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16話【汚された純潔 ―― 500万円で売られた兄の未来】

 澪の声は、理不尽な社会の闇への呪詛じゅそのように響いた。


「その後、蓮は、その男の背後にいるネットワークから直接脅迫されました。『これ以上騒ぐなら、妹の醜聞を世に流し、一家を社会的に抹殺する』と。蓮は……私にだけは、これ以上の泥を被せたくなかった。彼は、自分の未来を、名前を、記憶さえも差し出す交換条件として、私の前から姿を消すことを決めたんです」


 澪は、吐き捨てるように言った。


「私の口座には、蓮の人生を買い叩いた代金として、たったの500万円が振り込まれていました。お兄ちゃんの夢も、才能も未来も……全部、たった500万円で売り渡されたんです……! そんな、あんな汚い金のために、お兄ちゃんは……!」


 500万円。一人の青年の人生を奪い、一生の鎖とするには、あまりにも無慈悲で、あまりにも安すぎる金額だった。  彩花は、その言葉の重みに打ちのめされた。涼太――桐谷蓮は、愛する妹を守るため、自らのアイデンティティを権力の闇に叩き売り、自分という存在をこの世から抹消したのだ。あまりに深い愛情、そしてあまりに悲痛な自己犠牲。


「蓮は、私に幸せになってほしかったんだと思います。そのために、過去を捨てて新しい人生を歩むと決めた……。でも、精神的なショックが大きすぎて、本当に自分を忘れてしまったのかもしれない。あんな地獄、忘れてしまわなきゃ生きていけなかったはずだから……」


 彩花は、澪の肩を強く、折れそうなほど抱きしめた。  蓮が背負った無力感、絶望。そして、自分に注いでくれたあの「涼太」としての優しい嘘。そのすべてが、一つの線で繋がった。


「澪さん、辛い過去を話してくださって……本当にありがとう。蓮さんは、優しすぎるがゆえに、自分を壊してまであなたを守ったんですね」


 彩花は涙を拭い、確かな決意を瞳に宿して澪を見つめた。


「彼を見つけ出します。そして、彼が守ろうとしたあなたの幸せも、彼自身が失ってしまった人生も、全部、元の場所へ取り戻す。それが、今の私の使命です」


 澪は、彩花の手を握りしめた。


「お願い……彩花さん。お兄ちゃんを……彼を脅した闇から、救い出してあげて」


 二人の女性の間に、蓮への深い愛と、闇に対する強い決意が生まれた。  それを見守っていた風見は、調査の方向性が定まったことを確信し、静かに立ち上がった。


「では、私は一度事務所に戻り、今回の証言をもとに新たな調査ラインを組み直します。奥野様、後ほど事務所でお待ちしております」


 風見は短く告げると、二人の聖域を邪魔しないよう、音を立てずに部屋を後にした。


 ***


 数時間後。夕闇が街を包み込む頃、彩花は探偵事務所の重厚なオーク材の扉をゆっくりと押し開けた。  室内には、安らぎを与えるはずの珈琲の香りと、それとは対照的な古びた紙の匂いが漂っている。


 窓際の席には、黒髪に白髪が混じり始めた探偵、風見龍之介が静かに腰掛けていた。  机の上には、澪の告白を記録したレコーダーと、いくつもの古い資料が並んでいる。その傍らで、ひときわ目を引くのは、古びた写真立てだった。


 そこには、若き日の風見と、白衣を着た一人の男性が肩を組み、屈託のない笑みを交わしている姿があった。


 彩花の足音に気づいた風見は、一瞬だけ、その瞳に深い寂寥せきりょうの光を宿した。そして、彩花の視線が写真に触れる前に、悟られないような自然な動作で、その写真を伏せた。  あの男性は、かつての親友であり、共に巨大な闇の真相を追った研究者だった。しかし、彼はもうこの世にはいない。


(……この事件の根は、想像以上に深い。私の過去とも、無関係ではいられないようだ)


 風見は心の奥底でそう独白し、すぐにプロの表情へと戻った。片眼鏡を指で直し、彩花を促して正面の席に座らせた。


「奥野様、お越しいただきありがとうございます。澪様の証言により、欠けていた最後のパズルが埋まりました。……涼太様のすべての行動は、あなたと妹様を守るための、悲劇的な選択だったのです」


 彩花は、風見の言葉に、涼太への深い許しと、彼を救い出すための強い覚悟を固めた。


「はい……。もう、迷いません。次の標的は、涼太さんの記憶を管理している『藤崎エリカ』。そして、澪さんを蹂躙し、彼を追いやった『大物政治家の息子』ですね」


 彩花の言葉は、すでに「守られる者」のそれではない。愛する者を奪還するための「追跡者」の響きを帯びていた。


「風見先生。行きましょう。その闇の先に、彼がいるはずです」


 風見は静かに、だが力強く頷いた。  権力と秘密の闇が待ち受ける未来。しかし二人は、蓮の真実を胸に、共闘の誓いを新たにするのだった。

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