40話【死を忘れた鉄の拳:プロメテウス部隊と狂気の夜】
蓮の「行くぞ……!! 迷うな!」という咆哮が、爆発寸前の応接室に響き渡った。
プロメテウス部隊は、エリカの合図を受け、無音の殺意を放ちながら一斉に前へ躍り出る。部屋の空気が潰れるように重くなり、戦闘の幕は既に上がっていた。
だが――肉体が戦闘態勢に入っているのとは裏腹に、蓮の心は、氷水に沈められた砕けやすいガラスのように、一瞬で冷え切っていた。プロメテウスの殺気を前にしても、エリカの冷たい言葉だけが、乾いた反響音となって頭の内側に何度も、激しく打ち付ける。
『騙していた… 愛人… 罠…?』
理解しようとするたびに、思考は冷たい空回りを繰り返し、胸の奥で巨大な構造物が崩れ落ちる音がした。心臓の鼓動は制御を失い、乱暴な打撃のように全身へ内側からの痛みを送りつけてくる。呼吸は浅く、細く、まるで命の糸が途切れたようになった。
エリカの言葉の一撃は、プロメテウスの拳よりも鋭く蓮の胸を貫いていた。心が軋み、視界が暗く染まる。彼は今、魂の淵のきわに立たされていた。
彩花は、迫り来る敵を警戒しつつも、そんな蓮の肩に、迷いながらも、静かに手を添えた。その指がかすかに震えていたのは、蓮を思う痛みと――過去経験した中でも最も深く、致命的な裏切りへの激しい怒りのせいだ。
「エリカさん……どうして……? 私たちは、あなたの居場所を命懸けで信じていたのに……」
彩花の声は、折れそうな、今にも消え入りそうな糸のように細く、脆かった。
風見は拳を握りすぎて骨がきしむほどだった。
「黒崎……貴様だけは、絶対に許さんぞ……!」
しかし、その声音には怒りだけでなく、かつての仲間を失った、深い喪失の影が宿っていた。裏切りという言葉は、彼の魂を最も深く抉る宿命の棘だった。
エリカの裏切り、プロメテウスの登場、そして迫り来る父の影。蓮は、そのすべてを飲み込むかのような絶望に包まれた。
その時、ふと、頭の中で何かが激しくかみ合う音がした。
記憶の断片が、まるで破片を正確な位置に埋めるように繋がり始める。白い、無機質な部屋、冷たい床、そして黒崎の威圧的な声が響く。
「お前は我々の未来を担う『光』だ」
そうだ、僕は…僕は、黒崎剛一郎の…!
蓮の瞳に、強い、燃えるような光が宿った。その光は、怒りでも、悲しみでも、絶望でもない。それは、運命を受け入れ、立ち向かう希望の火花が、抑えきれない炎へと徐々に燃え上がるような強い決意だった。
「僕は、諦めない。絶対に諦めない。たとえ君が、黒崎に造られた偽りの敵だとしても、エリカ。必ず、君を救ってみせる。そして、全ての元凶である黒崎の野望を終わらせる!」
蓮の言葉が、部屋中に響き渡り、エリカの冷たい心を突き刺した。 数瞬の間、彼女は全身の動きを一瞬だけ固まらせた。その刹那、彼女の唇が無意識に、助けを求めるように微かに震えたのを蓮は見逃さなかった。
その静寂を破って、プロメテウスたちが無表情なまま、加速して一斉に歩き出す。しかし、蓮の決意の声は消えなかった。それは、彼らの冷徹な足音にさえも、隠れずに響き続けた。
絶体絶命の状況。風見が、激しく息遣いの中、低い声で答えた。
「奴らはプロメテウス。黒崎が人体と機械を融合させて作り出した、『感情を殺した改造戦闘部隊』だ。人間を超えた能力を持ち、戦闘のエキスパート… 生きた死体のような連中だ」
プロメテウスたちは、まるで獲物を狩る冷徹な獣のように、無表情でゆっくりと彩花たちに近づいてきた。その歩みは、死刑執行人が罪人に歩み寄るような冷徹さを帯びていた。彼らの足音は、まるで死の宣告が鳴り響くように、重く、そして不気味に響く。
先頭の男が、目にも止まらぬ、圧縮された速さで蓮に襲いかかる。その拳は、まるで鋼鉄の塊のように硬く、空気を鋭利に切り裂く音が、耳をつんざいた。蓮は、何とか本能でそれをかわし、身をひねって相手の懐に飛び込む。
二人の間で激しく、無情な肉弾戦が繰り広げられる。 蓮の拳が敵の腹部を捉えるが、手応えは生身の人間のものではなく、冷たい鉄板を叩いたかのようだった。それぞれの息遣いが荒く、汗が床に滴り落ち、血のように赤い暖炉の灯りが一瞬、二人の顔を照らした。重く、無情な打撃が交錯するたび、周囲の空気がますます歪んでいく。
別のプロメテウスが、風見に向けて、小さな、不安定な火の玉を吐き出す。その火の玉は、周囲の酸素を吸い込みながら黒ずんだ光を放ち、まるで生きた悪意のように妖しく、血のように赤く輝き、風見の顔に焦げ付くような熱風を吹き付ける。風見は元傭兵の反射神経で素早く身を翻し、その火の玉をかわしながらも、反撃の全てを込めた一撃を繰り出す。
だが、プロメテウスの体はまるで鋼鉄の装甲のように硬く、その一撃はまるで水に打たれた石のように、何の抵抗もなく弾かれた。鈍い衝撃音が響き渡り、風見の拳に骨まで響く鋭い痛みが走る。
彩花は、絶望的な表情で額に汗を滲ませながら、必死でその能力を使い、プロメテウスたちの動きを止めよう、時間を遅らせようとする。だが、感情を排除された改造された彼らの精神はすでに固く、冷たく閉ざされており、彩花の精神干渉の力はまったく通じなかった。
彩花は思考を切り替えた。精神ではなく、彼らを動かす神経系の「電気信号」に無理やり意識をねじ込む。 (見える……動きの、先が!)
その瞬間、蓮が相手のわずかな機械的な隙――肉体の限界を超えて関節が逆行する異様な瞬間を突き、渾身の力を込めた強烈な蹴りをプロメテウスに叩き込んだ。プロメテウスは、まるで岩のように硬い体を不自然に揺らしながら、吹き飛ばされ、窓ガラスを派手に突き破り、夜空に重い塊となって落ちていった。
ガラスの割れる甲高い、勝利の錯覚のような音が響き渡り、プロメテウスの短く機械的な悲鳴が、死のように響き渡った。
その隙に、蓮たちは一瞬の隙を突き、窓から飛び出し、屋敷の外へと脱出する。
しかし、黒崎は微動だにせず、ただ静かにその光景を見つめていた。彼の表情には、不気味な笑みが浮かびながらも、どこか歪んだ寂しさを滲ませている。まるで、冷徹な目を向けながらも、内面では愛娘の成長を静かに確かめる、狂気に満ちた父親のように。
「逃げろ!」 蓮は叫び、彩花の手を強く引き、高所にある窓から迷いなく飛び出す。幼い頃に母を亡くし、孤独の中で生きてきた蓮は、大切な者を守るためなら、どんな痛みも危険も顧みない覚悟を抱いていた。
窓を蹴る間際、蓮の視界にエリカの姿が映った。彼女の手が、微かに、プロメテウスの死角を示すように動いた気がした。
風見は、無慈悲に拳銃を乱射し、プロメテウスたちの動きを牽制する。銃弾が火花を散らし、壁を深く抉る。乾いた銃声と金属がぶつかり合う音が、屋敷内に鋭く反響する。
だが、プロメテウスたちは、まるで弾丸がスローモーションで飛んでいるかのように、銃弾をものともせず、風見に向かって驚異的な速さで突進してきた。
風見は、卓越した戦闘技術で必死に応戦するが、プロメテウスたちの圧倒的なパワーとスピードに瞬く間に押され気味だった。それでも彼は、過去の悔恨を晴らすため、死力を尽くして食い止めようとする。
「風見さん、急げ!」
蓮が絶叫に近い声で叫んだ。
風見は、最後の力を振り絞り、プロメテウスたちを蹴散らしていく。割れた窓ガラスの破片がキラキラと、しかし鋭い音を立てながら空中を舞った。
間一髪で、風見も窓を飛び越え、鮮血を滲ませながら外へ脱出した。 三人が着地した先は、安息の夜ではない。屋敷そのものが、巨大な牙を剥いて彼らを閉じ込めようと蠢き始めていた。




