番外編 とある久敏の受難 2
「お、ああ……」
焔に巻かれ、〝喪服の女〟の姿が消えてゆく。
それを見ながら、久敏は命を救ってくれた最愛のおおきなふあふあの胸に抱きついた。
「会いに来たって、すーちゃん一人で?」
「うん! すーはね、世界を飛び越えるのが得意なんだよ!!」
「そっかそっか。アイリスさんやカリニャンちゃんにはこっちに来るって言ったのかい?」
「う……言ってないのでちゅ……」
これがバレたら確実に怒られるだろう。
すーちゃんはアイリスやカリニャンに弱いのだ。
「……けど、助かったよすーちゃん。危ないところだったからね」
久敏が手を伸ばすと、すーちゃんは屈んで撫でやすい位置まで頭を下ろす。そのまま額をなでなでされ、すーちゃんはすっかりご満悦だ。
あのままであれば、久敏は〝喪服の女〟に殺されていただろう。それも、腹を内側から破られるという形で。
「……あのねママ。アイツは本体じゃなかったの。だからね、まだママを狙ってくるかもしれないでちゅ」
「マジか……」
「だからねのね! こっちの世界に来ればアイツも追っては来れないと思うの! そうすればママと一緒に暮らせるのでちゅ!!」
眼をきらきら輝かせ、翼を広げて曇りなき笑顔を向けるすーちゃん。
胸が痛いが、久敏は向こうの世界で暮らす訳にはいかないのだ。
「ごめんな、すーちゃん。それはできな――」
そこまで言いかけた時だった。
突然、窓ガラスが内側へ砕けた。咄嗟にすーちゃんはガラス片から翼で久敏を守る……が――
パァンっ!!!!
床の上で何かが破裂し大きな音が響き渡る。しかし音に驚いていたのはほんの一瞬。
「ぷしゅんっ! ぷしゅんっ!! ぴ、ぴぃ……?!」
「けほっ、すーちゃん?!」
破裂した〝何か〟からなにやら粉っぽいものが撒き散らされ、部屋中に充満する。
「ぷっしゅんしゅん!!!」
それを吸ったすーちゃんは、くしゃみと涙が止まらなくなってしまった。
すーちゃんの涙と鼻水を頭から被りつつ、久敏は噎せながらもすーちゃんと外へ出ようと廊下へと歩き出す。
すると――
「被呪者発見!!!」
「確保ぉっ!!!」
「うぇっ!? えっ!!?」
突然廊下から部屋になだれ込んできた特殊部隊によって、久敏はあれよあれよというままに外へと担ぎ出されてしまうのであった。
†
久敏が担ぎ出された宿舎の外では、何やらメットを被りチョッキを着た集団が取り囲んでいた。
見た目こそ警察の特殊部隊に近いが、よく見ると榊の枝や経文の書かれた紙のようなものを持っている人もいる。
「被呪者保護完了しました!」
「対象! 三級伝承怪異〝以津真天〟に酷似しております! 祓魔弾の使用許可を申請します!!」
『許可する』
「総員構え!!! 目標を視認次第発砲せよ!!!」
部隊は一斉に宿舎へライフルを向けた。
この部隊は一体何なのか……? 久敏には皆目見当もつかなかった。しかし、それよりも……
「待ってくれ、あんたたちは――」
「ぷしゅんっ……ママぁ、どこに行ったのぉ?」
宿舎の窓を破り、のっそりとすーちゃんが姿を現した。
そして
「撃てぇっ!!!!!!!」
ズドドドドドドドドドドドド!!!!!
銃弾があめあられのごとくすーちゃんを蜂の巣にする勢いで放たれた。
銃弾は炸裂する度に白く強い光を発し、外からではすーちゃんがどうなってしまったのか判別はできない。
「待って、やめてくれ!!! すーちゃんは、あの子は違うんだ!!!!」
久敏はおぼろげながら、この部隊の正体を察していた。
恐らくは日蔵の伝手であの〝喪服の女〟を倒しに来た集団であろう。
あの撒き散らされた粉や銃弾は、怪異に対して有効な特別製の攻撃手段なのだと思われる。
久敏は喉を枯らす勢いでやめろと叫んだ。
しかし、その叫びは銃声にかき消され、部隊のリーダーへ届くことはなかった。
―
――
―――……
やがて一斉射撃は止み、部隊の一人が双眼鏡ですーちゃんのいた煙の中を確認する。
「目標、沈黙しております」
「油断するなよ。日蔵の話とは違い格下の怪異のようだが、厄介なことに変わりはないからな」
「うっ、うう……」
そこでリーダーは、久敏の啜り泣く声に気がついた。
「翠川久敏くんだね? 我々は君を害するあの怪異から救いに来たんだ」
「俺を害する……? 違う、すーちゃんは俺を助けてくれたんだ!! 喪服の、腹に首を埋め込むヤツから守ってくれた!!!! それなのに、それなのにっ……!!!」
「どうやら錯乱しているようだ。……落ち着きたまえ翠川くん。怪異と人は相容れない。君の助けてくれたという話は、確実に勘違い――」
「目標、立ち上がりました!!!」
「なんだと!」
煙の中より、真っ赤に燃えたぎる焔の怪鳥が立ち上がる。
「目標の暫定妖力値が算出されま……え、じ、十五万……?!」
『ママをぉぉぉぉぉ!!!! いじめるなあああああああああ!!!!!!!!!』
すーちゃんは全身から溢れる怒りを焔に変え、地獄の底のごとき熱ですぐそばの宿舎を蒸発させた。
「なんと、なんという……あれは、未登録の零級怪異――」
『許さない許さない許さなあああああああぁぁぁぁい!!!!!』
すーちゃんが咆哮すると、部隊の人間が次から次へとばたばた泡を噴いて倒れ始めた。
すーちゃんは異世界の〝神〟である。
アイリスやカリニャンよりは弱いが、それでもこの星から人類を駆逐するには十分過ぎるほどの力を持っていた。
それを、彼らは怒らせてしまったのだ。
……あの程度の豆鉄砲、すーちゃんにとっては痒いだけである。
しかし、最愛の久敏を奪われたことは、怒り狂いこの星を滅ぼさんとするには十分過ぎる動機であった。
「――落ち着いてすーちゃんっ!! ママは大丈夫だから、いじめられてなんかいないから!!!」
「うううぅぅっ……ふぇ? そうなの?」
「そうだよ! 悪い人たちじゃないんだよ!!」
……彼らが何者なのかもよく知らないけども。
「そーなのかー。しょーがないなぁ、ママにめんじて見逃してやるのです!! すーちゃんはかんよーなので!」
こうして、ひとまず世界の危機は雑に脱した。
さて、久敏は頭が痛い。どう説明しようか、そして彼らが何者なのかを聞こうか。お互いに未知との遭遇である。
「君は……その怪異を、手懐けているのかい?」
「すーちゃんは怪異じゃねーよ。俺の大事な娘のような存在だ」
「すーちゃんはママと番になるのー!!!」
「……娘さんなのでは?」
「……それよりそっちの自己紹介が先じゃねえのか? 馴れ馴れしくくん付けしやがって」
久敏は苛立っていた。
久敏を助けようとしてくれたのは感謝するが、それでもすーちゃんを傷つけようとしたことは決して許せない。
「我々は〝対怪異科第四陰陽部隊〟……〝怪異〟と呼ばれるモノから秘密裏に人々を守る、国営の組織の末端だ」
†
――〝怪異〟
そう総称されるモノがある。
時に人を害し、時に人を狂わせ、時に人を不幸にする。
それらは現代の科学力ではどうにも説明がつかず、不可解な存在であった。
それらに対抗するのが、警察連携秘密組織『対怪異科』である。
今現在の科学では怪異に対抗するのは難しい。しかし、古来より〝法則は未知ながら怪異に有効な攻撃手段〟は伝えられてきていた。
それらを科学の武器と組み合わせ、戦う。それが彼らなのである。
「……なるほど? 地球にもそんな存在があったのか……いや、ヴォルヴァドスのようなやつが居たんだから当然っちゃ当然か?」
「本来なら一般人は記憶処理するなりしていたが、君はどうにも怪異を手懐けているようだからね。面倒なことだ」
久敏とすーちゃんは彼らに連れられて、山奥の寺のような施設へとやってきた。どうやらここは対怪異科の収容施設らしい。
ちなみに、神社を中心に周囲の住民はニキロに渡って避難済みであり、すーちゃんが軽く吠えた被害は軽微なものであったという。日蔵も無事だ。
しかしいくら久敏がすーちゃんを制御できるとはいえ、恐ろしい存在であることに変わりはない。
久敏はすーちゃんと別室で事情聴取……もとい尋問を受けていた。
「さて、次は君が説明する番だよ。すーちゃんという怪異についてね」
「ああ。俺は――」
久敏は、彼らにあのゲーム『ヴォルヴァドス』についてを語った。地球の神が異世界を侵略する手助けをプレイヤーたちはさせられていたのだと、そしてすーちゃんはヴォルヴァドスと敵対していた異界の神であると。
現在、インターネット上で〝ヴォルヴァドス〟に関連する動画は全て消えている。削除されたのではない、〝始めから存在しなかったかのように〟痕跡すら残っていないのだ。
「……にわかには信じられない話だね。……まさかすーちゃんは地球に恨みを持っていたりはしないのだろうね?」
「すーちゃんに地球への恨みは無いはずだ。まだ生まれてから5歳の育ち盛りだしな」
「ちょっと待て、5歳? 育ち盛り?」
「ああ。すーちゃんは向こうの神様の中では最年少で、その中でもそこまで強い方じゃないんだ」
尋問を行う女は眉間を押さえ苦しげだ。
すーちゃんの怪異としての力の大きさ……〝妖力値〟はぶっちぎりで観測史上最大。この星の人類を絶滅させる程度の力は有しているというのに、それでも『弱い方』だというのだ。
「その……すーちゃんより上位の、神というのは、こっちに来ているのか?」
「今は来ていない。すーちゃんが勝手に来ただけだから。ただ、そのうちアイリスさん……向こうの神様のリーダーが迎えに来るかもしれない」
「……は?」
ただでさえ『すーちゃん』という核爆弾があるというのに、それよりはるかに強大な爆弾が飛んでくる可能性がある。
胃が痛い。零級怪異という怪物をどうにかしなければならないという状況で、二つの爆弾が投下されたのだ。
「……アイリスさんなら大丈夫ですよ。理性的で話の通じる優しい人ですから」
「……やむを得ない、か」
尋問を行っていた女は、これ以上すーちゃんをどうこうするのは諦めた。少なくともすーちゃんは久敏の言うことは聞くのだ。力は強大だが、制御ができるだけ他の怪異よりは遥かにマシだろう。
……とはいえ。
「すーちゃん……という呼び方は愛称のようなものなのだろう? 真名はなんというのだ?」
「すー」
「スーっ……(眉間を押さえ天を仰ぐ)」
「あ、何かしらに登録する為の名前が必要なんですかね? それなら、すーちゃん唯一無二の種族名があるんでそれならどうですか?」
「種族名か……それはどんな……いや、特徴から何となく察しているが、聞いておこう」
「〝神獣朱雀〟」
「異世界にも四神獣がいるのか……その朱雀を略してすーと。雑にも程があるだろ……」
もはやつっこむ気力も失せつつある。
「……まあいい、彼女のことは暫定的に〝零級来訪神格怪異 朱雀〟として登録させてもらう。そして一応君には怪異の等級について説明しておこうか」
〝怪異〟は危険度およびその強さに応じ4~0の5段階の等級を割り振られることになっている。
数字が小さくなるほど、より危険で格の高い怪異であると登録されるのだ。
その中でも別格の〝零級〟。
都市を壊滅させうる以上の力を持つ、怪物たちである。
例えば〝花子さん〟〝口裂け女〟〝とんからとん〟〝ウシクビ〟
これらは未だ未討伐の零級近代怪異である。
「すーちゃんが零級……色々すっ飛ばしてるから実感がないですが、きっと四級の怪異でも危険なんでしょうね」
「そうだ。力は弱くとも狡猾で残忍な怪異も数多く居る。一般人からすれば四級も一級も命を脅かすことに変わりはない」
「……俺も一般人なんすけどね」
「零級に守られている人間を一般人とは呼ばない」
やれやれ、と女は首を振った。
「さて、話を戻そう。本来、我々第四陰陽部隊は日蔵の要請で君を零級怪異から救い出すよう派遣されたのだ。君を狙う〝喪服の女〟のからな」
「……そうだった。ありゃ一体何なんだ?」
久敏の疑問に答えるべく、女は一呼吸置いて顔の前で手を組むとゆっくりと話し出した。
「……零級近代神格怪異――
〝カシマレイコ〟と呼ばれるモノの、成れの果てだ」




