⑲灯台に眠る過去、蘇る記憶
夕日に染まった光が、男たちの足元から長く伸びた影を石畳に刻み込む。
足音が不気味に響き、影がまるで生きているかのようにゆっくりと動く。
その暗い影は、まるで二人に迫る危機そのものを象徴しているようだった。
潮風が乱暴に彩花の髪をかき乱し、彼女の顔に冷たく触れる。
海から押し寄せる波音が、まるで二人の心臓の鼓動と共鳴しているかのように、次第に大きく轟き始めた。
胸の高鳴りは抑えきれず、恐怖が冷や汗となって背筋を伝う。
男たちはフードで顔を隠し、その表情は一切見えない。
しかし、彼らの鋭い視線は、鋭利な刃物のように敵意を剥き出しにしていた。
彩花はその視線に耐えながらも、蓮の手を握りしめ、全身がこわばるのを感じた。
心臓が破裂しそうなほど激しく鼓動し、体が恐怖に支配される。
「お前たち、何者だ?」
蓮は毅然とした態度で問いかけるが、声には微かな震えが混じっていた。
それでも、彼の瞳には守るべき存在がいるという強い決意が宿っていた。
その思いが、彼の心に勇気を与え、敵を前にしても後退を許さなかった。
「我々のことは、お前には関係ない。我々は、桐谷蓮を連れて帰るように命じられている」
低い声で答えた男――鬼塚の言葉は冷たく、無機質な響きを持っていた。
まるで感情のない機械のように、その声には冷酷さが滲んでいる。
だが、その声が蓮の記憶の奥底を刺激し、不気味な既視感を呼び起こす。
遠い昔の記憶が、まるで暗い海の底から浮かび上がってくるような感覚だった。
「連れて帰る? 一体、誰の命令なの?」
彩花は恐怖を押し殺しながらも一歩前に出た。
彼女の眼差しには決意が宿り、まるで小さな獣が鋭い牙を剥くように、目の前の男たちを睨みつけた。
彩花の背後に立つ蓮を守るため、彼女は自分の恐怖心に打ち勝とうとしていた。
「それは、お前には関係ない」
鬼塚の冷たい声が響くと、彼は他の男たちに目配せをした。
次の瞬間、男たちは一斉に蓮に襲いかかった。
しかし蓮は、まるで踊るかのように軽やかな動きで攻撃をかわし、男たちを翻弄していく。
彼の動きは流れるようで、相手のパンチを避け、鋭い蹴りで相手の体勢を崩していく。
男たちは徐々に焦りを見せ始め、蓮の華麗な身のこなしに戸惑っていた。
その隙を突き、蓮は二人の男を鮮やかな投げ技で地面に叩きつける。
彩花は、その瞬間に彼の名を叫んだ。
「蓮さん!」
彩花の声は、助けを求めるように切迫していた。
涙が目に浮かび、声はかすれていた。
蓮が倒れる姿など想像もできず、その思いが彼女を突き動かしていた。
その時、彩花の脳裏に父の顔が浮かび上がった。
父がかつて言っていた言葉が、彼女の中で鮮明に蘇る。
「彩花、お前には秘められた力がある。いつか、その力が目覚める時が来るだろう」
その言葉は、まるで灯火のように彩花の心に力を与えた。
彼女は、自分の中に眠る力を信じ、恐怖を乗り越えようとしていた。
蓮を守るため、そして父の残した言葉の意味を確かめるために、彼女はその場に立ち続けた。
彩花の瞳が、紅蓮の炎のように燃え上がった。
彼女の心臓は激しく鼓動し、体内に眠っていた力が覚醒する。
その瞬間、風が巻き起こり、彩花の髪が天に向かって舞い上がる。
彼女の瞳の色が、深い藍色から黄金色へと変化し、神々しい光を放った。
彩花は重力から解放されたかのように軽やかに宙を舞い、襲い来る男たちを華麗な蹴りで翻弄する。
その姿はまるで、舞踏と武術が融合したかのような、美しくも恐ろしいものだった。
蓮は、彩花の突然の変化に驚きを隠せない。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
「彩花、大丈夫か?」
蓮は、彩花を抱き寄せ、心配そうに彼女の顔を見つめた。
彩花は、力強く頷いた。
「大丈夫。私、戦える」
その時、灯台の中から、一筋の光が放たれた。
光は、黒ずくめの男たちを照らし出し、彼らの動きを一瞬止めた。
それは、まるで天からの助け舟のようだった。
その隙に、蓮は残りの男たちを蹴散らし、彩花の手を強く引いて灯台の中へと逃げ込んだ。
灯台の中は、薄暗く、埃っぽい空気が鼻腔を刺した。
古びた鉄製のらせん階段が、ぐるぐると上方へと続いている。
階段が軋む音は、まるで彼らの胸の中で高鳴る鼓動と共鳴しているかのようだった。
二人は、息を切らしながら、ひたすら階段を駆け上がった。
背後から迫る追手の気配に、心臓が激しく鼓動し、冷や汗が背中を流れ落ちる。
階段を登り切った先に広がっていたのは、見覚えのある古い書斎だった。
重厚な机、革張りの椅子、壁一面に並んだ本棚。
そしてその中央には、蓮の父親がいつも座っていたロッキングチェアが、時間が止まったかのように佇んでいた。
「ここは…」
蓮は、驚きと懐かしさが入り混じった感情で、言葉を詰まらせた。
不思議なことに、追手は階段を登ってこなかった。
最上階の狭い部屋に辿り着くと、二人は緊張の糸が切れたように崩れ落ち、床に座り込んだ。
「助かった…」
彩花は、堰を切ったように涙を溢れさせ、安堵の感情に身を震わせた。
蓮は、彼女を優しく抱き寄せ、その背中をそっと撫でた。
「大丈夫だ。もう安全だ」
蓮の優しい声が、彩花の心に静かに染み渡り、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
しかし、その安堵感の中に、疑問が浮かび上がってきた。
「しかし、彼らは一体何者だったの?」
蓮は、眉間に皺を寄せ、考え込むように首を傾げた。
「奴らの目…どこかで見覚えがあるような…」
蓮が呟いたその言葉は、断片的に蘇る記憶の片鱗を捉えようとするかのようだった。
しかし、記憶はぼんやりとしており、掴みどころがない。
ただ、彼らが自分の失われた過去と深く関わっているという漠然とした予感だけが、蓮の胸を重く締め付けた。
白い実験室、白衣の男たち、そして、記憶が断片的に消えていく激痛の感覚が、蓮の意識を揺さぶった。
「そうだ…思い出した…ここは…」
蓮は、顔を歪めながら、記憶の底から引きずり出すように声を絞り出した。
「ここは、クロノス・コーポレーションの人体実験施設だ。
僕たちはここで、非道な実験の被験者にされていたんだ…」
彩花は、蓮の言葉に息を呑んだ。
一体、蓮はどんな過去を背負っているのか。
そして、クロノス・コーポレーションは、一体何を企んでいるのか。
彼女の脳裏に浮かんだのは、闇に包まれた組織の冷酷な計画の一端にすぎなかった。
その時、灯台の下から、思わぬ声が聞こえてきた。
「よく来たね、二人とも。まさか、こんな形で再会するとは思わなかったよ」
驚きに満ちた二人が顔を上げると、そこには意外な人物が立っていた。
それは、かつてバーで桐谷蓮の「偽物」として働いていた男だった。
彼の顔からは以前の影が消え、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「あなた…なぜここに?」
蓮は警戒しながらも、男の言葉にどこか懐かしさを感じていた。
男は、優しく微笑みながら語り始めた。
「君を助けるために来たんだ、蓮。それに、君にはまだ話していないことがたくさんある」
桐島悠斗――かつてはクロノス・コーポレーションのエリート社員だった男。
彼は優秀な頭脳と冷静な判断力を持ち、組織内でも一目置かれる存在だった。
しかし、ある任務で蓮の監視を命じられた時、彼の純粋な心に触れ、組織の闇に疑問を抱き始めた。
蓮の過去を調べるほどに、クロノスの非道な行いに心が痛んだ。
そして、江ノ島で蓮と彩花の写真を撮った際に黒い影として写り込んだのは、他でもない桐島自身だった。
「俺は、本物の桐谷蓮を助けるためにここに来た。そして、あなたたちにも協力したいと思っている」
桐島は真剣な眼差しで二人を見つめ、その目には深い決意が宿っていた。
「クロノスは、新薬の開発を隠れ蓑に、この記憶操作技術を完成させ、世界を支配しようと企んでいる」
桐島の言葉に、彩花は驚きと同時に、希望の光を見出した。
もしかしたら、彼こそが謎の電話の主なのかもしれない。
そして、彼が二人の運命を大きく変える鍵を握っているのかもしれない。
桐島悠斗と名乗った男は、クロノスを裏切った安堵感と、これから始まるであろう戦への決意を胸に、二人に手を差し伸べた。
すると、灯台の最上階に鬼塚が現れた。
「悠斗、お前まで裏切るのか?」
鬼塚は怒りを露わにするどころか、悲痛な表情で桐島を見つめた。
「鬼塚さん、すまない。だが、もう戻れない。あなたも、これ以上クロノスの悪事に手を染めないでくれ」
桐島は静かに諭すように言った。
鬼塚はしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐き、部下たちに撤退を命じた。
「もういい。ここは引こう」
鬼塚は、桐島に背を向け、灯台を後にした。
その姿を見送りながら、彩花と蓮の胸には、これから直面する運命への決意が静かに燃え上がっていった。
灯台の外では、波が荒々しく岸壁に打ちつけ、未来を暗示するかのように、風が唸りを上げていた。
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