33話【深淵の結託 : 国家を凌駕する巨大な闇】
「もし、クロノスが国際的な、国家を凌駕するほどの巨大組織と繋がっていたら……」
風見の言葉に、一同の表情が一瞬、氷のように曇る。その想定は、自分たちが今、法や倫理が一切通用しない「世界の裏側」を敵に回していることを意味していた。
「まさか……」
蓮の低い声が、静かな部屋に重く響いた。
「可能性は否定できない。黒崎の野望は、単なる国内のビジネスではなく、世界規模の支配を企むものかもしれない」
悠斗は眉をひそめ、深く頷いた。
「だとすれば、我々の戦いは、日本の司法や警察の手に負えるレベルではない。これまで以上に、極秘裏に、そして厳しいものになるだろう。もはや、この国に安全な場所など存在しないのかもしれない」
彩花は拳をぎゅっと握り、瞳に強い光を宿して言った。
「それでも、私たちは一歩も引かない。父の夢と、世界を脅かす悪を、必ず倒す」
五人は互いの目を見つめ合い、運命共同体としての静かな信頼を心に刻んだ。窓の向こうに沈む夕日は、まるでこれから始まる壮絶な戦いの序章を告げるかのように、赤く、血の色のように輝いていた。 世界を巻き込む巨大な陰謀。その試練は、彼らの絆、勇気、そして個々の正義を容赦なく試すものとなるだろう。
しかし、風見の胸に鋼のような不穏な違和感が走った。
「チームの中に、裏切り者がいる」
――その予感は、エリカの報告の不自然な空白から生じた。彼女は黒崎との接触を頻繁に繰り返していた。しかし、その核心的な内容が一切、チームに報告されていない。
風見は眉をひそめる。 「まさか、クロノスに情報を流しているのでは……いや、それとも何かを隠しているのか」
張り詰めた緊張感が空気の粒を重くする。誰を信じ、誰を疑うべきか。彼らはこれまで以上に慎重に行動しなければならなかった。
……薄暗い路地裏。 街灯の光がわずかに揺れる、影が濃い場所にエリカは立っていた。ここが、黒崎との接触場所として指定された現場だ。
「本当に、このリスクを負う価値があるのかしら……」
不安が胸を押し潰す。風見の警告も頭をよぎるが、彼女は蓮を救うため、そして彼が抱える闇の正体を知るため、単独でここに来た。それは愛ゆえの、命を賭けた決断だった。
その時、背後から低く、アスファルトを削るような冷たい足音。
「待たせたな」
振り返ると、黒崎剛一郎の不敵で傲慢な笑みが、闇に浮かんでいた。その目は、狙いを定めた獲物を逃さぬ捕食者のように鋭い。
「剛一郎さん……蓮の『出生の秘密』、そして彼の過去について、全て教えて」
エリカは声を震わせず、氷のように毅然と迫った。
「ふふふ、焦るな。まずは、俺の話を聞け」
黒崎はゆっくりと歩み寄り、蓮の出生にまつわる衝撃の、そして血に塗れた真実を語り始める。それは、蓮という存在そのものが「呪い」であるかのような、あまりにも残酷で冒涜的な事実だった。
「……まさか、そんな、嘘だ……」
エリカの瞳が激しく揺れ、言葉を失う。黒崎の言葉は、彼女の心の土台を跡形もなく崩し去るように深い波紋を広げた。
「どうだ? 最高のショーだろう?」
その不敵な笑みに、エリカの動揺を心ゆくまで楽しむ冷酷さが滲む。しかし、次の瞬間、黒崎の表情が氷のように冷たく硬直する。
「さて、情報の提供者としては、もう用済みだ」
彼は躊躇なくエリカに銃口を向ける。
「……っ!」
反射的に身をかわすも、背後から金属のような冷たさを帯びた複数の男たちに取り囲まれる。
「離せ!」
エリカは必死に抵抗するが、多勢に無勢。瞬く間に腕を掴まれ、逃げ場はない。
「大人しくしろ。お前が知りすぎた事実は重い。処分のために、連れて行くところがある」
黒崎の冷たい支配の目が、彼女の全身を貫く。絶体絶命。それでも、エリカの瞳には恐怖に押し潰されない、炎のような強い意志が宿っていた。
「大人しくしろと言ったはずだ!」
部下が腕をさらに強く、骨がきしむほど掴む。エリカは瞬間を見切り、覚醒した俊敏さで肘を鋭く男の側頭部に打ち込む。
「ぐっ!」
不意を突かれた男は苦痛に顔を歪め、思わず手を離す。
「逃がすな! 撃て!」
黒崎が叫ぶが、エリカは迷路のような路地を全速力で、闇に溶け込むように駆け抜ける。足音が背後に迫る。銃声が鋭く響き、路地の静寂を切り裂く。
咄嗟に身を伏せる彼女。しかし、その隙に追いついてきた黒崎の部下が、再び彼女の足首を乱暴に掴んでしまう――。
エリカの悲鳴が、夜の都市の喧騒を文字通り裂いた。 風見はその一瞬の心の震えを捉え、反射的に、獣のように路地裏へ飛び込む。靴底がコンクリートを滑り、風を切り裂くような、静かで速い音が響いた。
「エリカさん!」
薄闇の中、黒崎の部下たちがエリカを獲物のように囲んでいた。銃口が月明かりを弾き、冷たい死の光を撒き散らす。その中心へ、風見は影が伸びるよりも速く滑り込む。
低い姿勢から繰り出された重いバックキックが空気を裂き、男の一人が弾丸のように壁へ吹き飛んだ。残った二人が反応するより速く、風見の手刀が首筋の急所に叩き込まれ、拳銃が宙高く跳ねた。
金属音が路地裏に散る。その一連の動作は、かつて組織が最も恐れた「掃除屋」としての技術そのものだった。
「なっ……貴様、まさか……!」
黒崎の顔色が、一瞬で鈍く血の気を失った。街灯に照らされた風見の瞳は、過去の闇そのものを抱え込んだように深く冷たい。
「ま、またお前か……風見……!」
黒崎の声は怒りではなく、明確な“底知れぬ恐怖”で震えていた。風見がかつて組織に見せた、怪物じみた実力が彼の脳裏に蘇ったのだ。
風見は静かに、しかし威圧的に一歩踏み出す。動きはゆっくりなのに、黒崎にはその一歩が逃げ道をすべて塞ぐ最悪の宣告に見えた。
「黒崎……お前はまた、己の欲望のために、罪のない人間を道具として傷つけようとしているのか」
その声は低く、しかし魂を刺すように鋭い。黒崎は堪えきれず吠える。
「ふざけるなッ! お前は我々の組織の裏切り者だ! 俺たちを裏切ったクセに……正義だと? 笑わせるな、吐き気がする!」
風見は微動だにしない。
「過去の過ちは、私が背負う。だからこそ……私は戦う。二度と、私の目の前で犠牲を出させはしない。クロノスという、腐敗した癌を終わらせるために」




