第10話 女の子の過去
――グゥルルルオオ……。《もういい……十分だ》
最後の1匹を頬張ったところで、ソドムが満足するかのような唸り声を上げた。
私はそっと満腹状態のソドムの頬を撫でる。
ネズミ怪獣の血が手に付いてもお構いなしだ。
「お粗末様。それじゃあ、出番があるまでしばらく《亜空間》で待っていて」
《ああ……分かった》
「フフッ、お利口さん」
血が付いていない皮膚にキスを与える。
それから《亜空間》を閉じようとすると、背後から小さい声が1つ。
「魔女さん……あたしにも触らせて……」
「えっ?」
身なりのよくない黒髪の女の子からだ。
しかもソドムに触りたいって……この子の倫理観はぶっ壊れているの?
私が相手でなければドン引きどころの話じゃないわ、絶対。
「まぁ、別にいいけど……」
「ありがとう……」
恐る恐るソドムの頬へと手を伸ばし、それに触れる女の子。
すりすりと優しく撫でていく姿は、さながら犬に対する愛撫行為そのものだ。
「ふわぁ……凄い……怪獣さんのってこうなってるんだ……」
「触れる機会なさそうものね」
「うん……怪獣さんの死骸、おまわりさんがいつも囲んでいるから……。それに言葉も話せるみたいだし、すっごい頭が良いんだね……」
「まぁ、私の怪獣だから」
「へぇ……」
「…………」
「…………」
……この子、終わらす気がないみたいね。
仕方なく「はいそこまで」と《亜空間》を閉じると、女の子があからさまに残念そうにしていた。
「まだ撫でたかったのに……怪獣さんどこにやったの……?」
「どこにって《亜空間》にしまった感じっていうか……って、あなたはいつまでここにいる訳? そろそろお暇してもいいんじゃないかしら?」
「…………」
女の子は返事しなかったが、代わりにむくれ顔を向けてくる。
そんな顔をされてもねぇ。
ここは怪獣が出現する危険地帯なんだし、早い事逃げた方が身の為だと思うけど。
とりあえず手に付いた血を水属性魔法で洗い流したところ、微かにキュルルルと腹の音が聞こえてくる。
私ではなく、目の前の女の子のものだ。
「……言っておくけど、あなたの分の食事は持っていないわよ?」
「分かってる……」
それだけ言って、私の元から離れてしまう女の子。
少し気になって後を追ってみれば、どうも行き先は食品売場らしい。
営業中にネズミ怪獣が襲撃してきた事もあって、大量の食品などが未だに残っている。
女の子はそのパン売場に向かい、菓子パンの袋を開けていったのだ。
「どれ……うわっ、見なよギル。たかが食パンが500円近くよ。黙示録以前の倍以上の値段じゃない」
「《知識感応》によれば、輸出輸入共に物資が滞っているみたいですよね。海棲の怪獣に襲われるか何かで」
「酷いってもんじゃないわね。えげつない物価高騰よ」
とか言いつつ、私やギルも目ぼしいパンを食していった。
多少賞味期限が切れたのもあるが、今までの生活が生活なので特に気にならない。
「ふむ、このサンドイッチ美味しいですね。元の世界のとは比べ物にならないです」
「……怪獣さん、サンドイッチが好きなの?」
「好きな方ですね。あーと、実はボクは怪獣ではなく魔獣でして。インセクトドラゴンって種類なんですよ」
「ま……じゅう……?」
「怪獣とは似て非なる物です。ボク達はこの世界とは別の……」
「ギル」
「おっと。まぁ、さっきの話は気にしないで下さい。ただの戯言です」
召使いが余計な事を口にしていたので制する。
別に隠している訳ではないが、逆にこの子に教える義理もないのだ。
そもそも教えたところで、この子に何のメリットがあるのかという話だ。
「一体どうなっているんだ……!?」
「怪獣の姿が見当たりません! あるのは血の跡……誰がこんな事を……」
「とにかく何があったのか調べるんだ!! まだ怪獣がいたなら即座に撤退する!!」
そんな時、奥から激しい靴音と怒声が響き渡ってくる。
どうやら眠っている自衛官の仲間達が、異常に気付いたらしい。
それでネズミ怪獣が外に出ないから調べたところ、怪獣の影も形もなくて騒然……といった感じか。
「ギル、そろそろ出るわよ。早くサンドイッチを放り込みなさい」
「はいはい……ムグ……終わりました。そろそろ行きましょうか」
「よし、じゃあ……」
いざ外に出発しようとした時、服を小さい手に掴まれてしまった。
見下ろしてみると、女の子が縋るような目をこちらに向けている様子。
……いやいや、そんな顔をされてもですねぇ。
あなたと私は接点がないんだし、このまま自衛隊に保護されてもいいんじゃないの?
「……連れて行きましょう。ここで口論する時間はないんですし」
「……ハァ……」
ギルの言う通り、自衛隊の足音が徐々に大きくなってくるのが分かる。
私はため息を吐いて、召使いの提案を呑む事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ショッピングモールを脱出した後、私達が着いたのは路地裏だ。
それなりに走ってきたので、私やギルはともかく女の子が息を荒立てている。
私に付いて行くという判断をしたのだから、それくらいは仕方のない事であるが。
「……もう……自衛隊さんは来ない……?」
「早々に立ち去ったからね。もっとも自衛隊に捕まる私じゃないんだけど。……それよりも」
「えっ……?」
「あなた何者? 普通なら恐れられる怪獣にああ出来るなんて、一体何があったの?」
今の今まで気になっていたのがそれだ。
元の世界において、魔獣に憧れる子供なんてそうそういなかった。
周囲に多大な被害を与える魔獣にそんな目を向けるのはあり得ないだろうし、あり得たとしても私みたいな酔狂な奴くらいしかいない。
そして怪獣もその魔獣と同じ。
下手すればそれ以上の被害を出す存在に対して、憧れなんてご法度だろう。
だからこそ、そのご法度を踏んでいる女の子が気になったのだが。
「…………」
やはり答えてはくれない。
目を逸らして口をごもごもさせるだけ。
よほど聞かれたくないのだろうか。
「……しょうがないわね。それだったら頭に直接聞くまでだわ」
「えっ、頭……?」
「ええ。じっとしてて」
私は近付いた後、自分の額と女の子の額をピッタリ合わせた。
以前の女性にもやった《知識感応》だ。
実はこのスキルは知識を理解吸収するだけではなく、その応用として相手のこれまでの経験や記憶をも取り入れられる。
つまり、その相手の過去を覗ける事が出来るのだ。
もちろん過去を覗くというのは土足で入る事でもあるが、この際やむを得ない。
私は目を閉じて、その過去の記憶へとダイブした。
「……あの子の家かしら?」
私は部屋らしき場所に立っていた。
多分『アパート』というやつだろう。
あの子の家か何かで間違いないだろうが、その部屋の中がゴミやら食べかすやらで酷く散らかっていた。
匂いとかは全くしてこないが、見ていて気持ちいいものではない。
『いい加減にしろよな!! 何で利口に出来ないんだよ!!』
「ん?」
男性の怒号だ。
どうやら隣部屋からようなので覗いてみると、髭もじゃもじゃの男性が暴れているようだった。
そして彼は、あの女の子を何度も蹴っている。
『ええおい!! 何とか言えよ!! 黙ってないでよぉ!!』
『…………っ!! …………!!』
女の子はごみ溜めの中で、男性の暴力を耐え続けている。
そしてその近くを大人の女性が立っているのだが、それを止めるどころか冷たい目で見下ろすだけだった。
私はこの光景を見ながら理解した。
この大人達は女の子の両親で、女の子は虐待を受けているのだと。
『ったくよ、金はかかるだけのデクの坊が。今すぐにぶっ殺したいくらいだわ』
『そんな物騒な事言わないでよ……。あんたも、何で大人しく出来ないの? お父さんを怒らせるんじゃないよ』
『…………』
これは今から1年前。
言うまでもなく、怪獣黙示録の真っ只中の事だ。
どうも父親の会社は怪獣災害の影響で倒産したらしく、その苛立ちを子供である女の子にぶつけていたのだ。
暴力や食事抜きは日常茶飯事。
母親も金のかかる子供を忌々しく感じていて、それを強く咎めないどころか見て見ぬ振りをしていた。
子供である女の子は、虐待を抵抗せず受け続けるだけ。
自分が悪くないと分かっていても、両親に立ち向かう事なんて出来なかったのだ。
『それよりもあんた就職は? いつまでも無職のままは……』
『うるせぇな!! 怪獣災害のせいで就職活動どころじゃねぇよ!! 全く、怪獣どものせいでこっちの人生は滅茶苦茶だよ!! 誰も助けてくれねぇしよぉ!!』
『確かにそうだけど……ほんと、怪獣さえいなければ……』
『…………』
愚痴る両親を忌々しげに見つめるのは、今さっき虐待を受けた女の子だ。
自分は悪くない。何もしていない。
何故自分はこうされなければいけないのか。自分が何をしたというのか。
両親への憎しみのようなものが、《知識感応》を使っている私へと流れていくのが感じた。
『……ん?』
と、母親が不意に頭上を見上げる。
突如として部屋が揺れ出したのだ。
揺れが徐々に強くなっていくにつれて、両親はおろか女の子までもが不安の表情を浮かばせていく。
そうして壁時計やテレビが倒れたり、女の子のすぐ近くで皿が割れたりなども。
『お、おい……これって』
父親が辺りを見回しながら声を震わす。
――やがて次の瞬間、女の子と両親の間に亀裂が発生した。
『うわっ!!! うわああああああああ!!!!』
『ちょっ!! いや!!! やああああああああああ!!!!』
床がメキメキと音を立てながら崩れていき、両親がそれに巻き込まれてしまう。
家具も、散乱したゴミも、壁や床も、その両親ともども奈落へと消えていく。
女の子の方は、何が起こったのかと言わんばかりの顔で見守るだけだ。
――グルグルウウウウウウ…………。
崩れた場所に深い穴が出来た時、そこから這い出る巨大な影。
まず鋭い爪を生やした腕が現れ、穴の縁を掴む。
さらに見えてくるのが、獰猛な獣の頭部と小山の如き巨体。
『……怪獣……?』
正体は、今全世界を震撼させている怪獣だ。
もっとも全体像はほとんど見えないし、そもそもこの後に自衛隊に掃討されているので出会う事はないが、問題はそこではない。
『……怪獣さんが……パパとママを殺してくれた……?』
その怪獣を目の当たりにした女の子の瞳が、場違いなほどに輝いていて。
『……凄いや……怪獣さんって……ハハ……アハ……』
まるで憧れを抱くようなものになっていたのだった。