24話【深紅の瞳:愛が目覚めさせた力と父の愛が遺した偽装の実験室】
最後の夕陽に焼かれた空が、石畳に禍々しいほど長い影を落としていた。 黒ずくめの男たちの影は、まるで意思を持った獣のようにゆらりと揺れ、二人に忍び寄る絶対的な脅威を形にしたかのようだった。
海風が突然荒々しく吹き荒れ、彩花の髪を激しく巻き上げる。 波が岸に打ち付ける音は徐々に不吉な咆哮となり、二人の心臓の鼓動まで代弁するように荒々しいリズムを刻み始めた。
フードで顔を隠した男たちは無言のまま、機械のように動かない。しかし、彼らの目だけが闇の奥で冷たい刃物のように光り、確固たる殺意を放っていた。 その視線を受け止めながら、彩花は蓮の手を握りしめていた。かすかな震えがその指先から伝わる。
蓮は静かに言い放った。 恐怖を押し殺した声にはかすかな震えが含まれていたが、瞳には彩花を守るという確かな意思が宿っている。
「我々の正体を知る必要はない。桐谷蓮、お前を連れ帰るよう命令を受けている」 鬼塚の低い声が響くと同時に、男たちが一斉に蓮へ飛びかかった。
次の瞬間、蓮の体は風のように動いた。 影のように滑り、踊るように跳躍し、迫る拳を紙一重でかわしながら、逆に男たちの体勢を崩していく。 その動きは、洗練されたプロの体捌き――まるで長年の訓練が染みついたかのようで、彩花には別人の、覚醒した蓮のように感じられた。
蓮は一瞬の間に二人の男を手際よく投げ飛ばし、石畳に鋭い音と共に叩きつけた。
「蓮さん!」
彩花の声が震え、絶望的な夕闇の中に響き渡る。 その時——ふいに、彩花の脳裏に亡き父の優しい顔が浮かんだ。
『彩花、お前には秘められた力がある。いつか、その力が目覚める時が来るだろう』
愛する蓮を失うことへの根源的な恐怖と、守りたいという純粋な意志が、その言葉を胸の奥で確かな灯火となって燃え上がらせた。
——守りたい。私が、蓮さんを!
彩花の瞳が、突如として燃えるような深紅に輝いた。 体中を制御不能な熱が走り、心臓が破裂しそうなほど強く、激しく跳ねる。海風すら彼女の周囲を中心に不可視の渦を巻き、髪を天へと持ち上げる。
次の瞬間、彩花は地面から信じられないほど軽やかに浮かび上がった。 その体は風を纏うかのように、舞うように回転しながら、蓮に背後から襲いかかっていた男の一人に、鋭い回し蹴りを入れた。
華麗で、速く、美しく、そして恐ろしい動きだった。
蓮はその光景に驚愕と共に息を呑んだが、すぐさま彩花へ駆け寄り、戦闘本能で彼女を抱き寄せる。
「彩花、この力は…!? 大丈夫か?」
抱きしめる彼の腕に、彩花は決意の震えと共に強く頷く。
「大丈夫。父の言葉の意味が分かった。……私、蓮さんと一緒に戦える!」
蓮は直感的に理解した。この力こそ、父が守りたかった未来の希望なのだと。二人の運命は、守る者と守られる者の関係を超え、共に戦う者へと昇華した。彩花の覚醒した力は、蓮の安全が確認された瞬間、急速に弱まっていった。
その時だった。 古びた灯台の、錆びた入口から、眩い一筋の光が溢れ出した。 退路がないほど追い詰められていた黒ずくめの男たちが、その予期せぬ光に照らされ、一瞬動きを止める。
蓮はそのわずかな隙を逃さなかった。 覚醒した身体能力で残りの男たちを蹴り倒し、彩花の手を強く握って灯台の闇の中へと走った。
灯台内部は深い薄闇に沈み、埃と海の匂いが交じり合った重い空気が流れていた。 古びた鉄の螺旋階段が、彼らを未知の場所へと誘うように、軋みながら上空へと延びている。
二人は息を切らし、限界を超えて階段を駆け上がった。 足音と階段のきしむ音、そして背後から迫る追手の微かな気配が混ざり合い、胸の中の鼓動をさらに荒々しく鳴らし続けた。
階段を駆け上がった先に広がった予想外の空間を見た瞬間、蓮は衝撃に息を呑んだ。
そこは、灯台の展望室ではなく、かつて彼が幼い頃に何度も足を運んだ――完全に封印されていたはずの、古い書斎だった。
重厚なマホガニーの机。使い込まれた革張りの椅子。壁を埋め尽くす難解な書物。そして、部屋の中央にぽつりと置かれたロッキングチェア。それは、蓮の父が、夜遅くまで研究資料と向き合っていた、蓮の記憶の原点だった。
「ここ……父さんの書斎だ……」
懐かしさと、封印されていた過去が暴かれた恐怖、そして言葉にならない胸の痛みが入り混じり、蓮の声は震えた。
その間にも、追手が階段を上がってくる気配はなかった。 まるで、この部屋だけが時間の流れから切り離された、安全な隠し場所であるかのように。
二人は極度の緊張が解け、床に崩れ込むように座り込んだ。
「助かった……本当に……」
彩花は蓮の胸に顔を埋め、堰を切ったように安堵の涙をこぼした。 蓮はそっと彼女を抱き寄せ、背中を優しく撫でる。
「大丈夫だ。もう――ここは、僕たちの秘密の砦だ」
しかし、安堵の影から、ひとつの核心的な疑問が静かに顔を出す。
「蓮さん……さっきの人たち、何者だったの?」
彩花の問いに、蓮はゆっくりと目を閉じ、蘇り始めた過去の闇を振り払うように額に手を当てた。
「……分からない。でも、あの鬼塚という男の冷たい目つき……あれは、クロノスに生み出された僕自身の、もう一つの目だ。どこかで、確かに見た気がするんだ」
断片的な記憶が頭の奥でざわつき、蓮は激しい頭痛と共に苦しげに息を吸った。
白い実験室。無機質な白衣の男たち。光の中で何かが焼き切れるような、記憶を奪われる激痛。
蓮は、壁を埋め尽くす難解な書棚の一部に触れ、金属のような冷たさを感じた。
「……そうだ。ここは……父さんの書斎じゃない……」
蓮の声が真実の重みに震え、全身が微かに痙攣した。
「この部屋の壁は、特殊な防音パネルだ。そして、机の下には……微かに被験者用の拘束具の痕跡が残っている」
彩花は息を呑んだ。
「ここはクロノス・コーポレーションの実験施設だ。僕たちは――この部屋で、非道な記憶操作実験の被験者にされていたんだ……」
蓮はさらに続けた。
「父さんは……僕の記憶に、実験施設の上に書斎の風景を上書きしてくれたんだ。僕を救うために、ここは安全な場所だと信じ込ませて……」
奥野博士の究極の愛と、その裏に隠された残酷な真実に、彩花は言葉を失った。
その時、静寂を破るように、階段の下から複数の足音がかすかに響き始めた。
「まずい。鬼塚たちが、この部屋を見つけ始めた!」
蓮は彩花を強く抱き寄せ、顔を見合わせた。 父の愛と勇気が遺した最後の秘密を胸に、二人は再び、逃走と真実解明の狭間に立たされた。
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