番外編 とある久敏の受難 3
3話で終わるはずが続きそうなので上中下にするのは諦めました……
「あ、あぁ……」
その女は白い清潔なシーツの上でそれを見つめていた。
医者が女に差し出した金属の皿の上には、血の滴る赤い房状の葡萄のような塊が乗っていた。
女は愛しそうに塊を見つめ、震える指先でそっとそれに触れた。
〝これ〟は、この女の『子供』になるはずだったモノの成れの果てだ。
ぶどう子――受精卵が何らかの原因で胎児の形にならず、泡状の血肉の塊として子宮の内で成長してしまう病である。
運が悪かった。
誰が悪い訳でもない、ただそれだけのたまにある話。
――1人目は産まれてすぐに死んでしまった。
――2人目は、空襲による衝撃で倒れた箪笥に腹を潰され、腹の中で死んでしまった。
そして3度目は、人の形すらしていなかったのだ。
度重なる流産に、女は子を産めない身体となってしまっていた。
運が悪かった。
不幸が重なった。
それはただの偶然であり、超常的な存在が介在した訳ではない。
だが、戦後のヒリついた日本の空気において、3度も子が流れた……特に衝撃的な3度目。
『前世で酷い罪を犯したに違いない』
『きっと胎が化け物のそれなんだわ』
親族からの風当たりは常軌を逸した。
彼女が悪いのだ。彼女が何か悪い事をしたのだ。これはその天罰なのだろうと。
戦争へ行った夫は、ぶどう子を産んで傷心の彼女の元へ小さな骨の欠片となって帰ってきた。
彼女の居場所は、もうどこにもない。
今際の際に何を想ったかは定かではない。彼女は、喪服姿で一人ひっそりと首を括った。
†
「――彼女……〝嘉島麗子〟は死後、人に仇なす怨霊と成り果てた。腹を裂き中に首を三つ詰めるのは、自身に代わって子を産んでほしいと願っているのかもしれないな」
久敏を尋問していた女……小鳥遊は重苦しく口から息を吐き出し、隈の深い眼を閉じカシマレイコについて語る。
「……哀れな境遇だ。しかし、あの時代に悲劇はごくありふれたものだった。……同様の怪異もな。怪異となったカシマレイコも、当初はよくある四級怪異でしかなかったとみられている」
「彼女が零級へと変貌する……何かがあったんですね?」
「ああ。……〝信仰〟だ。偶然にもカシマレイコは〝信仰〟された事によって、神性を得てしまったのだ」
――〝神〟と呼ばれるモノは皆、何かしら〝信仰〟されている。
その神の中にも、大きく分けて二種類ある。
『初めから信仰されるほど大きな力を持っていた存在』と『信仰される事で後から力を得て神と成った存在』だ。
『カシマレイコ』は後者。
ただし、その経緯は他の神とは少々異なる。
「きっかけとなったのは昭和後期の怪談ブームだ。『トイレの花子さん』『口裂け女』『てけてけ』……。これらの怪異も零級として登録されている。
〝畏怖〟も一種の信仰だ。有名なこれらの怪異が零級となったのは至極当然のことであった」
小鳥遊はボールペンを指先でくるりと回し、ため息をついた。
「誰が言い始めたのか、カシマレイコは『てけてけ』『口裂け女』『花子さん』
これらと同一の存在とみなされたんだ」
「つまり……単体で零級に相当する怪異3体ぶんの畏怖を、一身に集めてしまったと?」
「君は賢いな。いっそウチで働かないか?」
小鳥遊はふっと笑うと、ボールペンを机に置いた。
怪異科は常に人手不足なのだ。
「……検討します」
表面上あまり乗り気ではなさそうだが、久敏は割と本気でこの怪異科への転職を考えつつあった。
それはさておき、久敏を狙うカシマレイコへの対抗策を練れなければならない。
「カシマレイコは1度狙った獲物に執着する。分霊を飛ばす本体をどうにかしない限り、恐らくは今後君が死ぬまで狙い続けることだろう」
「すーちゃんにずっと守ってもらう訳にはいかないもんな……」
分霊ごとき、すーちゃんにとっては蚊のようなものだ。すーちゃんが側にいる限り、久敏がカシマレイコに殺されることはないだろう。
しかしすーちゃんと片時も離れずにいるということはできない。
「どうしたものか……」
「しばらくすーちゃんと一緒にいさせてもらいます。……俺は何日かはここで監視の下で生活させられるんでしょう?」
「そうなるな。……尋問、ではもやはないか。話し合いはひとまずこれで切り上げよう。朱雀の元へ行ってやるといい」
魔除けの札の貼られた扉を出て、久敏はすーちゃんの待つ部屋へと向かう。監視下ではあるが、待遇は悪くはないだろう。
念のため、同じく事情を知る明香も今後こちらで監視もとい保護される事になるそうだ。
「ママおかえりー!!」
「ただいますーちゃん」
広い部屋でのびのび文字通り羽を伸ばしていたすーちゃんは、久敏を見るなり駆け寄って大きな羽で抱きついた。
「ははっ、すーちゃんはあったかいなぁ~」
「ママだいちゅき~!!」
大きな大きなすーちゃんをもふもふなでなで。
どこかスパイシーな香りがする。
「ね、ママ。……何のおはなししてたの?」
「え~っとねぇ……」
久敏は小鳥遊との会話を包み隠さずすーちゃんに伝えた。隠すような内容でもないし、隠さなくてもいいと言われている。
怪異という存在のこと、久敏を狙うカシマレイコのこと。すーちゃんならばカシマレイコの分霊を退ける程度造作もないし、本体であろうと問題なく倒せるだろう。
しかし、カシマレイコの本体は姿を現すことはない。マーキングを施した獲物に分霊を送り、殺害する。本体の居場所が分からない限り、久敏はすーちゃんの側を離れることはできないのだ。
「うりゅりゅ……かしまさん可哀想だけどママに手を出すなんて許せないのでちゅ……」
「すーちゃんは優しいねぇ」
久敏の何気ない言葉に、すーちゃんはころころ表情を変えてゆく。
今やすーちゃんは平時のカリニャンと同じくらいの体格だ。そんな大きさでも、すーちゃんは変わらず子供のままだ。
「あたちでもかしまさんが何処にいるのかわからないのでち……。カリニャンお姉ちゃんやアイリスさまに相談した方がいいのでち」
「そう、だな。かしまさんはアイリスさんが迎えに来るまでの辛抱かな……」
「そこまで待ちきれないのでちゅ! ママを苦しめるかしまさんははやくやっつけなきゃいけないのでち!!!」
すーちゃんは何やら意気込んでいる。ふんすふんすと鼻を鳴らし、久敏を翼で包み込む。
「アイリスさまにはママから説明してほしいのでちゅ!!」
「え? えっと……」
どうにも話が見えない。すーちゃんは一体何をするつもりなのだろうか。
なんだか嫌な予感がする。
「ママと一緒に行くのでちゅ! 向こうの世界に!!!」
「えっ、ちょっ、すーちゃん待っt」
――世界の彼岸を生身の人間が渡ろうとすれば、虚空のエネルギーに肉体を侵食され即死する。
しかし、カリニャンやアイリス、すーちゃんのように神性を得た存在ならば高い耐性があるため耐えられる。
そして久敏は知っている。
以前向こうに渡る際には、カリニャンの耳の中という体内で虚空のエネルギーから守ってもらったのだ。
つまり――
「んーっ!? んーんんんっん!!!!?」
「んぐっ、んぐむぐ……」
鵜のように、翡翠のように、鷺のように。
すーちゃんの小さな口から久敏の足がじたばたもがいていた。
すーちゃんは久敏を連れて帰るために、かなり無理して飲み込もうとしていた。
体格差は辛うじて久敏を胃袋に収められる程度にはある。
すーちゃんは頑張った。イカれた鳥、ペリカンのごとく頑張った。
久敏も抵抗した。飲み込まれまいと喉に腕を突っ張った。しかしすーちゃんの種族は仮にも鳥類。大きなものを飲み込むことに長けている。
「ひっ、非常事態っ!!! 零級怪異朱雀がっ!!! カシマレイコ彼呪者 翠川久敏を捕食!!!!!」
「はぁ!?」
小鳥遊は画面越しに踊り食いされていく久敏を見て、目の下の隈がより濃くなる予感を抱いた。
「ママ! すぐ着くからね!!」
「暗いよ~! 怖いよ~!!!」
久敏との格闘に勝利したすーちゃんは、そのまま燃え盛る翼を羽ばたかせ飛び上がった。
小鳥遊は一応は『世界の彼岸を渡る方法』を聞いている。
だから多分すーちゃんは久敏を害している訳ではないのだろう……しかしこれをどうやって上に説明すればいいのか。
そのまま数本の紅い羽を残し、すーちゃんはそのまま空間の歪みに消えていってしまった。
小鳥遊は頭と胃に鈍痛を抱えながら、ボールペンをくるくる回すのであった。




