守るために、咄嗟に自らの体を盾にした。
プロメテウスの強烈な打撃が蓮の体を襲い、彼は血を吐きながらその場に崩れ落ちた。
「蓮!」
彩花の悲痛な絶叫が空間に響き渡り、その悲しみと怒りに呼応して、闇の力が制御不能なままさらに増幅する。
風見はその光景を冷ややかに見つめ、嘲笑のような笑みを浮かべながら再び敵に襲いかかる。
エリカは、目の前で繰り広げられる惨劇に、胸の内が怒りと無力感でいっぱいになった。
友の犠牲と、 狂った救世主 の暴走。
これが彼らの運命なのか? 彼女は断じてそれを許せなかった。
その時、混乱と銃声の中、悠斗が一人、覚悟を決めた静かな瞳で鬼塚の前に立ちはだかった。
「小僧が、こんな戦場で お前に何ができるっていうんだ?」
鬼塚は、心底見下した嘲笑を浮かべた。
悠斗は、震えを隠すように冷静に眼鏡を押し上げた。
「俺には、かつての 『ヒーロー』 だったお前を 、今ここで 倒す覚悟がある」
悠斗の言葉には、過去との決別を意味する、静かで重い覚悟が込められていた。
かつて憧れた父、黒崎への思い。
その葛藤と共に、彼はこの血に塗られた戦場に立っていた。
悠斗は、ゆっくりと決意の拳を握りしめた。
子供の頃、悠斗はクロノスの広大な敷地内を駆け回っていた。
そこは、彼にとっての秘密の遊び場であり、同時に、権力者である父への幼い憧憬を抱いた場所だった。
ある日、悠斗は迷子になり、薄暗く埃っぽい倉庫に迷い込んでしまった。
そこで彼は、幼い心に刻み込まれる恐ろしい光景を目撃する。
数人の男たちが、一人の男を取り囲み、容赦なく、命を奪うような暴行を加えていたのだ。
打撃音と、獣のような苦痛の叫びが静寂を切り裂き、悠斗の足は恐怖で地面に縫い付けられたように動けなくなった。
しかし、目を逸らすことは許されなかった。
息を殺して見守るその瞬間、倉庫の陰から一陣の風のように一人の男が颯爽と現れた。
その男は、一瞬で状況を制圧し、暴行していた男たちを次々に、無力化するように打ち倒していった。
悠斗には、まるで現実離れしたヒーローのように見えた。
力強く、 そして 絶対無敵 の存在。
「大丈夫か?
怖かっただろう」
その男、鬼塚は幼い悠斗に優しく微笑みかけながら、大きな手を差し伸べた。
彼の言葉は、恐怖で凍りついていた悠斗の心を溶かした。
その瞬間から、悠斗は鬼塚に心を奪われた。
彼の強さと、見せかけの優しさに魅了され、心の中で彼を絶対的なヒーローとして崇め始めた。
悠斗は「鬼塚のお兄ちゃん」と呼び、彼を盲目的に慕うようになった。
鬼塚もまた、悠斗の純粋な瞳に心を打たれ、彼に武術や戦闘技術を教えるようになった。
時折、クロノスの 「大義」 という名の裏の仕事について語ることもあり、悠斗はその話を興味津々に聞いていた。
彼はクロノスの闇に触れるたびに、危険さと同時に、鬼塚の強さにさらに憧れを募らせていった。
しかし、悠斗が成長するにつれ、その清廉な理想は次第に冷たい現実の影に飲み込まれていく。
クロノスの本当の姿、そして、その闇の深さが彼の目に見えるようになったのだ。
やがて、彼は決定的な悲劇に直面する。
最愛の兄、隆二の死が、クロノスの非道な陰謀に関係していることを知った時、悠斗の心は深く、修復不能に引き裂かれた。
父親である黒崎への信頼は崩れ去り、憧れを抱いた鬼塚への憎悪が芽生えた。
その憎しみは、クロノスへの復讐の炎となって、時間と共に激しさを増していった。
そして今――悠斗は、かつて命を預けるほど憧れた鬼塚と、銃弾飛び交う敵対する立場に立っていた。
鬼塚が悠斗にとって最も大切な「ヒーロー」であった時期は遠い過去となり、今では二人の間に修復不可能なほど深く裂かれた溝が横たわっている。
裏切りと憎悪、そしてかつての尊敬。
全てが複雑に絡み合い、二人の対決は宿命づけられたもの**となった。
悠斗の目は、あの倉庫で初めて鬼塚に感じた純粋な憧れとは違う、冷たい決意に満ちていた。
「鬼塚のお兄ちゃん」と呼んだ温かい日々はもう戻ってこない。
しかし、悠斗の心の中には、決着をつけるために、まだ鬼塚への最後の問いかけが残っていた。
「鬼塚のお兄ちゃん…… どうして、あなたは そこまで 変わってしまったんだ……」
悠斗は、悲痛な面持ちで鬼塚を見つめた。
鬼塚は、悠斗の純粋な問いに一瞬、冷たい表情を曇らせた。
かつての自分、正義のために燃えていた若き消防士の姿が、脳裏をよぎった。
しかし、その記憶は、親友を失ったあの日の業火と共に、深く心に刻まれた傷跡となっていた。
彼は、その痛みを振り払うかのように、再び冷酷な笑みを浮かべた。
「悠斗、 感傷的になるな。
お前は何もわかっていない。
これは、ただの 弱肉強食の世界だ。
強い者が生き残り、 弱い者は 容赦なく 淘汰される。
それが、この世界の 真の 掟 だ!」
鬼塚の言葉は、悠斗の心を深く、鋭く傷つけた。
彼は、かつてのヒーローが、歪んだ思想を持つ冷酷な悪党へと変貌してしまった現実に、深い悲しみと怒りを覚えた。
「違う!
そんなのは、 偽り だ!
俺は、 あなたのような 怪物 にはなりたくない!」
悠斗は、鬼塚に向かって魂を絞り出すように叫んだ。
彼の声は、怒りと悲しみに激しく震えていた。
鬼塚は、悠斗の無力な叫びに耳を貸さず、容赦なく再び攻撃を仕掛けてきた。
悠斗は、鬼塚の荒々しい攻撃を冷静な技術でかわしながら、必死に反撃する。
二人の戦いは、師弟の決別を意味するように、激しさを増していく。
鬼塚の拳は、まるで鋼鉄の塊のようだった。
悠斗は、その一撃一撃を全身で受け止め、壁に叩きつけられるように吹き飛ばされる。
しかし、彼は決して諦めなかった。
仲間たちを守るため、そして、自分の信じる正義と人間性のために、彼は再び立ち上がり続けた。
倒れても、倒れても、彼は不屈の意志で再び立ち上がった。
その度に、彼の瞳には、新たな決意と覚悟が宿っていく。
まるで、炉の炎の中で何度も叩かれ、鍛えられる鋼のように、悠斗は痛みと引き換えに強さを増していった。
……鬼塚は、かつては生粋の正義感あふれる若き消防士だった。
彼は、燃え盛る地獄のような炎の中に飛び込み、人命救助のために自らの命を危険にさらすことを厭わなかった。
市民からは「炎の英雄」と呼ばれ、絶対的な尊敬と信頼を集めていた。
しかし、ある日、彼は人生を破壊する悲劇的な事故に遭遇する。
それは、クロノスが裏で引き起こした、大規模な化学工場火災だった。
鬼塚は、すべてを懸けて懸命に消火活動にあたったが、爆発の業火に巻き込まれ、最も信頼していた同僚であり親友を失った。
鬼塚は、深い悲しみと自己への絶望に打ちひしがれ、生きる希望を失いかけた。
「俺の人生は、あの日、正義の炎 と共に、炎の中に 消えてしまったんだ……」
鬼塚は、自嘲と虚無感を込めて呟いた。
「正義も、希望も、何もかも……
すべて 灰燼に帰した 」
しかし、彼は、親友を死に追いやったクロノスの真実を暴き、復讐を果たすことを決意した。
彼は、消防士を辞め、単身、地獄の業火に飛び込むようにクロノスに潜入した。
裏社会でのし上がるために、彼は善悪を捨てあらゆる手段を用いた。
暴力、脅迫、裏切り……彼は、かつての自分からは想像もつかないような闇の世界に深く、深く足を踏み入れた。
そして、ついに、クロノスの幹部へと上り詰めた。
しかし、クロノスでの生活は、復讐の炎が彼の人間性を蝕んでいく日々だった。
彼は、親友の復讐と正義のために戦っていたはずなのに、いつしか、目的のためには手段を選ばない冷酷な男へと完全に変貌していた。
かつての正義感は、 歪んだ『強者の論理』 へとすり替わってしまったのだ。
……悠斗との戦いは師弟の情と憎悪が絡み合い、ますます激化していた。
鬼塚は、悠斗が驚異的な速さで成長していることに戦慄していたが、それ以上に、かつての自分を信じた彼の純粋な心を完全に打ち砕くことに深い迷いを感じていた。
かつて愛情を抱いていたその少年が、今は命を懸けた敵となって目の前に立ちはだかっている――その事実に鬼塚の心は激しく揺れていた。
だが、その時、事務所の奥、彩花がいた方向から耳をつんざくような轟音が響き渡った。
何かが根源から壊れる音とともに、天井のスプリンクラーが爆発したかのように一斉に作動し、水が猛烈な勢いで噴き出してきた。
「これは……
神の因子の暴走か!」
エリカが戦慄の声をあげた瞬間、鬼塚は戦場から退避するため反射的に手元の煙幕を投げつけた。
「しまった!
逃げる気か!」
蓮が叫んだが、その声もすぐに水と煙の混ざった音にかき消される。
事務所は瞬く間に濃い、視界ゼロの煙に包まれ、光すら届かない混沌の中に陥った。
「彩花!
どこだ!
答えろ!」
蓮は混乱と絶望の中、必死に叫び声をあげるが、彩花の姿はどこにも見当たらない。
濃密な煙と水しぶきが舞う中、彼女はまるで神隠しに遭ったかのように行方がわからなくなっていた。
悠斗もまた、視界を奪われた状況に戸惑いつつ、心のどこかで鬼塚の姿を探していた。
だが、そこに彼の姿はない。
音すら消え、まるで鬼塚そのものが怨念のように煙の中に消え去ったようだった。
蓮、エリカ、悠斗――それぞれが失意と使命感という違う感情を抱きつつ、この水浸しで血の臭いが残る混沌の中に取り残された。
蓮は愛する者の行方を追い、エリカは神の因子の暴走という制御不能な危機を感じ、悠斗は失われた絆に苦しみながらも、鬼塚の真意を問いかける余地すらなくしてしまった。
激しい闘争の余韻を残しつつ、霧のように姿を消した鬼塚。
彼が何を考え、どこへ向かったのかは、誰も知ることができなかった。
そしてこの時、戦いの火蓋は一旦閉じたものの、セバスチャンの犠牲、風見の狂気、そして彩花の消失 という 新たな災厄の火種 が、 確実に撒き散らされていたのだ。




