⑰灯台に導かれし二人の運命~愛と陰謀の交錯
彩花は、古びた便箋をテーブルの上にそっと広げた。
その仕草は、まるで神聖な儀式を執り行う巫女のように、どこか厳かで、それでいて儚げだった。
朝の光が彼女の横顔を照らし、その表情には、亡き父への深い愛情と、真実への渇望が滲んでいた。
便箋は、長い年月を耐え忍んできた証のように、縁が茶色く変色し、紙質も脆くなっていた。
見慣れた父の文字が並ぶも、それはまるで別人の筆跡のように歪で、解読不能な暗号のようだった。
蓮は、その便箋を彩花から受け取ると、まるで壊れやすい宝物に触れるかのように、慎重に指先でそれを広げた。
彼の眉間には深い皺が刻まれ、瞳には緊張の色が浮かんでいた。
それは、尊敬する恩師からの最後のメッセージに触れることへの畏敬の念と、失われた記憶のかけらに触れることへの期待が入り混じった、複雑な感情の表れだった。
数分後、沈黙を破ったのは蓮だった。
「これは…もしかして、映画の台詞の一部では?」
彼の声は、かすかながらも、確信に満ちていた。
それは、深い霧の中に閉ざされていた記憶の底から、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。
「映画の台詞…?」
彩花は、蓮の言葉に驚きを隠せない様子で聞き返した。
「はい。父と蓮さんが出演していた『夏の終わりに…』という映画の…」
蓮の声は、遠い記憶を呼び起こすかのように、かすれてはいたが、その瞳には、確かな光が宿っていた。
彩花は、風見から父が桐谷蓮と『夏の終わりに…』で共演していたと聞いていた。
蓮がその映画の撮影後に失踪したことも。
しかし、彩花自身、何度も繰り返し見ていた映画なのに、父の記憶はなかった。
父の仕事は研究員だとばかり思っていた彩花は、混乱した表情を浮かべ、首を傾げた。
「でも、父は俳優ではなかったはず…」
彼女の心の奥底には、父への想いと、解けない謎への焦りが渦巻いていた。
彩花は、いてもたってもいられず、実家へと急いだ。
父の書斎へと飛び込むと、彼女はまるで宝探しをする子供のように、父の遺品が入った古い木箱を一つ一つ丁寧に開けていった。
アルバム、手紙、研究資料…そして、その中で、彼女は一冊の古い台本を見つけた。
埃をかぶったその表紙には、『夏の終わりに…』というタイトルが、まるで過去の記憶を呼び起こすかのように、静かに刻まれていた。
彩花は、息を呑んだ。ページをめくると、出演者の欄に父の名前はなかった。
しかし、プロデューサーの欄に、確かに父の名前があった。
彩花は、驚きと混乱の中で、蓮にその事実を伝えた。
二人は、急いでホテルのライブラリーへと向かった。
静まり返った空間には、パソコンのキーボードを叩く音だけが響く。
彩花は、蓮の横顔を見つめた。
彼の表情は、真剣そのものだった。蓮は、慣れた手つきで検索エンジンに「夏の終わりに…」と打ち込んだ。
パソコンの画面には、古い映画のポスターや関連情報が次々と表示されていく。
「これだ!」
蓮は、ポスターをクリックし、映画のあらすじと出演者情報を確認した。
彩花は、画面を覗き込みながら、心の中で呟いた。
「お父様は、一体なぜ、この映画に携わっていたのかしら…」
彼女の胸には、父への想いと、解き明かされるべき真実への期待が、静かに、しかし確かに燃え上がっていた。
蓮は、映画の中の台詞に注目しながら、検索を続けた。
そして、ついに彼は、「これかもしれない…」と呟き、映画の台詞の一部を彩花に示した。
その瞬間、彩花の目が輝いた。
「これだわ! お父様が遺した手紙の暗号と一致している!」
二人は、まるでパズルのピースを組み合わせるように、手紙と映画の台詞を照らし合わせ、解読を進めた。
「お父様…?」
彩花の呟きは、驚きと戸惑いに満ちていた。
蓮は静かに頷き、説明を始めた。
「特殊メイクで、歳を重ねた設定だったんだ。
君のお父様は、この映画で重要な役を担っていた。
そして、このシーンの台詞は、君へのメッセージでもある」
蓮は、再び映像を再生した。
老教授の口から紡がれる言葉は、まるで時を超えて彩花へと語りかけているようだった。
「もし、君が全てを忘れてしまっても、必ず君を迎えに行く。
江の島の洞窟で、あの日のように。君の友より」
彩花の目には、熱いものが込み上げてきた。
それは、父への深い愛情と、そして、父が自分に託した想いの重さを改めて実感したからだった。
それは、手紙に書かれていた暗号文と全く同じ言葉だった。
「この言葉が、鍵になるはずです」
蓮は、確信に満ちた声で言った。蓮は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、詩集の頁を彩花へと差し出した。その瞳は、獲物を追う鷹のように鋭く光っていた。
「これは単なる詩ではない。暗号だ」
蓮の声は静かだったが、その言葉には確信が満ちていた。
彩花は、蓮の指差す頁に視線を落とした。
そこに記された言葉は、確かに詩的な美しさを湛えていたが、同時に不可解な謎めいた響きも持っていた。
「深紅の海に沈む太陽よ、我が魂を照らしたまえ」
彩花は、その言葉を繰り返し呟いた。
すると、蓮が口を開いた。
「これは場所を示している。深紅の海に沈む太陽が見える場所…つまり、西向きの海岸だ。
そして、『我が魂を照らす』とは…灯台のことではないか?」
蓮の推理は、まるでパズルのピースがはまるように、鮮やかに繋がっていく。
彩花は、蓮の言葉に息を呑んだ。
「灯台…? この町のどこかに、西向きの海岸に建つ灯台があるということ?」
「ああ。そして、その灯台には、きっと何か手がかりが残されているはずだ」
蓮は、窓の外に広がる夕暮れの港町を見つめながら、そう言った。
二人の目は、同じ場所を見つめていた。
それは、真実へと続く道しるべを、共に探し求める者の、固い決意に満ちた視線だった。
「灯台…西向きの海岸…それが次の手がかりだとすれば、町の歴史を調べれば、何かわかるかもしれませんね」
彩花は、そう言いながら、蓮と並んで歩き続けた。
蓮は、頷きながらも、考え込むように眉間に皺を寄せていた。
「そうだな。だが、時間が限られている。できるだけ早く調べ上げなければならない」
「ええ、きっと父が残した手がかりは、灯台の場所を指し示しているはずです」
彩花の声には、決意が込められていた。
彩花は、自宅の書斎で見つけた父の日記を手に取り、ページをめくり始めた。
日記には、父がかつて訪れた場所や、研究の記録が詳細に記されていた。
しかし、その中には、灯台に関する記述は一切なかった。
蓮は、日記の内容に目を通しながらも、何かが引っかかるように首を傾げていた。
「この町には、灯台がいくつかあるが…」
蓮の言葉が途切れた。
彩花は、蓮の様子に気づき、問いかけた。
「何か気になることが?」
蓮は、日記の最後のページを指差しながら答えた。
「ここだ。この町には、かつて存在したが、今はもう使われていない灯台があると記されている。
しかし、その場所は詳しく書かれていない」
彩花は、そのページを覗き込み、父の筆跡を辿るように指でなぞった。
「『失われた灯台』…」
彼女は呟いた。
「失われた灯台…それが、手がかりだとすれば?」
蓮は、考え込むように目を細めた。
「どうやってその場所を見つけ出せば…?」
彩花は、不安げに問いかけた。
蓮は、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「この町の古地図を調べれば、かつての灯台の場所がわかるかもしれない。
それに、町の歴史に詳しい人物に聞けば、手がかりが得られるだろう。
蓮は、彩花の瞳を優しく見つめ、そう言った。
彩花は、力強く頷いた。
彼女の瞳には、蓮への深い愛情と、共に困難を乗り越える覚悟が宿っていた。
しかし、その裏では、クロノス・コーポレーションの幹部たちが、二人の動きを監視し、新たな策略を練っていた。
黒崎剛一郎は、不敵な笑みを浮かべながら、部下に指示を出した。
「奴らの動きを封じろ。邪魔者は、排除する」
クロノスの闇は、深く、そして広かった。
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