14話【嘘つきな兄の休息地 ―― 妹が突きつける残酷な問い】
風見の説明が続く。
「これは桐谷蓮氏が駆け出しの俳優だった頃、ある映画の撮影現場で撮られたものです。お父様は当時、ある極秘研究のサンプル調査のために、あえて身分を隠して脇役として現場に入り込んでいたようです。この映画も、その一つでした」
「父が……?」
彩花は驚きを隠せず、写真を見つめる手が震えた。 まさか、愛する涼太(桐谷蓮)と、亡き父に、彼女の知らない場所で接点があったとは、想像もしていなかった。
「そうです。そして、この映画の撮影が終わった直後、桐谷蓮氏は突如として姿を消しました。彼の失踪は謎のままで、当時の関係者たちもその理由を知りません」
「それじゃあ、涼太さんは……いや、桐谷蓮は、失われた記憶の断片を追って、私に近づいたの?」
彩花の心には混乱と、宿命的な皮線が入り混じった興味が湧いていた。
「はい、そう考えられます。彼は、あなたの父の死がもたらした『一億円』と、父が知っていた『失踪の真実』、その両方を狙っていた。彼は詐欺師であると同時に、自分自身のアイデンティティを追う、悲劇的な探求者だったのです」
風見の言葉に、彩花の心は大きく揺れた。 彼が愛を装って近づいた行動の裏には、彼自身の存在理由をかけた葛藤があった。
だが、それでも、彼は彼女の父の死という最も深い傷を利用し、嘘をつき続けていたという事実は、簡単には許せそうになかった。
「探偵さん、もう一つ質問があります」
彩花は少し間を置いて、彼の悲劇的なアイデンティティを理解しようと、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「桐谷蓮の家族や友人について、何か分かったことはありますか? 彼の過去の苦しみ、記憶を失う前の根源の痛みを知りたい」
彼の過去をもっと知りたい。そんな救済への最後の希望が強く心に広がっていた。
「はい、桐谷蓮氏には一人の妹がいることが判明しました。 現在、地方都市で静かな生活を送っており、失踪直前の兄の異変、そして彼が巻き込まれた事件について、何か情報を持っている可能性があります」
「彼の妹…」
彩花は低くつぶやいた。その人なら、「立花翔」という仮面の下にいた、傷ついた桐谷蓮の本当の気持ちを理解できるかもしれないと思った。
「探偵さん、桐谷蓮さんの妹に会いに行きます。 彼女と話をして、彼の失われた人生の断片を知りたいです」
彩花の表情には、感情的な混乱を乗り越えた、いつになく固い決意が見て取れた。
風見は少し微笑みながら頷き、冷静な声で答えた。
「承知いたしました。 妹様の住所をお知らせします。 しかし、奥野様。 桐谷蓮の失踪には必ず闇が関わっています。 あなたが単独で行動するのは危険です。 私が必ず同行いたします」
その提案に、彩花は感謝の意を示して静かに頷いた。 彼女はもはや、一人で進むことの危険性を理解していた。
「ありがとうございます。 心強いです」
風見は黙って手帳を取り出し、涼太の妹の住所を書き写したメモを彩花に手渡した。 彩花はそのメモを、真実へと続く、危険な道標であることを理解しながら、しっかりと握りしめた。
「奥野様、ご準備はよろしいでしょうか。 いつでも出発できます」
彩花は力強く頷き、二人は探偵事務所を後にして、桐谷蓮の過去を追うための旅路へと向かった。
ホームで電車を待ちながら、彩花は遠い昔に感じた「涼太と歩んだ偽りではない時間」という温かくて曖昧な記憶を思い出していた。
「もうすぐ電車が到着します」
風見の低い声に彩花は我に返り、電車がホームに滑り込むと二人は乗り込んだ。 都会の喧騒から離れ、涼太の「真のアイデンティティ」を探る旅が、今、始まったのだ。
風見は電車の連結部分に立ち、時折鋭い視線で後方の車両を確認していた。
「奥野様、ご安心を。乗り換えの際、念のため二つのルートを偽装しました。組織の目が届く前に、私たちはこの『空白地帯』へ入り込みます」
その徹底した警戒心に、私は改めて彼が歩んできた過酷な世界の片鱗を見た。
電車の窓から流れる景色が次第に緑豊かな風景へと変わっていく。 彩花の心は、彼に再び会いたいという抗いがたい愛と、彼の過去の傷を知る不安が入り混じり、まるで嵐の中の小舟のように揺れていた。
「妹さんは、どんな方ですか? 彼の孤独の根源を知っているのでしょうか」
ふと、彩花が尋ねた。
風見は少し眉を上げ、考え込むように短く間を取った。
「しっかり者で、優しい人です。 けれど、少し寂しげな面があって…。 兄の失踪の影を、ずっと背負っているように見受けられます」
彩花はうなずきかけたが、風見は言葉を続けた。
「ええ。ただ、彼女は兄の失踪後も、常に誰かの視線に晒されている。我々の調査によれば、桐谷グループの闇が、彼女を監視することで、蓮氏の逃亡を防いでいる節があります。彼女が静かな生活を送っているのは、兄の命を守るための『人質』のようなものです」
その言葉に彩花は、ただでさえ悲劇的だった涼太の人生が、妹をも巻き込んだ巨大な鎖に繋がれていたことを知り、胸が締め付けられた。
…数時間後、二人は目的の駅に到着した。
駅を出ると、風見は一瞬、周囲を鋭く、警戒心を持って見渡してから、自然な仕草で彩花を誘導した。 その眼差しは冷静で、一つ一つの動きに無駄がない。 元刑事・傭兵として培われた卓越した観察眼で、周囲に不審な人物や車両がないか、警戒線を張り巡らせていた。
彩花の不安を察し、彼女にそっと寄り添うように歩いていたが、その存在は安心感というより、「今、自分たちは極めて危険な調査の最中にいる」という緊張感をもたらした。
「妹さんの家は、ここから歩いてすぐです」
細い路地を抜けて住宅街に入り、風見が一軒の家の前で立ち止まった。
「ここです」
彩花は小さく息を吸い込み、目の前の白い壁と赤い屋根の可愛らしい家を見つめた。 庭には色とりどりの花が咲き、この家が持つべきではない、静かで温かい雰囲気を醸し出していた。
この家のどこかで、涼太が私に見せた愛のジェスチャーが、彼の本質として生まれたのかもしれない。
この平穏な場所に、桐谷蓮の失われた記憶と、彼を詐欺師に変えた悲劇の真実が眠っている。
彩花の心臓は、耳鳴りのように早鐘を打っていた。彼女は、ついに彼の人生の扉の前に立っていたのだ。
「奥野様、ご自分で呼び鈴を押されますか? それとも、私が…」
「私が押します」
彩花は決意を込めて答え、震える指先を伸ばしてゆっくりと呼び鈴を押した。 指先の震えが、愛の真実と彼の過去に繋がる瞬間が近づいていることを実感させた。 裏切られた恐怖と、彼と再び繋がりたいという矛盾した期待が、胸を締め付ける。
しばらくすると、ドアが開いた。 そこには、涼太の面影を宿した女性が立っていた。
涼太の妹、桐谷澪は、蜂蜜色の瞳を持つ、儚げな女性だった。 白いセーターにジーンズといったラフな服装で、長い黒髪を一つに束ねた姿には、どこか宿命的な悲哀が漂っている。
澪は二人の姿を見て、一瞬、驚いたように目を見開き、そしてすぐに、すべてを諦めたような憂いを帯びた表情に変わった。
「一体、何の用で…?」
その戸惑いの表情に気づきながらも、風見は穏やかに微笑んで、「失礼します」と丁寧に頭を下げ、プロの探偵としての強引さで訪問の意図を伝えた。
澪はためらいがちに二人をリビングへと招き入れた。 彩花を一瞥し、その深い傷を見て、すぐにすべてを悟ったようだった。
リビングに通されると、澪はお茶を淹れてくれたが、その動作はどこか機械的で、緊張を隠せないようだった。 そして、耐えきれないように、彩花を真っ直ぐに見つめて切り出した。
「あなたが、あの人の影を追ってきた方ですか?」
澪の瞳は、兄の失踪と罪のすべてを知っているかのように深く、彩花の心臓を射抜いた。
その言葉に彩花は強い緊張を覚えながらも、震えを抑え、はっきりと自分の名前とここに来た目的を伝えようとした。
「初めまして、桐谷澪さん。 私は、奥野彩花と申します。 蓮…、涼太さんの真実について…」
しかし、澪は彼女の言葉を遮り、彩花を射抜くような強い目で、さらに深く、二人の関係の核心を突きつける鋭い質問を投げかけた。
まるで、兄を追う女(彩花)への嫉妬と、兄の人生を乱したことへの非難が入り混じったように。
「…あなたは、偽物の兄(涼太)を愛したの? それとも、本当の兄(蓮)を愛しているの?」
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