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22話【裏切り者の覚悟:偽りの友情が真実の愛を救う時】

 彩花は蓮に示された詩へ目を落とした。  言葉は美しく、どこか祈りのようだったが、同時に不可解な影を潜ませていた。


「――深紅の海に沈む太陽よ、我が魂を照らしたまえ」


 彩花はその一節をゆっくりと口にした。


「これは場所を示している」  蓮は即座に断言した。 「深紅の海に沈む太陽……つまり、西向きの海岸だ。そして“我が魂を照らす”とは……灯台のことだろう」


 蓮の推理は、まるで暗闇に差す光のように鮮やかで、ひとつ、またひとつとピースが嵌っていく。


「灯台……? 西向きの海岸に建つ灯台なんて、この町に……?」


「あるはずだ。そしてそこに、お父様が残した“次の手がかり”がある。父上は、この灯台の場所を示すために、これらの暗号を残した」


 蓮は窓の外へ視線を向けた。  夕暮れの海は赤く染まり、まるで詩の一節そのもののようだった。  彩花も同じ方向を見つめた。二人の視線の先には、真実へと続く細い道が、薄い霧の中で静かに延びているように思えた。


「町の歴史を調べれば、隠された灯台の存在がわかるかもしれないわね」  彩花が言うと、蓮も深く頷いた。


「そうだ。ただし時間がない。《ネメシス》の発売までにもう猶予はない。できるだけ早く、あの灯台へ辿り着かなければ」


 彩花の声は震えていたが、その奥に真実を掴むという確かな決意が宿っていた。  父の愛と蓮の知性が今、ひとつの目標に向かって走り始めた。



 その夜、彩花は自宅の書斎へ戻り、父の分厚い日記を広げた。  ページをめくるたびに、紙の匂いと共に父の切実な気配がこぼれ落ちてくるようだった。


 旅の記録、研究のメモ、生涯の思索――しかし、灯台に関する記述は一つもない。


 蓮は日記を読みながら眉を寄せ、ふいに鋭く息を呑んだ。


「……この町には、灯台がいくつもあるが……」


 言葉がそこで途切れた。


「どうしたの、蓮さん?」  彩花が不安をにじませて覗き込む。


 蓮は、最終ページの見落としそうな余白を指差した。


「ここに……“かつて存在したが、今は地図から消されている灯台”のことが書いてある。だが、場所の記述が意図的に曖昧だ」


 彩花は指先でその文字をそっとなぞった。


「“失われた灯台”……」  声はかすかに震えていた。


「もしそれが手がかりだとすれば――父上が最後の真実を隠した場所だ」  蓮は静かに目を細めた。


「どうやって、存在しない場所を探せばいいのかしら……?」  不安を押し隠せない彩花に、蓮は、彼女の恐れを打ち消すように柔らかい笑みを浮かべた。


「方法は二つある。一つは古地図だ。町の図書館に、消された時代の地図が保管されているはずだ。もう一つは、町の歴史に深く詳しい人物に話を聞くこと。必ず手がかりを掴める」


 蓮は彩花の瞳をまっすぐに見つめた。その眼差しは優しく、そして揺るぎない、知性による自信に満ちていた。


 彩花は強く頷いた。蓮と共に進む未来へ、迷いなく足を踏み出すという決意が宿っていた。



 しかし――その一方で。


 クロノス・コーポレーションの地下にある、完全な静寂に包まれた会議室。  薄暗い照明の下、幹部たちは無表情で、バルコニーの二人の姿を映すモニターを見つめていた。


 黒崎剛一郎は椅子にもたれ、獲物を見定めたかのような、冷ややかな笑みを浮かべた。


「ようやく、遺された地図の解読を始めたか……。ならば、こちらも“次の手”を打つとしよう」


 指先で机を軽く、だが明確に叩き、冷酷に命令を下す。


「二人の動きを完全に封じろ。邪魔者は――速やかに、永久に排除しろ」


 その言葉と同時に、部下たちは音もなく、感情のない殺意と共に動き始めた。


 クロノスの闇は、底が見えないほど深い。  そしてその闇は、確実に、静かに、二人の覚悟を試すための刃となって、背後へ迫っていた。



 数ヶ月前、入社式の朝。  硬いスーツの襟が首に触れただけで、彩花の心臓は少し跳ねた。会場には新社会人特有の緊張が満ち、薄いガラスの膜のようにざわめきが張り詰めている。  その中央で、彩花はひとり立ち尽くしていた。


 そこへ――ふっと影が差す。  振り向くと、柔らかい金色の光をまとったような女性が、まぶしいほどの笑顔で立っていた。


「一人でいるの?よかったら一緒に話さない?」


 その声は、冷え固まっていた彩花の緊張を優しく溶かす、春の風のようだった。


「ありがとう。私、彩花っていうの」


「私は理沙。よろしくね、彩花」


 その瞬間――距離は一気に縮まった。お互いの趣味、学生時代の話、他愛ない笑い。たった数十分で、理沙は彩花にとって“初めての会社の友達”となり、やがてその存在は、心の支えとなった。


 だが、彩花は知らない。  この出会いそのものが、クロノス・コーポレーションが仕掛けた、緻密に計画された「任務」だったということを。


 理沙はクロノスが送り込んだ優秀なスパイ。  目的はただ一つ――彩花を監視し、蓮というAI技術の根幹に関わる情報を収集すること。蓮の技術が誤った手に渡れば、世界規模の危機が訪れると言われていた。理沙は幼い頃からクロノスの英才教育を受け、忠誠、任務、勝利――それ以外の価値は教えられなかった。


 ……それでも。


 彩花と過ごす時間は、冷酷な任務としてではなく、「本当の友達」として、理沙の鋼鉄の心を揺らし始めた。  仕事で落ち込んだ日にくれた励まし。一緒に行ったショッピングモールでの他愛ない会話。夜遅くまで語り合ったカフェの温かな照明。  彩花の笑顔は、嘘や計算とは無縁の、真っすぐで純粋な光を放っていた。


 ――そんな彼女を、いずれ裏切らなければならない。  その事実が、理沙の胸を日ごとに、鋭利な刃物のように蝕んでいった。



 ある日、理沙はついに知る。  彩花が、クロノスが追う最重要人物・桐谷蓮と親密な関係にあることを。  この瞬間、偽りの友情のタイムリミットが発動した。


 理沙は上司・鬼塚に報告し、彩花の監視強化を命じられる。


 その夜。ベッドに横たわっても、理沙は眠れなかった。  彩花の笑顔が浮かぶたび、胸がひどく痛んだ。  しかし、クロノスに逆らえば、自分の人生すべてが消える。教育、忠誠、使命――それらは理沙の骨の奥にまで刻み込まれていた、変えられない教義だった。


 友情という初めて知った温かさと、命を懸けた任務。  どちらも裏切れば、もう戻れない。


 理沙は、薄い唇を噛み、黒崎から発された「排除しろ」という冷酷な命令を思い出した。その排除対象には、彩花だけでなく、任務に失敗した自分自身も含まれていることを悟る。


 彼女は、スマートフォンの画面を凝視したまま、自らの魂を切り裂くような決断を迫られていた。


「……私は、もう、引き返せない」


 理沙はそう呟き、クロノスへの忠誠を破り、彩花を守るための裏切り者となる覚悟を決めた。  彼女は、任務の妨害ではなく、彩花を救うための「最後の優しさ」を仕掛けるため、静かに、そして涙と共に、キーボードを叩き始めた。



 翌朝、図書館で古地図を調べた蓮と彩花は、ついに失われた灯台の正式名称を発見する。


「この灯台の名前は……『深紅のあかいつながり灯台』」


 彩花は、その名前に運命的な響きを感じ、息を呑んだ。


 蓮は地図上の座標を確認し、灯台の場所が、彼が記憶を失う直前、奥野博士と最後に交わした会話の場所のすぐ近くであることを悟る。


「彩花さん。お父様は僕たち二人を、この場所で待っていたのかもしれない」


 蓮がそう告げた瞬間、彩花の電話が鳴る。見慣れない番号だ。  蓮は警告するが、彩花は意を決して電話に出る。


「……もしもし?」


 聞こえてきたのは、微かにノイズが混じった、理沙の声だった。  それは、クロノスの監視を避け、彩花に危険を知らせようとする、偽りの友情が生み出した、命を懸けた警告だった。

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