番外編 とある久敏の受難 4
「む、何処に行っておったのじゃすーちゃん。探しとったぞ?」
「んっ、むぐっ」
「? どうしたんじゃ?」
怪訝なアイリスの目の前ですーちゃんの首が異様に下から太く膨らみ、上へと異動してゆく。
「うぇぇっ……」
「ひっ、ヒスイ!?」
そしてすーちゃんの口から、ぐったりとしたヒスイがぬるりと吐き出された。
「あ、アイリスさん……その節は、どうも……」
「な、なにがどうなっとるんじゃー!? 説明せい、何故ゆえすーちゃんの腹に収まってこちらの世界に来たのじゃ!?」
「来たっていうか連れて来られたっていうか……」
それとなくすーちゃんを怒らないでほしいと釘を刺しつつ、ヒスイはアイリスに渡されたタオルで身体を拭いた。
「そういえばここは?」
「妾の屋敷じゃ。コハクが楽しそうじゃったからな、異空間に作ってみたのじゃ」
コハクの屋敷に似ているが、花畑はなく辺りに森も無い。なんなら地面もない。屋敷の敷地の外には、広大な宇宙空間のような闇が広がっていた。
「……して、妾に何か用があるのじゃろ?」
「そうなんだ。実は――」
ヒスイは久敏の身に起きた出来事を、カシマレイコについてをアイリスに話した。
魔法なんて無い世界に、魔法のような概念があったということ……それを使って人類に仇なす怪異が存在すること。
久敏がその怪異に命を狙われていること。
「……ふうむ。あまり他所の世界に深入りするのはどうかと思うが……。まあよい、ヒスイになら特別に力を貸してやるのじゃ」
「ホントですか! ありがとうございます!」
「世界間の干渉なぞ向こうがこちらの世界をめちゃくちゃにしてきおったから今さらじゃしな。……とはいえ、じゃ。妾やすーちゃんが直接カシマレイコを倒すつもりはない」
アイリスは肩をすくめると、続けてこう言った。
「……お主が、久敏が自らカシマレイコを倒すのじゃ」
†
対怪異科関東西部支部は、てんやわんやの騒ぎになりつつあった。野放しにすれば人類の存続すら危うい規格外の怪物が、どこかへ姿を消してしまったのだから。
「これはこれは小鳥遊支部長、何の騒ぎですかな?」
「鷹野局長……!」
鷹野と呼ばれた壮年の男は、シルクハットのつばを弄りその奥の濁った眼で小鳥遊をにやりと見つめた。
――よりにもよって今一番会いたくないヤツがなぜここに……。
小鳥遊は唇を噛むのを堪え、平静を装う。
「偶然この近くに立ち寄ったから、顔を出してみようかと思いましてね? そうしたらこの騒ぎですよ。なんでも、零級怪異をむざむざと匿った挙げ句脱走させてしまったと?」
「匿ってはいませんが、これが最善かと。あの零級怪異……現在まだ未登録ではありますが、〝朱雀〟は討伐不可能であるほどの力と交渉可能と判断した上での決断です」
「交渉、交渉ねぇ。その最善の結果が脱走ですか。朱雀とやらが街に出て犠牲者でも出してしまえば、貴女はその時どう責任をとるおつもりなのですか? 最善は玉砕覚悟で部隊を投入し、少しでも削ることだったのでは?」
鷹野は小鳥遊が嫌いだ。これは皆口にはしないが、上層部では周知の事実である。
20代にして支部長にまで上り詰めた小鳥遊のことが、保守派の鷹野は邪魔なのだ。
近年の怪異は姿や性質をどんどん変えてきている。
嘗ての『呪い』の延長線上にあった怪異とは全く異なるものも、最近は頻繁に報告されてきている。
小鳥遊はそういった『近代怪異』および『現代怪異』への対策として、対怪異省内の埃を被り無意味となった慣習の撤廃を呼び掛けている改革派である。
対して鷹野は、古き陰陽師の家系の嫡男であり古からの慣習を何より優先している。
もっと言ってしまえば、彼にとって一般人の命など二の次なのだ。対怪異科というものは、古くからの陰陽師のしきたりを未来へ引き継ぐものとしか見ていない。
だから、その邪魔となる小鳥遊を排除したくて仕方がないのである。
先の発言も、零級怪異にいたずらに部隊を突撃させ損害を出させ、その責任を小鳥遊に請求できるという意図があったりする。
「零級来訪神格怪異朱雀は妖力値15万という前代未聞の力を持ちながら今まで未登録でした。……鷹野局長はこの意味が分かりますか?」
「15万だなんて馬鹿馬鹿しい。嘘はいけないよ小鳥遊クン。妖力値はせいぜい1500の間違いでしょうに。……それに、高度な知性を持つというなら、今まで我々に覚られず潜伏して力を蓄えていたとしても不思議はない」
小鳥遊の言葉を子供騙しだと鼻で笑い、鷹野のは肩をすくめる。
小鳥遊はいつ戻ってくるか分からない朱雀をどう対処するか部下たちと相談しなければならないというのに、鷹野を無視する訳にはいかない。
要するに鷹野は、小鳥遊に嫌がらせをしたいのだ。
「〝零級来訪神格怪異 朱雀〟……後々報告をするつもりでしたが、彼女は厳密に言えば怪異ではありません」
「……はい?」
「朱雀が今まで未発見だった理由。それは、この世界の住民ではないからです。異世界より現れた『神』なのです。彼女および彼女をよく知る者いわく、妖力値15万の朱雀は異世界の神の中では比較的弱い部類に入るそうです。
更に言えば彼女が姿を消したのは、他の神の元へ行っているからだそう。じきに戻ってきますよ」
「異世界ですと? 何を言い出すかと思えば、子供でも騙せない嘘ですか? そこまでして責任逃れをしようというなら――」
その時だった。
敷地内のどこかから、焔のような紅い光が立ち上ったのは。
「小鳥遊支部長!! 施設内にて〝朱雀〟が再顕現いたしました!!!」
「……鷹野局長。私は忙しいので、失礼します」
「おい! 小鳥遊!!! 待ちたまえっ――」
――――
「して、お主がここの責任者の小鳥遊じゃな?」
小鳥遊の前には、金髪の少女が佇んでいた。一見普通の少女……しかし、何か途方もない深淵を覗き込んだかのような圧を感じる。
その隣には、頬を膨らませ少し顔色の悪いすーちゃんが立っている。
「はい。私が対怪異科関東西部支部長、小鳥遊 苹花です」
「うむ。妾はアイリス。こことは異なる世界を統べる龍神じゃ。よろしくのう?」
「よ、よろしくお願いします……」
差し出された小さな白い手を握り、顔色の青い小鳥遊は己を奮い立たせた。
妖力値――0。
こっそりと職員がアイリスを測定して出された数値である。
0。あり得ない。怪異と縁遠い一般人でさえ3以上は必ずあるというのにだ。
「すまぬな、妾たちの持つ濃い存在質は人の子の体には毒でな。外に出さぬよう力を抑えておるのじゃ。故に妾を解析しても正確な数値は得られぬじゃろう」
「……不愉快に思われていたなら申し訳ございません」
「構わぬ構わぬ。妾が勝手に目線を下げておるだけじゃからな。それよりも、すーや。そろそろ出しておやり?」
「んーっ……おろろろろろっ……」
すーちゃんの口から、ぐったりとした久敏がぬるべちゃと吐き出された。
「うわぁっ!? 翠川さん?!」
「お騒がせしてすまぬのう」
「うぅ、あ、小鳥遊さん……どーもぉ」
「お疲れ様です……大丈夫ですか?」
「まあなんとか……それより、アイリスさんの協力の元にカシマレイコをなんとかできそうなんだ……」
久敏は他の職員が恐る恐る持った来たタオルで頭をごしごし拭うと、カシマレイコをどうにかする『方法』について話しだした。
……
「小鳥遊や。随分と顔色が悪いようじゃな。ちゃんと寝ておるのか?」
「はい。昨日も三時間しっかり眠りましたので心配には及びません」
「ちゃんと寝ておらぬようじゃのう……」
別室にて久敏を画面越しに見守る小鳥遊とアイリスは、そんな会話を弾ませる。
「まあこのような仕事ならば健康が疎かになるのも仕方ないのじゃろうな。妾にも覚えがあるし。どれ……」
「……? あれ? 体が軽い……?」
小鳥遊は、ふと自身の体がすこぶる調子がいい事に気がついた。
まるで1週間温泉に浸かりゆっくりマッサージを受けながら療養したかのような、疲労のすっかり抜けた心地よい気分だ。
「ちょっとした回復魔法じゃ。このままでは疲労で死にそうな顔をしておったからな、見ておれん」
「……ありがとうございます」
怪異や異能力者の発生させる現象を西洋では『魔法』と呼ぶこともあるが……アイリスやすーちゃんの扱うものは、それらよりも遥かに都合がよく応用が効く。デメリットも無い。
少しだけ、羨ましいと小鳥遊は思うのであった。
†
「参りました」
ぼとり。口から肉の泡の塊が堕ちる。
「この子を、膿んで、くだ、さい」
喪服を着た女であろうそれの頭は、土色に変色し大きく歪に膨れ上がり異形のシルエットを形作っていた。
そしてその両手は自身の下腹部に……とうにその中にはいないであろう子を愛しそうに撫でながら、よたよたと久敏の元へと近づいてゆく。
「嘉島麗子さん……俺が、貴女を解放してあげます」
久敏は魔法陣の中央に立ち、カシマレイコを迎え撃つ。
――このカシマレイコは『本体』だ。これさえ処理できれば、カシマレイコという怪異は完全に消滅する。
久敏はカシマレイコという怪異を浄霊すべく、すーちゃんから〝力〟を借り受ける。
「〝俺に力を〟!!」
眩い光が辺りを包み込む。
そして光が収まると、そこに久敏の姿はなく換わりに水色の髪の少女が立っていた。
「お、おぉ、ぉ……」
苦しげに呻くカシマレイコに、ヒスイは手をさしのべたのであった。




