④影に潜む男
私は、どうしても諦めきれずに桐谷蓮について調べてみることにした。
SNSで検索すると、いくつかのファンアカウントがすぐに見つかった。
その中には、未だに彼を懐かしむ投稿も多く、私の心に少しだけ温かい気持ちが湧いた。
しかし、すぐに彼が5年前に電撃的に芸能界を引退していたことを知り、その理由が公表されていないとわかった。
何かが引っかかり、私はさらに過去の投稿を読み進めた。
そして、ある一つの投稿に目が留まった。
「桐谷蓮、電撃引退の真相は? 関係者が語る、彼の知られざる過去」
その記事には、彼がある女性との間にトラブルを抱えていたことが書かれていた。
女性は異常なまでに彼に執着し、ストーカー行為を繰り返していたという。
そして、その女性から逃れるために桐谷蓮は芸能界を引退したのだと。
さらに記事を読み進めると、桐谷蓮とその女性の写真が目に入った。
彼の隣に立つ、黒髪のロングヘアーの女性が、冷たい笑みを浮かべて彼を見つめている。
まるで彼を自分のものにしたかのようなその表情は、私に不安を与えた。
「もしかして、涼太さんが…あのストーカーだったら?」
その恐ろしい考えが一瞬、私の頭をよぎった。
もしもそうなら、涼太は私の過去を調べ、桐谷蓮に似せた外見を作り上げたのかもしれない。
この考えが頭に浮かんだ途端、全身が冷え切り、私は震えながらベッドに潜り込んだ。
涼太への不信感が、日に日に膨らんでいくのを感じていた。
心の中で、ふと彼の優しい笑顔が浮かぶ。
だけど、同時に涼太さんは、まるで私の心を見透かしているように、いつも完璧なタイミングで現れることに不安が消えない。
誰かに私の行動を常に見られているかのような感覚さえ覚える。
夜が更けるにつれ、その不安はさらに深まっていった。
「本当に大丈夫なのかな…」
私は、もやもやした気持ちのまま、眠りに落ちていった。
翌日、私は会社で涼太について調べ始めた。
社内システムで検索すると、涼太は確かに大手商社に勤めていることが分かった。
しかし、彼の経歴や詳しい情報は、社外秘になっていて閲覧できなかった。
「やっぱり、何か隠してる……」
私は、ますます疑念を深めた。
数日後、涼太から再びデートに誘われた。
私は今度こそ、彼の正体を確かめようと決意し、その誘いを受け入れた。
デート当日、私は彼の目の前で微笑みながら、会話の中に自然と桐谷蓮の話題を差し込んだ。
「そういえば、涼太さんって桐谷蓮に似てるって言われませんか?」
私は何気ないふりを装い、じっと彼の反応を探った。
涼太は少し驚いたようだったが、すぐに穏やかに「そう言われることはあるけど、特に意識してないよ。ファンというわけでもないし」と言った。
彼の声は相変わらず落ち着いていて、その優しいトーンが、私の疑念を少し和らげた。
でも、まだ終わらせたくなかった。
「もし、私が桐谷蓮のファンだったことを知っていて、涼太さんが彼に似せて外見を作っていたとしたら…どう思いますか?」と、少し踏み込んで尋ねた。
一瞬、涼太の言葉が詰まった。
その瞬間、私の心は軽く動揺したが、彼はすぐに目を細めて微笑んだ。
「そんなことはしないよ。
僕はありのままの彩花さんに惹かれているんだ」と真剣な眼差しで私を見つめる。
涼太の言葉に、私は何とか信じようとした。
しかし、心の奥に残る疑念が完全に消え去ることはなかった。
デートの間中、私は彼の動作や言葉を注意深く見守っていた。
彼のさりげない気遣いと優しい笑顔は、やはり心地よい。
だけど、その穏やかさの裏に何か隠されているんじゃないかという不安が、静かに心に影を落としていた。
「ねえ、涼太さん。
もし私が誰かに騙されていたら、助けてくれる?」
私は、内心の不安をこらえつつ、恐る恐る質問を投げかけた。
彼は一瞬眉を上げ、すぐに力強く答えた。
「もちろん。彩花さんは僕にとって大切な人だから、何があっても守るよ」と、その言葉はまるで私の疑念を払拭するように響いた。
だが、その直後、私は思いがけないものを目にした。
涼太がトイレに立った隙に、彼のスマートフォンの画面が光ったのだ。
そこには、私のSNSページが表示されていた。
息が止まる。
彼は私の過去を調べていたのだろうか?
それとも…私を監視している?
デートが終わり、私は胸の内に安堵感と不安感の混在する複雑な気持ちを抱えた。
涼太への想いは強まっていくのに、信じ切ることができない。
「まるで、江ノ島の『天女と五頭龍』の伝説みたいだな…」
頭の中に、その悲しい伝説が浮かんだ。
天女と五頭龍のように、私たちもどこかで破滅的な結末を迎えてしまうのだろうか。
涼太の存在が、まるで運命的に引き寄せられたもののように思えて仕方がなかった。
デートの場所は、ドラマ『夏の終わりに』の最終回の舞台となった海辺のレストランだった。
私は高校時代、桐谷蓮が演じた主人公がヒロインに愛を告白するシーンに心を打たれ、涙を流した記憶が鮮明によみがえってきた。
心が激しく揺れ動き、感情が抑えきれなくなりそうだった。
涼太が窓の外に広がる夕焼けを見つめながら、「この場所、彩花さんにとって特別な場所なのかな?」と優しく尋ねてきた。
その瞬間、私は彼の鋭さに気づき、思わず顔を伏せた。
「実は…」
意を決して、私は高校時代の桐谷蓮への想いを打ち明けた。
彼は何も言わず、私の話を静かに聞き終えると、そっと手を握りしめて、「彩花さんの気持ち、よくわかったよ」と、微笑んでくれた。
その笑顔に、また涙があふれた。
けれど、その涙は安堵のものなのか、それとも別の感情によるものなのか、自分でも分からなくなっていた。
「涼太さん、あなたは一体誰なの…?」
心の中で叫びたかったが、その言葉は喉の奥でつかえて出てこなかった。
数日後、私のSNSに不審なメッセージが届いた。
「彼に近づくな」という短いメッセージと共に、私と涼太がデートしている写真が添付されていた。
胸の奥に冷たい何かが走り、心臓がドキッと高鳴った。
私の手は自然と髪に触れ、軽く指先でいじる癖が出てしまう。
恐怖と不安が押し寄せる中で、涼太にこのことを伝えるべきだと決意した。
しかし、彼に連絡を取ろうとスマホを手に取ったその瞬間、見知らぬ番号から電話が鳴った。
鼓動がさらに速くなり、ため息をつくように深呼吸をしてから、震える手で恐る恐る電話に出ると、聞き覚えのある女の声が聞こえた。
「警告したはずよ。彼から離れなさい」
冷たい響きの声に、全身が緊張する。
どこかで聞いたことがある声だけれど、誰かは思い出せない。
けれど、桐谷蓮の隣に写っていた、あの黒髪のロングヘアの女が頭をよぎった。
女はさらに話を続け、涼太の過去について語り始めた。
彼が桐谷蓮の影武者として雇われ、桐谷が引退してからも彼になりすまして生きてきたという。
胸がギュッと締めつけられ、冷たい汗が背中を伝った。
「...どういうことですか?」
声はかすれ、震えていた。
問いかけに対し、女は嘲笑うような声を上げた。
「まだ分からないの?
涼太は、あなたを騙しているのよ。
全て、桐谷蓮になりすますための計画なの」
その言葉が頭の中で何度も反響し、私の心に鋭く刺さる。
涼太が桐谷蓮の影武者?
そんなこと、あり得ない。
けれど、涼太と桐谷蓮の顔が重なり、次第にその疑念が確信へと変わっていくのを感じた。
「...どうして、そんなことを?」
声がかすれ、最後の望みにすがるように尋ねると、女は冷たく告げた。
「それは、彼に直接聞きなさい」と言って電話は切れた。
無機質な電子音だけが、部屋に虚しく響く。
ベッドに倒れ込み、私は天井を見つめた。
涼太の優しい笑顔、温かい言葉、そして彼から香る甘いバニラの香り。
全てが嘘だったのだろうか?
胸の奥が痛くて、涙が自然にこぼれ落ちる。
スマホを手に取り、涼太に電話をかけようとするが、指が震えてボタンを押せない。
彼を信じたい気持ちと、裏切られたかもしれないという恐怖が私の心を引き裂いていた。
何が真実で、何が嘘なのか。
息を整え、意を決して涼太に電話をかけた。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
ぜひ『ブックマーク』を登録して、お読みいただけたら幸いです。
感想、レビューの高評価、いいね! など、あなたのフィードバックが私の励みになります。