38話【生ける牙城の招待状:被験者と最終作の邂逅】
「二人は大学時代からの研究仲間で、お互いを尊敬し合っていた。 エミさんは誰とでもすぐ仲良くなる太陽のような明るい人だった。 奥野博士は不器用だが……人の痛みに誰よりも敏感で、研究に命を懸ける男だった。 だから……二人が、志を同じくする者同士、やがて恋に落ちたことは、ある意味、必然だったのだろうな」
風見は遠い記憶を見るように目を細めた。 その目には、二度と戻らない“平穏な時間”への痛切な郷愁が宿っていた。
しかし、その穏やかな空気は鉄の音と共に一瞬で消え去る。
「……だが、その技術が完成に近づくほど、クロノス・コーポレーションは焦燥と危機感を抱き始めた。 彼らにとって、新エネルギーは“世界の覇権”そのものだからだ」
蓮と彩花の顔が、真実の重圧に強張る。
「クロノスは、二人を排除することを決めた。 エミさんは事故に見せかけて殺され……奥野博士も、偽装された不審な死を遂げた」
風見の声音は、長年抑えつけてきた怒りと、拭えない悔恨でかすれていた。
「……そして、私は──そのクロノスの“記憶操作技術”の、最初の被験者にされた」
蓮と彩花の目が見開かれる。この上ない衝撃だった。
「二人の死の直後、私は捕らえられ、記憶を改ざんされた。 まるで自分がこの陰謀に加担し、エミさんの背中を押したかのような……そんな偽りの記憶を植え付けられ、本当の自分を完全に失っていたんだ」
その瞬間、風見が激しくこめかみを押さえた。彼の視界が古いテレビの砂嵐のように歪み、脳裏にノイズが走る。改ざんされた偽の記憶は、今なお呪いとなって現在進行形で彼を縛り付けていた。
苦しげな吐息が漏れる。胸元を握りしめる風見の手は激しく震えていた。
彩花は衝撃を抑えきれず口元を押さえ、蓮は怒りの矛先を見据えるように拳を握りしめる。
「風見さん……まさか、そんな非人道的な……」
「あなたは悪くない」
蓮は風見の肩にそっと手を置いた。 その声は、優しさと、揺るぎない確信に満ちていた。
「あなたもまた、クロノスの最大の被害者だ」
蓮の言葉に、風見はほんの一瞬だけ、救われたように目を伏せる。 次の瞬間、彼の瞳に宿った光は、深い悔恨と、罪を償うための燃えるような決意だった。
「ありがとう……蓮。 だが、私は偽りの罪ではなく、真の罪を償わなければならない。 そのためにも、クロノスを倒す。 そして……桐谷エミさんと奥野博士、二人の無念を、この手で晴らす」
蓮と彩花は、風見を見る目が劇的に変わっていくのを自覚した。 恐れも不信も、もうない。 その代わりに──命を預けられる確かな信頼と、運命共同体としての絆が芽生えていた。
車は、やがて黒崎邸の巨大な鉄門の前に静かに停まった。 夜風が吹き抜け、鉄門は闇を吸い込むように、威圧的にそびえ立っている。 まるで、その奥に広がる闇が、覚悟を決めた三人を試すかのようだった。
三人は互いの顔を見合わせた。 その表情には潜入直前の張り詰めた恐怖もある。 だが、同じだけの揺るぎない覚悟と決意があった。
足を一歩、門へと踏み出す。 その瞬間、風見がまるで予感に駆られたように低く呟いた。
「……だが、一つ、どうしても腑に落ちないことがある。 クロノスが“プロメテウス計画”に固執する理由だ。 莫大な利益や世界覇権だけで説明できる動きじゃない。 まるで──彼らが、もっと巨大な影の支配者に操られているかのようだ。エネルギー技術は表向きで、真の目的は『人類の魂の管理』や『神の領域への侵食』……そんな、より壮大な恐怖が裏にある気がしてならない」
重い静寂。森の奥で、何かの歯車が小さく軋んだ。 彩花は息を呑む。蓮の胸の奥を、正体不明の冷たい感覚が走った。
「まさか……」
「蓮、彩花さん。 私たちの戦いは、今、目の前にある黒崎剛一郎だけではない。 もしかしたら、“まだ何も終わっていない”どころか──真の戦いは、始まってすらいないのかもしれない」
重い鉄門の向こうには、深い闇とさらに恐ろしい真実が待つ。 三人は、その闇へ、宿命を抱きしめて、一歩、また一歩と進んでいった。
高台の黒崎邸は、数世紀の月日を喰らって肥大した巨大な臓器のように、不吉な呼吸を繰り返していた。錆びついた鉄門が開くたびに響く金属音は、生還を許さぬ死神の悲鳴だ。
異常に整えられた庭園では、通り過ぎたはずの剥製が首を捻り、背後から三人を見定める。廊下は進むほどに伸び縮みを繰り返し、物理法則を嘲笑うように三半規管をかき乱した。光を拒絶する洋館の窓は、無数の空虚な眼窩となって侵入者を監視している。
未知の結社が刻まれた真鍮の扉は、視線を向けるだけで脳を抉るような「拒絶」の激痛を走らせた。扉を開けば、死後数十年を閉ざされていたような腐敗した冷気が溢れ出す。
床は侵入を拒むように低く呻き、廊下の油絵は目を離すたび、描かれた亡者たちがその構図を歪めていく。壁一面に並ぶ剥製たちの瞳は、もはや威嚇ではない。獲物を「喰う価値」があるか見極める、冷徹な捕食者のそれへと変わっていた。
出迎えた執事・セバスチャンは、感情が欠落した精巧すぎる器だった。 瞬き一つせず、呼吸音すら聞こえないその姿は、彼が血の通わない人造物であることを匂わせ、不気味さを極限まで高めていた。
「奥野様、桐谷様、そして風見様ですね。 ……会長が、長くお待ちかねです」
その声は、人の声帯を経由していないような奇妙な反響音を伴っていた。 歩くたびに革靴が鳴るが、音は廊下の奥深く、誰もいない闇の方から追うように返ってくる。
応接室に案内されると、暖炉の火が不規則に脈打っていた。 まるでこの屋敷の心臓の鼓動を真似ているような、じわ、とした不気味な生命感があった。
その時だった。 薄暗い廊下の奥から、かすかな、しかし魂を揺さぶるすすり泣く音が微かに漏れてきた。
彩花は弾かれたように蓮の腕を掴んだ。 「……エリカさんなの……? ねえ、蓮!」
その声はエリカ本人のものか、それとも屋敷が誘い出すための「擬態」なのか。 すすり泣きは「助けに来てはいけない」と囁くように響く。 蓮は何も言葉を返さず、ただ彩花の手を握り返した。その手もまた、確かな冷たさを帯びていた。
暖炉の前に立つ黒崎剛一郎は、圧倒的な威圧感を纏っていた。 眼光は獲物を定める獣のように光り、笑みは狂気と品格が歪んだ均衡を保ちながら同居している。
黒崎は、炎に照らされた顔をゆっくりと歪めながら言った。
「奥野彩花さん──君は、私の『最終作』として、実に、実に美しい」
彩花が「父の娘」ではなく、最初から「黒崎の実験体」として調整されていたという絶望的な真実。その瞬間、暖炉の炎がありえない青紫色へと変色した。
声は穏やかだが、心臓を直接撫でるような冷徹な響きを伴っていた。 執事が無表情に扉を閉めた。
──ガチャリ。
その音は金属ではなく、湿った肉と肉が無理やり閉じ合わされるような、生々しく悍ましい響きだった。




